二百二十二話 虚実と表裏と可能性
「さあてと、途中までの付き合いだが、一緒させてもらうよ。みんなお疲れさまだったな」
小獅宮(しょうしきゅう)を出立し、昂国(こうこく)の首都である河旭(かきょく)の街へ私たちは帰還する。
国境付近まで、突骨無(とごん)さんと彼の親衛隊が私たちを見送ってくれる段取りになっている。
白い歯を日光に反射させながら、先導を突骨無さんが務め、私はなぜか突骨無さんと一緒の馬の背に乗っている。
子どもたちも数人いるので、馬車を騎馬の戦士たちが囲んで護衛する形で一行は進む。
しんがりでは厳つい親衛隊のお兄さんたちが、翔霏(しょうひ)と武術談義を繰り広げていた。
「最初の一撃が躱されたら、自分が不利になるじゃないか。その後に前後左右どこから反撃されても良いように身構えるのが正道じゃないのか?」
騎馬武者の一人がそう言うのを、翔霏はつまらなさそうな顔で吐き捨てるように答えた。
「躱されそうなぬるい攻撃をする時点で話にならん。これ一発で終わりなんだという気合が勝利を呼ぶんだ。へなちょこ戦士に微笑んでくれるような暇な神はいないぞ」
「そ、それは……そうかもしれんが……」
相変わらず、他人に教えるときは精神論主体の翔霏であった。
けれど、少し変わった点と言えば。
「だがな。一撃で決められないと少しでも思ったのなら、そもそも逃げたっていいんだ。逃げ続けているうちに相手がカッとなって隙を見せれば、そのときに仕留めてやればいい。結果として勝てばいいんだからな。そこに至る過程はどうだっていいんだ」
一つにこだわらない視点に、武者さんたちも感嘆する。
「なるほど、そう言う考え方もあるか……まさに虚実を操るという極意だな。局所的な戦いだけの話ではなく、広い場面で使えそうだ」
強さで押すだけが、戦いではない。
どんな手段を使ってでも、目的を果たすことが一番なのだから。
最強の座を降りた翔霏だけれど、だからこそ強くなくても得られる成果はあるという境地を、深く知ることができたのだ。
耳だけでその会話を拾っていた突骨無さんも、深く感じ入るところがあるようで、しみじみと漏らした。
「……確かに俺は親父より弱くて頼りないだろう。だが、そんな俺だからこそできることがきっとあるはずだ。そうか、大事なのは目的であって手段ではないのか」
「感慨に耽るのは良いですけど、ちゃんと江雪(こうせつ)の手紙に返事、書いてあげてくださいね? 有耶無耶にしたら許しませんよ? 私が」
話題に出されたくないことを蒸し返された。
いかにもそう言いたげに強張った体で、突骨無さんが情けなく弁解する。
「実は、まだ読んでいないんだ。ここのところ忙しくてな……」
「早く読めやクソボケカスコノヤロー殺すぞ?」
乙女の純情を、なんだと思ってやがる。
彼が忙しい日々を送る理由の大半が、私たちのワガママな要求に起因するのはこの際、見て見ぬふりをすることとします。
「わかった、わかったよ……爪を背中に押し付けないでくれ。普通に痛い」
自慢の褐毛馬を並足で進ませながら、懐から取り出した文書を突骨無さんは開く。
物心つく前、むしろ母のお腹の中にいたときから馬の背に乗っているだけあって、鞍上で手紙を読むくらいのことはなにひとつ不安がないようだ。
「ふんむ……」
私に見えない角度で、真面目に手紙を読む突骨無さん。
この人が手紙を読むシーンに、不思議と多く行き当たるな?
