第9章 歌姫の人形

賛成派たちの会合



 謎の災獣・ディザスがクーロンを倒したという報せは、僅か数日で世界中を駆け巡った。

 民間人の国外渡航は全て禁止され、武装した兵士たちが街を巡回し始める。

 ファイオーシャンに向かおうとしていたセイとミカもまた、この事態の煽りを受けていた。


「……アラシたち、無事かな」


「死んではいないだろ。それより、折角時間ができたんだ。あんたの記憶について調べてみようぜ」


 ミカは頷き、セイと並んでラッポンの街を歩く。

 彼女が寺子屋で受け持っている生徒が、2人を指差して叫んだ。


「あっ、先生だ!」


「先生遊んでー!!」


 ミカは困惑しながらも、無邪気に駆けてくる教え子たちを受け止める。

 楽しげにじゃれ合う彼らを眺めながら、セイは小声で独り言を溢した。


「俺の紙芝居は玄人向けだから、別に子供人気とか狙ってないから……」


 やがてミカと子供たちは手を繋ぎ、古くから伝わる童歌を歌い出す。

 楽しげな歌声を聞きながら、セイはまだ言い訳を続けていた。

 一方その頃、レンゴウでは。


「……あと1分だな」


 塔大の最上階にある研究室で本を読みながら、守護者ミリアが呟く。

 彼女の予測ぴったりに、2人の来客がエレベーターに乗って現れた。

 シヴァルの守護者ユキと、ドトランティスの守護者ハタハタである。

 ミリアは読んでいた本を置き、ユキたちを出迎えた。


「よく来てくれた。さあ、座ってくれ」


 ミリアに促され、ユキたちは彼女が用意した椅子に腰かける。

 程なくして、付き人が人数分の珈琲を運んできた。

 スティックシュガーとフレッシュもついている。

 付き人を下がらせて、ミリアが前置きもなく切り出した。


「では、早速本題に入ろうか」


 ミリアたち3人は守護者会議の際、ミカの処刑に賛成した者たちである。

 そんな彼らが集まって話すことと言えば、やはりミカの処刑についてだった。


「そもそも、だ。何故我々はミカ君の処刑を望んでいる?」


「決まってますわ。彼女が存在してはいけない国、ソウルニエの民だからでしょう?」


 ミリアの質問に、ハタハタが答える。

 彼女の答えに頷いて、ミリアは再び口を開いた。


「そうだ。だが彼女は歌姫であり、カムイ神話に無くてはならない存在だ。『歌姫』と『ソウルニエ』。この相反する性質をどう捉えたものか……」


「更に厄介なのがアラシですわ。奴は私たちの主張にかこつけて、巨神までも手にかけようと画策していたのですから」


 ミリアのハタハタの議論を聞きながら、ユキは手の中の珈琲に目を落とす。

 そのままでは苦くて飲めないが、かといって甘くするのもプライドが許さない。

 こんな時ミカならどうする、とユキはぼんやり考えた。

 きっと彼女は躊躇いなく珈琲にミルクを垂らして、セイと微笑み合いながら優しい一杯を楽しむのだろう。

 だが、自分はその仲間には入れない。

 珈琲の黒い液面を溜め息で揺らしながら、ユキは小さく呟いた。


「……最初から苦くない珈琲があればいいのに」


 やってしまった、と思った時にはもう遅かった。

 会議中に別のことを考えた挙句それを口に出すなど、愚行以外の何物でもない。

 ユキの額に冷や汗が垂れ、顔が耳まで紅くなる。

 ミリアは椅子から立ち上がると、彼の肩に手を置いて言った。


「それだ!」


「ええっ!?」


「なんて素晴らしい発想なんだ! これなら全てが丸く収まるぞ!」


「どういうことですの!? 説明して下さいまし!」


 1人で盛り上がるミリアに、ハタハタが解説を求める。

 ミリアは咳払いをすると、頭に閃いた作戦を告げた。


「我々の手で歌姫を作るんだ。ソウルニエ出身でない歌姫を」


 珈琲の苦味、つまり歌姫の出身地が不都合ならそれを切り離せばいい。

 愕然とするユキたちに、ミリアは更に続ける。


「三国の技術を持ち寄ろう。ハタハタ君。ドトランティスには確か、かつての民が遺した歌魔法の出力増幅装置がある筈だ」


