二百七話 小さな勇気と大きな希望

 翔霏(しょうひ)が助かるためには、翔霏自身が、弱くならなければならない。

 誰よりも強く、美しく、気高い彼女のありようを変えなければ、翔霏の体を覆う呪いは解けることはない。


「そんなこと、私の口から言えるわけない……」


 どんよりしょんぼりした最底辺の気分で、私は自室に戻ることもできず、無意識に屋上へ向かっていた。

 なにより翔霏が、そうまでして助かりたいと思うだろうか。

 元々翔霏は、長生きや平穏への希求自体が凡人よりはるかに薄い。

 自分は強いから切った張ったをしても死なないと慢心しているのではなく、死んだら死んだでそれまでだと考えているフシがある。

 数字をカウントしない翔霏の人生観は、日々を積み重ねることよりも「今、やりたいことができるかどうか。今、そうでありたいと思える自分であるか」を重視しているのだ。

 なりたくない自分になってしまってまで、呪いを解きたいと思うだろうか。

 いつか、白髪部(はくはつぶ)の大統である阿突羅(あつら)さんを前に、翔霏が堂々と言い放った言葉。

 ここ小獅宮(しょうしきゅう)に来る直前、翔霏がひっそりと私にだけ、泣きごとのように漏らした言葉。


「私は、私でなくなることが一番、怖い」


 その声が、私の身体と頭蓋を責めるように反響し続けていた。

 翔霏の恐怖は、予感は、当たっていたのだ。

 屋上に着いた私は、どうしていいのかもわからずまったく途方に暮れて、曇り空を眺めるばかり。


「ふむ」


 端っこには、飛行サークルの一員であり昂国(こうこく)尾州(びしゅう)生まれの坊主男子、山泰(さんたい)くんが立っていた。

 飛び降りたいわけではなく、模型飛行機を飛ばすところのようだ。


「あ、プロペラ」


 山泰くんの手にある模型飛行機、その前部には、風車のような回る羽の機構が付属されていた。

 飛行機がプロペラを持つ利点は、プロペラが回った後部の空気の流れを強制的に整えることができることである。

 ただの平面的な羽しか持たない飛行機は、周囲から浴びる空気の力をそのまま、方向的にも変化する余地なく使うことしかできない。

 それがプロペラを備えることによって「飛行に都合の良い空気の流れ」を意図的に作り出すことができるのだ。

 山泰くんが計算や観察実験の果てにその理論に到達したのかどうかはわからない。

 竹トンボや風車で遊んでいたことを思い出して、飛行装置になにか役に立つのではと、なんとなく思いついたのかもしれない。


「行けっ」


 短く、しかし決意のこもった声で呟き、山泰くんは模型を放り飛ばした。

 プロペラが備えられたことで前の部分が重くなりすぎた模型は、滑空する気配もなく、放物線を描いて崖の下に落ちた。


「誰だァ上からゴミ投げてるやつはぁーッ!?」


 下層にいた誰かが、屋上に向かって怒鳴った。

 山泰くんはまるで気にする風でもなく。


「フン、次だな」


 そう言って、道具袋から出した別の模型部品を組み立て始めた。


「残念だったね」


 近寄って声をかけた私をちらりと見た山泰くん。

 すぐに手元の工作に戻り、私に聞かせたいのか、独り言なのかわからない声量で話し始めた。


「俺が一番、体重が軽い」


 飛ぶ夢を共有する五人の中で、彼が最も若く、小柄だという話だろう。

 それがなんの話に繋がるのかわからない私は、黙って彼が続きを述べるのを待つ。


「だから俺が飛んだ方が良いのに、兄さんたちは許してくれない」

「それは、そうだよ……」


 大きな羽を携えて、崖の上から飛び降りる。

 誰かが実際にチャレンジしなければ、人が飛べるのかどうかを確かめようがない。

 その「誰か」が、一番若い山泰くんであってはいけないと思うのは、常識知らずの連中たちにとっても、ギリギリ残った最低限の人情というものだろうよ。


「別に長生きしたいわけじゃないのに」


 彼がぽつりと言ったその言葉。

 私は、翔霏のことを考えていたこともあり、胸がえぐられるようだった。


「そんなこと言っちゃ、ダメだよう。元気で、健康で、立派な大人にならないと」


 卑怯者の私は、きっと翔霏に対して言えない言葉を、身代わりのように山泰くんにぶつける。

 他人だから気楽に言ってしまえるなんて、本当に汚い女になってしまったものだ。

 けれど山泰くんは私の苦悩を知らぬ顔で、淡々と自分のことを語った。


「父さんも兄さんも死んだ。俺も死ぬはずだった。やりたいことができるなら、こんな命、いつなくなっても良いんだ」

「し、死ぬはずだった、なんて。ちゃんと生きてるじゃない。なおさら、お父さんとお兄さんの分も、幸せにならなきゃいけないじゃない。なにがあったか私は知らないし、きっと辛いことだったんだろうけど……」


