第二十六章 二人一緒に

二百二十五話 終わりも次の始まりも、手を取り合って

 目指すは皇都、河旭城(かきょくじょう)。


「呪いも解けて無事に帰って来たは良いけど、ゆっくりする間もなくまぁた翠(すい)さまにあれこれ言われるのかあ。やっぱり昂国(こうこく)の時間の流れ方は忙しいなあ」


 砦を出て、麟州(りんしゅう)の街道を南東に往く。

 翔霏(しょうひ)が駆る馬の背で、私は疲れた息とともに愚痴る。

 西方の町で病気の対処をしていたときは目が回ったけれど、それ以外の小獅宮での時間はとても静謐で、ゆったりしていた。

 慌ただしくめまぐるしく動く街に戻ると、気分的に否応なくソワソワしちゃうものだね。


「こればかりは仕方ないな。お妃さまたちの理解と尽力あってこそ、大手を振って西方に行けたんだ。私も兆(ちょう)佳人に直々に礼を言わねば」


 翔霏の言う通り、私たちが目的を達成できたのも、段取りして協力してくれたたくさんの人の力添えあってのことだ。

 特に西方の沸教国(ふっきょうこく)と交際が深い兆家の出身、博柚(はくゆう)さまのお力が大きい。

 彼女は私と翔霏の後見人になってくれて、いったん私たちを昂国の女官学生として推薦し、準公務員的な扱いで西方に留学させるという実にスマートな手順を提案してくれた。

 おかげで私たちは「国費」で小獅宮に行くことができたのである。

 あとは具体的に手続きを進めてくれた、馬蝋(ばろう)さんをはじめとした宦官のみなさまもね。

 関係者各位に今回の旅の総括を報告するのは、直ちに行わなくてはならないことなのだ。


「いち早く皇子さまに再会できると思えば、それもまた嬉しからずやかな」


 会えるタイミングがあるかどうかは知らないけれど、そう思うとテンションも上向く。

 私たちの乗る馬は風のような速さで河旭の城門をくぐり、他のなにをさて置いて皇城朝廷区画へと飛び込むのであった。


「お待ちしておりましたぞ、お二方。ささどうぞ奥へ奥へ。北の宮で翠蝶(すいちょう)準妃(じゅんひ)殿下がお待ちかねです」


 案内役として私たちを迎えてくれた、すっかり顔なじみの宦官、銀月(ぎんげつ)さんが笑顔で言った。

 私と翔霏は、驚きに目を剥いて顔を見合わせ。


「準妃!?」


 同時に、そう叫んだ。

 私たちの知る翠さまは後宮西苑の「貴妃」のはずである。

 準妃というのはさらにその上、文字通り正妃さまに「準ずる」位階の、最奥最高クラスの妃である。

 銀月さんは意外そうな顔で私たちに教えてくれた。


「おや、まだご存じありませなんだか。先の準妃殿下のおひとりが、重い皮膚の病でお体の調子を崩されましてな。ご実家で静養したい、ひいては後任に翠さまを準妃へお迎えくださるようにと主上にお願い申し上げ、そのような運びになったのでございます」


 銀月さんの説明に、勘のいい翔霏がまず一つの可能性を思い当たった。


「皮膚病というのは、ひょっとして痘瘡(とうそう)の類ではありませんか」

「あ」


 言われて私も、また西方の町でやったように、血の薬を大量に作らねばならないのか、と身構えたけれど。


「いえいえ、人に伝染する類の病ではございませぬ。なにやら肌の下、肉と皮膚の間に黒い浸潤(しんじゅん)が見えられたとのことで。最悪、切り取るしかないのではという医者どもの見立てでもありました」