「ねえねえどんなこと書いてあるの? 誰にも言わないからちょっとだけ教えてよぉ」
「他人に言えるわけないだろう。向こうさんだってきっと真剣に書いてくれたんだ」
まったく私に似合わない猫なで声で要求したせいか、取り付く島もなく却下された。
「へぇー、私は他人ですか、そうですか、ふぅーん」
「あ、いや、それは。その、そう言う意味じゃなくてだな」
突骨無さんをいじめても別に大した面白くないので、私は悪ふざけを切り上げる。
「冗談ですよ。ちゃんと弁えている突骨無さんは良い男だと思います。ちょっと好感度が上がりました」
「それはなによりだ。これからはもっとお手柔らかに頼む」
「過去に求婚した相手の目の前で、他の女から貰った情熱的な手紙を読むってどんな気分ですか?」
「麗さんが読めって言ったんだろうが!」
あ、いじり過ぎたらキレられちゃった、てへぺろ。
うーん、こんなに性格の悪い自分、嫌いじゃないわ!
「あんのねえちゃん、白髪(はくはつ)の大統サマを手玉に取っちょるばい……」
「実はとんでもない女やなかと……?」
「はあオィははじめっから、ただもんやないと思っとったけえね。目つきが違うったい」
外野の童(わらべ)たちが、なにか言ってますね。
ところであの子たち、性別に関係なく「オィ」とか「ワシ」って一人称を使うので、ちょっと見てるだけでは誰が男の子か女の子か、まったくわからないのだよな。
沸教(ふっきょう)の地域はただでさえ、男女の髪型や服装に明確な差異が少ない傾向にもあるから余計にだ。
性別関係なくおかっぱ頭だったり、ベリーショートだったりするんだもん、マジ初見殺し。
男女の別に様々なところでうるさい恒教(こうきょう)の染みついた国とは、やはりいろいろ違うのだなあと、最後の最後になって感心する私。
「ところで、だ」
手紙を読み終え、大事そうに胸にしまい直した突骨無さんが、別の話題を振って来た。
「なにかな。お嫁には行きませんよごめんなさい」
「まだ言えない情報なら言わなくて構わないが、除葛(じょかつ)姜(きょう)のやつが謹慎を解かれて尾州(びしゅう)に帰ったそうじゃないか」
私の無惨なお断わりは華麗にスルーされて、突骨無さんは至極シリアスな件に踏み込んだ。
魔人、故郷に帰るの報。
さすがに突骨無さんも知っていて、気にかけているようだ。
「そういうことになっちゃったみたいですね。玄霧(げんむ)さんから気楽な手紙が来たくらいですから、別に守秘情報じゃないと思いますよ」
チッ、と不愉快さを隠さない舌打ちを放ち、突骨無さんは言う。
「俺たちが司午家(しごけ)と深い縁を結んだこともあって、司午家と揉めている除葛のやつが自由になるのは面白くない。それは麗さんも分かってくれると思うが」
「もちろんです。私だって地団駄踏みたい気持ちでいっぱいですよ」
実際に踏んだし。
私たちの認識が同じ方を向いているという確認が取れた突骨無さんは、さらに深い領域の話を私に教えてくれた。
「もともと除葛のやつは、戌族(じゅつぞく)の各氏部同士が反目し合うように、裏でおびただしい数の工作をしていたはずだ。麗さんだから恥を承知で話すが、俺と斗羅畏(とらい)にわだかまりがあったのも、何年も前から除葛の間者が戌の地に入り込んで、あることないこと吹聴したからってのもあるんだぜ」
悔しそうに述懐する彼の声には、良いようにしてやられたことに対する復讐心が漂っていた。
まだ若く、未熟で権限も少なかったころの突骨無さんでは、首狩り軍師の相手はできない。
けれど今や彼も白髪部の大統、押しも押されぬ北方の快傑の一人である。
調子に乗っている痩せたモヤシ野郎の一人や二人、怖がっていてなるものかという気概が感じられた。
「要するに翠(すい)さまと交流するしないに関わらず、そもそも突骨無さんは姜さんが嫌いなんですね」
