二百十八話 失われた力、手に入れた世界

 翔霏(しょうひ)の気持ちは、私も十分に理解して受け止めることができた。

 次の日、私たちは少し早めに起きた。

 しっかりと身支度を整えて失礼のないように、小師さまと解呪について話したいと思ったからだ。


「翔霏、髪の毛を三つ編みにしてあげるよ。キュッとしっかり編まれた髪だと、武術の達人っぽさが増してきっとカッコいいよ」

「そういうものかな」


 どっちでも良さそうな顔をしながらも、翔霏は大人しく私にされるがままに、髪を編み込まれて行く。

 鎖のように長く伸びる三つ編みを頭の後ろから垂らしているのは、カンフー映画の「戦えるヒロイン」のようでもあり、翔霏にぴったりだと思ったのだ。

 なんなら結んだ髪の毛の先に暗器のような小型の刃物を仕込んでも、きっと翔霏なら見事に振り回して使いこなすことだろう。


「う、うう~ん?」


 けれど私は、自分が思っていた以上に不器用で。

 隙間なくキュッと編まれた、鎖のように細く美しい三つ編みも作れなければ、ひょろひょろと要らない毛が横にだらしなくはみ出すような有様にしかできない。

 それでも翔霏は、出来上がった三つ編みを手に取って面白そうに言うのだ。


「お、良い感じにまとまったな。豹の尻尾のようだ」

「全然下手くそだよ。カッコ悪いよ……」


 こんなことの一つも上手くできなくて、私はぐすぐすと涙に濡れる。

 ああ、私は今まで、翔霏になんでもしてもらってばっかりで。

 なにひとつとして、彼女のためにしてあげることができないのだ。

 いつも守られてばかりだった、弱くチンケで情けない自分を思い知らされて、私は翔霏の背中に縋って泣くことしかできなかった。

 けれど翔霏は、こんなときでもいつもの素敵な、最高の翔霏で。


「これからも私の髪を結んでくれ。麗央那にしか、そうして欲しくないんだ」


 優しくそう言ったのだった。

 すぴんぶひんと喉鼻を鳴らしながら、私は必死でコクコク頷くことしかできなかった。


「おうおう、町が病でワヤんなっとったのを、踏ん張ってくれたっちゅうのう。ご苦労さんなことじゃったわい」


 いつも会っている大きなお堂に入ると、小師さまは愉快に笑って私たちの防疫、医療行為をねぎらってくれた。


「まだ完全に終わったわけではないがな。今も頑張ってくれているジュミン先生たちが戻って来たときに、盛大にお祝いでもしてやると良い」


 翔霏の言葉ににこやかに頷いた小師さまは、私の方に視線を向けて。


「で、ワシがおめえさんに出した宿題は解けたかいのう。大事なことじゃでなあ」


 そのように問うた。


「宿題って? あ、ああ」


 少し考えて私は思い当たる。

 呪いを解く翔霏の、一番近くにいる私が、誰よりも翔霏を知り、理解しなければいけないという言葉。

 正解を貰えるかはわからないけれど、私は一つの思い当たる回答を示した。


「町で私も病気にかかったとき、呪いに苛まれている翔霏の気持ちが、見えている世界が、ほんの少しだけわかった気がします。頭は痛くて、体は熱でカッカして、手足の動きも鈍ってるのに、なぜか霧が晴れたように視界だけは鮮明になって」