「そ、それはお気の毒に」


 私は力なく呟く。

 実家に帰られたという元準妃さまの体を蝕んでいるのはきっと悪性腫瘍、皮膚ガンの一種だろう。

 生物の運命的に、ガンは事実上不治の病であり、切除してその場をしのいでも転移してしまってはまた再発する。

 抗がん剤や放射線治療の存在しない昂国(こうこく)においては、対処法にも限りがあるからなおさら、死の病としての認識が強い。

 どうしようもないことは、まだまだたくさん世の中に転がっているのだ。

 まるで「なんでもかんでも、なせばなると思い上がるな」と「世界」から説教されている気分だ。

 暗い気持ちで、顔も知らない準妃さまに感情移入してしまっている私と翔霏に、銀月さんは優しく言った。


「そう思い詰めなさるな。後事を託された翠さまも、実にご立派に堂々と準妃の務めを全うしておられます。早くお二方の元気な顔を見せて、安心させてくださいませ」

「はい、ありがとうございます、銀月さん」


 気を取り直した私たちは、銀月さんに導かれて北の宮へ向かう。

 翔霏も今は私と同じく「朝廷付き女官見習い」という立場なので、宮殿への出入りを許されているのだ。

 銀月さんの話によると翠さまは今、朱蜂宮(しゅほうきゅう)の西苑から出て、北の宮へお引越しをしている最中とのことだ。

 

「本日はお日柄もよろしいようで。中庭で皇子殿下にお遊びいただいておるかもしれませぬな」


 ほっほと上機嫌に銀月さんは言った。

 そうか、明晴(みょうせい)皇子が普段お過ごしされているのも北の宮だから、やっと母子一緒に同じ建物で暮らせることになったんだね。

 私たちが西方で奮闘している間、翠さまも宮廷という自分の戦場で頑張り続けたからこそ、この日を掴み取ることができたんだ。


「麗、入ります」

「並びに紺(こん)、畏れ多くも場を同じくさせていただきます」


 身体と衣服を清めて入口で拝跪したのち、私と翔霏は翠さまが待っている居室に足を踏み入れる。

 銀月さんは中に入らずに失礼したようだ。


「お帰りなさい。二人とも無事で良かったわ、本当に」


 すっかり足の傷も癒えて引きずる様子もなくなった、先輩侍女の毛蘭(もうらん)さんが私たちの帰還を迎えてくれた。

 部屋の中に翠さまの姿は見えないけれど。


「今、中庭で皇子さまにお乳をあげているわ」


 小声でそう教えてくれた。


「あ~、お腹いっぱいになったら、また眠っちゃいますかねえ。起きてる明晴さまと遊びたかったのにぃ」

「ふふ、そうかもしれないわね」


 私の平和な不満に、毛蘭さんが笑って答えた。

 宮廷の奥深くに入るのはこれがはじめである翔霏。

 部屋の意匠や調度品をもの珍しそうに眺めて、ほうほうと自分なりに納得し発見しているようだったけれど。


「あ、これは失礼。無作法をお許しください」


 椅子に座る女性を見て、かしこまって頭を下げた。

 翔霏がここまで丁重な態度を見せる人間は限られている。

 視線の先にいた、その人は。


「いえいえ、楽にしてください。またお互い元気で再会できて嬉しいです、麗、紺」


 朱蜂宮南苑の統括貴人にして、翼州(よくしゅう)公爵家の子女、塀(へい)紅猫(こうみょう)貴妃殿下であった。

 そして、卓を挟んで椅子の上にはもう一人。


「兆佳人、ご無沙汰しております。おかげさまで私も翔霏も、恙なく目的を果たしてこうして帰ってまいりました」


 私たちを小獅宮(しょうしきゅう)へ送ってくれたプロデューサーである、兆(ちょう)博柚(はくゆう)佳妃殿下も同席していた。

 私の挨拶に笑みも不快もなく、当然のことだという表情で兆佳人は答える。


「力になれたのなら幸いです。あなたたちなら無事に成し遂げるだろうとわかっていましたが」


 塀貴妃が近くにいるからか、いつもの意地悪顔やイヤミっぽい物言いは影をひそめていた。

 妃としての位は便宜上、翠さまの方が高くなったけれど、貴族としての「格」みたいなもので塀家に匹敵できる存在は、皇族である涼家(りょうけ)と正妃さまの素乾家(そかんけ)しか存在しないからね。

