第7章 ラ風総本家

信頼する心



 白馬に乗った陣羽織の男が、爽やかな笑顔で左右に手を振る。

 百姓たちは一斉に跪き、陣羽織の男と彼に従う数人の侍たちを目に焼きつけた。


「リョウマ様がお帰りになられたぞ」


「相変わらず素敵だわ、リョウマ様」


 リョウマを褒め称える民の声を聞きながら、行進は続く。

 城まであと少しという所で、百姓の1人が叫んだ。


「そ、空から何か落ちてくるぞ!」


 黒いシミのような影が飛来し、それは段々と大きくなっていく。

 守護者を守ろうとした侍たちを吹き飛ばして、影はリョウマの眼前に墜落した。

 土煙が晴れて、影の正体が明かされる。

 それはシヴァル国から逃亡してきたセイとミカだった。


「ここは……」


「リョウマ様の行列だっ!」


「誰だか知らんが帰れー!!」


 頭を押さえて呟くセイに、百姓たちの野次が飛ぶ。

 護衛の侍たちがセイたちを取り囲み、神聖な行列を乱した輩を罰さんと刀を振り上げた。


「無礼者め、この場で斬り捨ててくれる!」


 処刑から逃げてきたというのに、逃げた先でも殺意を向けられてしまうのか。

 怯えるミカを庇いながら、セイは内心で己の不運を嘆く。

 侍たちが刀を振り下ろそうとしたその時、ある百姓が両者の間に割り込んだ。


「す、すいやせ〜ん!!」


「誰だ貴様は!」


「百姓のタゴサクでござんす! こいつらまだ礼儀作法が分かってないみたいで……あっしの方からキツく言っておきやす! すいやせん、すいやせん!」


 タゴサクの必死な態度に押され、セイとミカも土下座でリョウマたちに詫びる。

 数分に渡る平謝りの末、リョウマは彼らを一瞥して告げた。


「……後で城に来い」


「は、ははーっ!!」


 そして再び行列は動き出し、城に向かって進んでいく。

 数時間後、セイたち3人はラッポン最大の城『ラヅチ城』に足を踏み入れた。

 堅牢な石垣に覆われた城はクーロン城とはまた別の威圧感を放ち、セイたちを威嚇する。

 中庭に通された彼らの前に、リョウマが姿を現した。


「待っていたぞ」


 縮み上がるセイたちを、リョウマは威厳ある眼差しで見下ろす。

 次の瞬間、彼はタゴサクの前に跪いた。


「リョウマ様、ご決断を!」


「いやリョウマ様はあんただろ!?」


 リョウマの突飛極まる行動に、セイは立場も忘れてツッコミを入れてしまう。

 セイとミカが混乱する中、タゴサクはさっと震えを収めて言った。


「うん、お勤めご苦労だったぜよ」


 リョウマ改め偽リョウマは立ち上がり、陣羽織を脱いでタゴサクに渡す。

 タゴサクは陣羽織を身につけると、セイたちに自らの正体を明かした。


「驚かせてすまんかった。拙者が、本物のリョウマぜよ!」


「じゃあこの人は?」


「影武者ぜよ!」


 タゴサク、もといリョウマはあっけらかんと答え、彼と瓜二つの青年の肩を抱く。

 影武者は大きく頷き、丁寧な口調で言った。


「いつ誰に命を狙われるか分かりませんからね。行列などの場合は、私が影武者を演じているのです」


「で、何か問題が起こったら百姓に化けた拙者が出てくるって寸法ぜよ」


「なーるほどなぁ……」


 納得したセイたちは、ラヅチ城に来た本当の目的を思い出す。

 2人は慌てて襟を正し、リョウマたちに深々と頭を下げた。


「行列を邪魔してごめんなさい!」


「今すぐここを出ていくから、どうか命だけは」


「心配せんでも、命なんか取らんぜよ」


 リョウマは呆れ顔で頬を掻きながら、戦々恐々とするセイたちに無罪放免を言い渡す。

 目を丸くする彼らに、リョウマは人懐っこい笑顔を見せた。


