二百話 一念すれば岩をも徹す

 刹屠(せつと)と称する地にある寄宿制宗教学問施設、小獅宮(しょうしきゅう)。

 その中心部のお堂である。


「わたくしは入りませんので、お二人ともどうぞ気兼ねなくお話しください」


 たおやかに言って楠(なん)江雪(こうせつ)さんは一歩下がり、私と翔霏(しょうひ)へ入室を促した。


「では、失礼します。昂国(こうこく)は蹄州(ていしゅう)の武門、兆家(ちょうけ)の推薦でこちらに伺いました、麗と申します」

「翼州(よくしゅう)、神台邑(じんだいむら)の紺(こん)だ。お力をお貸しいただきたく参った」


 沸教(ふっきょう)嫌いの翔霏もひとまずは自分の感情を引っ込めて、素直に頭を下げた。

 広間の奥、高座に胡坐をかいて座っている老男性が、小師さまだろう。

 随分と小さくしわくちゃのお爺さんで、まさに老師と言ういでたちの彼。

 私と翔霏の様子を順にゆっくり見つめてから朗らかに笑い、口を開いた。


「しゃっしゃしゃ、こったら稀なるお客が見えるとはのう、死にぞこないの身にゃあイカいことじゃわいな」


 イカい、というのは「いかつい、大きい、転じてものごとがはなはだしいさま」を指す言葉だろうかな。

 長生きした甲斐があって、珍しいお客さまに会えた、みたいなニュアンスだ。

 翔霏もこのお爺さんの言葉ならなんとなくわかるようで、軽く頷きながら聞いている。

 人の顔を見るなり笑うなんて失礼なジジイだな、でもどうやら好意的みたいだしいいか。

 などと思いつつ、私はこの場にいない獏(ばく)さんのことを訊いた。


「私たちと同行して来た、涼(りょう)という書官がいるはずなのですけど」

「ああ? あん若造だきゃあ、まっことスケベでたぁけなツラぁしちょったからに、とっくと修業を始めさせちょるわ。ちぃとはマシな心構えンなるとええのう」


 あまりの言われように私も翔霏も苦笑。

 哀れにも獏さんはすでに、精神修養と勉学のプログラムに組み込まれてしまったらしい。

 ま、彼は元々そのために西方に来たようなところあるし、願いが叶ってなによりと思ってあげようじゃないか。

 獏さんの方は問題なさそうなことを確認し、私は来訪の本題に切り込む。


「紹介状にも書かせていただきました件、ここにいる私の友人、紺が受けた呪いについてなんですけど」

「急(せ)くな急くな、話はわかっちゅうきに」


 手をひらひらと振って私の話をさえぎり、小師は告げる。


「半分もの年をまたいで、何十もの性悪どもから背負わされた呪いなんじゃろ? 一朝一夕に解けるわけがにゃーでよ。無茶を通そうとすったらばその嬢ちゃん、またぞろ嫌ンなって逃げ出しちまわあな」


 翔霏が一度、大海寺(だいかいじ)の解呪法を脱走したことは彼らにも知られている。

 厳然たる事実なので反論の一つも挟むことができずに、翔霏はへの字口の渋面を浮かべる。

 私は翔霏の手をキュッと優しく握って言った。


「大丈夫、大丈夫だよ。どれだけかかっても、私は一緒だから」

「麗央那……」


 私たちのふんわりゆるゆり空間を生温かく見つめ、小師さまが言った。


「はぁまんずはここで一緒に寝起きさして、嬢ちゃんの呪いがどげなもんかを丁寧(マテイ)に見てみんことにゃあの。したらばええ手はずもおのずと見っかるじゃろうて。なんでも急いては上手く行かんぞなもし」

