二百二十話 いえす、うぃーきゃんふらい!

 小獅宮(しょうしきゅう)、その屋上である。

 見慣れた男どもが、今日も今日とて地上と空を見つめている。


「風がなかったい」

「午後から荒れるば言う話じゃ」

「雨はいかん、雨はいかんきに」


 まだまだ飛行同好会は行きつ戻りつの議論を続けていて、実際に飛び立つことはできていない。

 彼らの夢と大志が道半ばの状態で昂国(こうこく)に帰るのは若干の心残りがある。

 けれどお天道さまを相手にしている取り組みである以上、タイミングが合わないのは仕方のないことだった。


「次に来るときまでの楽しみにしておくよ。山泰(さんたい)くんも無茶しないで、体に気を付けてね」


 私が小獅宮で作った数少ない男性の友だちの一人、山泰くん。

 むっつり顔で模型を組み立て続けている彼は、ちらりと私の方を見て。


「これ、漣(れん)姉さんに渡してくれるか」


 と、手にある玩具の鳥を私に押し付けた。

 山泰くんは後宮の妃、東苑(とうえん)の貴人を務める除葛(じょかつ)漣さまの幼馴染なのだ。


「え? うん、もちろんいいけど。うわすごいよくできてるねこれ」


 大きめの羽と楕円形の胴体を持ったその鳥は、造りものだというのに今すぐ自分で飛び立ちそうな生命力すら感じた。


「投げればちゃんとそれなりに飛ぶ。水にも浮かべられる」

「こういう玩具、漣さますっごい好きだから大喜びすると思うよ! さすが同郷の幼馴染、よくわかってるねえ! この色男! 年上殺し!」


 私が下品に大絶賛すると、山泰くんは耳まで真っ赤にしてそっぽを向いた。

 いや本当に、この手の可愛らしくも細部までしっかり作られた玩具は、漣さまの趣味に完璧に合致しているに違いない。

 東苑の中庭でこれを投げ飛ばしたり、池に浮かべたりして軽やかに笑っている漣さまと、それを真面目くさって見守る孤氷(こひょう)さんの顔がありありと浮かぶよ。

 ホクホク顔で私が鳥模型を両掌に乗せて眺めていると、山泰くんがか細い声でなにか言った。


「お前は」

「え?」

「帰ったあと、じょ……」

「なに、なんなの? 聞こえないんだけど」

「なんでもない」

「ンっだよ?」


 言いかけてやめるなんて男らしくねえなあ!

 なんて言ってはいけませんね、ジェンダー問題にうるさい人に怒られてしまいます。

 私は男性も女性も活き活き伸び伸び過ごせる社会を渇望する、新しい価値に目覚めた人類なので!


「風が出て来たな。向い風だ」


 飛び降りサークルの議論を静かに見つめていた翔霏(しょうひ)が、唐突に言った。

 そして、やおらに。


「お、おい」

「あン口ば悪か女、なにをしよるばい」


 男たちが意表を突かれているその合間、あっと言う間に。


「ふむふむ。ここを握って体重を傾けて、足はここにかけて……」


 彼らの作った大凧、パラグライダー様の飛行装置をひっ掴んで、翔霏は屋上の縁にあたる部分、いわば崖っぷちに歩いて行った。


「ちょちょちょ翔霏、なにやってんの! 危ないから戻って来なさい!」

「すまん麗央那。私は飛べる。なぜだか今、無性にそう思ったんだ。試してみなければ気が済まない。私になにかあったら、後のことは頼む」


 不吉なこと言わないで~~!!