 まさに借りてきた猫が爪を切られた状態で、博柚さまはちびちびと大人しくお茶を飲んでいた。

 私たちがお礼や挨拶を交え終えた、ちょうどそのとき。


「ぶいぶいぶいぶいぶいぶいぶぅぅっ!!」


 凄まじく可愛らしい雄叫びを上げて、中庭にいたはずの明晴お坊ちゃまが、居室に突進してきた。

 ぷりぷりぷりぷりぷりぷりっ! と勢いよくお尻を振って、激しくドタドタとハイハイして、口におしゃぶりを咥えたまま。


「は、はうっ……」


 そのあまりの可愛らしさに、私は胸が詰まり死んだ。

 麗央那の頑張り物語、ここに終幕。

 いい人生だった!


「これはこれは、なんとも勇ましい皇子さまですね。国の未来も明るいというものです」


 でれぇ~っとした顔をしているのは私だけではなく、塀貴妃もとろけそうな笑顔で膝の下にぶつかって来た赤子を愛でる。

 ああ、翠さまは苦手だけれど赤ちゃんの顔は見たいと思って、わざわざ北の宮に遊びに来たのだな、塀貴妃は。

 なにせ明晴さまが無事に神台邑(じんだいむら)で生まれて、その後不自由なく朝廷に入れたのも、翼州公と塀貴妃が各所で細かく段取りしてくれたからだった。

 本当に、みんなに愛されて、待ち望まれて生まれた子なんだよなあ。

 私も滅茶苦茶に明晴さまを撫で繰り回したいけれど、偉い人たちの目が多いので自重する。


「あらやっと帰って来たのね二人とも。ご覧の通り腕白が過ぎて手に負えないわ。見る見るうちに重くなるから抱っこしてるあたしの腕もどんどん太くなってきちゃうし」


 すっかりお母さんらしくなった翠さまが、中庭から部屋の中へ入って来た。

 確かに以前よりもふっくらふくよかになった雰囲気があり、準妃としての堂々たる貫禄には、微塵の不足もないように見える。

 言ったら叩かれそうだから口には出さないけれど。

 それにしても、と思って私はキュン死の淵から甦り、尋ねた。


「もうハイハイしてるって、ずいぶん早いですね。最後に会ってからまだ半年も経ってませんよ」


 私たちが西方に旅立ったのが初夏。

 そこから夏が過ぎ風あざみ、私の心がいくら夏模様だと言っても現実の今、季節はすっかり秋深くに突入している。


「そんなことあたしに言われても知らないわよ。この子が這いたいと思ってるから這ってるんでしょ」

「ぶぅ! ぶぃっ!」


 林檎のように赤々としたほっぺをつつかれ、若干嫌がっている表情で明晴さまは母である翠さまの腕によいしょと抱えられた。

 体のいたるところがムチムチしてて、抱き心地良さそう~~~、変わって~~~~。


「まったく頼もしい限りの生命力だな」

「元気があればなんでもできるって、私の国の偉い人が言ってたよ」


 はちきれんばかりの勢いで成長する明晴さまを、翔霏と私は感心して眺める。

 完璧にお母さん似だと思うけれど、皇帝陛下はどんなお気持ちなのかしら。

 むずがり暴れる我が子を必死に胸の中に留めながら、翠さまは本題に入った。


「西方でのことは近いうちに詳しく文書にまとめて馬蝋のやつに提出しなさいな。向こうで得た新しい知識なんかもちゃんと中書堂の連中と共有できるようにするのよ」

「はい、それはもちろん。すぐにでも取り掛かります」


 ウム、と納得の頷きを返して、翠さまは続きの説明を。


「じゃああたしはこの子をあやしてるから後のことは紅猫と博柚から話してあげてくれる? もうほんと少しでも目を離すと壁だの卓だの椅子だのにぶつかりまくってて大変なのよ。今日だけで花瓶が二つも棚から落ちて割れたわ」