「わかりました。それまでの間、よろしくお願いいたします」


 素直に座礼で頭を下げた翔霏には、すでに子どもじみたワガママ好き嫌いの面影はない。

 今まで生き急いでいた私たちだからこそ、今、ゆっくりする時間こそが必要で、その機会を与えられたのだと思おう。

 小師さまは翔霏だけではなく、私に対しても説くように言う。


「いっちゃん近うにおるおめぇさんが、この嬢ちゃんをいっちゃん知っとかにゃあならんでよ。知るためには、知るっちゅうことそのものを、知ってわからんにゃあ話になりゃあせんで、そりゃあ一筋縄で行くこっちゃねえぞい」


 翔霏を助けるために。

 傍に居る私が、翔霏が今どのようであるかを、知って、理解しなければ始まらない、ということだ。

 それはきっと大変なことだろうけれど、翔霏の解呪に対して、私にもきっと、なにかしらの役割があると小師さまは言っているのだろう。

 そのときのために、知を研ぎ澄ませと言うことだろうか。


「はい。どんなことでも、成し遂げるつもりです」


 真っ直ぐに答えた私を見て、小師さまはにっかぁと顔をさらに皺くちゃにさせて笑った。


「ええ娘っこらじゃ。やったるでぇと決めたんならよぉ、やってできねえことはねえんだず。ここはそったらアホどもの集まりじゃけ、空を飛ぶんじゃとじょっぱって、やっきに空を飛ぼうとしとるアホがおるくらいじゃでの」

「……空を? 鳥でも虫でもないのに?」


 私たちの知る限り、人が宙を舞うような異能にお目にかかったことはないはずだ。

 疑問符を浮かべた翔霏に、小師さまは優しいお爺ちゃんのような雰囲気で教え諭した。


「飛べんと思うたら、いっちょん経っても飛べんのよ。飛べるちゅうて我を張ったアホの中からしか、飛べるもんは出て来んのじゃわ。信じて、念じて、為すしかないんじゃな」


 小師さまの言っているのは抽象的な精神論ではなく、きっと具体的な方法論、メソッドの一つだろう。

 おそらく小獅宮の中には、気球やグライダーの研究をしている人たちがいるのだと私は解釈した。

 人が、大空を高く自由に飛ぶために。

 飛べると信じなければ、そんな研究に時間と心血、予算を注ぐことすらできないのだ。

 信仰も知性も、きっと信じる力が原初の第一歩で、沸教ではそこを重視しているんだ。

 この日、私たちは軽くお互いの状況を話し合っただけで、小師さまのお堂を後にした。

 便利な解決方法がいきなり見つかるわけはないし、仮にそんなものが目の前に転がっていたとしても、翔霏の体を蝕む呪いに効果的なのかどうか、そこはわからない。

 まずは知るために、理解するためには時間が必要という、とても当たり前の話であった。


「お疲れさまでした。湯の用意ができているとのことなので、一緒に向かいましょう」


 お堂から出ると、私たちを案内してくれた楠(なん)江雪(こうせつ)さんが、別れたその場で待っていてくれた。


「わざわざ申し訳ありません。いろいろと気を遣わせてしまって」


 元、後宮のお妃さまにそこまでしてもらい、私としても恐縮しっぱなしである。

 軽く二時間前後は話してたので、その間ずっと待ってくれていたのでは。

 疲れてないかな。

 もともとどこか超然とした女性だったので、表情から想いの内が覗きにくい。


「麗央那、風呂に行く道すがらに江雪さまとの出会いを私にも教えてくれないか。後宮の話を聞きたい」

「あっそうだね、構いませんか江雪さま?」


 翔霏に話題を向けられたので、都合よく乗っかろう。

 私と江雪さんだけだと、なにを話して良いかわからずに気まずい時間が流れるところだったぜ。

 彼女は私たちの雑談にのんびりとした動作で頷き、応じてくれた。


「ええもちろん。けれどもう、その『江雪さま』と言う呼び方はやめてくれないでしょうか。今は一人の修業中の女僧ですし、おそらくわたくしたち、ほぼ同じ年頃なのでしょうから。お二人とも、翠(すい)貴人よりは年少でしょう?」