「ええ、大切に保管してありますわ」


「君はそれを持ってきてくれ。ユキ君には氷人形の製作を頼みたい」


「……分かった」


 2人の意思を確かめて、ミリアはゆっくりと頷く。

 そして彼女は引き出しから奇妙な装置を取り出し、机に置いて言った。


「私はこの蓄音機に歌姫の声を集めるため、ラッポンに飛ぶ。そして声の収集が終わり次第……始末する」


「これで話は纏まりましたわね」


「ああ。歌姫の人形計画、必ず成功させるぞ」


 そしてハタハタとユキは自分の国に帰り、研究室にはミリアだけが残される。

 すっかり温くなったユキの珈琲を飲み干して、彼女は出立の準備を始めた。

 同じ頃、ソウルニエでは。


「……かなり癒えてきたな」


 生まれたままの姿で緑色の湯に浸かりながら、シンはぼんやり天井を見上げる。

 薄暗い部屋の中で紫色の灯がゆらゆらと揺らめいている様は何とも幻想的で、彼は不意に眠気を覚えた。

 このまま湯の中に身を沈め、眠ってしまおうかとさえ思う。

 しかし意識の片隅に蘇った記憶が、シンの意識を強引に覚醒させた。


『お兄ちゃん! お兄ちゃん!!』


 幼き日の妹が同じく幼少期のシンにしがみつき、助けを求めて泣き叫ぶ。

 正面で待ち構える異形の怪物が、大口を開けて兄妹を威嚇した。

 安全圏から眺める大人たちは、誰も助けてなどくれない。

 しがみつく妹を振り解いて、シンは怪物の前に踏み出す。

 泣き腫らして掠れた妹の声が、小さな背中にぶつかった。


『行かないで……』


 それからのことは、よく覚えていない。

 分かっているのは自分が災獣ディザスを宿していることと、妹は生者の世界で今も生きているということだけだ。

 畳んだ服の上に置いた神話の書が、独りでに開いた。


「相変わらず人使いが荒いな」


 シンは浴槽から上がり、身支度を整えて右腕に包帯を巻きつける。

 そして本を手に取り、次なる指令を確認した。


『ラッポンに向かい、巨神カムイと交戦せよ』


「……了解」


 シンをラッポンに導くべく、彼の体を闇が包む。

 シンは静かに目を閉じて、右腕をそっと握りしめた。

—————

巨神と厄災



 ある早朝、災獣ディザスが突如としてラッポンに出現した。

 各地に配備された防衛部隊の攻撃も物ともせず、本能の赴くままに都市を蹂躙する。

 逃げ遅れた子供を親と合流させ、リョウマの影武者が額の汗を拭った。


「これで避難は完了だ。後は頼みます、リョウマ様……!」


 避難民たちの背中を見送り、影武者は防衛部隊の陣頭指揮を執る。

 その頃ラヅチ城では、セイが本物のリョウマに頭を下げていた。


「これまでになく激しい戦いになる。ミカのことを頼めるか」


「任せるぜよ!」


 リョウマはどんと胸を叩き、隣に立つミカに明るい笑顔を見せる。

 セイは力強く頷くと、暴れ狂うディザスを見上げて勾玉を掲げた。


「超動!!」


 セイの体が嵐に包まれ、彼は巨神カムイへと変身する。

 カムイは勢いよく走り出し、ディザスの二本角を掴んだ。


「クァムァ……アッチ! ウワァアッツイヨコレェ!」


 しかし角に炎を宿され、堪らず手を離してしまう。

 ディザスは低い唸り声を上げ、怯んだカムイに容赦なく連続突きを見舞った。


「この野郎! もう手加減しないからな!」


 カムイは雷の大太刀を召喚し、炎の角と激しく斬り結ぶ。

 ディザスと互角の鍔迫り合いを繰り広げるカムイに、ミカが声援を送った。


「頑張って、セイ!」


「おうよっ!」


 カムイは刀を握る腕に力を込めて、ディザスを押し潰そうとする。

 カムイが勝負に出た一瞬を、ディザスは見逃さなかった。

 後方に大きく飛び退き、カムイの体勢を崩す。

 そして無防備に曝け出された頭部を目掛けて、渾身の後ろ蹴りを放った。

 脳が揺れる感覚と共に、カムイの体が吹き飛ばされる。