「それはまだ調整中じゃ!」

「風も今は弱か! 命ばいらんとね!?」


 慌てて駆け寄る私たちを尻目に。

 微塵の恐れもない顔、躊躇の一つもない足取りで、大凧を頭上両手に掲げて翔霏は走る。

 まさに、自分を戒める地面も壁もなにもない崖の向こう側、目の前に広がる無窮の空へ。


「私は翔霏! 神台邑(じんだいむら)の紺(こん)翔霏だ! 空のひとつくらい、好きなように飛んでやる!!」


 ぶわあっと、柔らかな秋の風を受けて。

 背中には大凧、遠く腹の下には石の地面。

 大きくジャンプした翔霏はそのまま、優雅に小獅宮の前庭の真上を旋回して飛び、翔ける。

 凧はたっぷりと風の揚力を受け、翔霏の体を宙へと連れていく。


「はーはっはっは! 見たか、運命よ! 遥か天空の神々よ! この翔霏は、呪いにも病魔にも負けなかった! 私は飛べる! 翔べるんだ!!」


 私の十八番を奪うような、力強く、けれどどこか切ない、泣きそうでもある絶叫を放ちながら。

 巨大な螺旋を描いて翔霏は空の旅人になる。

 屋上にいるみんなも、なにごとかと前庭に出て集まった人たちも。

 誰もがしばし言葉を失って、楽しそうに、自由に飛ぶ翔霏を、どこか羨ましそうな視線で眺めていた。


「やりおった! やりおったばいあン女!」

「はぁワシらの組んだ大凧は、あんじょう計算通りじゃったとたいね!」

「人が、人が空を飛んじょる。これや、わぃらが心血注いで見たかった景色は、これなんや……」

「おんどりゃあ、俺の先を越しよってからに! 戻ったら覚えちょれ!!」


 号泣しながら、飛行同好会の面々がエールとも野次ともつかない太い声を、翔霏に飛ばした。

 私は彼らがここに至るまで、どれだけの時間と労力、情熱を注ぎ続けたのか、詳しいことは知らない。

 けれど、それでも。


「……人は、空を飛べるんだな。あの空は決して、届かない夢ではないんだな」


 いつもクールで朴訥とした山泰くんが、眼に涙を溜め、鼻をぐずらせながらそう言っているのを見て。

 本当に、心から。

 夢と願いを叶える力の強さを、全身全霊で思い知ったのだった。


「やろうと思えば、なんだってできるんだよ。世界は自分の手で、いくらでも変えられるんだからさ」


 私も滂沱の涙に濡れながら、年上のお姉さんぶった偉そうなことを、山泰くんに言うのでしたとさ。

 って、良い話で〆てる場合じゃねえ。

 冷静になれ北原麗央那。


「着地、大丈夫なのあれ!?」


 私は飛行男子の面々に改めて尋ねる。

 飛ぶだけなら良い。

 どうやら問題なく、空中遊泳は可能だと翔霏が立証してくれた。

 でもあの大凧、着地するときの安全機構とか、マジでないよね?


「わ、わからんばい」

「誰も飛んだことありゃせんけえのう」

「上手いことこう、くるっ、すたっ、と、どげんかしてもらわんことにゃあ」


 はい、まったく考えてなかったんですね、その辺のことは。


「アホかお前らーーーーーーーッ!!」


 怒号を上げて私は階下に降り、いずれ着地するであろう翔霏の行方を注視する。

 結構なスピードが出てるし、岩とか樹とかにぶつかったら洒落にならないじゃん!

 そもそもちゃんとしたパラシュートだって、降下着地にはそれなりの訓練を積まなければいけないんだぞ!


「翔霏ーーー! 大丈夫そうーーーー!?」


 前庭にまで降りた私は、まだ十分に風の力を制御して宙を舞い続けている翔霏に安否確認を取る。


「麗央那ー! 最高の気分だぞーー! 独り占めして本当に悪いなーーーッ!!」

「そういうことを聞いてるんじゃないんだけどーーーーーー!?」


 ざわざわと大勢の人が集まって来た、小獅宮の入り口、前庭。

 

「と、飛んでる……」

「鳥か?」

「大凧か?」

「いや、女の子だ! あれは人が操ってる! 女の子が飛んでるんだ!!」


 右へ左へ、西へ東へ。

 ゆらあ、ふああ、と飛翔する大凧の少女を、みんなが首を振って追っている。

 そのうち、高度をやや落としてきた翔霏と凧は、流れるように滑降して。


「き、樹にぶつかっちゃうよ!」

 

