二百十一話 起きて見る夢

 いつの間にか眠っていて、いつの間にか起きた。

 こういうときはだいたい、不思議な夢を見て気持ちが少しばかり整理されるのが定番の私ムーブなんだけれど、今回はそうでもない。

 夢は確かに見た気がするのに、まったく内容を覚えていないのだ。


「熱が引きましたね。一時はどうなるかと思いました」


 濡れ手拭をぺたりと私の額に乗せてくれた江雪(こうせつ)さんが、相変わらず淡々とした表情で報告してくれる。

 ヒンヤリしてン気持ぢィィ~~。

 大したことありませんでしたね、と言われているような気分だ。

 結構しんどかったんですよう、これでも。

 翔霏(しょうひ)へのお手紙は結局、一行目を書いた時点で力尽きた。

 今の私には、遺書めいた後ろ向きな泣き言を書き記すよりも他に、やるべきことがあるということか。


「仕事に穴を空けてごめんなさい。すぐにみなさんの治療と看護に戻りますから」


 私が寝床から起き上がろうとすると、江雪さんは想像以上に強い力で私の体を圧し留めて、言った。


「今は無理をなさらず、どうかゆっくり休んでください」

「で、でも」

「央那さんには、これからやってほしいことがあるのです。そのため沢山食べて休んで、英気と血気を養っていただかなければ」

「私に、して欲しいことですか?」


 なんだろう、体は動くのだから引き続き傷病者のお世話にキリキリ舞いするつもりだったけれど、他になにかあるのだろうか。

 私を休ませるための方便として、耳触りのいいことを言っているのではあるまいな、とか性格悪く疑心暗鬼になっちゃうよ。

 けれど、そんな私の微妙な疑念を打ち消すような、いつもより力強い顔と口調で居住まいを正し、江雪さんは言ったのだ。


「央那さんには、文字通り血を流していただきたく思います」

「は、はあ。心血注いで疫病の対処に当たる決意は、もちろん変わってませんけど」


 血も汗も、硬い想いも、なんだって尽くしちゃうよ。

 まさにこれこそ出血大サービスのご奉仕ってか、ガハハ。


「比喩ではなくてですね。一晩だけ、熱にうなされてそれ以上の症状が見られない央那さんの血を使って、わたくしが霊薬を作ろうと思っているのです。ジュミン先生も『女は度胸、なんでも試してみるものです』とおっしゃってくれました」

「私の血を、そのままの意味で使うってことですか」


 重い症状をきたさなかった私には、なぜかわからないけれど病原体に対しての抗体が、あらかじめ備わっていたということだろう。

 確かに様々な感染症、ウイルス性伝染病にかかって来た身ですのでね。

 今、この町で猛威を振るっている菌やウイルスに近い病気を、私は過去に経験したことがあるのかもしれない。

 その力をワクチンや血清のように、血液を媒介として薬剤を生成し、他者に投与できやしないだろうか。

 江雪さんが言っているのは、おそらくそういうことだ。

 真摯な顔を保ったまま、彼女の説明は続く。


「その通りです。わたくしには幸いにも、他者の血と自分の血を混ぜ合わせて、ある種の霊薬を作る異能が知らず知らずのうちに身に付いていました。けれどこの力で作った薬は、出来上がってみるまでどのような効果があるのか、私にもわからないのです」

「出たとこ勝負、ってわけですか」


 まるで薬ガチャだな。

 気楽なゲームのガチャならいくらでも回していた私だけれど、生き血を消費すると言われてしまっては、試行回数にも限度があるわ。

 

「はい。しかし生きている人間の血を使う以上、やたらめったらおいそれと何度も試すわけにはまいりません。そんなことをしていたらわたくしも、協力してくれる方も、血が枯れて干からびて死んでしまいます」

「聞いているだけで血の気の引く話です」


 調薬には必ず、江雪さん自身が血を流さねばならない。

 いくら協力者が多く集まっても、江雪さんの献血最大量以上のテストは、絶対にできないということだ。

 私の知る常識では、一度の献血で提供できる血液の量、約200ミリリットルから400ミリリットル。

 それも連続、毎日毎夜はできないので、一度でも血を抜いた後しばらくの間は、体調を戻して整える期間が必要だ。

 医療行為に従事している私たちが、患者さんより先に倒れてしまっては元も子もないので、試行には十全の慎重を期する必要がある。

 今まさに病魔に襲われているこの町の惨状と、私たち医療団の疲労困憊ぶりを見るに、チャンスは一度きりと思った方が良いな。


「この話に納得していただけるのでしたら、央那さんはこれから、とにかくたくさん食べて飲んで、体に血気を充満させてください。もちろん強制はいたしませんが」

「やります、やらせてください。私にできることが残っているなら、なんだって挑戦してみたいです」


 私はノータイムで返答した。

 静かに頷いた江雪さんは、にっこりと笑って、言った。


「きっとこれが、わたくしたちの『やりたいこと』なんですよね。運命に押し迫られたからこの道を選んでいるわけではなく、心から自由に、この先を進みたいと思い選んだがゆえの、因果なのですよね」


 いつだかの、ジュミン先生の授業で言っていたことだ。

 私たちが「なぜ」そうするのか、因果の根源。

 状況が、環境がそうだから、仕組みとしてそうなっているから仕方なくそうなってしまうことを、知らず知らずに私たちは受け入れてしまっていたけれど。

 本当の理由は、動機は、常に私たちの内側にこそある。

 私たちの心が、体が、魂が。

 そうしたい、そうありたいと強く願っているからなのだ。


「きっと、そうだと思います。一緒に自由を勝ち取りましょう、江雪さん」

「ふふ、よろしくお願いいたします。それと、血で薬を作る術法のあとはわたくし、ろくに動けず使いものにならないと思いますので、死なない程度の面倒を見ていただけるとありがたいですね」


