二百十四話 怖いけれど怖くない、でもやっぱり怖い

 私と江雪(こうせつ)さんがうつろな意識で臥せっている横で、ジュミン先生たちが忙しく動き回って血の霊薬を仕上げにかかっている。


「加熱すると薬効が壊れてしまいますから、常温で固まる水飴にこの血液を混ぜて、丸薬を作ります」


 さすがジュミン先生、血液を高温にさらすとタンパク質組成が破壊されて、血中に存在する抗体が機能を失うことも経験則的に知っているのだな。

 数人がかりで血と水飴を練り練りしている様子は、なんだかうどんを打っている光景にも見えた。

 水飴と絡んで半固形状になった血薬を、細く伸ばして小粒サイズに切り揃えて丸めて行く。

 病気が運良く平癒した町の人たちも手伝ってくれて、見る見るうちに全量の血液が、金平糖よりさらに少し小さいくらいの丸薬として形成された。


「これを飲むのかな? 何粒飲めば適量なんだろう」


 途中から作業に加わった獏(ばく)さんが、卓の上に大量に広げられた薬を見て質問する。

 難しい顔でジュミン先生が答えた。


「今はまだわからない、としか言えません。それを調べるために、実際に投薬してその後の経過を観察する必要があります」


 薬の効き目がガチャ要素みたいな運任せである以上、いくら博学のジュミン先生でも人体実験、よく言えば治験を経なければ効果はわからないのだ。

 ただの乙女の血と侮るなかれ。

 これは巳族(しぞく)の女、楠(なん)江雪が全霊を込めて自分の体から流し出した、強烈な毒でもあるのだから。

 適量を誤って飲み過ぎれば、おそらくはろくでもないことになるに違いない。

 加えて、ジュミン先生は厳しい顔でこうも言った。


「そしてこの薬は飲み薬ではありません。口から飲んでしまうと、唾液や胃液が薬効を破壊する可能性があります」

「あ、胃の中には酸があるのか。じゃあどうしたら……」


 獏さんは少し考えて。

 なにかに気付いた顔で掌と拳をパンと合わせ鳴らして、周囲は女性ばかり多いというのに、言いやがった。


「そうだ、下の穴から」

「肩の肉を少しだけ切り裂いて、そこに丸薬を埋めて縫います。そのために人体に無害な水飴で薬を作ったのです。小さい子どもの場合は、お尻の肉の方が良いでしょう」


 ジュミン先生は食い気味に獏さんの下品な発言にかぶせるように、投薬の手法を説明した。

 注射器でワクチンを体に入れ込むのと同じ要領で、消化器官を通さず、血肉に直接、薬をブチ込むのだ。

 水飴の主成分はただの糖なので、血管に多少混ざったところで、体がおかしくなるということはない、はず。

 ぶっちゃけよく知らない。


「に、肉に、直接……」


 そのやり方に激しい抵抗感があるのか、何人かが青い顔をしていた。

 自分の体にハリだの刃物だのを入れて肉を傷付けられるということに対する、本能的な嫌悪感というのは大きいのだ。


「う、うう、大丈夫、大丈夫ですよう、みなさん」


 私は寝床から這い出て、着ている服の袖をまくり、自分の肩を見せる。

 そこには幼い頃に受けたハンコ注射の接種痕が、ぽちぽちと薄く残っている。

 これは結核の予防薬接種の痕跡なのだけれど、私はこれを受けたときにすでに小児結核に感染していて、他の人たちより傷口が大きく腫れ、注射痕もハッキリと残ってしまったのだ。


「こ、これは私が小さい頃に、今のやり方と同じように肩の肉に薬を埋めた証拠です。私はその後もぴんぴんしてますし、人によってはこんな痕すら残らないこともあります。全然、怖くないので、ご安心を~~」


 ジュミン先生が興味深そうな顔で私の注射痕を覗き込み。


「……なるほど、小さな傷をいくつか空けて、分割して薬を埋めたのですね。これくらいなら痕跡も目立ちません」


 と、現役医ならではの学びと感想を口にした。

 手法はお任せしますので、後はよろしく。

 さあ、そうなれば誰が、どれだけの量の薬を体に入れるかという問題だけれど。


「一番最初に私に打て。先生が考える、最も多い量をだ」


 荷運びの仕事の合間を見て町に入った翔霏(しょうひ)が、話を聞きつけたのか真っ先に名乗りを上げた。


「その申し出は嬉しいのですが、私の想定する最大量を体に入れてしまっては、薬を入れ過ぎたことによる悪い反応が出る可能性も度合いも、最も高いのですよ。その役目は私が負うべきです」


 どんな薬も毒の一種である以上、身体に有害な副反応が出ることは避けられない。

 当然の懸念を話すジュミン先生に、翔霏は頑として首を振る。


「先生の具合が悪くなってはみんなが困る。私はただの荷運びと用心棒だし、私がもし倒れてもじきに突骨無(とごん)とその手下がまた顔を出しに来るから、代わりにこき使ってやればいい。私ほどじゃないが足取り軽く、よく働く連中だ」

「で、ですが翔霏さん」


 逡巡するジュミン先生の両肩をがっしりと掴み、懇願するような目で翔霏はなおも食い下がる。


「頼む、麗央那が血を流し、倒れるほどまでして作った薬なんだ。私が真っ先に効果を確かめたいんだ。私以外の誰にも、その役目を譲りたくないんだ。聞き入れてくれないなら先生、あなたを一生恨むことになる。私はこれでも根に持つ方なんだ」


