二百十六話 未知を掴め、覆いを剥がせ、謎があるなら白日の下に引きずり出せ!

 岩陰の奥から現れたのは、やはり思っていた通りの相手。


「命の理(ことわり)は指し示す。

 生まれ、病み、老い、死ぬるのだと。

 だなのになぜ、抗いもがき苦しむのか。

 水が低きに流れるがごとく、

 命も潰える定めではないのか」


 ふらりと足音さえ立てずに歩く、片腕の斬刀女。


「辻斬りや匪盗(ひとう)の類か? 多少は腕に覚えがあるようだが、俺と紺(こん)さんの二人なら……」


 愛用の青銅剣を抜いた突骨無(とごん)さんが、ヘラヘラ顔を引っ込めて前に出ようとするも。


「阿呆! 寄るな!!」


 翔霏(しょうひ)が叫ぶのと、片手女が握っていた刀を投げ飛ばすのは同時だった。

 

「ぐッ!?」


 ガギィン、と寸でのところで飛んできた刀を弾く突骨無さん。

 翔霏の声がなければ、まったく反応できずに喉を裂かれて死んでいたかもしれない。

 そして、無事に攻撃をいなしたからと言って、油断してはいけないことがもう一つ。


「斬刀、回れ!!」


 女の声に従うように、あらぬ方向へ弾き飛ばされた鋼鉄の刀が空中でくるりと向きを変えて、突骨無さんを再び襲う。


「ンなぁッ!?」

「あ、危ないっ!」


 獏さんが後ろから突骨無さんにタックルして、もんどりうって二人は地面を転がる。


「でえいっ!!」


 翔霏が猛然と走って飛び蹴りを放つ。

 道の横にそそり立つ岩壁と、自分の足を巧く使って飛ぶ刀を挟み、バキィンと叩き折った。


「ほほう、見事なり、面白し」 


 謎の女は面白そうに顎の先を指でかいて、体の後ろから二振りめの刀を取り出した。


「いったいぜんたい、どこにどうやって隠し持ってるんだよあれ……」


 間一髪で命を拾った獏さんが、冷や汗とともに呟く。

 ホントだよ、片手持ち用の刀と言えど、それなりに大きさもあるのにさ。

 違う次元に繋がるポケットでも、服に縫い付けてあるんじゃないだろうな。

 けれど我らが翔霏ちゃんは、臆することもなく敵に対峙する。


「得意のつまらん術でその刀、いくらでも投げてくるがいい。片っ端から叩き折ってやる」


 カアン、と折った刀の片割れを蹴り飛ばし、挑発までをもするのだった。


「ほう、あの日と打って変ったように、吹っ切れた顔をしておるな? さらに楽しませてくれるとは!」


 呵々大笑した斬刀女が、今度は刀を投げ飛ばさずに、近距離の打ち合いを仕掛けてくる。


「好きに笑っていろ! 愉快な心のままに死んで行け!」


 翔霏もそれに応じて、眼にも止まらぬ速さで棍を振り、応戦した。

 あっと言う間に繰り広げられる一連の流れを見て私は、あることに気付いた。

 いや、ちょっと違うな。

 前からそうではないかと思っていたことの、確信を得られたと言っていい。


「突骨無さん、あの女が使う刀に見覚えがありませんか?」

「ん? どこにでもありそうな、鋼の片刃刀だが……いや、そうか!」


 戌族(じゅつぞく)に生まれ育った彼が、違和感を持つこともなく見過ごしているその刀。

 これが示す一つの事実は、この刀は突骨無さんの身の周りでよく見かける、なんの変哲もない武器であること。

 私は確認の意味で突骨無さんに問う。


「あの刀は、白髪部(はくはつぶ)や青牙部(せいがぶ)の一般兵がよく使うものですよね」

「確かにその通りだ。数打ちの、なにも特別じゃない代物さ。となるとあの女は戌の生まれ、ひょっとすると覇聖鳳(はせお)の関係者か? だから麗さんや紺さんを狙うと?」


 さすがに頭の回る突骨無さんなので、すんなりとその想定まで届いてくれたね。

 けれど違う、違うんだ。

 まだ隠されている事実と謎、その端っこを私は小さな手で掴み取り。

 未知の敵の正体を探るため、見て破るという言葉の通り、勢いよく叫んだ。


「あなたのその武器は、青牙部の兵を殺して奪ったものだろ! だから惜しみなく投げて、好きな数だけ使い捨てられるんだ! あなたにとって、少しも大事なものじゃないから!!」


 私の声を聞いた片腕女は、一瞬だけ動きを止める。

 前髪に隠されたその奥で、両の眼(まなこ)が驚いているのがわかるぞ。


「隙ありっ!」


 翔霏の棍が、相手の喉元を狙って的確に突かれる。

 紙一重の差で避けきれなかった敵の皮膚を攻撃が掠めて、じんわりと赤い血が滲み出た。

 翔霏の攻撃が、はじめて敵の体を捉えたのだ!


