第二十三章 小獅宮

百九十九話 予期せぬ出会い

 刹屠(せつと)と言う名の独立自治領、その東部には木々もまばらな、石灰岩の山岳地帯が存在する。

 私たちの目的地である「小獅宮(しょうしきゅう)」という施設はそこにあった。


「が、崖を削って家を作ってるのか?」


 その異様な偉容に、まず翔霏(しょうひ)が驚いた。

 目の前に立ちはだかる岩崖を、まるでアリの巣のように、あるいは微細な彫刻のようにくり抜いて、人々の暮らすスペースが形作られているのだ。

 石窟、あるいは磨崖と呼ばれる住居様式である。

 古代エジプトの王さま、ツタンカーメンのお墓である「王家の谷」とか、インド中部にある「アジャンター石窟寺院」が有名だね。


「僕も見るのははじめてだけど、夏は湿気が凄いらしいよ。冬になると底冷えとか」

「そりゃあ、岩だもんねえ」


 獏さんの説明に私は半ば呆れたような関心を返す。

 丈夫そうなのは良いし、火事が起きても延焼しないのは素晴らしいけれど、明らかに通気性が悪そうだ。

 ただ、私たちのいるこの場所は標高が高いこともあってか、幸いにも昂国(こうこく)神台邑(じんだいむら)のような、うだる暑さはない。

 大気中の湿度もさほど高いわけではないので、要するに密閉空間に近いところで寝起きしたり炊事をすることで発生する、生活上の水蒸気が問題なのだろう。

 夏場は特に不快指数が高くなるからね。


「とりあえず入ろうか。百憩(ひゃっけい)僧人と兆家(ちょうけ)の紹介状もあるし、事前に連絡は行ってるからね。なにごともなく受け入れの準備をしてくれていると思うよ」


