終焉使徒編
第21章 孤毒のフィニス
闇への誘惑
シヴァル国・氷の城。
白い吹雪に覆い隠された城のバルコニーに、ユキを乗せた大鷲ブリザードが降り立つ。
大鷲から降りて部屋に入ってきたユキを、美しい氷像が出迎えた。
「おかえり、ユキ」
「ただいま、フィニス」
ユキは柔らかな笑顔で答え、荷物を置いて隣に座る。
天井に白い息を吐くと、彼は申し訳なさそうに言った。
「ごめんね、何日も留守にして。寂しかったよね?」
「ううん全然。仕事だったんでしょ?」
ユキは小さく頷く。
彼は各国の守護者と共に、大災獣の全滅を発表する会見を開いていたのだ。
その後もメディアの取材や議論も兼ねた会食に追われ、帰る時には既に数日が過ぎていた。
「……でも、いいね。待ってくれる人がいるって」
孤独が癒えつつある感覚を、ユキはしみじみと噛み締める。
フィニスが笑って言った。
「それもこれも、ユキがボクの体を作ってくれたお陰だよ」
氷像故に顔は動かないが、口ぶりだけでどんな表情をしているか分かる。
ブリザードも高らかに鳴き、彼らは暫し穏やかな時間を過ごした。
「……ねえユキ。ボクたち、友達だよね」
フィニスが徐ろに訊ねる。
意図を測りかねたままユキが頷いた瞬間、フィニスの目の色が変わった。
「黙ってろ、クソ鳥」
フィニスは怒気を漲らせ、主人を守ろうとしたブリザードを圧倒する。
友の変貌に戸惑うユキに、フィニスはにっこりと笑って言った。
「友達なら、その体をボクにくれない?」
「え……」
「ボクに肉体の支配権を明け渡すんだよ。そうしたら、ボクらはいつまでも一緒だ」
そう囁くフィニスに、もはや先程までの純粋さはない。
怯えるブリザードに駆け寄って、ユキはフィニスに叫んだ。
「なんてことを……ブリザードに謝って!」
「どうして? そこのクソ鳥が勝手に喧嘩を売ってきただけだよ?」
フィニスは更に挑発し、ユキの激情を煽る。
ユキがノミに手をかけた瞬間、フィニスは決定的な一言を告げた。
「君、自分が嫌いでしょ?」
「……は?」
予想外の質問に、ユキの動きが止まる。
停滞した思考の川に、フィニスはありったけの毒を流し込んだ。
「抱えた孤独、守護者の立場、辛い役目。全部投げ出したいと思ってるんだ。違うかい?」
「……違う。僕はそんな」
「ボクに全てを委ねるんだ。そうすればもう、独りぼっちにならなくて済む」
フィニスの甘言に、ユキの心は揺れる。
虚ろな目をしたユキの右手から、ノミが力なく落下した。
「君以上に君を生きてあげる。さあ、この手を握って」
初めて会った時みたいに、とフィニスが
ブリザードの声も届かないまま、ユキはフィニスの冷たい手を握りしめた。
「……いい子だ」
フィニスの体から紫の邪気が飛び出し、ユキの中に入り込む。
久方ぶりに獲得した人間の体を、フィニスは乱暴に動かした。
「よくも! こんな! ダサい像に! ボクを! 閉じ込めて! くれたなッ!」
ユキの体が傷つくのも構わず、フィニスは氷像を殴りつける。
狂笑しながら暴れ続けるフィニスの背に、ふと眩しい光が差し込んだ。
「……ヤタガラか」
現れた聖なる鳥ヤタガラを、フィニスは強気に睨み返す。
ゆっくりと掲げられたフィニスの手には、黒い勾玉が握られていた。
「驚いたかい? バカどもが留守の間に作ったんだよ。死んでいった災獣たちの怨念を……じっくりたっぷり練り上げてねぇ!」
フィニスの解き放った闇の力が、二体の災獣を形作る。
一体はかつてドローマに出現した、咆哮災獣ロアイオン。
もう一体はシヴァルの大地を荒らし回った、銀狼災獣シルヴァング。
二つの闇を一つに合わせて、フィニスは禍々しい声を上げた。
「終焉合身!!」
フィニスの肉体に闇が絡みつき、一体の災獣が誕生する。
ロアイオンとシルヴァングを無理やり混ぜ合わせた災獣『ロアヴァング』が、シヴァルの凍土を踏みしめた。
「……!」
ヤタガラとロアヴァング、対峙する両者を吹雪が包む。
誰にも知られることなく、新たな脅威が動き出した。
—————
林檎に誘われて
ラッポン北部の山を歩きながら、セイは数歩後ろのミカを見やる。
シンを亡くしたあの日以降、ミカは笑えていない。
表向きは気丈に振る舞っているが、ふとした時に滲み出る悲しみは隠し切れるものではなかった。
セイは正面に顔を戻すと、乾いた枝を拾い上げて枝束の仲間に加える。
開けた場所に出たところで、彼は振り向いて言った。
「今日はここで野宿しよう。テントを張るの手伝ってくれ」
「……うん」
ミカは頷き、てきぱきと設営を開始する。
