二百九話 次の世界

 町のあちこちで見かける、謎の熱病と疱瘡に苦しむ人たち。

 彼らを見て、多くの人が近寄るのを躊躇っている。

 けれど我らがリーダー、ジュミン先生は臆することなくずんずんと足を踏み入れて、町の中をぐるりと見渡し、私たちに言った。


「症状のない方、症状の軽い方、症状の重い方。その三者を隔離区分するために、町の有力者と話をしてきます。みなさまは入り口付近のここを拠点と定めて、人と建物の殺菌消毒に当たってください。みだりに町を出入りしようとする方がいれば、全力で止めてください」


 病原菌の正体がわからない今、まず取るべき行動は隔離策である。

 菌やウイルスを一つたりともこの町から出してはいけないとするジュミン先生の判断は、初期対応としてまったく正しい。


「わかりました。手分けして町の入り口付近から、すぐに始めます」


 私が毅然とした態度で答えたからか、後ろに控えるみんなも少しだけ不安を払拭した力強い表情に変わり。


「煮沸するのであれば、まずは大きく火を焚かねばなりませんね」

「幸いにも石灰なら山ほどあります。目に見えぬ病疫の種も石灰には負けると言いますし、怖れることはありません」

「疱瘡の程度も重要ですけれど、それ以前からの持病のあるなしも考慮しなければなりませんわね」


 具体的な対処のために、各自それぞれ動き始めた。

 さすがはジュミン先生の生徒さんたちだけあって、病理に対する解像度が高いな。

 怖気づいて腰が引けていた獏(ばく)さんも、自分の顔を両の掌でパンパンと叩いて景気を付けた。


「ぼ、僕たちはなんたって、龍の神さまにお会いしたことがあるからね。きっと聖なる力のご加護で守ってくださるはずだ」


 自分を勇気づける好材料を自分の中から見つけるその姿勢は、とても素晴らしいものだ。

 けれど私は意地悪して、言わなくてもいいことを付け足す。


「あれ、ただの集団幻覚だったんじゃないかと私は思ってますけど」


 正直、あの場面での私の意識や認識はかなり曖昧になっていたので、現実感がないのであった。


「やめてくれよな。僕は貴重で大事な思い出だと信じているんだから、余計な水を差さなくても良いじゃないか」

「てへ、なんでだろう、獏さんを見てるといじめたくなっちゃんですよね」

「今までの態度、全部わざとだったのかい……」


 シリアスな戦いの中であっても、こうした気分の切り替えは大事です。

 さ、遊びもそこそこにして私も作業に取り掛からないとね。

 煮沸消毒した綺麗な布はいくらあっても良いので、ひとまずそこに専念するか。

 私たちは地道な初期防疫作業に従事して、最初の一日を過ごした。

 けれど夜遅くになっても、ジュミン先生が拠点に戻ってこない。

 

「お昼も、食べにいらっしゃいませんでした」


 江雪さんが首をかしげて教えてくれた。

 町の有力者との会談が、不調気味にもつれて、長引いているのだろうか。

 

「ご飯くらい食べてくれないと、自分が先に倒れちゃうよ……」


 なんて心配する獏さんを連れて、私は町の偉い人が集まる会館に向かった。

 道の脇に座って苦しそうに呻いている、何人かを通り過ぎる。

 ごめんね、きっとすぐに良くしてあげるから、今は我慢してね。

 到着した会館には煌々と灯りが点いていて、中から多くの人の声とざわめきが聞こえた。


「いきなり押しかけて来よって、町民を勝手に振り分けると!? 世間知らずの生臭坊主が、偉そうに言っとったらあかんで!!」

「そうたいそうたい、親と離される子どもの身んなってみんしゃい! くらーすぞ貴様(きさん)!!」


 半ば予想通り、町民たちの激しい反発を受けているようだ。

 余所者がいきなり乗り込んで来て、あなたはあっち、あなたはこっち、なんて一方的に指示してきたら、面白くない人もいるわな。

 けれどジュミン先生は感情的にならず、努めて冷静に彼らに必要な対処を説いていた。


「病魔が過ぎ去るまでの、あくまでも一時的なものです。このままでは健康な人たちまで多く罹患してしまいます。患者さまの手当ては私たちが全力を持って当たらせていただきますので、どうかご協力いただけませんか」

「はぁ、あんたらがどんだけ信用できるもんかわからんばい!」

「どうせ危のうなったら、一目散に逃げよるに決まっちょうと!」


 その言葉に、ジュミン先生より先に、私が切れた。


「なんだぁ、テメェ!? もう一回言ってみろよコラァ?」


 麗央那、切れた!