 意外とタフに平常心を保ち続けている獏さん。


「そうだと良いですね。予期せぬ問題ごとはもうこりごりでヤンス~」


 彼に続き、私たちも巌窟の宮に足を踏み入れる。

 正面入り口らしき、大穴に岩を穿ったところ。

 なにかの象徴なのか、真球に近い形で削られ磨かれた、巨大な大理石がデーンと置かれている。

 万物循環が沸教(ふっきょう)の真命題であるから、始まりも終わりもないことを表す円や球なのだろうかな。

 入ったすぐ先で私たちの姿を見止めた、丸坊主の若い小僧さんが私たちを呼び止める。


「ちょちょちょ、なーさま、昂の人だべか? そげに勝手にうろちょろされっと困るっぺやあ」


 挨拶せずに入ったらたしなめられちゃったわ。

 さすがに離れた土地なだけあって、言葉は少し、違うらしい。

 なんとなくわかるレベルだけれどね、これくらいなら。

 な、と言うのは「なんじ、あなた」を意味する二人称だろう。


「私たち、百憩さまの紹介でこちらにお世話になることになりました、涼、紺、麗と申します。誰か事情を知っている方に取り次いでいただけますか?」

「ありゃぁ、きっちとしたお客さまだっぺかあ。ちょお待っててくんろ、おんじぃに言ってくっけえ」


 紹介状と身分証の写しを見せると、小僧さんは警戒を解いたように犬歯の抜けた顔でにっかと笑い、奥へ駆けて行った。

 おんじぃというのは偉い人とか親分さん、あるいは老師とかそういう意味だろうか。


「麗央那、あの坊主が言っていたこと、わかるのか?」


 翔霏が私の横で、怪訝な顔で訊く。


「まあなんとか。訛りって言うか、方言の範疇じゃないかな」

「そうか。私はほとんど分からなかった。苦労することになりそうだ」

「私が一緒にいるから、大丈夫だよ」


 翔霏選手への取材と交渉は、常に通訳兼マネージャーの麗を通してください。

 そうしてお金の管理に疎い翔霏の財産から、私がいいように運用して失敗し破産する未来が見える、見えるぞ。

 私が小僧さんと問題なく会話しているのを見て、言語の学徒である獏さんは、その立場に沿った見解を口にした。


「央那ちゃんは外国の生まれだから、部分的にでもわかる言葉を拾って前後の意味を推測するのが、もともと上手いのかもしれないね」

「それある~」


 私たちは普段、雰囲気で会話をしているからね。

 常に言語の一字一句、一単語レベルまで正確に聞きとって頭で解釈しているわけではないのだ。

 把握し切れていない部分があっても、脳がふんわりと経験や記憶を頼りに補完してくれるからね。

 なんて話をしていたら、小僧さんが小走りで戻り、私たちを案内しながら言った。


「えれぇヒマかけさせて堪忍なこってす。あなやあ、いっぺえ遠いとこさ歩いてこわかったべえ。したっけ部屋さ用意しとるでよぉ、まんまこケェて、ねんねこしたらいいべな」


 ちなみにこの台詞を敢えて翻訳するなら、


「随分と待たせて申し訳ございません。いやはや遠くからいらしてお疲れでしょう。であればお部屋を用意していますので、食事を済ませてゆっくりお休みください」


 という感じになるであろうか。

 ケェと言うのは、食えの転訛であるか。

 慣れるとなんだか可愛らしい言葉であるな。

 私と獏さんは会話の意味を汲み取れるけれど、一人だけさっぱりわからない翔霏が、やや難しい顔をしたまま、あてがわれた居室に歩いていた。

 今日はもう遅いので、偉い人に面通しするのは明日だ。


「わぁとあんちゃんは一緒して行けねっから、あねさんらは奥にぼっこ行ってくんなせ」


 わぁ、は「私、我」だろうけど、ぼっこ、というのがなにかわからなかった。

 おそらくは「まっすぐ」という意味かな。

 当然のこととして男女で居住区角が分かれているらしく、獏さんと少しのお別れ。


「じゃあまた後で。男性の部屋がどんなだったか聞かせてくださいね」

「うん、とりあえず字引きを渡しておくよ。ゆっくりお休み」


 卓上サイズの中型辞書を獏さんに借りる。

 これで自信のない言葉や文字の読み書きも調べられるね。

 ふ、ふん、なによ気が利くじゃないのさ。

 そうして別の女性修行者らしき人に、さほど大きくない二人用の部屋に案内され、食事も持ってきてもらった。

 翔霏が室内に置かれているものを確認する。


「竹を編んだ寝台だ。意外と涼しいかもしれんなこれは」


 割り裂いた竹を上手く組み合わせたベッド二つと、その中間に大きめの机兼食卓、あとはカラの棚、行李などなど。

 トイレは廊下の先に共同のものが点在。

 硬い石の部屋に閉じ込められている圧迫感がどうしてもあるけれど、それほど悪い環境ではないかも。

 雨風しのげて、横になって寝られる環境があれば、なんとかなるさ。 

 その日は二人とも疲れていたから、質素だけど味の濃いめな雑穀中心のお夕飯をいただき、ピロートークもそこそこに早めのベッドイン。


「うーん、イワダヌキ……いったいなにものなんだ……」


 翔霏の寝言がちょっと面白かった。

 それにしても、石灰岩をくり抜いて作った下宿付き寺院、あるいは寮付き大学施設か。

 石灰質の地層と言うことはここは太古の昔、海底だったわけだ。

 きっと数億年単位の地面の隆起があって高地化したんだな。

 さらに長い年月を経て、ここが再び海の底に沈んだとしたら、無数に掘られた岩穴が魚介類のマンションになるのだろう。

 獅子の宮が、龍宮城に変化するわけだ。

 