「はい、私は四つ、翔霏は三つ、翠さまより年下です」


 私が答えたことに江雪さんはふんふんと小さく首肯し。

 今は離れた後宮を想い出すような遠い目で呟いた。


「まだお若いのに、翠貴人はご立派な女性でしたね。わたくしがあんなふうにしっかりできるのは、いつになることでしょうか」


 あまり感情を覗かせない江雪さんが、珍しく生々しい羨望や悔恨を見せたように、私には思えた。 

 私たち三人は世間話を交わしつつ、部屋からお風呂道具を持ち出してそのまま浴場へと向かった。

 普段は水やお湯で体を清める程度だというのは後宮の侍女時代と同じ。

 けれど小獅宮では、日毎の順番交代制で大きいお風呂に入れるということで、ありがたく甘えることにする。

 施設全体が岩山を掘削して造られているので、どこからを地下と呼ぶのかはわからないけれど、とにかくその最下層に大浴場はあった。

 

「丁度わたくしたちしかいませんね。のんびりさせてもらいましょう」


 そう言って微塵のためらいもなく、率先して衣服を脱いでいく江雪さん。

 滑らかな曲線を描く愛されボディっぷりに、チラ見している私の方が恥ずかしくなってしまうほどだ。

 肌が真っ白で、おモチみたいに美味しそう、じゅるり。

 一方、続いて衣服を脱いだ翔霏の背中には、相変わらず痛々しい茨模様の痣が広がっている。

 ついつい哀しい気持ちに襲われてしまうけど、いかんいかん。

 小師さまも言っていたじゃないか。

 やってやると信じて決めたなら、できないことなんてないんだ。

 私も翔霏も、今までそうして進んで来たのだから、今回だって、きっと、為せば成るはずだよね。


「広い風呂だな。これは気持ちが良さそうだ」


 中に入り、むわっとした湯煙を浴びて翔霏が言う。

 温泉は良い文明、人の子が生み出した文化の極みだね。

 私も私もー、と逸る気持ちを抑え、ぬめる足元に気を付けながら浴槽に近付く。

 まずはしっかり体を洗わなきゃね、と桶にたっぷりのお湯をすくった、そのときである。


「壁になんか描いてある? いや、彫刻かな?」


 当然のように巨大な岩でドシンと構えられた、浴室の壁。

 入口から見て奥にある一面に、不可思議で巨大な模様が見えた。


「なにかの動物の骨だという話ですよ」


 ちゃぷり、と私の横で同じようにお湯をすくって体にかけながら、江雪さんが教えてくれる。


「大きいな。鯨か、鮫だろうか」


 軽い興味を示しながらも、翔霏はお湯に手を浸して、温度を確かめていた。

 そう、壁一面にへばりつくように形を浮かび上がらせるそれは、まさに海の生き物らしき骨格を示していて。

 私はそれに似たものを、子どもの頃に夢中で図鑑をめくり、見て読んだことがあるのを思い出し。

 叫んだ。

 叫ばずには、いられなかった。


「恐竜の化石だーーーーーーーーーーーーーー!!」


 私は足元が滑るのもすっかり忘れて、岩壁に見事に埋まっている巨大な古代生物の全身骨格化石へと、猛ダッシュしてへばりついた。

 もちろん、全裸で。


「うわーこれモササウルスかなあ? こんなに綺麗に全身骨格が残ってるなんて信じられな~い! ねえねえキミはいつどの時代のどこから来たなに子ちゃんなのぉ~? 火山灰とかに埋もれて化石になっちゃったのかなあ? 頭蓋骨おっきくて強そうで可愛いでちゅね~! あらここに喧嘩した噛み痕あるじゃん~痛そうでちゅね~~ん~ちゅっちゅっちゅッ!!」


 私が岩壁に埋没している海トカゲ的な化石にハイテンションで話しかけ、狂ったように頭蓋骨へとキスの雨霰を飛ばしている間。

 翔霏も江雪さんも、無言であった。

 でもいいもんね。


「小さい頃からの夢が一つ、叶っちゃったあぁ~~~ん!!」


 ほぼイキかけている私を見て、後ろの二人がどう思っているかは、知らない。

 はるばるここまで来て、良かった!!

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