 久しぶりに、切れちまったよ……。


「どこの誰が、逃げるってぇ!?」


 ずかずかと会館の中に割り込んだ私は叫び、居並ぶ面々を睨みつけて。

 建物の端っこで、皮膚に浮いた痘痕(あばた)が痒いのか、ぽりぽりと指先で掻いている女性を見止める。


「な、なにを見よるんね、こん小娘が」

「できものが、膿(う)んでますね。引っ掻かない方が良いですよ。痕(あと)が残ります」


 彼女の元へ歩いた私は、自分の着ている衣服、袖の部分をがばっとまくって肩と二の腕を露出し。

 道具袋の中から、鋼鉄製の細串を取り出した。


「な、なんば考えちょるとね、うちをどうするつもりばい」


 怯える痘瘡の女性を無視して私は。


「ふんぬっ!」


 自分の二の腕、乙女の柔肌に、鉄串をブッ刺して小さな傷穴を穿った。


「ンギギィ! 痛くない! 痛くないもんねー!」


 歯を食いしばり、涙を目に溜めて私は負け惜しみの大声を上げる。


「あ、あわ、あわわぁ……」


 状況が理解できずに混乱している目の前の女性に私はぐいっと顔を寄せて。


「その痘痕から出ている膿を、ちょっとだけもらいたいんですけど、かまいませんね!?」

「え、あ、はぁ?」


 有無を言わせぬ圧力で詰めて、鉄串の先っちょで彼女の傷口に浮かぶ薄黄色い膿をこそげ取る。

 そして、その膿が付着した鉄串を。


「い、いけません央那さん!!」


 ジュミン先生が慌てて制止する声も無視して。


「ギィ!」


 再び、腕に空けた小さい傷穴にブッ刺した。

 ぐりぐりぐり、と付着物である膿が私の傷口にしっかり染み渡り、練り込まれるように鉄串を前後左右に動かす。


「な、なな、なんばしよっとか」

「狂っとるとたい、あん女……」


 周囲の人が口々に勝手な感想を漏らす中、私は傷の痛みに耐えて、耐えて、耐えきって。

 視線を上げて、言い放った。


「これで私も間違いなく感染しました! だからこれからは、感染した町の人たち、重症患者の医療介護に回ります! これで、私たちに逃げるつもりが微塵もないという証明になったでしょう!!」


 叫ぶ私を呆然と見つめ、ジュミン先生が力なく呟く。


「お、央那さん、あなたって人は……」


 私は口を真一文字に結び、力を込めて頷いて、こうも言った。

 いや、言わずにはいられなかった。

 どうしても、この場でこう叫ばないわけには、いかないのだ。


「ジュミン先生は、あんたたちを助けたいと思って危険を顧みずにここまで来たんだぞーーー! 黙って言うこと聞いとけやこの分からず屋どもがーーーーーッ!! 文句があるならあんたら全員に噛みついて、この病気をうつしまくってやるからなーーーーーーッ!?」

「ひ、ひぃッ!?」


 恫喝した私の勢いに驚いて、周囲の人たちが後ずさりする。

 これでもう、私もほぼ百パーセント、感染してしまった。

 後は私の体の抵抗力が、病魔に勝たない限りは、私も死ぬ。

 どの道、感染せずに対処できると思ってなかったから、これでいいんだよ!


「ああ、翔霏(しょうひ)はこの気持ちをずっと今まで、抱えていたんだな」


 致死の病かも知れないものを、体の内に抱えて。

 私はやっと、翔霏の観えている、彼女なりの世界を理解できた。

 呪いは重なり、それは徐々に自分の身を蝕み、いつかはわからないけれど力尽きるときが来るかもしれない。

 ずっと翔霏の隣にいたくせに、今まで微塵も理解できなかった、その感情、彼女の視界に映るもの。

 この重しを胸に持ったまま、それでも翔霏は私にいつでも優しくて、常に誇らしい自分自身であろうとしてくれたんだ。


「親友を自称している以上は、私も恥ずかしくない自分でいないとね」


 そう考え、決意した途端に。

 なぜか一段階、世の中が明るく見えた気がする。

 今ならどんなものでも細かく見つめて、解像度高く理解し、真相を見通せそうな感覚だ。

 まるで蓋をされ隠されているものまでも、透き通って奥の奥まで見えるような。

 ああ、きっとこれは。

 翔霏の見えている世界に、私も一歩、足を踏み入れることが許されたのだ!


「おっらぁー、調子の悪いやつはいねがぁ~!? 徹底的に癒してやっからなこんにゃろー!!」


 ハイテンションになった私はドン引きしている周囲の人の目を振り切り、会館の外に出る。

 夜の帳はすっかり降りて、当たりは真っ暗だというのに。

 わかる!

 理屈ではなく、肌で、神経で察知することができる!

 見える、見えるぞ!

 私にも患者が、ウイルスの饗宴が、病魔の巣窟が見えるぞ!!


「あっちに疱瘡が痛くて泣いてる子どもがいるな! 待ってろよ~この央那おねえちゃんが付いてるからな~! 怖がらなくてもいいんだぜ~~!!」


 走って入口の拠点から消毒や痛み止め、膏薬と包帯、強壮剤や生薬をかき集める。

 それを胸に抱え、いざ泣いている子どもの元へ。

 

「大丈夫、大丈夫。きっと治るからね。私たちが、治してみせるからね!」


 自己バフに魔法の言葉を呟きながら、私は夜の町を駆ける。

 岩だらけの町並みを、蒼い月がより一層照らしている。

 ぼんやりと辺り一面、真白いその景色。

 晩夏のさなかだというのに、まるで穢れの一つも存在しない、天上の雪原のようですらあった。

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