「やめろ、やめろ。

 我を知るな、我を探るな。

 我を言葉で表すな!

 我は名もなき、戦餓鬼(いくさがき)でしかないのだから!!」


 怯えたように後ずさる敵を見逃す翔霏ではない。


「どうした?」

「もう終わりか?」

「剣先が鈍っているぞ!」


 三人に分身した翔霏は、前から横から後ろから、片腕女に棍撃の雨霰を振り落とす。

 防戦一方になった敵は、片腕という不利も働いて体のあちこちに少しずつ、棍が掠めて衣服の切れ目を生じさせている。

 後ろで見ていた江雪(こうせつ)さんが、状況の異変に気付いた。


「あの女性、さっきまで地に影がなかったように見えましたが、今は……」

「ほ、本当だ! ちゃんと僕たちと同じように、影を生じている!」


 目だけは良い獏さんもそのことに驚いて叫ぶ。

 最初に会ったとき、まさに影も見せず、正体も分からないまったく謎だった斬刀の女。

 私が一つ、彼女についての情報を喝破し定義したことで、うっすらと実態が現れてきている。

 けれど、まだ地に映る影は薄く、十分じゃない。

 あんたを更に深く強く濃く、私の認識する「世界」に、引きずり込んでやる!


「あなたは数えきれないくらいに、青牙部の男たちを殺して回ったはずだ! 自分にとっての仇敵を、故郷の邑を滅ぼした悪魔を仕留めるために! けれどあなたは本当の目的に届かず、無益な戦いと殺戮を繰り返すしかできなかった!」

「黙れ、黙れ、黙れ!

 なにものであろうとも、我の存在を決めつけるな!

 我がどのようなものであるのかを、我の意味を。

 勝手な言葉で定めるなぁ!!」


 明確な恐怖を感情を見せて、片腕女は翔霏から距離を取ろうとした。


「もらった!」

「くっ!?」


 その隙間を見逃さず、分身を瞬時に解いた翔霏が全力渾身の一撃を振るう。

 

「チッ、やはり私も鈍っているか……」


 けれどその攻撃は、相手の前髪を切り払っただけだった。

 隠されていた髪の奥から露出された、斬刀女の素顔。

 それは。


「しょ、翔霏ちゃん……?」


 女の顔に注意を払うことに関しては第一等の感性を持つ獏さんが、最初に呟いた。

 そう、私たちの知る翔霏より、幾分か年齢を重ねている雰囲気があり、頬もわずかに痩せこけているけれど。

 片腕斬刀女の顔は、まさに翔霏と同じ面影を持っていたのだ。


「生き別れの、ご身内でしょうか?」


 江雪さんの常識的な想像を、私は首を振って否定する。

 いや、ある意味では生き別れとも言える存在かもしれないけれど。

 江雪さんや、突骨無さん、獏さんが考えているような想定は、真実と少し遠くて。

 私は自分の出した答えに、自分で泣きそうになりながら、言った。


「あなたはきっと、もう一人の翔霏。こことは違う世界で、私と出会うことなく神台邑(じんだいむら)を焼き滅ぼされて、すべての仲間を戦いの内に喪ってしまった、そんな『救われず、達成できなかった』翔霏の」


 そこまで言って私は、両目からあふれる涙をいったん拭い、結論付ける。

 私が認識して、私が定義する「目の前の敵」の、私なりの真実を。


「あったかもしれない、別の翔霏の未来の姿。それがあなた! 私と出会えなかったから、覇聖鳳を討ち果たすことができなくて、それでも力尽きるまで戦い殺し続けた、世界中の誰よりも可哀想な翔霏が、あなただ!!」


 平行世界、多次元宇宙、マルチバース。

 そして、異世界。

 様々な呼び方があるけれど、きっと目の前の女は、そのような領域からなぜか私たちのいる世界に迷い込んでしまった「紺翔霏という女の、可能性の一つ」なのだ。

 少なくとも私がそう認識して定義づけられるだけの根拠が、今までにいくつも提示されていた。

 なによりも、こう考えた一番の大きく、重い要素として。

 