 お願いなのか脅迫なのか。

 どっちともつかない言葉に折れたジュミン先生は、やれやれという顔でこくこく頷いた。


「わかりました。ではこの小粒の薬を八つ、翔霏さんの体に入れたいと思います。他に協力していただける人たちにはそれより少ない数を。私も四つほど体に入れて、自分の体で経過を確かめましょう」

「細かいことはわからんが、それで頼む」

 

 効果もわからない薬を、いくら小さいとはいえ八つも体に投与して大丈夫なのだろうか。

 いや、ジュミン先生は「大丈夫なのかそうでないのか、自分の経験でも判断しかねるギリギリの量」を、翔霏の意気に圧されて試そうと判断したんだな。

 他でもない、翔霏自身がそうして欲しいと強く言っているのだから。

 段取りがまとまり、翔霏が突っ伏している私の手を取って、優しく言った。


「よく頑張ったな、麗央那。次は私が頑張る番だ」

「うん。薬嫌いなのに、よく自分から勇気を出して言えました。翔霏は偉い子っ」


 ウフフ、アハハ、と笑い合う私たち。

 私だって、同じことを思っていたよ。

 私の血から作った薬なんだから、翔霏に真っ先に使って欲しい。

 どんな結果になっても、きっと受け止められるから。

 そしていつぞやのカモシカ絶命お姉さんや獏さんを含めた何人かが、初期の投薬治験に名乗りを上げた。


「では一番最初に、翔霏さんから」


 自分の強硬な弁が認められて嬉しいのか、翔霏はフフンとドヤ顔を浮かべながらも。


「ところで私は、まともに薬の力に頼るのは子どもの時分以来なんだが、そもそも体に良い食いものと薬の境目というものはあるのか?」


 と、難しい話をジュミン先生に持ちかけた。

 なんだよ翔霏、土壇場になって怖くなったから時間稼ぎしているのか?

 ジュミン先生は超鋭いメスのような小刀を握りながらも、小さな子を見るような優しい眼で翔霏に向かい、こう説いた。


「ありません。食は医薬の根本ですから、滋養に富む食事をして、健康的に身体を動かし、適切に休んでいる人は、自らも知らぬ内に医薬の力をその体で実践し、享受しているのだと言えるでしょう」

「そうか。普段気にせず続けていることが、そもそも医の根本なのか」

「あの、そろそろ始めますからね?」


 この期に及んで無駄口を続けようとしている翔霏をぴしゃりと抑えて、ジュミン先生がメスを構える。


「うっ、かかか、構わない。一思いに、やってくれ」


 本当に、医者が苦手なんだなあ、と私はついニヤニヤしてしまった。

 翔霏はきっと、来るとわかっている攻撃を、意図的に避けずに受け止めるという選択自体に激しい抵抗があるのだろうな。

 自分に害を為すものは、いつでも華麗に躱して生きてきたから、それを曲げるのは難しいのだ。

 いや、医療行為は攻撃じゃないのだけれど、体を傷付けるという点では同じなんでね。


「上手く行くことを、わたくしも願っています」


 江雪さんも意識を取り戻して、突骨無さんが大量に持って来てくれた羊の干し肉を入れたスープを美味しそうにすすり、状況を見守る。

 私も同じものをちびちびと飲み食いしながら、失った体力と血気を補充する。


「痛くても我慢してください」


 ジュミン先生はそう言って、極細メスを翔霏の肩肉に音もなく刺し込んだ。

 一粒めの血薬が細い棒で傷口に押し込まれる。


「……ッ」


 痛み自体に弱いわけではない翔霏は、精神的嫌悪感だけを耐えている表情でそれを受け入れ、なすがままにされていた。

 細い糸で傷口は縫い合わされ、その手順が八回、繰り返された。

 右肩に四つ、左肩に四つの薬を埋め込まれた翔霏は、脂汗でびっしょりの額をグイッと拭い。


「ま、まあ、こんなものだろう。大したことはなかった」


 と、震えた声で強がった。

 ドキドキしながら周囲で見ていた全員が、その反応にどっと笑い声を返した。


「今夜か明日にでも、熱が出る恐れがあります。仕事はお休みして、無理をせずゆっくりお過ごしください。熱が引くまではお風呂にも入らないように」

「わかった。甘えさせてもらおう」


 傷口を包帯でぐるぐる巻きながらジュミン先生が説明するのを、翔霏は素直に聞いていた。 

 なんでもそうだけれど、経験してみると意外と嫌でもなかった、ということはある。

 これで翔霏のお医者さん嫌いも、少しは治ってくれるかもね。

 翔霏に続いて初期の実験台に名乗りを上げた人たちが、体に薬を埋め込まれていった。

 その日は久しぶりに、翔霏と同じ部屋で寝たのだけれど。


「うう、ううう、イワダヌキめぇ、散々期待させておいて、こんなに不味いとは……泥を食っているような気分だ……」


 副反応の高熱にうなされながら、翔霏が興味深い寝言を言っていたのが気になって、私はあまり眠れなかった。

 予知夢でないことを、祈ろう。

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