 土煙を上げて地面に着地したカムイを、ディザスが前脚で踏みつけた。


「クァムァッ! クァムァイ!」


 受け止める両腕にダメージが蓄積され、徐々に骨が軋んでいく。

 絶え間ない連続攻撃の中、カムイは風の御鏡を召喚した。


「ッ!?」


 鏡に反射する太陽光でディザスを怯ませ、起き上がり様の回し蹴りで吹き飛ばす。

 間合いを振り出しに戻して、カムイは御鏡を突き出した。


「あんたの正体、突き止めさせて貰うぜっ!」


 御鏡に映った真実が、風の力を通してカムイの脳内に流れ込んでくる。

 深い闇に包まれた凶悪災獣・ディザスの正体は––。


「……人間!?」


 何者かが黒い糸を手繰り、ディザスに命令を下しているビジョンが見える。

 電撃でディザスを牽制しながら、カムイは地上のミカとリョウマに呼びかけた。


「近くにディザスを操ってる人間がいる! そいつを探してくれ!」


 2人は僅かに戸惑うが、すぐにカムイを信じて走り出す。

 近づいてくる足音を聞いて、ディザスの主・シンは舌打ちした。


「チッ、勘づかれたか」


 ディザスに意識を集中させながらも、彼は次の潜伏場所を目指して移動する。

 しかし地形に聡いリョウマはシンの逃走経路を正確無比に予測し、ついにシンとの会敵を果たした。


「このラッポンで拙者から逃げ切ろうなど、笑止千万ぜよ」


 シンは踵を返して逃げ出そうとするが、回り込んでいたミカによって挟み撃ちにされる。

 悼ましい紋章の刻まれた右腕を押さえるシンの姿を見て、ミカは驚愕の声を上げた。


「あなたは……!」


 シヴァルでは衛兵に扮して脱走を手引きし、ラッポンではセイたちに戦うなと警告した男。

 味方だった筈の彼が、何故ディザスを使役しているのか。

 問いかけようとするミカに、シンが黒い光弾を放った。

 ディザスの力なのか、掠めただけでも凄まじい熱量に襲われる。

 リョウマとミカ双方を警戒しながら、シンが2人を威嚇した。


「今のは警告だ。次は胴をぶち抜く」


 カムイとディザス、ミカたちとシンが、それぞれの規模感で睨み合う。

 カムイとミカたちは呼吸を合わせ、ほぼ同時に飛びかかった。

 司令塔たるシンの意識を掻き乱せば、この事態を収められるかもしれない。

 しかしシンの打つ手は、カムイの予想よりも一枚上だった。


「放て!!」


 シンの両腕とディザスの口から同時に光球が発射され、カムイたちを吹き飛ばす。

 シンは『自分とディザス両方に適応される最小限の命令』で同時攻撃を凌いだのだ。

 全身に痛みを迸らせながら、ミカが途切れ途切れに言った。


「どうして、こんなことを……」


 シンは答えない。

 カムイとディザスがぶつかり合う音を遠くに聞きながら、リョウマが腰の刀を抜いた。


「理由などはどうでもいい。ラッポンを荒らした罪……命で償うぜよッ!!」


 銀の刃を閃かせ、リョウマはシンに斬りかかる。

 渾身の斬撃がシンを断つ刹那、飛び込んできたミリアが杖でリョウマの太刀を受け止めた。


「ミリア!?」


 驚くリョウマの鳩尾を杖で突き、ミリアはシンの前に立つ。

 彼女は杖を構えると、ミカたちに向かって言った。


「話は全て聞いた。この男に手を出さないで貰おうか」


「ミリアさんまで、そんな」


「今戦いを終わらせられては困るのだよ」


「少しでも早く災獣を倒して何が困るぜよか!」


 リョウマの言葉に、ミリアは大きな溜め息を吐く。

 彼女は蓄音機を取り出すと、ミカの双眸を睨み据えて言った。


「歌え。ディザスを倒せるほどの強大な力を持つ歌を」


「ミカ歌うな! 録音されるぞ!」


 カムイが叫ぶ。

 もしも歌を録音されてしまえば、いよいよミカ抹殺が本格的に始まってしまう。

 しかし歌わなければ、カムイはディザスを倒せない。

 震えるミカの腕の中で、神話の書が微熱を帯びた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る