「ここを出るときには、すっかりババアになんかなっちゃったら洒落にならんぞな」


 他愛もない想像に一人で笑い、私も石の宮で静かに眠った。


「ふわあ、おはよ翔霏」

「ああおはよう。麗央那は良い夢見れたか?」

「夢は見なかったかなあ」


 長旅で疲れた後に健康的な食事と快適な寝床を得たことで、すっかり熟睡できた。

 口ぶりと表情から察するに、翔霏は楽しい夢を見られたのだろう。

 イワダヌキを焼いて食べたのかもしれないね。

 さて、ここ沸教の小獅宮には「小師」と言う監督役の偉い人がいるらしく、私たちはまずその方に会って事情を詳しく話さねばならない。

 誰かが小師さまのところへ案内に来てくれる手はずになっているから、大人しく部屋で待つことしばし。


「おはようございます。小師さまがお二方にお会いになられるそうです」


 ごく普通の昂国の言葉で、部屋の外からそう穏やかな女性の声がかかった。

 言葉の通じやすい人を案内役に寄越してくれたことに感謝。


「はいはーい、どうもお世話さまです」


 どこかで聞いたことある声だな。

 なんて思いながら部屋入口の幕を外して、私は応対に出た。

 部屋の外にいた、色白ふとまゆ美人さんを前にして、私はつい大きな声を出してしまうのだった。


「な、楠(なん)佳人じゃないですか! どうしてこんなところにいるんです!?」


 朱蜂宮(しゅほうきゅう)は西苑(さいえん)のお妃さまの一人、楠(なん)江雪(こうせつ)佳人その人が、私たちの案内役として、この場に表れたのだ!

 私が新しく縁を結んだ兆(ちょう)博柚(はくゆう)佳人とは、犬猿の仲だったお方である。

 私が仰天しているのに対し、表情を変えないながらも「まあ」と驚いた声だけ出して、楠佳人が言う。


「あなた、翠(すい)さまのところにいた女の子ですね。お久しぶりです。こんなところ、なんて言い方は、良くないと思いますよ」

「麗央那の知り合いか」


 状況の微細を知らない翔霏の質問に、私は壊れたブリキ玩具のようにカクカクと頷いて答える。


「後宮にいたお妃さまだよ。私があっちこっち行ってて後宮にいない間に、実家に帰られたって聞いてたんだけど」

「多少の思うところありまして、今はここでお世話になっているのです」


 まったく角のない、のほほんとした顔と口調で楠佳人、いや今はすでに江雪さんと言った方が良いか、彼女が話す。


「再会を喜ぶのは後にして、今は坊主たちの親玉に会おう。待たせるのも失礼だしな」


 冷静に翔霏が言ったので、私たちは江雪さんの導くままに、迷路のような岩窟を右へ左へ。

 微かに湿ってひんやりとした薄暗いその空間は、真の意味で人が造りしダンジョンのようである。

 もっとも翔霏は道に迷わないので、複雑な経路でも安心。

 道すがらに、私は疑問に思っていることを雑談として振る。


「江雪さまも、沸教に帰依なさっていたんですね」

「はい。おじいさま……ひいおじいさまだったかしら? そのあたりから、西の方々と縁を得る機会がありまして」

「どうして、後宮を離れちゃったんですか? 翠さまは江雪さまのこと、かなり好印象を持っていたようですけど」


 西苑を統括していた翠さまの立場としては、問題を起こさない人、秩序の維持に積極的に働く人の評価が高くなる傾向にある。

 江雪さんは自分から目立った騒ぎを産むタイプではないので、ちょくちょく翠さまはお褒めのお言葉を賜っていたはずだ。

 そんな私の問いに、まったく大したことではないという雰囲気で、江雪さんは返答する。


「わたくし、向いてないと思いましたから、あそこに」

「はあ」

 

 私の視点では、朱蜂宮、特に西苑の雰囲気は良いと思うので、その暮らしを投げ打つという選択肢は理解できないけれど。

 人それぞれ、考えはいろいろさまざまに、違うのだろうなあ。

 疑問符を多く抱えながらも、私は小師さまの待つ大きな石堂(せきどう)と呼ぶべき一室の、重そうな扉の前に立つのだった。

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