「まさしく最近の私だな」


 この話を始めて聞いた翔霏も驚く。

 いや、改めて翔霏の口から「近頃はそれだけ調子が悪い」と聞かされてしまった私もショックだけれども。

 ほうほうと興味深そうに私たちの話を聞いてくれる小師さま。

 最近あったことのあらましをいくつか話し合い、こう言った。


「ほんで、後ろ髪の嬢ちゃんが呪いを解いて、その後にどうなっちまうかも含めて、おめえさんたちはちゃんと納得しちゅうんかよ? しっかと分かり合っちゅうがかよ?」

「私は一向に構わん。今更もう迷うこともない」


 翔霏はこだわりなく、自信満々で言ったけれど。

 私はまだまだ、心に重いものを感じる。

 けれど、それでも、この先どうなっても。

 私と翔霏が選んで決めた道なのだからと、前を見据えて、胸を張って言った。


「はい、なんだって受け止められます」

「ほうかあ、うんうん、そうなんじゃなあ……」


 翔霏だけの問題でなく、側にいる私も含めての問題なのだと教えてくれたことが、本当に嬉しい。

 私が翔霏をわかってあげないと、どうしようもないということなんだ。

 しんみりと言った小師さまは、ちょいちょいと小さな動きで翔霏を手招きした。


「もそっと近う寄れ。詳しいことを見ちゃるでよ」


 ずずいと翔霏が歩み寄り、一歩離れたところを私も従う。

 睨めっこのように顔を近付けて、しわくちゃのまぶたの奥から意外と光の鋭い瞳で以て、小師さまは翔霏の顔をじっと見る。


「深い森んごたる眼をしちょるのう。まるで奥底が見えんわい」

「この期に及んで、わからないでは困るぞ」

「急くな急くな。うん、うん、ふむ……うん?」


 翔霏の顔と目をじっくり覗き込んだ小師さまが、自分の目をしきりにこする。

 そして二度見、三度見と睨めっこを繰り返し。

 いつも鷹揚で、余裕綽々だった態度を別人のように崩して、弱弱しく言ったのだ。


「もう、解けちょるかもしれんがや……」

「は?」


 思い切り顔を歪めて怪訝な声を出す私を、小師さまは掌をかざして制止する。


「待て、待てぃ。間違いっちゅうことはなににでもあるでよお、ワシももう少しばかり、じっくり見てみんことにゃあ……」


 自信なさげに翔霏の顔をじろじろと見回す翔霏さまは、自分の眉間、まぶたを指でぎゅむぎゅむとしごく。

 何度目になるかのわからない確認をじっくりと終えて。

 ハッキリと、結論付けた。


「綺麗さっぱり、のうなっちょる。あげに厄介な、深うて刺々しい呪いがいつの間にか消え失せちょるわ。いったいなにがあったがよぉ!?」


 なんだ、それ。


「なんだ、それ!!」


 私と翔霏が、まったく同時に、同じセリフを叫んだ。


「ワシに文句言うてもしゃあないじゃろがい!」


 大声で怒鳴ったけれど、即座に切れ返された。

 このジジイ、できるなっ!?

 取り乱したことを恥じるように、一つだけ咳払いをして冷静さを取り戻した翔霏が訊いた。


「要するに、小師さまでも理屈はわからないが呪いは解けたということで、良いのか?」

「ほういうこっちゃろのお。なんぞおかしなもんでも食うたがか?」

「そんなものは口にしていない。夢の中では、少しアレな肉も食ったが」


 クソ不味い肉の悪夢を思い出したくないのか、翔霏はその動物の名を口にすることを避けた。

 この翔霏をここまで閉口させるとは、恐るべしイワダヌキ、いったい何科の動物なんだ……。

 少し三人で考える沈黙が生まれ、最初に翔霏があることに気付いた。


「ひょっとして、麗央那の血で作った薬を、必要以上に大量に体に打ったからか……?」


 しかしその想定に小師さまは首をひねって返す。


「病と呪いは似て非なるもんじゃでよぉ、いくら上等な薬を使っとっても根の深い呪いを解くにゃあ簡単な話じゃねーで?」

「言い忘れていたが、麗央那には呪縛や戒めをもともと寄せ付けない不思議な力があるんだ。その力が血の薬に乗っかって私の体にも流れたということは、考えられないか?」


 翔霏がそのように説明すると、小師さまの皺に畳まれていたお顔が、三十歳くらい若くなったように驚きに膨れて、肌の張りを取り戻し。


「なんっで、それを早く言わんのじゃいな! はじめっからわかっとったらよぉ、なんぼでもやりようがあったんちゃうんかい!!」


 いつものニコニコ顔を崩し、大魔神のように怒りの雄叫びをお堂の中にとどろかせたのだった。

 えーと、これは、ひょっとして。


「あ、私が言いそびれてたのが、悪いの?」


 無垢な少女のように瞳をウルウルさせて尋ねたけれど、翔霏は苦い顔で私から目を逸らしただけだった。

 はーはーと、大声を出して体力をすさまじく浪費してしまった小師さまは呼吸を整えて居住まいを正し、言った。


「呪いは跡形もなく消えてもじゃ、呪いの虫が食い荒らした命の根っこ、魂の強さが元通りになるんは難しいでな。これから死ぬまでかかっても、全部は取り戻せんことを覚悟しとかにゃあかんでよ」

「しっかり食って寝ても、戻らないものはある、か」


 今まで翔霏は、呪いに心身を苦しめられ続けて文字通り、気力体力を大いに削られていくばかりだった。

 切れた紐を結びなおしても、結び目の分だけ長さが足りなくなるのと同様に。

 傍目には治った、解決したように見えても、取り戻せないものが確かにあるんだろう。


「大丈夫だよ、私もずっと一緒だから」


 ぎゅっと翔霏の拳を掌で包んで、私は笑う。

 翔霏が元気でも、病み衰えていても、それは変わらない。

 いつもと変わらないすました笑顔で、翔霏が応えてくれる。

 

「そうだな。なにがどうなったところで、私たちなら大丈夫だ」


 翔霏の体を蝕んでいた、忌まわしき呪いは、いつの間にか消え失せた。

 けれどもそれは痛々しく見える背中の茨痣(いばらあざ)と、きっともう天の下にあって最強ではない、新しい紺(こん)翔霏という女性の人生を、その痕跡として残して行った。


「力を失ったことが、やっぱり悲しいと感じる?」


 少しくらい甘えて欲しい、泣き言を言ってほしいと思い、私はそう訊いたけれど。


「強くなくなっても、やりようはいくらでもあるさ。鋼の刀より人の体は弱いものだが、岩や地面の力を借りれば叩き折れるようにな」


 もう一人の自分と戦い、さらに自分の世界を拡げた彼女は、平然のドヤ顔でそう答えるのだった。

 刹屠(せつと)と呼ばれる自治国領、その東に位置する小獅宮(しょうしきゅう)。

 立ち去る日が近いことに一抹の寂しさを感じるけれど。

 秋晴れの空が私たちを元気づけてくれた。

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