 お客さまである塀貴妃と兆佳人に完全に丸投げして、赤ちゃんのご機嫌取りと寝かしつけに専念してしまった。

 小さな暴君、女傑の母すらをも狼狽させるの図だった。

 なるほど、私に話があるからという理由で、お二人はここに来ているのだね。

 先に皮を切ったのは兆博柚佳人だ。


「まずなにより、無事な帰りをおめでとうございます。きっと得るものの大きな旅だったのでしょう。二人の顔を見ればそれがよくわかる気がしますね」

「重ね重ね、ご厚意ご協力に深く感謝いたします。私ごときでできることがあれば、なんなりとお申し付けください」


 深く深く頭を下げて、翔霏がお礼を言った。

 物事の因果は複雑怪奇に絡み合っていて、その本質を簡単に掴むことはできないけれど。

 翔霏が無事に呪いを解いて帰られた主要因の一つは、そもそも兆佳人が快く私たちを西方へ遣わしてくれたからに違いないのだ。

 真剣で真っ直ぐすぎる翔霏の視線を真正面から受けて、兆佳人は少し躊躇うような、自嘲するような顔を見せた。


「ここでおかしなことを頼むと、まるで私が恩義に付けこむ打算深い嫌な女のようですね」

「いえいえそんなこと」


 手を振って苦笑いを私も返す。

 やっぱりちょいちょい毒を見せないと気が済まないたちだな、この人。

 こういうタイプの方が完璧聖人よりも、正直言って気楽なので良い。

 場の空気を整え直し、兆佳人はまず、ご自身のお家の事情から話し始めた。


「私の父が軍務に就いているということは、前に少し話したと思うけれど」

「お伺いしています。詳しくはどういうお仕事なのでしょう?」

「父が務めているのは兵省の、工兵部という朝廷の役所です。軍隊の中でも兵站や土木工事を司る部門、と言えば分りやすいかしら」


 ほうほうと翔霏が頷きを返す。


「輸送兵や工兵を取り仕切るお役目というわけですか。食料や武器を運んだり、前線で砦を築いたり罠を作ったりという」

「その通り。あなたたちも軍人には知り合いが多いのでしょうから、だいたいの実情もわかるでしょう。その兵省と翼州公の間で、新しい仕事が発案され、朝廷での審議も通りました」


 国の軍事を司る中央幕僚と、各地の軍隊を実際に指揮する州公の間で、なにかしらの新しい方針が決まった、ということだ。


「それは、どのような?」

「続きは私から話しましょう」


 私の質問に、今度は塀貴妃が説明なされた。

 その内容は翼州に縁がある私と翔霏の経歴、そしてこれからの運命にも、深く関わることだったのだ。


「端的に言うと、神台邑及び、周辺地域の打ち捨てられてしまった数々の小邑(しょうゆう)の再興計画です。戌族(じゅつぞく)の侵入を怖れて廃棄されてしまった邑のいくつかを、国と州の支援により本格的に再建することが決まりました」

「ほ、本当ですか!?」


 ガタッ、とつい立ち上がって前のめりになってしまった私。

 翔霏も驚いた顔をしているけれど、それでも言葉は冷静を保ち、状況を自分なりに推測する。


「覇聖鳳(はせお)が死んで斗羅畏(とらい)が後を継いだことで、国境周辺の脅威は格段に減ったという判断でしょうか」

「ええ、まさに。指導者が変わった白髪部(はくはつぶ)と青牙部(せいがぶ)の領域とも、昂国は密に交渉を重ねて和平を推進させています。けれどまだ不安要素はありますので、話はそう簡単には終わりません」


 塀貴妃の言葉に私と翔霏は首をひねる。

 その一抹の不安要素がなにかを、塀貴妃は丁寧に教えてくれた。


「二つの地域の指導者は、まだ若く経験が浅い。彼らもいつ身内に足下をすくわれるか、外敵に打ち負けるかわからないのです。だからこの先も現状の方針のまま和平が維持されていくとは限りません」

