二百四話 れおなにおまかせ IN THE WEST TEMPLE

「おいお前ら、人目のあるところでそんな無茶はやめろ。どうしてもやりたいなら誰も見ていないところでこっそりやれ。見てしまった以上、私は止めなきゃならん」


 崖から凧に乗って飛ぼうとしている五人の男性たちに、強い口調でそう命じる翔霏(しょうひ)。

 翔霏は自分の見えている、感じている世界を正直に捉える。

 せめて見えないところでやってくれとの言い分は、実に彼女らしかった。

 いきなり知らん女に口出しをされて、男性たちは少し驚いた表情を浮かべ、こう言った。


「はぁなんば口出ししよっとかこのズベタがぁ」

「そんかこと気にしちょらんと風呂ば入って化粧でもせんね」

「なんじゃいなそンか細う腰は。メシ食っとっとや?」


 彼らの言葉が意味するところ、具体的に言えばかなりのセクハラ発言を、翔霏は正確に理解できなかったようだけれど。


「そうか、喧嘩を売っているんだな。運動不足でむしゃくしゃしていたところだ。いくらでも買ってやる。足腰が立たなくなれば飛び降り遊びも諦めるだろう」


 彼らの敵意だけは、しっかりと伝わってしまっていたようだ。

 コテンパンに叩きのめしてしまえば、飛行実験どころではないというのは、確かにそう。

 いやいや、いかん、いかんですよ暴力沙汰は。


「ちょっと落ち着いてよ翔霏。問題なんて起こしたら追い出されちゃうかもでしょ」

「しかしだな」


 理由を付けて暴れたいだけではと疑いつつも、私は翔霏と男性陣の間に割って入る。

 そして、彼らが組み立てた布製の大凧を見て、独り言のように呟いた。


「骨組みが細すぎて、折れるんじゃないかなあ」

「なんじゃあ!? 素人は黙っとらんかいな!!」


 横から口を挟まれたことを心外に感じたのか、年長そうに見える男性が怒鳴って来た。

 私たちと男性陣が睨み合いを続ける。

 最年少らしき坊主頭の少年が、怒れる仲間たちに小声で耳打ちした。


「飴をくれた女だ」


 この子はあまり訛っていないので、昂国(こうこく)か、あるいはその近隣出身なのだろう。

 まだ口の中に飴が残っている男たちは、若干に気不味そうな顔を浮かべて。


「お、おう、そうやったとや」

「ええ心がけじゃ」

「オイも干し肉ば余っちょるから食わんね」

「ほうじゃほうじゃ、いっぺ食うて肥(ふと)っとらさあないな」


 味付き干し肉の燻製を、私と翔霏に寄越した。

 完全にこちらを敵視ばかりしているわけではないらしいのは好材料ですね。

 そしてどうやら、女性はふくよかな安産型であるほうが望ましいというのが、彼らの価値感らしい。

 余計なお世話だわよ、と思いつつ、貰った肉はありがたく食べる私。


「もぐもぐ、それでですね。みなさんが作った大凧と言いますか、人が装備できる羽根と言いますか、その強度の話ですけど」

「ちゃんと試しに模型ば作って飛ばしとうとや。そんか簡単にこっぱげるわけなかったい」


 さっき飛ばした小型飛行機のことか。

 なるほど、人間が本番で飛ぶ前に小さくても模型を試作して試験飛行させるのは大事だ。

 その辺りは彼らもちゃんと弁えているらしい。

 けれどここには一つ、大きく文字通り「重い」問題が潜んでいるのだ。


「ええとですね。小さな模型と、大きな実物とでは、当然ですけど重さが違いますよね。物体と言うのは表面積が大きくなればなるほど、単純な比例ではなく累乗の比例で重くなるということを計算に入れていますか?」


 私の発言に、五人それぞれが顔を見合わせる。

 あっと気付いたように、背の高いヒョロっとした男性が眉間にシワを寄せて言った。


「……面積は掛け算が二つ、体積は掛け算が三つっちゅうことタイね」

「その通りです。ご理解いただけてなにより」


 さすがにここ小獅宮で学んでいるだけあって、数学の話も通じるようだ。

 どんなものでも、重さと言うのは全体の体積に相関して大きくなる。

 小中学生レベルの簡単な算数で言うと、面積なら縦×横、体積なら縦×横×高さで表すのはおなじみだろう。

 掛け算の回数が二つだから面積を表す記号は「㎡」と、2がつくわけだ。

 そして掛け算の数が三つになる体積は「㎥」と3がつく記号で表されるのは、普通教育を受けた誰もが知るところだね。

 水を入れる四角いマスがあったとして。

 一辺の長さが仮に2倍になったら、表面積は二乗の4倍になり、体積は三乗の8倍になる。

 体積が8倍と言うことは、中に入っている水の重さも8倍になるわな。

 重さと言うのは大きさに対して単なる一次比例ではなく、累乗数の比例になるのだ。


「小さい模型では耐えられた竹や布の強度も、形だけ大きくした凧だと重みに耐えられない可能性があるってことか」


 飴をねだった坊主少年が、無表情ながら核心を突いた答えを口にした。

 私の言いたいことはまさにそれです。

 大きいものはそれだけ重いので、小さいものよりも強固な骨格なり構造体が必要になる。

 デカすぎる昆虫がこの世にいない理由の一つは、昆虫のように内部骨格が存在しない生き物は、巨大化すると自分の体重で自壊するからだ。

 それを解決するためには体の内部を筋肉で埋める必要があるわけだけれど、そうすると内臓や生殖器の割合が小さくなってしまう。

 おまけに筋肉が多すぎると、たくさんのエサと酸素を必要としてしまい、生き物として非常に「燃費が悪い」状態に陥るのだね。


「そうそう。特に人が乗ることを考えたら、人が乗る部分の竹棒や接続部分に、下方向の力が余分にかかっちゃうよね。それに加えて小さな模型よりも累乗的に空気の圧力も各部分にかかるんだから、部品ごとの強度の実験をまた別でやってみて、そのあとで挑戦した方が良いと思う」