 いつの間にか来ていた獏(ばく)さんがそう叫んだ通りに、前庭の奥にある小さな林の中に突っ込んで行った。


「翔霏! ねえ大丈夫なの!? ちょっとこんなところでこんな理由で死んだらマジ許さないんだからね! 私を一人ぼっちにしないでよ!!」


 親を求める幼児のように泣き叫びながら、私は林の中へと全速力で駆けて行く。

 正直、翔霏が死ぬようなことはないって絶大な信頼があるから、本気で言ってるんじゃないのだけれど。

 今の翔霏は、覇聖鳳(はせお)たちと戦っていたときより数段、弱くなってしまっているからねえ。

 万が一、もしかしたらということは、予期しない最悪のときにこそ、いつだってあるのだ。


「……あいたたた。麗央那か。大丈夫だぞ。手足をちょっとぶつけてひねったくらいだ」


 木々の奥から、大破してボロボロになった大凧の残骸を引きずり、翔霏が現れた。

 小枝や草が体中にまとわりついている。

 林の木々と落ち葉でふかふかな地面が、クッションの役割を果たしてくれたのだろう。

 自然の力にマジ感謝! そこはかとなく感謝! YO!


「いきなりあんなことするから、なにかと思ったじゃん、バカァ~……」


 びえんと泣いて、私は翔霏の胸に抱きつく。

 せっかく呪いが解けたって言うのに、思いつきで死なれちゃたまりませんよ、ホント勘弁してください。

 私の頭を撫でながら、翔霏は愉快な気持ちをこらえきれないという風に、半笑いで言った。


「実は最初見たときから、あいつらが空を飛ぼうと本気で遊んでいるのが、羨ましかったんだ。いつか機を見て私が一番先に飛んでやるんだ、そのときにあいつらはどんな顔をするだろうとずっと考えていた」

「それ根性曲がってるよ~~」


 翔霏は普段、それほど遊びに熱中するタイプではない。

 けれど途方もない夢に向かって楽しそうにしている飛行男子たちを見て、羨ましい、ずるいなと、幼稚な嫉妬を抱えていたのかも。


「願いを果たしてやって、正直、たまらない。今夜も酒を飲むかな」


 呪いに苛まれ、鬱屈としていた翔霏だけれど、自分なりに気持ちの逃がし道というか、心の風穴は用意していたんだね。

 呪いが解けた暁には、自分が真っ先に空を飛んでやろう。

 そう思い願い続けたことが、翔霏の「今」を導いてくれたのだ。

 私に続いて獏さんと、そして山泰くんたち飛行同好会の面子がやいのやいの言いながら集まって来た。


「翔霏ちゃん、怪我はないかい? 僕が負ぶって運ぼうか?」


 スケベは引っ込め。


「はぁやってくれたばいね小娘がぁ!」

「落ち着かんね。まずは凧ば操っとる感覚を検証せんといかんばい」

「今くらいの風なら、問題なかっちゅうことやけんな」


 うるさい連中に囲まれて質問攻めにされる翔霏。

 自分は平気だと両手をぷらぷらさせたのちに、質問の一つに答えた。


「握り手が硬くて手が痛いな。最後も私だからなんとか無事に着地できた。お前らでは無理だ。死ぬか、良くて骨折だろう」

「や、やっぱそうなるんかいや……」

「余計なもんば付け足す余裕は、なかったい。これからン課題じゃの」


 わかってたなら、飛ぶ前にどうにかしろよぉ!

 ツッコミが追い付かず辟易する私。

 今まで泣いていたことを悟られないように、しっかりと顔を拭き終わってからここに来た山泰くんが、いつもの冷静な口調で重ねて聞いた。


「どんな気分だった。鳥の気持ちが、あいつらが見ている世界がわかったか」


 その問いに翔霏は。


「そうだな……飛んでいるときの気持ちと言えば……」


 感慨深げに呟き。

 空を悠々と巡るトンビを見て、言葉を区切ったのちに。


「私だけの、宝物にしておこう。お前らが無事に飛べたとき、またその話をしに来るよ。せいぜい死なない程度に頑張れ」


 今まで見た中で間違いなく最高の笑顔で、誇らしげに、楽しげにこう答えた。

 明日、私たちは小獅宮を去る。

 最後の日に悔いを残さず、自由に思うがままやり切った翔霏。

 その顔を見て私は、ここまで一緒に来て、翔霏を小獅宮まで連れて来て本当に良かったと、心から思った。

 頑張って翔霏を説得した、過去の私。

 あんた、間違っちゃいなかったよ。

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