「た、確かに」


 私は知り合いだから贔屓目に見ているけれど。

 突骨無(とごん)さんも斗羅畏さんも、それなりにオイタをした経験のある若者であることは、世間の客観的評価としてあるだろう。

 特に今、戌族の地は商売の自由化で新しい時代、変化を迎えている。

 今は良くても明日、来年はどうなっているのか、見通しが難しいというのは誰しもが共通して持っている認識だな。


「そこで兵省と翼州は神台邑や周辺地域の『屯田地としての再開拓』を行うことを決めたのです」

「屯田……? それはなんだ、麗央那」


 翔霏の質問に、私は一瞬だけ沈黙して。

 それは言葉の意味が分からないからではなく、そうなったときの神台邑の未来の在り方を想像してしまったからで。

 結局、良いことなのか悪いことなのかを判断できずに、答えた。


「邑人が、そのまま戦える兵隊として訓練しながら暮らすことだよ。自給自足しながら、自己防衛もできる。敵が来ても食い止めたり追っ払ったりできる。もし大きな戦争があったとき、邑人たちは普通の軍人と同じように戦地に赴く。そんな邑を作ることが、屯田ってやりかたなんだ」

「……なるほど、有事の際も邑単位で独自に防衛戦闘をこなして、時間を稼いでいる間に別方向からの援軍を待つやり方か」


 翔霏もその計画がどういう顛末をたどるか考え、フムーと息を吐いて腕を組み。


「それなら汚い匪賊に邑が襲われても、一昼夜で焼き滅ぼされるようなこともない、か」


 独り言のように漏らした言葉が、なによりも重かった。

 私は、塀貴妃と兆佳人、お二人に確認のために訊く。


「それはもう、国として決まったことなんですよね。元住民の私たちがなんと言おうと、その計画はどんどん進んでしまうんですよね」


 少しだけ厳しい顔で、塀貴妃が答える。


「はい。各省と翼州の間ですでに合意がなされ、主上の裁可もいただいております。今頃は財務の官僚が一生懸命に予算を組んでいるところでしょう。すでに仕事は動き始めているのです」


 目を閉じて私は。

 今までにあった、色々なことを考えた。

 思い出して、まぶたの裏に思い浮かべて、胸の奥底にあるものを引っ張り出して。


「どうなるかじゃない、自分がどうするか、なんだ」


 一つの、自分なりの答えを出した。

 それ以上の質問が出ないことを確認した兆佳人が、改めて私と翔霏の顔を順に見つめて、言った。


「私たちの話、お願いというのは、もちろんこの神台邑及び周辺の屯田計画に麗と紺にも参加して欲しいということ。麗は土木の補佐官として開拓工事の研究と改善を現地で実施しながら学び、その成果を逐一、兆家と兵省に報告しなさい。紺は入植者への軍事訓練を担当すること。もっともこれは強制ではありません。他にやりたいことがあるのなら相談に乗ります」


 重ねて塀貴妃も言う。


「二人ともまだ若いのですから、他にいろいろやりたいこと、学びたいことはあるでしょう。ゆっくり考えてから答えを出してください」


 話が終わり、翠さまに挨拶してお二方は退出した。

 私と翔霏は、言葉少なにお互いの手を握り合って、椅子に座り続けていた。


「やっとお眠ってくれたわ。寝て欲しくないときはすぐに寝ちゃうくせに。お客が来て興奮してたのかしらね」


 やれやれ、と翠さまが肩首をぐりぐりと回して私たちの向かいに座る。

 明晴さまはお昼寝の時間らしい。

 先ごろの提案にどう返答したものかと悩んでいる私と翔霏の顔を横目に、翠さまが勝手にしゃべり始めた。


「あたしの知ったことじゃないんだけど馬蝋のやつが中書堂の書庫整理にもっと人員が欲しいって言ってた気がするわね。司午の別邸もなんだかお客の出入りが増えて小間使いが足りないって玄(げん)兄さまもボヤいてたし。どっかに本があれば幸せって言うような変わりものと足回りの軽い元気な若者はいないかしら。あたしの部屋だって人が十分足りてるとは言えない状況だし。掛け持ち仕事でもいいから誰か手伝ってくれると助かるのよね」