 知らない、と私が言ったことに少し驚いた顔を山泰くんは見せた。

 そして、訊いた。


「あんた、中書堂から来たんだろう。百憩(ひゃっけい)や除葛(じょかつ)姜(きょう)とは知り合いなんだって聞いたぞ」

「え、うんそうだけど。やだな、そんな噂まで知られちゃってるの」


 プライバシーゼロかよ、私。

 まあ中書堂の毒蚕(どくさん)とか、後宮の毒女とか呼ばれてましたからね。

 って、その話を広めてるの、まさか獏(ばく)の野郎じゃねーだろうなオイィ!?

 複雑な顔を浮かべる私に呆れたように、山泰くんは続けた。


「俺の父さんと兄さんは、除葛姜に殺された。反乱の片棒を担いだとかの罪だ。俺と母さんはやつが山と積んだ刑死者の首を、州都の広場に見に行ったんだ」

「え」


 十数年前に大規模な反乱が起こった、尾州(びしゅう)。

 その地の生まれである山泰くんは、凄惨で過酷な内乱の関係者だったのだ。


「俺はまだ小僧だったから見逃された。その広場で見たんだ。地上ではこの世の地獄が広がってるってのに、空高いところではトンビが我関せず悠々と飛んでいるのを。母さんが言っていた。みんなの魂は鳥になって飛んで行くんだと。だから俺は、鳥になりたかった」


 ぴーひょろろ、と鳴いて飛ぶトンビを見つめて、山泰くんは話を〆た。


「自由に鳥になって大空を飛べるなら、こんな命も体もどうだっていい。まだ俺には知恵も力も足りないようだが」


 そう言って、造りかけの模型飛行機を手でぐしゃっと潰して壊し、山泰くんは階下へ降りて行った。

 失敗作だったのかな。

 って、まさかとは思うけれど。


「ね、ねえちょっと待って? ひょっとして山泰くんのお兄さんって、後宮にいる漣(れん)美人の幼馴染だったりしないよね?」

「なんだ、そんな余計なことはよく知ってるんだな」


 どうでもいいことだ、とばかりに言い捨てて、山泰くんは去った。

 ああ、漣さまの許嫁とされていた若くして死んだ尾州の男性は、山泰くんのお兄さんだったのか。

 大事な人たちを失った山泰くんや漣さまは、もう伝えたいことがあっても、伝えることができないんだ。

 私は。

 年下であろう山泰くんに、うっかり説教されてしまった形になった私としては。


「めそめそ下向いてしょげてる場合じゃねえ!」

 

 自分を奮い立たせるように言い聞かせ、立ち上がる。

 私は、翔霏を誰よりも大事に想っているよ。

 私は、翔霏と一緒に、これからも幸せになりたいよ。

 伝えられるうちに、伝えないと。

 これからどんな翔霏になっても、一緒に生きて行くんだって。

 なにがなんでも言い聞かせて、翔霏が呪いを解く決意に導かないと。

 きっと私には、後悔しか残らない!

 伝えたい相手に伝えられなかった人が、世の中にはこんなにいるのだから!!

 

「翔霏! ちょっと大事な話があるんだけどォーン!?」


 勢いよく部屋に戻り、自分の心を盛り上げるためにわざと大声を出す。

 けれど、私の目の前に見える光景は。


「ありゃ。まだ戻ってないんかな」


 無人の、簡素な石室だった。

 夕ご飯近くになれば戻って来ると思うけれど、一刻も早く翔霏に会いたい。

 どこに行ったんだろう。

 早めのお風呂を浴びているのかしら、それとも食堂の手伝いかな。

 などと考えながら女子寮内の廊下をうろうろしていると。


「あら央那さん。ちょうどいいところに」


 いつもと変わらぬおっとり星人の、江雪(こうせつ)さんに出くわした。


「ちょっとすみません、翔霏を見ませんでしたか?」

「二層目東の奥堂にいますよ。ちょうどジュミン先生が学生さんたちを集めているところでした」

「え、集められてる? なんで?」


 講義の時間からは外れているし、もうじき夕食の時間だ。

 わざわざ医薬学の聴講生が一堂に集められているというのは、どういうことだろう。


「行けばわかりますので、一緒に行きましょう」

「はい、そういうことでしたら」


 どの道、翔霏に会って話をしたいのだから、行かない理由はない。

 さていったい、ジュミン先生はなにをみんなにお説教するつもりなのかねえ、長くならないと良いなあ、などと考えながら目的の場所に着くと。

 翔霏たち若い聴講生が取り囲む中、厳しい顔のジュミン先生が中央に立って、こう言った。


「極めて悪い報せです。ふもとの町で、よくわからない熱病が流行しはじめました」


 本当に、言葉通りに悪い話で、周囲は一気に騒然となった。

 え、あの、翔霏とゆっくり落ち着いてお話をしたいんですけれど、そういう雰囲気じゃねえなこれ?

