二百二十三話 帰るときに迎えてくれるのはあなた
もうしばらく行けば国境、正しくは刹屠(せつと)独立自治領が終わる地点に着く。
真東に行けば昂国(こうこく)の西端、鱗州(りんしゅう)の砦があるはずだ。
もう少し北寄りの東へ行けば、戌族(じゅつぞく)の領内、主に赤目部(せきもくぶ)が多く暮らすエリアに行くことができる。
「そう言えば話し忘れてたが」
別れの近くなった突骨無(とごん)さんが切り出した。
「親父の墓造りは、順調に進んでいる。ただちょっと、順調すぎてな……」
「良いことじゃないですか。なにか問題でも?」
私の質問に、突骨無さんは照れくさいのか、頬を爪でかいて答えた。
「ありがたいことに、白髪(はくはつ)を超えた多くの部族氏族から、寄付のゼニや物資を山のように頂いちまってね。当初の予算より規模が膨れ上がりすぎちまった。だから基礎工事だけ終わらせて、上物(うわもの)の霊廟の図面を描き直しているところなんだ」
阿突羅(あつら)さまの墓造り、景気良すぎだろ!
「うわぁ~なにその贅沢な悩み。ちょっと私に回してください。十倍にして増やしてあげますから。有望な投資先を知ってるんですよ。必ず損はさせません。突骨無さんだから話すんですよ。あなたは実に幸運です。突然ですが、私の親友がオオアリクイに殺されて一年が経ちました」
「いやはや本当に、嬉しい悲鳴ってやつさ。これも自分から水先になってくれた司午(しご)貴妃の恩寵あってのことだ。感謝のしようもない」
私の必死の詐欺師ジョークはもちろん、黙殺された。
少しは笑えや、アリクイに殺されるような人間が気にならんのかい。
寄付してくれた人が多くなったということは、壁とか柱、記念碑にその人たちの名前を掘り込んだりするのかな。
となると建物の配置や設計も大幅に見直す必要があり、今はその調整作業期間なのだそうだ。
「じゃあ椿珠(ちんじゅ)さんや軽螢(けいけい)たちも、仕事はお休みですか?」
「そう言うことだ。今どうしているかまでは知らないが、昂国に戻っているかもしれないな」
お墓造りは、嬉しい誤算により一時的に保留。
ヒマになった現場作業者たちは、一時金を受け取ってめいめい好き勝手に過ごしているらしい。
「もごもご。もっともっとこき使ってやってくれて構わんぞ。がじがじ。どうせヒマがあるとろくなことを考えんような連中だ。ごくん」
イワダヌキのあばら骨に付いた肉をかじりながら、翔霏が言った。
あれだけ食べるのを嫌がっていたのに、いざ口に入れると。
「美味くもないが、別に不味くもないな……」
と、しきりに首をひねっていた。
案ずるより食うが易し。
迷わず食えよ、食えばわかるさ。
突骨無さんはその様子を見て優しく笑って、少年のようなキラキラした瞳で夢を語った。
「そうだな。みんなが力を合わせて親父を送ってくれている。この先の百年、一万年、いや永久に人々が笑って集まれるような場所にしたい。こればっかりはいくら親父が偉大だからと言っても、息子の俺にしかできないことだからな……」
「泣かせるね。親孝行かあ……」
突骨無さんが同行すると決まってからずっと無口気味だった獏(ばく)さんが、ぽつりと言った。
獏さんも自分の親御さんやご実家に対して、なにか深く重く抱えていることがあるのかな。
三年も浪人して試験にやっと受かって中書堂に入ったわけだし、家の人とは良くも悪くも色々あっておかしくはない。
そんな話をしていると、昂国の国境砦が遠くに見えて来た。
「俺たちみたいなむさ苦しいのは、あまり砦に近付かん方が良いだろう。ここでお別れだな。また遠くないうちに会おうぜ」
と、格好つけて去ろうとする突骨無さんを、私は敢えて引き止める。
「別にいいじゃないですか。やましいことがあるわけでもなし。むしろ昂国の人間を安全にここまで送り届けたって知ったら、砦の守備兵さんだって決して悪い印象は持ちませんよ」
「それはそれであざとすぎるというか、いやらしくないか? 別に俺は恩を売りたいわけじゃ……」
なにかと理屈をつけてこの場を離れようとする突骨無さんを、私はなおも重ねて言いくるめる。
「恩は売らなくても、顔は売らないと。せっかく美男子に生まれたんだから、使える武器をちゃんと使って印象を高めるのは大事ですよ」
「麗さんにそう言ってもらえるのは本当に嬉しいが、麗さんは優男は好みじゃないんだよなあ」
いい加減、突骨無さんも理解してくれたようである。
「ですね。私はもう少し岩っぽいと言うか、石っぽいと言うか、硬質で土の香りがする男性が好みです」
私と突骨無さんの他愛ないやりとりを眺めながら、獏さんが翔霏に世間話を振った。
「翔霏ちゃんは、どんな男が好みなんだい? やっぱり強くて逞しい男とか?」
なにセクハラまがいの質問してやがる!
と思ったけれど、実は私もすごく興味があるので遠慮なく質問をブッ込んだ獏さん、グッジョブです。
獏さん個人と、所属している中書堂にはそれぞれ10ポイントあげます。
「強さは自分で間に合ってるから、他人には求めてないな」
「え、じゃあ僕みたいに、なまっちろくて弱弱しい男でもいいの?」
獏さん個人への評価は口にせず、翔霏は淡々と答えた。
「私の好みは、私を喜ばせられる人間だ。あんたが前に言っていた『自然な成り行きで仲良くなる』というのは、そういうことじゃないのか」
意外、でもないか。
翔霏は恋愛でも人間関係でもかなりの現実主義者であるらしかった。
そうだよね、喜びが少ない人とは、長く一緒にいられないもん。
ダメ男に泣かされる傾向の強い全国の女子~~~!
ちゃんとそこしっかり意識しないとダメよ~~~!!
私も「翔霏にとっての喜び」を、いっぱいいっぱい用意できるようにならなくっちゃね。
「お、砦の上に立っとる兵子(へご)の姿が見えるばい」
「だ、大丈夫じゃろな? いきなり射かけられたりせんのやろな?」
「まだ暑いちゅうにあげな革服ば着込んで、鬱陶しくないんかの。見てるだけでのぼせそうじゃ」
馬車上の子どもたちが、おそらく初めて見る外国の砦に興奮している。
……ちゃんとワクワクドキドキしてくれてますよね、きみたち?
「あれは、玄霧(げんむ)どのだ」
「本当だ。僕たちを迎えに来てくれたのかな?」
目の良い翔霏が真っ先に、続いて獏さんが気付く。
砦の壁、凸凹している部分から上半身を覗かせてこっちを睥睨している、カタブツそうな人影が私にもわかるぞ。
「相変わらず、難しい顔をしてやがるな、司午のボン……いや、玄霧どのと呼ばねばならないか」
突骨無さんも玄霧さんの立つ胸壁を睨み、小声で呟いた。
一時期は敵、少なくとも警戒すべき相手として、軍勢を率いて互いの国境を挟み、緊張と対峙の中にあった、玄霧さんと突骨無さん。
軍人としては味方とは言えない両者だけれど、司午家と白髪部の付き合いの上では大事な商売相手、スポンサーと下請け事業者の関係でもある。
「ひょっとして、玄霧さんともなにか確執があったりします?」
私の質問に、軽く苦笑いして首を振る突骨無さん。
「あのときの玄霧どのは副使だったからな。交渉事で口を出して来ることはなかったよ。まあそのせいで、除葛(じょかつ)の野郎が喋り倒しだったわけだが」
うわ、それは想像したくないくらいに嫌だ。
「でもなにか、お互い思うところがあったり、なかったり?」
「なんでそう、麗さんは事態をややこしい方向に解釈しがちなんだ? その方が面白いのか?」
う、私の趣味がばれてしまう、いかんいかん。
この黒い感情は、永遠に暗い封印の中に留めておかねば。
男同士の複雑な思惑の絡み合い、大好物でござる、コポォ。
周囲の目を欺くため、私は通り一辺倒の言い訳を選択する。
「いやあ、もしも仲が悪かったりこじれていたりすると面倒、もとい、哀しいですから。私は両方とも知り合いなわけですし」
突骨無さんはこの薄っぺらい弁明に、表面上は納得してくれた。
「ははは、気を遣わせたかな。そうだな、強いて言えば……」
表現すべき言葉を探っているように突骨無さんは空を見つめ、そして続けた。
「司午の貴妃殿下が俺たちと交流を持とうとしてくれたことに、本当に感謝したよ。経済的に助かるのはもちろんだが、なによりもあの司午玄霧を敵に回したくなかったからな」
「え~? お世辞とか社交辞令とかじゃなくて?」
玄霧さんの評価が、戌族の中でも高いのは私も嬉しいけれどさ。
ただのリップサービスな可能性もあるわけだし。
けれど突骨無さんは、真面目で重い口調で、こうダメ押しした。
「覇聖鳳(はせお)が後宮を襲ったときのことも聞いてる。玄霧どのの部隊は、あともう一歩で覇聖鳳を仕留めるはずだったそうじゃないか」
「それは、はい。確かに」
姜(きょう)さんの先見の明があったのはもちろんだけれど、実際に兵隊を動かし先頭切って戦っていた玄霧さんの気迫は忘れられない。
あの事件の顛末は、情報通の突骨無さんも細部を知っているようだ。
「翠蝶(すいちょう)貴妃が人質に取られてるのに、玄霧どのは構わずもろとも突っ込もうとしたってな。せっかく家から輩出された、一族待望の貴妃殿下、しかも可愛い同腹の妹の命を、もちろん自分の命をも捨ててまで」
「はい。本当にもう、あの玄霧の野郎ってば……」
私も、当時を思うと胸が詰まる。
人質となった翠さまを殺して、おそらく自分も責任を取って死ぬ覚悟を決めていた玄霧さんの決断を、私は正直、未だに受け入れられていない。
みんな死んじゃうなんて、嫌だもん。
結果オーライだったとしても許せないことってのは、あるよ。
軍人とはそう言うものだと割り切れないのは、突骨無さんも同じらしい。
「準備して覚悟を決めて計画した戦なら、犠牲を織り込むのも仕方のないところはあるだろう。だが突発的な遭遇戦だって言うのに、そこまで瞬時に判断して『公(おおやけ)』に奉仕し殉ずることができるようなやつは、戌族にはまず滅多にいない。自分勝手なやつらが多い土地柄なもんでな」
「誰だって、まず自分や仲間、家族が生き残ることが最優先ですよ。そこを超えた決断てのは普通の人には重すぎます」
私の言葉に同意の頷きを返し、突骨無さんはまとめた。
「だから、それができちまう司午玄霧って男は、俺にとっては怖いのさ。ああいう人間が、俺の知る常識ってもんを軽く超えてきちまうんだ。腕っぷしや剣や弓の強さじゃない。恐ろしくどデカい魂が炎となって、猛烈な速さでそのままぶつかってくるようなもんだからな。ある意味で天災みたいなもんだ」
しばし、お互いに視線を外さずに遠くから玄霧さんと向かい合ったのち。
突骨無さんはお仲間に声をかけて、整然と砦の前から撤収して行った。
玄霧さんはその様子を、身じろぎもせずただ、じっと見ていた。
「司午の旦那さま、面倒見が良くて優しい人だけどなあ。態度は尊大なところあるから、それで誤解されるのかな」
河旭(かきょく)でお世話になっていた獏さんは、そう弁護する。
けれど私はおそらく、根っこの部分で知って、理解している。
玄霧さんが目下の人間、配下の兵たちや私のような小娘にも優しく、苦も楽も一緒に分かち合っているのは。
「いざというときは、俺と一緒にお前らも全員、死ぬんだ」
言外で、そう命じているに違いないからなのだ。
もちろん誰もが、きっと私も、その運命に微塵の疑問も持たないだろう。
玄霧さんと一緒に死ねるなら本望だと、心の底から思っている人は、決して少なくないのだから。
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