 あまりにもわざとらしいその独り言。

 私と翔霏がじっと見つめると、翠さまもさすがに照れ臭かったのかぷいっとそっぽを向いて。

 けれど、お優しい声色で付け足した。


「あんたたちは自由なのよ。自由に選びなさい。後悔したっていいのよ。あとでなんとでも取り返してやるんだって思えるなら」


 そして、もう時間だからとお部屋を追い出された。


「あまりにも考えないのはダメだけど、もっと楽に考えようか」

「そうだな。どうせなら楽しい方を選びたいしな」


 北の宮の出入り口で翔霏とそう話していると、そこに。


「あれ、なんやじぶん。こっちにおったん? しばらくぶりやね」


 見事に着飾って髪もお化粧もバッチリと決めた、飛びきり美人のお妃さまにお会いした。


「れ、漣(れん)さまっ! おおおお久しぶりです。中々顔を見せられずに、本当に申し訳ありません!」

「ああ、確か龍を呼んだときの……」


 私と翔霏は、目の前の別人のように整えられたお妃が東苑統括、漣貴人であることに気付き、深々と頭を下げた。

 後ろには腹心の侍女である孤氷(こひょう)さんと、私の顔を見てあからさまに表情を歪めた宦官の川久(せんきゅう)太監(たいかん)もいる。

 あ、このシチュエーションは。

 漣さま、皇帝陛下とアバンチュールだな、今夜。


「聞いたで聞いたで~? 西方までお国のカネで遊びに行っとったんやろ? ええご身分やなあほんま。なんやちょっと痩せたみとおやけど、水にでも中(あた)ったん?」

「あ、アハハ、いや、遊びに行っていたわけでは」


 久しぶりに会うのでゆっくりお話したいところだけれど、皇帝陛下を待たせているというのならそうもいかない。

 私たちのぎこちないやりとりを見ていた翔霏が、思い出したように私の肩をつついた。


「確か、漣さまに小獅宮のアホどもからお土産があるのではなかったか」

「あ、そうだ!」


 私は荷物袋の中を掻き出し、小獅宮で知り合った山泰(さんたい)くんから預かった鳥の模型を手早く組み立てて、漣さまに見せる。


「尾州(びしゅう)正氏(せいし)の、山泰くんから、漣さまにって。せっかくだから主上にもご覧になってもらってください。すっごくよくできてますから。ちゃんと飛ぶし、池にも浮くんですよ」


 私に鳥の玩具を渡された漣さまは、それを手に持ってしげしげと全方位から眺めて。


「山坊(さんぼう)、元気なんやな。西方におったなんて知らんやったわ。めっちゃかわええやんこれ。さっそく皇(おう)さまと一緒に飛ばして遊ぶわ」


 ほっくほくの笑顔で、私と翔霏の頭を順に撫でてくれた。


「貴妃どの、そろそろ」


 イライラを隠さない川久太監の言葉を華麗に無視し、漣さまが最後に質問を残した。


「で、次は自分ら、どこ行くん? それともしばらく後宮におるん?」


 私と翔霏はその問いに、顔を合わせて笑い。


「それはですねえ」


 自然と、心のままに自分たちの行く末を、示し合わせたわけでもなく答えた。

 素直に、したいことを、行きたい道を。

 これからも二人一緒に、歩いて行く。


 私たちは、自由だ!




(留学中の書生女官、黎明の石窟に祈る ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第五部~ 完)

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留学中の書生女官、黎明の石窟に祈る ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第五部~ 西川 旭 @beerman0726

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