「それに、さっきのことも怒っちゃおらん。むしろお主らが無事で安心したぜよ」


「よかった。この人は味方みたい」


「どうだかな」


 ミカにそう耳打ちされても、セイの疑いは晴れない。

 平常心を装いながら神経を張り詰めさせるセイは、リョウマの言葉で更に疑念を深めた。


「お主ら、巨神と歌姫ぜよな?」


「……何のことかな」


「とぼけなくていいぜよ。お主らのことは、守護者会議でちゃんと把握済みぜよ」


 リョウマはセイの誤魔化しを一蹴し、セイたちが地下にいた間の出来事について説明する。

 ミカの処遇を決めるために7人の守護者が集結し、話し合いの末に彼女の処刑が決まったこと。

 それに乗じてアラシが巨神カムイを消そうとしていること。

 自分が反対の立場を取ったこと。

 リョウマの話を聞くセイの目から、未だ警戒の色は抜けない。

 その姿にアラシたちを重ねて、ミカが彼の腕を握った。


「信じようよ」


「ミカ」


「疑って逃げ続けても、変わらない」


 ミカの掌から前に進む強い意志を感じて、セイは静かに頷く。

 話し終えたリョウマの目を見て、彼は意を決して言った。


「あんたを信じるよ」


「そうか! そいつはよかったぜよ!」


 リョウマは屈託のない笑顔を浮かべ、空に豪快な笑い声を響かせる。

 それからセイとミカはリョウマが手配した宿に荷物を置き、ようやく安らぎの時間を得たのだった。


「いい宿だな。1泊だけなのが惜しいくらいだ……」


 窓に映る深い森を眺めながら、セイは独り言を呟く。

 暫く無心でぼうっとしていると、隣室のミカが部屋に入ってきた。

 タオルで髪を巻いた浴衣姿の彼女が、興奮気味に報告する。


「セイ、ここのお風呂凄いよかったよ!」


「マジ? じゃ、俺もひとっ風呂かましてくっかなぁ。多分その間に飯が来るから、先食べてていいぞ」


「うん、いってらっしゃい」


 セイは風呂道具一式を持って階段を降り、青い暖簾を潜る。

 心ゆくまで名湯を堪能した彼は、作務衣に着替えて自分の部屋に戻った。


「ただいま〜……っておお! 飯だ!」


 玄米、焼き魚、味噌汁、お浸し、たくあんからなる夕食の膳は、二つとも手つかずのままテーブルの上で白い湯気を放っている。

 生唾を飲み込みながら身震いするミカに、セイは苦笑して言った。


「先に食っててもよかったのに」


「でも、セイと一緒に食べたかったから」


「……ふぅん」


 セイはミカと向かい合って座り、共に両の掌を合わせる。

 箸で切った焼き魚を玄米と共に食べると、米の甘みと魚の塩気がセイの心を満たした。

 味噌汁で脂を流し、再び米と魚。

 合間にお浸しとたくあんを挟みながら、セイは無意識のうちに呟いていた。


「美味いな」


「うん。美味しい」


 孤独には慣れたつもりでいたが、同じ食卓を囲める誰かがいるというのはやはり嬉しい。

 その喜びを噛み締めるセイに、ミカが不意に言った。


「セイ、やっと笑った」


「えっ?」


「昼間のセイは怖かった。何も信じられないって、アラシたちみたいな目をしていたから」


 確かにそうかもしれない、とセイは内心で頷いた。

 シヴァルに拉致されてからというもの、何となく気持ちがささくれ立っていたような気がする。

 反省する彼に、ミカは続けた。


「セイの目とアラシたちの目が同じなら、きっと彼らにも優しい心がある。私、アラシたちと話したい」


「……おいおい、流石にお花畑すぎないか?」


 だが、その前のめりな心こそがこの旅には重要だ。

 ミカの熱量に衝き動かされ、セイはとうとう吹っ切れた。


「俺は巨神だ。お花畑を守るくらい、何てことないよ」


「……ありがとう、セイ」