 

「流行り病か……」


 翔霏もごく小さい頃、神台邑が水害冷害に遭ったことで疫病が多発し、兄代わり姉代わりだった知り合いを多く亡くしている。

 翔霏より少し年上の人たちが邑に少なかったのは、そのせいもあるのだ。

 みんなの顔を見渡して、ジュミン先生は力強く言った。


「私たちは生活の糧の多くを周辺の町や邑のご厚意に頼って暮らしています。私は小獅宮で教鞭を執るものの一人として、一刻も早い事態の解明と防疫、治療の対処のために現場に赴きたいと思っています。感染してしまう恐れが強いのであなたたちに強制はいたしませんが、もしも手を貸して下さる方がいれば心強く思います」


 全員に向かって頭を下げたジュミン先生は、ホワイトボード代わりの大石板に、必要な物資のリストを書き連ね始めた。

 殺菌除菌に有効と言われる藁の灰や石灰、石鹸などのアルカリ物質。

 薬用の蒸留酒や塩、綺麗な布、食料、燃料、実験器具、その他もろもろ。


「現場に行くのは躊躇われるという方も、必要物資の準備にどうか手を貸していただけるとありがたいです。小獅宮の中にあるものを集めて、町の近くまで運んでくれるだけでも構わないのです。もちろん、外からの援助物資に伝手のある方の協力を頂けるなら、なおさら幸甚の至りというものです」


 書きなぐるような手つきであらゆる物品の名を石板に羅列したジュミン先生は、誰とも視線を合わせようとしなかった。

 顔を見てしまえば、あなたに期待していますという気持ちとして受け止められてしまうからだ。

 公平公正、自主自立を掲げる学問の場である小獅宮。

 ここでは、なにごとも当人の自由意思が尊重される。

 強制し命令して人を動員することはできないのだ。


「わたくしでよければ、おともさせていただきたいです」


 相変わらず危機感などなにも感じさせない、平淡な表情と声で真っ先に江雪さんが名乗りを上げた。


「荷運びくらいしか役に立てそうにないが、私も行こう」


 続いて翔霏が前に出て、ジュミン先生の指示を仰ぐ。

 きっと翔霏は打算とか貸し借りとか見返りとか、ここでお世話になっている恩とかすらも考えていない。

 やるべきことが目の前にあるなら、やるだけなんだ。

 私だって、チンケな毒女だけれど。

 そんな翔霏に並び立つ、ズッ友なんだからね!


「はいはい! 私も行きます! たぶん私、伝染病とかもう既にかかりまくっちゃってるから感染しないと思うんで!」


 なんてバカな話はないけれど、気持ちの問題で病を跳ね付けたい。

 いや、真面目な話として私、水疱瘡、麻疹(はしか)、風疹、溶連菌、手足口病、おたふくなどなど、おまけに小児結核や世界中で大流行したあのウイルスまで経験済みですからね。

 ちょっとやそっとのヘボ病じゃ、私の免疫抵抗力を突破できやしませんぜ、ふふふ。

 すでに日本ではワクチンを打たなくなった天然痘とか喰らうと、ヤバいかもしれんけどさ。

 私たちの盛り上がりにつられるように、ポツリポツリと声が続く。


「わ、私もなにか、ちょっとしたことなら手伝えますかしらね」

「病なんて怖くありません。日ごろの行いが良いもので」

「み、みんな行くなら、ウチも……」


 徐々に協力者の輪は広がり、結局はジュミン講座の生徒ほとんどが、なんらかの形で防疫対処に関わることになった。


「翔霏、この仕事が終わったら大事なお話があるから」


 もうへこたれた気持ちをすっかり払拭し、私は明るく言った。


「なんだ改まって。私はいつも麗央那の話を真面目に聞いているぞ」


 いつも変わらない翔霏が答える。

 そう、私たちは。

 なにがどう変わったって、変わらないんだ!

 空気の読めない流行り病なんぞに、まったく負ける気がしないね!!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る