 命がけの江雪さんジョークが炸裂し、私はぶははっと吹き出してしまった。


「わかりました、いっぱい看病してもらったお返しです、なんだってお任せくださいよ」

「では早速、取りかかりましょうか。と言ってもわたくしたちばかり食っちゃ寝しているわけにもいきませんので、日常の業務に加えて、ということになりますが」


 方針は決まった。

 私たちは乏しい物資をなんとかやりくりして、可能な限り高カロリー食を口にしながら来たるべき「血流し」の日に備える。

 どこか、外部の町や邑から食料がもっと支援されれば、言うことなしなんだけれど。

 アテにできない以上は、今ある条件で、どげんかせんといかんばい。

 そんな贅沢な悩みと、さらなる前向きな決意を抱えながら、日々を忙しく過ごしていたとき。

 町の入口で荷卸しを手伝っている翔霏の、叫ぶ声が聞こえた。


「な、なにしにこんなところまで来た、お前ら!?」


 私は入口に近寄れないので、境界として引かれた白線の外でそれを見守る。

 なにか、良くない勢力が町に押しかけて来たのだろうかと、冷や汗を流してしまう。

 そんな不安げに見守る私たちの空気を切り裂くような、勇ましくも爽やかな声が響き渡った。


「紺(こん)さん、麗さん、また生きて会えたな! 薬と食いものしかとりあえず用意できなかったが、挨拶代りの手土産だ、遠慮なく使ってくれ!」


 褐色毛の美しい馬に跨った男性が大勢の仲間を引き連れ、物資を引っさげて。

 入口の外から私の姿を見止めて、声を飛ばしたのだ。

 そう、視界の先にいるのは戌族(じゅつぞく)は白髪部(はくはつぶ)の若き大統、突骨無(とごん)さんその人である。

 一時期に比べて、ずいぶん顔色も良くなって、ほっぺたもふっくらしたね!


「と、突骨無さん、どうしてここに!? それに、どうして私たちがここで困っていることがわかったんです!?」


 驚いて聞く私に、ドヤ顔で突骨無さんは答える。


「舐めて貰っちゃあ困るな。俺は常に沸(ふつ)の国の動向も細かく情報を集めている。麗さんたちが小獅宮(しょうしきゅう)に入っていたことも前から知っていたさ。親父の墓造りの進捗を知らせようかと、いつか会いに行こうと思っていたんだ」

「あなたのことそこまで好きじゃないけど、最高の場面で最高の贈り物をしてくれてありがとうございます!」


 戌族の中にも沸の教えに帰依している人は多いから、両者に情報的な交流が密なのは驚くに能わない。

 若干ストーキングされているような感じがして気持ち悪いけれど、こんなナイスなタイミングで来てくれたからそこは言わないでおくよ!

 あ、もちろん彼が嫌いなわけではないんですよ。

 うっかり殺されかけたりもしたけれど、強いて好き嫌いを言えば、普通です。 


「くくく、せっかく来てもらってなんだが、あんまり好きじゃないそうだぞ、色男」


 翔霏がお腹を抱えて笑っていた。

 引き攣った苦い顔を浮かべた突骨無さんは、来たばかりだというのに腰も落ち着けず、馬首を返しながら言った。


「俺たちみたいなむさ苦しい野暮ちんがここらをうろちょろしていても、きっと医療の邪魔になるんだろう? せっかくこっちに来たついでに、このまま商売と挨拶に回らせてもらうよ。帰り際にまた食料を調達して持って来るから、それまで踏ん張って待っていてくれ!」

「嬉しいけど、なんでそこまでしてくれるんですか? お嫁には行きませんよ?」


 脈なんてゼロだと頑なに言い続ける無慈悲な私に、突骨無さんは優しく明るい声で。


「届かなくても、花を愛でるのが人の情だろう! 親父を超える大統になるためには、手に入らないものの価値もわかるようにならないとな!!」


 なんともキザなことを言い放って、部下と一緒に慌ただしく駆けて行った。

 まさに疾駆と呼んでいいほどの、あっと言う間の邂逅であった。

 会おうと思えばいつでも会えるんで、そんなに名残惜しいわけではないけれど。


「助かっちゃいましたねえ、食料問題」


 本当にそこは、感謝のしようもない。

 またいつか近いうちに、翠(すい)さまのお手紙や昂国(こうこく)のお土産を携えて、ちゃんとお礼の挨拶に伺わないとな。


「なんとも快(こころよ)い殿方ですね。まさに夏の終わりの風のようです」


 乙女ちっくな感想を、江雪さんがなまめかしい吐息とともに漏らした。

 騎馬の男たちの魅力って、他のなにものにも置き換えにくい独特な薫(かお)りがあるから、コロッと行ってしまう女性も多いんだよなあ、わかる。

 イケメンに騙されてはいかんぞ、やつにはなんだかんだ、腹の底に闇が眠っておるからね。

 って、皇帝陛下に未練もなく後宮の暮らしを投げ打った江雪さんだけれど、突骨無さんみたいな男がタイプなのだろうか?


「良ければ紹介しましょうか?」

「え、本当ですか。是非ともお願いしたいです」


 なんて風に私たちは女子トークに花を咲かせ、死と苦痛が満ちる仕事場に戻る。

 希望は、明日は、私たちの夢は。

 自分の手で、掴み取るんだ!

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