 私は彼らを刺激しないように、努めて穏やかな口調で説明する。

 彼らのチャレンジを止める資格は私にはないし、正直に言うと彼らの取り組みの先になにがあるのか、見てみたい気持ちも強い。

 人が空を飛びたいなんて、素敵なことだからね。

 けれど翔霏が言うように、私が居合わせたまさにその場で、失敗の悲劇の可能性が高そうであるならば、なにかしら言っておかないと気が済まないんだ。

 私が自信満々に忠告するので、男性たちも少し勢いをひそめる。


「な、なんね。ぬしゃあ、素人と違うたんかい」

「具体的に、どん部分が脆そうばい?」


 口々に言って、大凧を引っさげた男たちはあっと言う間に私を取り囲んだ。

 一悶着なくても事態が平穏に収まったことに、翔霏は少し憮然としていたけれど。


「竹ひご同士を結んでいる縄に力がかかったら、竹の縁(ふち)で切れるだろう」


 と、的確な助言を彼らに与えた。

 そう、彼らの作った大凧の骨組み部分には割り裂いた細い竹を使っているのだけれど、割った後の竹の端面を面取りしていなかったのだ。

 割った竹はその縁で誤って手を切るくらい鋭いので、竹ひごを交差して結わえつけている麻縄なんかが、飛んでいる最中に擦れて切れると思う。

 私もそれに関連して、気になっていた部分を補足した。


「人が乗る格好になるってことは、人が左右に体重移動をして姿勢支持をすることになると思うんです。そうなると人が掴む部分とその接続元へ左右水平方向にかなりの力がかかることになるので、そこは徹底的に接合接着を強化しないとダメだと思います」


 広げられた大凧を前に、この部分がどうだ、あの素材はどうだと、すっかり彼らのお仲間になって意見を出し合う翔霏と私。


「ばってん、オイは膠(にかわ)を使うたるんがよかけんと言ったじゃろが」

「竹は細く切ったもんを向い合せに束ねたらどがんね」

「麻より軽うて強い縄なんぞあったとや?」

「絹だな」

「高うて用意できんがね〜」


 議論はその後も白熱し、意見を出している中でもう、翔霏も彼らのチャレンジを止める気がなくなっていた。

 そんなことをするなと言うよりも、どうすればできるのかを話す方が、誰だって楽しい。

 翔霏だってもともと彼らの邪魔をしたかったわけではなく、純粋に安否を心配したからこそ止めようとしたわけだし。

 前のめりに崖から飛び出したがっている彼らだけれど、それ以上に議論が好きそうな性質を利用して、この場は対処させてもらいました。

 これぞ北原流詭弁詐術奥義「論点本題すり替えの術」である!

 真剣に飛びたいんなら強度は大事な問題だし、そこまで論点をすり替えてるわけじゃないんだけれどね。


「いけん、もうお日さんが傾き始めたとよ」

「また改めていろいろやり直しばい」


 道具を撤収して、屋上から引き上げようとする男性たち。

 

「竹は軽く焼いてから干した方が強くなるぞ」


 翔霏が彼らにアドバイスして、お互いに手を振って別れた。

 山育ちの翔霏にとって、竹や木材の扱いは慣れたものである。

 さて私たちも部屋に戻ろうかと、降りる階段に向かったとき。


「助かった」


 最後まで残って崖の下を眺めていた坊主頭の少年に、お礼を言われた。


「いいってことですよ。見ず知らずの私たちが邪魔をしちゃってむしろごめんなさい」


 目の前で飛び降りスプラッタを見ずに済んだ私も一安心。

 結局のところ、翔霏も私も自分の都合で口出ししたに過ぎないのだ。

 気にしないでちょうだい、と軽く告げた私に、それでも少年はしっかりとこっちの目を見て。


「俺は尾州(びしゅう)の正氏(せいし)が生まれ、山泰(さんたい)だ」


 固い口調でそのように自己紹介した。

 挨拶は大事、古い書物にもそう書いてあるからね。

 ほう、除葛氏(じょかつし)の面々や毛蘭(もうらん)さんと同じく、尾州の人だったのか。

 尾州は沸教(ふっきょう)が盛んだと言うので、その縁もあって修業に来たのかな。


「翼州(よくしゅう)の紺(こん)、名は翔霏だ」

「同じく翼州の麗だよ。名前は央那。みんなからはレオナって呼ばれてるけど、どっちでもいいよ」


 私たちも名乗りを返し、満足したように山泰くんは頷いた。


「また、屋上で」


 短く言い残して、彼は去って言った。

 なんかもう、完全に飛行サークルのお仲間にカウントされちゃってますね、これは。


「どうしよっか、翔霏」

「ここにいる間の話だけだろうし、構わんのじゃないか。アホの見守りは私たちの得意技だろう」


 確かに、と笑って私たちは部屋に戻った。

 もし私が空を飛べたら、もしも鳥だったら、どこへ行くだろう。

 神台邑(じんだいむら)の周囲にしか結局は居つかないような気もするし、翠(すい)さまの実家がある角州(かくしゅう)と、翼州と首都の間を行ったり来たりしているかもしれない。

 まだ見ぬ昂国(こうこく)の南半分へ、物見遊山で飛んで行くかもしれないな。

 無限の可能性を想い、その夜はぐっすり気持ちよく眠れた。

 想いと願いに境界はない。

 大空の下、いやそれすらも超えた宇宙の果てを、想うまま自由に翔け廻るのだ。

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