旅人生活の中ですっかり身についたテント張りの手際もいつも通りだったが、セイにはそれが逆に恐ろしかった。
「テント完成、っと。んじゃ俺はこの枝で火を起こすから、ミカちゃんは魚釣ってきてくれ」
「うん。行ってくる」
ミカは釣り竿とバケツを手に取り、近くの川に歩いていく。
以前より小さくなった背中を見送って、セイは火起こしを開始した。
一箇所に集めた薪、火打ち石と打ち金で作った火種を近づける。
段々と大きくなっていく炎を見つめながら、彼は何気なく呟いた。
「……俺たち、これからどうなるんだろうなぁ」
大災獣が全滅したことで、カムイの使命は一旦の終わりを迎えた。
ミカの記憶を巡る戦いにも決着が着いた今、セイたちが旅をする理由は最早ない。
なのに何故旅を続けているのかと言えば、それはミカのためだった。
シンの遺言もあるが、何よりセイ自身が彼女の笑顔を取り戻すべきだと思っている。
それがあの兄妹に対しての、彼なりの義理立てだった。
「ただいま」
考え込んでいる内に、魚釣りを終えたミカが帰ってくる。
バケツの中で跳ねる魚たちを覗き込んで、セイが嬉しそうに言った。
「おかえり……って大漁じゃん!」
「そうだね、結構釣れた」
「今日は魚パーティーしよう! さ、焼くぞ〜!」
セイは大袈裟なまでに喜び、いそいそと調理の準備を始める。
やがて山頂に月が座した頃、二人は焚き火を囲んで魚を食べ始めた。
「やっぱ川魚には塩だよな。ミカちゃんもかけるか?」
「……それ砂糖」
「えっ? うわ本当だ!」
恐る恐る食べてみると、案の定甘ったるくて不味い。
落ち込みながらも焼き魚を食べ進めるセイに、ミカが口を開いた。
「セイ、あんまり私に気を遣わなくていいよ」
「……何の話だ?」
「今のセイは、私のために旅をしてる。たくさん用事を任せるのも、少しでもお兄ちゃんのことから意識を逸らすため。そうでしょ」
「はあ……そんなこと言われて、素直にイエスと答える奴がいるか?」
ミカの追及を誤魔化して、セイは続ける。
「今一番辛いのはあんただ。俺のことなんか気にしないで、自分の中の悲しみとだけ向き合えばいいんだよ」
「セイ……」
「向き合うことでしか、悲しみは癒せない」
そう言い放つと同時に、セイは甘い焼き魚を食べ終える。
二本目の焼き魚に手を伸ばす彼に、ミカは小さく呟いた。
「そっか。セイも、お師匠様を」
セイに旅を教えた『お師匠』は、半年前にこの世を去っている。
それなのにセイが朗らかなのは、きっと彼の言う通り悲しみに向き合ったからなのだろう。
自分も向き合い続ければ、セイのように明るくなれるのだろうか。
そんなことを考えながら、ミカは黙々と焼き魚を食べ続けた。
「ごちそうさまでした」
二人は同時に手を合わせて、骨だけになった魚たちに礼を言う。
鞄から真っ赤な林檎を取り出して、セイが微笑みかけた。
「デザートに林檎でも食うか? 焼き林檎、美味いぞ」
「また焼くの?」
「また焼くの」
セイは器用に林檎を切り、皮を兎の形にして火に焚べる。
風に乗って漂う林檎の香りに誘われて、灰色の小鳥が舞い降りた。
「この子、怪我してる」
小鳥の翼に深い傷を見つけて、ミカが言う。
彼女は鞄から包帯と薬を取り出すと、迅速に手当てを開始した。
「これで大丈夫。じゃあ、バイバイ」
ミカは小鳥を空に放そうとするが、小鳥は一向に飛び立とうとしない。
まだ焼いていない林檎を手に取って、セイが言った。
「分かったぞ。これが欲しいんだろ」
砕いた林檎を小鳥の口元に持っていくと、小鳥は素早く林檎を啄む。
面白がって少し大きめの林檎を与えてみると、それも平らげてしまった。
「あなた、林檎が好きなんだね」
ミカの言葉を肯定するように、小鳥はピィと鳴いてみせる。
余った林檎を齧って、セイが小鳥に名前をつけた。
「林檎が好きだから、ンゴちゃんだな!」
「リンちゃんでしょ」
しかしミカに一瞬で否定され、セイは小鳥に顔を近づける。
怯えた様子の小鳥に、彼は気持ちの悪い笑顔で問いかけた。
「君はンゴちゃんだ。そうだな? ンゴちゃん」
「……ピィ!」
怒れる小鳥の嘴が、セイの鼻に突き刺さる。
痛みに飛び上がるセイの無条件降伏によって、小鳥は晴れて『リンちゃん』の名前を得たのだった。
「よろしくね、リンちゃん」
小さな友人の頭を撫でて、ミカは微かに微笑む。
前を向くための新たな旅が、ここに始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます