二百二十四話 未解決の和睦
国境の砦で私たちを待ってくれていたのは、玄霧(げんむ)さんだけではなかった。
「みなさま、本当にお疲れさまでした。途中で貰った手紙で大変になっていることを知ったのですけど……」
砦の中で司午家(しごけ)の若き嫡男、想雲(そううん)くんが、日に焼けた顔で私たちの安否を気遣ってくれた。
上階から降りてきた玄霧さんも、少し恨めしそうな面持ちで続ける。
「救護の人員を出そうかとこの国境まで来たら『解決したのでご心配なく』というお前たちの文(ふみ)を追加で受け取った。まったく、気を揉ませおって。重要な連絡なのだから、もう少し詳しく丁寧にだな」
「玄霧さんに言われたくねーですわよ! あんな短い手紙だけ寄越しやがったくせに! 意味も意図もわかんねーんだっつーの!!」
私に突っ込まれて、ほんの少しだけ「しまった」という顔を浮かべる玄霧さん。
けれど次の瞬間には強引に話題を変えた。
ズルい大人である。
「ところで、その童子たちはなんだ。文には書いていなかったが」
私たちの後ろで砦の内部をもの珍しそうに観察している、西方の町の子どもたち。
いきなり人が増えていることへの疑問を、当然に訝しんだ玄霧さんが訊いた。
私は事情をざっくりかいつまんで説明する。
「かくかくしかじか、まるまるうまうまというやんごとなき理由で、河旭(かきょく)の街を修学旅行させることになっちゃんたんです」
あっけらかんと言ってのける私に、玄霧さんは頭を抱えて答える。
「どこに寝泊まりさせる気だ。司午の別邸も今、阿突羅(あつら)の墓を作っていた若者たちが休みに入って寝泊まりしてごったがえしているのだぞ。これ以上は受け入れられん」
「そっか、軽螢(けいけい)や少年団の子たちも、お休みで昂国(こうこく)に帰って来てるんだっけ」
玄霧さんならどうにかしてくれるだろうとアテにしていたけれど、これは困りましたな。
もちろん、宿を取ればいいのだけれど。
そのお金は誰が出すの? って話になるし。
ウームと私たちが腕を組んで考えていると、想雲くんが申し出た。
「父上、僕の部屋ならこの子たち数人くらい、十分に寝かせられます。それで当座は間に合わせましょう」
自分のプライベートルームを惜しげもなく提供してくれるという。
ああもう、この子は本当に、良い子過ぎて私のような影の住人には眩しいよ、灰になっちゃいそう。
「……お前がそう言うのなら、俺は構わんが」
「はい。きっと楽しいでしょう。よろしくね、坊やたち」
こうして私があれこれ頼んだり指示することもなく、想雲くんが西方の子たちを引率監督するお兄さん役を引き受けてくれた。
「おぅ、しばらく世話んなるけえの、兄やん」
「オィは坊ややなか、これでもちゃんとしたお嬢さんばい。優しうせんばいかんよ」
「豆腐以外にもなんぞ美味いもんば知っちょるとや?」
きゃいきゃいとはしゃぐ子たちに囲まれて、想雲くんも楽しそうだ。
一つの問題が穏当に解決し、安心した顔を見せた玄霧さん。
私と翔霏をじっと見つめている。
特に、私が血薬を作るために切り裂いた左手首の傷、それを保護している包帯部分を凝視して。
わずかに責めるように言った。
「大方また、無茶をしたのだろう。嫁入り前の娘だというのに、いったいどういうことなのだ……」
一人の親である玄霧さんにそう言われてしまうのは、私としても結構、苦しい。
「いやあこれは必然というか成り行きというか、避けられない逼迫した事態の産物でして」
「お前の親に俺がいつか会ったとして、この状況をどう説明すればいいのだ。俺が拾ったせいでお前がこんなに傷付いているのだと、お前の母親にもし俺が責められ泣かれでもしたときに、俺はどれだけ頭を下げればいいのだ」
「うううう、お、親は関係ないじゃんかよお、親は」
卑怯だぞ、玄霧!
私が屁理屈で誤魔化すことのできない弱点を、ピンポイントで突っついて来るんじゃねえよ!
ほんと、ベソかいて下を向くしかできないから、マジでやめて!!
けれど言い訳できずに涙を溜めている私を、心の友がやはり助けてくれた。
翔霏(しょうひ)は玄霧さんに向かい、他の誰にもしたことのないくらい、真摯に頭を下げて、言った。
「麗央那が傷付くのは、周りにいる私たちのためなんです。責任は私たち全員にある。そんなに追い詰めないでやってください。私も辛くなる」
「む……いや、俺も別にこいつをいじめたいわけではない。だがもうわずかでも、自重する慎重さを身に着けて欲しいというのはわかるであろう。無茶がいつでも上手く運ぶわけではないのだ。が、まあいい。今はもう言うまい」
翔霏に諭されて、玄霧さんは私への説教を打ち切った。
心配してくれているのは重々承知しているので、私もみっともなく逆ギレできない。
まだ見ぬ私の親にまで気を遣ってくれること自体は、すごく嬉しいからね。
叱ってくれる人すらいなくなることが、真の孤独で終わりなのだという話に通じる。
そのとき、重くて難しい話題を切り替えてくれるような爽やかな笑顔で、想雲くんが言った。
「叔母上の話では、これからはそう大きな危険も央那さんにはないだろうとのことでしたよ」
「翠(すい)さまがなにかおっしゃってたの?」
私の問いに、想雲くんは笑って軽く首を振る。
「詳しいことは僕にはまだ。ですが、帰国したならなるべく早くに顔を出すようにと、叔母上は言っておられました。央那さんと翔霏さんは、早馬で河旭に向かった方が良いでしょう。子どもたちのことは僕と獏(ばく)さんにお任せください」
ガキどもにまとわりつかれながら、爽やかに言う想雲くん。
前に国境で別れた頃よりも数段、頼もしい青年に成長しているように見えた。
翔霏も嬉しそうに頷いて想雲くんの肩に手をぽんと置く。
「私がいない間も、しっかり鍛えていたようだな。これはうかうかしているとあっと言う間に追い抜かれているかもしれん」
最上級の賛辞を尊敬する相手から投げかけられて、想雲くんは感動で顔を上気させ、瞳を潤ませた。
「そ、そんな。僕なんてまだまだ未熟者です。翔霏さんの背中すら見える気がしません」
「未熟だと思ってさらに高めようとする心根こそが、すでに完成された強さより尊いんだ。その気持ちを忘れなければきみは誰よりも強くなれる。これからも油断なく頑張るんだぞ」
「は、はい……はい、一生懸命、努めます……」
感極まって想雲くんは泣いてしまった。
苦労が報われるときというのは、誰にとっても嬉しいものだね。
傍で見ている私の目にもじんわり昇るものがあるよ。
「あー、後ろ髪の姉ちゃんが若造を泣かしちょるばい」
「はぁ上下関係っちゅうんはまっこと面倒なもんじゃいのう」
「ワシもたまにゃあ女に泣かされてみたいばいねえ」
幼い声に似合わぬ勝手なコメントが、砦の中を飛び交う。
「こいつら本当に子どもなのかな? 実は体が小さいだけのおじさんおばさんじゃないの?」
想雲くんと一緒に子どもたちの面倒を見る流れになった獏さんが、げんなりしたように溜息を吐いて語るのだった。
中の人なんかいない、いいね?
ところで、と私は玄霧さんに会ったら聞かねばならないことを思い出す。
「結局のところ、モヤシの姜(きょう)さんが解放された理由ってのはなんなんですか? 結構しっかり取り調べは進んでいたような話を聞いていたから、すっかり安心していたのに」
重苦しい表情で、玄霧さんは前後の状況を教えてくれた。
「……尾州(びしゅう)除葛(じょかつ)の本家筋、要するに旧王族の中心となる連中が、我が司午家に見舞いと祝いの金品を、それこそ信じられぬほど贈って寄越したのだ。翠(すい)が倒れたことと、それでも無事に御子が産まれたことに対する挨拶だと抜かしおった。自分たちの罪科には口をつぐんでな」
「ええっ!? まさかそれ、玄霧さん受け取っちゃったんじゃないでしょうね!? カネに目が眩んだのかよオイィ!?」
胸倉を掴みかからんほどの勢いで、私は詰め寄ってギャオる。
しかし玄霧さんは突進する私の額を掌で抑えて、キッと睨み返し、こう答えた。
「俺は『そんなものを今更受け取れるか』と突っぱねようとしたのだ。しかし、翠のやつが主上陛下に具申し、ここで手打ちとするように司午家と、尋問に当たっている枢密(すうみつ)に命ぜられた。これは俺の判断ではなく、上意なのだ……」
ようやく私は、玄霧さんの手紙がぶっきらぼうな報告一文だけで終わっている理由を知った。
彼もこの決定にむしゃくしゃして、腹を立てていたんだ。
「す、翠さまと皇帝陛下が」
話に聞くところ、今上皇帝は寛容と温情のお方であるという。
節度を保ち謹直に暮らし、同じ昂国の民同士、相争わずを旨とする政治方針を取っているのは有名だ。
私も一度だけご尊顔を拝したことがあるけれど、噂にたがわず、優しく真面目そうなお兄さんという印象だった。
悔しさの残る顔で、玄霧さんは言った。
「翠一人でも、こうと決めたら俺には動かせぬ。さらに主上のご意志まで重なってしまえば、俺の判断でなにをどうこうできる問題ではない。であるがゆえ、除葛のやつに関する話は、もうここで終わりなのだ」
「宮仕えも難義ですな」
高度な政治上の問題などまったく興味のない翔霏は、他人事のように感想を述べる。
けれど、私は。
「赤ちゃんが無事に生まれたから、結果として大過なし。みたいに陛下はお考えなんでしょうかね」
「お、おい。不遜にして不敬であるぞ。陛下の胸の内を探るような真似はするな!」
少し失礼なことをブッこいて、玄霧さんに怒られてしまった。
へいへい、わかりましたよ、納得すればいいんでしょ。
ま、どの道。
姜さんを凹ませる作戦は、私が、私の意志と力で、いつかやってやると思っていたのだ。
「今はこれで勘弁してやらあ。せいぜい束の間の自由を満喫してやがれ」
誰に聞かせるでもなく私は言い捨てる。
野望半分、面白くない気持ち半分で、窓の外の曇り空を眺めた。
トンビとハヤブサが、湿った空気の中でお互いを小突き合っていた。
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