 ミカはにっこりと微笑み、たくあんをセイの皿に乗せる。

 それを無言で返却しながら、セイも屈託のない笑顔を見せた。

 温かい空気に包まれて、2人の夜は更けていく。

 そして翌朝、セイたちは仕事を探し始めたのだった。

—————

畑の守り神



「よいしょおっ!!」


 焦げ茶色の土が広がる田園に、男たちの声が響く。

 今、セイは大地主の下で小作人として働いていた。

 暫くラッポンに滞在するにあたって、その生活費を稼ぐためである。

 無心で畑の土を耕しながら、セイは額の汗を拭う。

 空が紫色に染まり始めた頃、ようやく本日の作業が終わりを告げた。


「お疲れさんでしたーっ!!」


 小作人たちは両手を挙げて鍬を放り出し、土を跳ねさせながらそれぞれの家に駆けていく。

 あれだけ働いたのにまだ走れる彼らの体力に感心しながら、セイも間借りしている地主の屋敷に戻った。

 着替えを取って公衆浴場に向かい、体を清めて再び帰宅する。

 別の場所で働いていたミカと合流した時には、既に夜の8時を回っていた。


「ミカ、主人は?」


「子供たちと一緒に寝てる」


「相変わらず早寝だなぁ……ふぁ〜あ」


 奥の部屋から聞こえてくるいびきに釣られて、セイは大きな欠伸をする。

 暫く住んでいる内に主人の生活リズムが伝染してしまったらしい。

 しかし今眠ると変な時間に目が覚めてしまう。

 込み上げる眠気を噛み殺しながら背を向けるセイに、ミカが尋ねた。


「どこ行くの?」


「風呂の帰りに気になる店を見つけたから、そこで時間潰そうと思って」


「私もついてっていい?」


「……いいけど迷子になるなよ?」


 セイとミカは屋敷を出て、騒がしい街道を歩いていく。

 目的の店に向かう道すがら、セイが話しかけた。


「ミカちゃんは寺子屋の先生してるんだよな。調子はどうだ?」


「順調だよ。みんな素直でかわいいし、何より楽しい」


「そいつはよかった。……なあ、その子たちって紙芝居に興味は」


「セイも畑仕事上手だよね! まるで初めてじゃないみたい」


 ミカが食い気味に話題を変える。

 セイはどこか釈然としない気分になりながら答えた。


「……お師匠に叩き込まれたんだよ」


「お師匠?」


「ああ。俺に旅を教えてくれた人だ」


 半年前に死んじゃったけどな、と語るセイに、ミカは何を言おうか考える。

 しかし結局無言のまま、2人は目的の店に到着した。


「……木刀屋さん?」


「そう! ラッポンといえば木刀だ!」


 先ほどまでの哀愁は何処へやら、セイは店に飾られた様々な木刀を見て目を輝かせる。

 手頃な木刀を2つ手にして、ミカが質問した。


「……これとこれはどう違うの?」


「ああ、それは」


「左は樹齢500年の杉でできた逸品、右は旅行者向けの安物だ」


 セイたちより前から店にいた青年が、低い声で特徴を言い当てる。

 右腕に包帯を巻いた彼に、セイが言った。


「あんたは?」


「俺はシン。厄災をその身に宿す者」


「……すいません宗教勧誘の方はちょっと!」


 セイは持っていた木刀を戻し、ミカを連れて店を去ろうとする。

 彼らを呼び止めるべく、シンは思いがけない言葉を放った。


「歌姫の処刑が決まった。すぐ逃げろ」


 シヴァルで衛兵に渡された手紙と同じ文言を投げかけられ、セイたちの足が止まる。

 シンは2人の前に回り込み、わざとらしく首の骨を鳴らした。


「なかなか骨が折れたぞ。氷人形のフリをしてお前たちを助けるのはな」


「……その節は、どうも」


「助けてくれてありがとう」


 セイとミカは素直に礼を言う。

 だが、シンが自分たちを助けた理由が分からない。

