第二十二章 脱皮
百九十二話 新しい戸籍を作ろう の 壱
昼を前にした司午(しご)別邸。
訪れた若手書官の涼(りょう)獏(ばく)さんは、開口一番にこう言った。
「央那ちゃんの身の上だと、このままじゃ小獅宮(しょうしきゅう)に行けないんだ」
「なんでやねんっ! 私のなにに文句があるんじゃいっ!!」
私は勢いに任せて獏の胸倉を両手でギリリと締め上げる。
いやまあ、私のような厄モノを受け入れてくれない場所があること自体に、驚きはないんだけれども。
あがあがともがきながら、獏さんは説明する。
「し、司午家は国内の氏族の中でも特に篤く恒教(こうきょう)を信奉するお家柄だろ? 玄霧(げんむ)どのや翠蝶(すいちょう)貴妃殿下を後見人に立てている央那ちゃんが、沸(ふつ)の重要施設である小獅宮に行くのは建前としても実際の手続きとしても無理があるんだよってぐぐぐぐるじい離しテ……」
「なあんだ、そんなことか」
ぽいっと獏さんの服から手を外し、フムと私は考える。
確かに翠さまも沸教(ふっきょう)の連中には、そもそも良い印象を持っていない。
重い呪いの解除と言う緊急の状況でなかったら、百憩さんに体を触られるなんてことは、司午家の方針として絶対に避けたはずだ。
そうか、司午家と沸教勢力は水と油か。
尻餅をついて、イテテとぼやきながら獏さんが私に訊く。
「そんなこと、って言っても重大ごとだろ。なにか解決する手立てでもあるのかい?」
ある。
と言うか手立ては見つけて、造るものだ。
「私の今の戸籍も、身寄りナシだと後宮で働くのに問題があるからって理由で、玄霧さんが仮に作ってくれたものでしかないんです。後見人の問題で西方に行けないなら、別の戸籍を作り直すだけですよ」
ただそれだけ、と軽く言う私に驚き、翔霏が異を挟む。
「し、しかし麗央那と司午家のみなさまの繋がりは、そんな簡単に切ってしまえるものではないだろう。私の解呪のために、麗央那にそこまでさせてしまうなんて……」
「逆だよ、翔霏。私と翠さまはなにがあっても繋がってるって信じてるから、戸籍がどうの、世話人や後見人がどうのなんてどうでもいいんだよ。紙切れ一枚変わったって、私たちの根っこはなにも変わらないんだから」
戸籍なんてたかが紙切れ、私たちの魂のありようには微塵も影響しない。
そうと決まれば、行動あるのみ。
私は幸運にも、目の前の問題を解決するための「アテ」がある。
「獏さん、ちょっと付き合ってください。東庁で場蝋(ばろう)さんと話したいんで。翔霏はのんびり待っててね」
「麗央那……」
心配する翔霏に手を振り、ずいずい歩き出した私。
ひょこひょこついてくる形で、獏さんが戸惑いながら問う。
「それはいいけどさ、なにか良い伝手でもあるのかい?」
「こう見えて私、中書堂の予備学官に推薦されてるんですよ。私を養子にして中書堂で学ばせたいって、ありがたいことを申し出てくださってる貴族さまがいるようで」
漣(れん)さまのお部屋で勤めているときに、馬蝋さんに言われたことだ。
私はそのお話を頭から否定するのではなく、今はまだ、と言う形で保留していた。
「す、推薦に貴族が後見人って……ハハハ、凄いな。僕が央那ちゃんくらいの頃は、まだ地方の試験に通るか通らないかでジタバタしてたってのに」
少し悔しそうに苦笑いして、獏さんは言った。
やっぱりちゃらんぽらんに見える彼であっても、自分の知性と努力に対して誇るところがあるのだな。
その気持ちは凄く素敵だし、大事なことだと思いますよ。
なんて思いながら、私は続きを返す。
「その方の家柄が、もしも沸教に理解のあるようでしたら、問題は全部解決しますよね? 養子になって、名目上は中書堂の候補生として、西方に留学って形にできないか、獏さんも知恵を貸してください」