「私が認識する世界、翔霏と同じくらい強いやつは、翔霏しかいないんだよ!!」

「あ、ああ、ああうう……」


 私の言葉が止めとなったのか。

 影を濃く結んで表情もハッキリと見せた敵は、重力に負けたかのように力を失い、がっくりと膝をつく。


「わ、我は、我は、我はァ……!」


 刀を杖のように支えにして、血走った目で片腕女が唸る。

 私は彼女への敵意も憎しみも持たず。

 悔恨と、憐憫と、謝罪の心だけに支配されて、涙とともに言葉を放つ。


「会えなくてごめんね。一緒に戦えなくて、本当にごめんね。寂しかったよね、苦しかったよね。あなた一人に、抱えきれないくらいに重い運命を背負わせちゃって、本当に、ごめんねぇ……」


 目の前の彼女が「生きた」世界でも。

 私と出会えたなら、きっと二人で一緒に、楽しく幸せな時間を過ごしていられたはずだ。

 あなたが終わりのない憎しみと戦いの荒野に生きてしまったのは、きっと、あなたに出会えなかったもう一人の私のせい。

 苦しむ片腕女を、寂しさの滲む顔で「私たちの翔霏」が見つめて、言った。


「お前も私と同じで、数の勘定ができないんだろう。だから青牙部の連中をいくら倒しても、そこが区切りだと自分を納得させることができなかったのか」


 そう、翔霏は、大きい数字、細かい数字を把握できない。

 ノルマという量的概念を、理解できない。

 だから他の誰かが「もうここで、終わりにしよう」と言ってあげないと、結末を設定できないのだ。

 私たちは、明確唯一の目標である覇聖鳳を殺したことで「復讐は、ここまでだね」と、お互いを納得させることができた。

 けれど目の前の哀れな彼女は、そんな提案をしてくれる仲間、相談すべき友もすべて、喪ってしまったのだ。

 きっと「彼女がいた世界」では、軽螢(けいけい)も死んでいるのか、もしくは仲違い、物別れに遭ってしまったんだろうな。


「わ、我を憐れむな……我を、救おうとするなァ……!」


 真なる存在の姿を白日の下にさらされた、片腕の翔霏「かもしれない」女。

 歯を食いしばり、最後の力を振り絞るかのように屹立し。

 そこいらで拾ったような、刃こぼれの見える素朴な、安物の刀を構える。

 こちらの翔霏も、不思議と錆びない黒光りする鋼鉄の棍を構え、湖面のような、いつもの静かな無表情で相対した。


「お前の不幸はきっと『負けていないのに、果たせなかったこと』だろう。私がお前を負かして、引導を渡してやる。居るべき自分の場所に還れ」


 目の前の敵がもう一人の自分だと理解しても、翔霏は私がよく知る、いつもの翔霏だった。

 哀れな片腕の斬刀使いが、最後の咆哮を上げる。


「おおお、お前も、恨みと呪いの中に死ぬるはずだ!

 でなければ、我が戦い続けた意味は、どこにある!?

 認めぬ、断じてお前らの生きる『世界』など、認めぬぞーーーーッ!!」


 良く似た、いや本質は同じ二人の女が、走り駆け寄って交差する。

 片方は、日の照らす方へ。

 片方は、岩山が影を作る、暗い方へ。

 結末を見たくなくて私は、つい目を閉じてしまった。


「ぐッ……」


 文字通り、一瞬の交錯ののち。

 私たちのよく知る方の翔霏が、脇腹をわずかに刀で切られて微かな声を漏らす。

 そして、もう一人は。


「あ、ああ……これが結末か。

 そうか、わ、私はもう。

 戦う意味すら、持っていないのか……。

 私の役目は、ここで終わりなのか……」


 翔霏の棍に額を割られて、どろりと血を流し朱に染まった顔で。

 最後、少しだけ笑ったように見えた。

 彼女の体は炭の燃えカスのように黒い塵となって、風に吹かれて跡形もなく消え去った。

 まるで夢でも見ていたかのように、驚き呆然として獏さんと突骨無さんがその様子を見つめている。

 江雪さんだけは、いつもと同じような落ち着いた表情で。


「翔霏さん、傷の手当てをしましょう」


 立ち尽くす翔霏の下に駆け寄り、そう促した。

 はー、と長い溜息を吐いて、翔霏がその場にどっかりと胡坐に腰を下ろした。


「正直、勝てるとは思わなかった。そもそも私は勝ったのか? あいつが勝手に消えただけじゃないのか?」

「翔霏は最強だもん、負けるわけないじゃん」


 私は親友の体をぎゅっと抱きしめて、ついでにほっぺにチューまでして、いつも思っていることを改めて声にした。

 きっと、これが。

 神台邑、いや昂国(こうこく)最強、紺翔霏という女の子が全力を出して戦える、ラストバトル。

 最強の敵との最後の戦いを、いつものように完璧に勝った彼女を、私は心の底から誇らしいと思う。

 ずっと大好きだよ、翔霏。

 いつまでも、一緒にいようね。

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