 2人が理由を訊こうとする前に、シンが口を開いた。


「お前たちに忠告だ。もうすぐ災獣が来る。逃げろ」


「ご忠告は有り難いが、俺たちは巨神と歌姫なんだ。逃げるわけにはいかないよ」


「お前たちは追われる身なんだぞ? 変身すれば居所がバレる。ただでは済まない」


 セイとシンの視線が交差し、店内に張り詰めた空気が満ちる。

 永遠にも思われた静寂を、外からの叫び声が掻き消した。


「災獣だぁああっ!!」


 虫の羽音のようなノイズに急かされ、3人は気絶していた店長を連れて外に出る。

 店長の体をシンに預けて、セイたちは逃げる人の波に逆らった。


「あんたはその人を頼む!」


「行くな! 忠告した筈だぞ」


「それでも、みんなを守りたい」


 セイとミカは人の壁を全速力で走り抜け、黒い靄のような蟲の大群と対峙する。

 セイは翡翠の勾玉を天に掲げ、巨神カムイへと変身した。


「超動!!」


 雷の大太刀を構えたカムイを、蟲の靄が取り囲む。

 カムイの回転切りを躱して、蟲軍団は一体の災獣を形作った。

 夥しい数の害虫が群れを成して生まれる災獣、群蟲災獣バグンダン。

 壊れた長屋と瓦礫の山に囲まれて、カムイとバグンダンが向かい合う。

 バグンダンはカブトムシの姿になると、鋭利な角を突き出して突進した。


「甘い!」


 カムイは宙返りして攻撃を躱し、刀から電撃を放って応戦する。

 しかしバグンダンはこれを分裂して回避すると、今度はクワガタムシ形態に変化してカムイの体を挟み込んだ。


「クァムァッ……!!」


 カムイは拘束を脱しようとするが、大顎の力の前に踠くことしかできない。

 彼を助けようと頭を捻るミカの前に、リョウマ顔の男が現れた。


「どっち!?」


「影武者です! 本物は避難民の指揮を執っています!」


 影武者は弓に炎を灯した矢をつがえ、渾身の力で引き絞る。

 ある一点のみを見据えて、彼は火矢を発射した。


「……バグンダンを構成する群れの中には、リーダーである赤い個体がいます。その一体さえ撃ち抜けば!」


 火矢は黒い海のような群れを擦り抜け、中核にいた赤い虫を貫く。

 そしてリーダーを失ったバグンダンの指揮系統は一気に乱れ、カムイを縛っていたクワガタムシの陣形は見るも無残に崩壊した。


「さあ、今です!」


 影武者に促され、ミカは風の歌を詠唱する。

 現れた風の御鏡を構え、カムイが必殺技を発動した。


「トルネード光輪!!」


 巨大竜巻を発生させ、バグンダンを渦の中に取り込む。

 そして渦の底に設置した電気エネルギーを炸裂させ、虫を一匹残らず焼き尽くした。

 焦げ臭い匂いと花火の音が断続的に続き、やがて静寂が訪れる。

 戦いを終えて振り向いたカムイに、人々は惜しみない感謝と歓声を送った。

 カムイはゆっくりと頷き、光の粒子となって姿を消す。

 巨神を讃える人々の喧騒を遠巻きに眺めながら、シンは渋い顔で呟いた。


「面倒なことになったな……」


 その時、彼の持つ神話の書が紫色に輝く。

 シンが本を開くと、白紙のページに文章が浮かび上がった。


『事態は全て把握した。予定より早いが、作戦を第二段階に移行せよ』


「第二段階……」


『ディザスの解放を許可する』


 そこで本の輝きは消え、ページは元の白紙に戻る。

 シンは本を懐にしまうと、右腕の包帯に語りかけた。


「喜べ。運命の時は近い」


 シンの言葉に頷くように、包帯が風に揺れる。

 そして彼はラッポンを発ち、次なる目的地・ドローマへ向かうのだった。

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