「あったりまえだろう。あんな、言葉が通じる振りをして話がまったく噛み合わない妖怪を誰が好き好むんだ。国境であいつの率いる軍と睨み合っていたときなんてな、同じ人間と会話している気がしなかったぞ。わけのわからない屁理屈ばかりこねくり回して、時間ばっかり無駄に浪費させやがって」
ああ、覇聖鳳(はせお)が神台邑(じんだいむら)を襲った余波で、昂国と戌族の間に緊張が走っていたときのことか。
どうやら私の知らないまた別の顔が、姜さんにはあるらしいぞ。
言語明瞭、意味不明瞭の使い手だったか、あやつめ。
懐かしいね、確かあのときに翼州(よくしゅう)左軍副使だった玄霧さんは、姜さんの指揮下に入って、戌族(じゅつぞく)と国境で睨み合っていたのだ。
対する戌族白髪部の側では、偉大な先代、阿突羅(あつら)さんがバリバリの現役だった。
一年前はよくわからなかったその状況。
今の私にはほんの少しだけ、解像度高く振り返ることができる。
「姜さんはきっとそのとき、突骨無さんやお父さんの阿突羅さんの、まさに大切な時間を浪費させるためにそうしたんですね。利益のない睨み合いを続けることで、姜さんは白髪部が強く豊かに伸長することを遅らせて邪魔したんです」
「なん……だと……?」
頭の回る突骨無さんが、いったいなぜそんなことを、と理解できない声を返した。
私の方が賢いからわかる、なんてわけじゃ決してないのだけれど。
それでも私は、姜さんをそれなりに知っていますのでね。
昂国の人間であるからこその視点から、理由、因果の一端を突骨無さんに教えることができるのだ。
「戌族の各氏部と、昂国の商売が比較的自由にできるようになったじゃないですか。豪商である環家(かんけ)の権益を解体して」
「それはもちろんわかってる。だからこそ俺たちは、親父の墓造りを通して司午家とお付き合いさせていただいてるんだからな」
「姜さんは、早い段階から両者の交易がいずれ自由化される情報を掴んでいたんでしょう。だからその局面に白髪部が『乗り遅れる』ように、わざと無益な睨み合いを、ちんたらちんたら国境で頑張ったんでしょうね。実際に軍隊の引き揚げ作業とかが重なって、突骨無さんたちは商売に早乗りできなかったんじゃないですか?」
私が示した見解に、突骨無さんはしばらく声を失って。
「っざけんなよ、あのクソ野郎が……!!」
二十代の若いお兄ちゃんらしい、素直な、生のイラつきと怒りをその口から発した。
うーん、イケメンの顔が歪むさまは、何度見ても美味しいでござる。
おかずにしてどんぶり飯三杯食べれるわ。
いつもスカしている突骨無さんにこういう一面が眠っていると知れたのは、大収穫でした。
姜さんに煮え湯を飲まされている人間は、国の内外を問わず、数多く存在するのである。
別に突骨無さんの気持ちを慰撫したいわけではないけれど。
お世話をかけ続けた恩もあるし、私は優しい声で言った。
「あのモヤシが調子に乗りすぎてたら、私がぎゃふんと言わせてやりますので。突骨無さんは自分の領地の仕事を頑張って待っててください」
「麗さんに、あの野郎をどうにかできるのかい?」
その質問に私は。
誇るでも気勢を張るでもなく、ごく自然な口調で答えた。
「やってできないことなんて、ないんですよ」
昂国へと帰る道。
岩だらけの寂しい景色だけれど、私たちの視界と行く末は明るい。
「あー! イワダヌキばい!」
「捕まえて食わんね!」
「ご馳走じゃのう! 幸先ええ旅じゃわ~~~!!」
馬車の子どもたちが、なにやら珍獣の発見にはしゃいでいる。
「そ、そんなもの、無理に食わなくてもいいだろう? 他にもっと美味いものがあるじゃないか」
ヒーローとして毅然とした顔を貫いていた翔霏が、別人のように怖気づいていた。
こうして私たちは突骨無さんたちに国境近くまで送られ、西方での旅を終えたのだった。
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