「なるほど、なら央那ちゃんは僕の後輩になるかもしれないってことか。いいよいいよ、先輩として大いに知恵も力も貸してあげよう。お金の相談以外はなんでも気軽に話してくれればいいさ」
にかっと笑い、快く獏さんは私の求めるところに応じてくれた。
軽薄なチャラ男はハッキリ言って趣味ではないけれど、こういう男性が傍に居てくれると幸せだ、心が安らぐと感じる女性は、確かに多そうだな。
道の上であれこれ話し合い、東庁へ入って馬蝋さんを探す。
「おお、麗女史。ご友人のことは聞きましたぞ。しかし解呪のためには遠く刹屠(せつと)の国まで行かねばならぬとは……」
馬蝋さんに会うなり、私は前置きを全部すっ飛ばして、言った。
「私を養子にしていただけるというお話をいただいた貴族の方に、すぐに会わせてください! その方の子として精一杯に勉学に励み、お家の名を高めて国に尽くして見せます! どうかお願いします場蝋さん!」
マッハの土下座で額を地面にこすり付け、私は力強く嘆願する。
馬蝋さんの横では、獏さんが「これこれこういう事情で、司午家を後見人にしたままでは小獅宮に行けないのです」と説明してくれている。
なるほど、と理解した表情が半分。
もう半分、あまりの性急ぶりに困惑する表情も交え、馬蝋さんは叩頭する私の肩に手を置き、言った。
「一刻も早く、という気持ちは拙にも痛いほどわかりますが、物事には順序がございまからな。いきなり養子にしてくれと言ったところで、今日明日に話が着くことではありますまい」
「けれど、可能な限り、一日でも早くカタを付けて欲しいんです。翔霏の体がいつ、どうなるかわからない以上、すぐにでも西方に向かいたいんです。無茶を言っているのはわかっていますけど、どうか、どうかお願いします」
私が頑として顔を上げず、床に頭を押し付けたまま強引な要求をするので、馬蝋さんも困ったように長い息を吐いた。
私に比べてどこか緊張感や真剣味に欠ける獏さんが、軽い口調で馬蝋さんに尋ねる。
「ところで、央那ちゃんを養子に迎えてもいいとおっしゃっている貴族さまって、どちらのお家の方なんですか? 司午家と同じように、重く深く厳格に恒教に帰依なさっているお家柄だと、央那ちゃんの希望にはそぐわないから不味いですよね」
その質問に、馬蝋さんはウムと重く頷いて答えた。
「麗女史を養親として見守りたいとおっしゃっている家は、実は司午家を除いてもさらに二つあるのです」
「一つじゃないんですか」
思わぬありがたいお誘いが重なって、少し嬉しくなる私。
「左様。片方は、薄々麗女史も想定しておられるかもしれません。翼州(よくしゅう)公爵家の、塀(へい)氏です。翼州公は特に、神台邑(じんだいむら)を襲った惨禍で親を亡くした子どもらの行く末を案じ、心を痛めておられました」
「身に余るご厚情です。私の他、離散した少年たちも喜んでくれると思います」
私が知らないだけで、すでに軽螢(けいけい)たちは邑の復興に必要な支援を、翼州公から取り付けているのかもしれないな。
塀家のみなさん、やっぱり優しくて大好き。
「しかし塀家も皇家と同じく、恒教に篤く帰依する一族であれば、麗女史の西方行きの助けにはならぬでしょう。ならば残るもう一家となるのでしょうが……」
馬蝋さんは難しい顔で言いよどんだ。
なにか問題でもあるのかな。
そう思い、私は失礼を承知で言う。
「あの、私の方で選り好みなんてしてられる状況ではないので、どんな方のお誘いでも本当に、ありがたくお受けするだけです。あ、そのお家の方がもう、気が変わってしまって私なんかと関わり合いになりたくないというのであれば、そこは仕方ないですけど」
「いえ、そうではないのです。しかし、拙はそのお家の方と、麗女史の間に存在した些細な確執を、前に巌力奴(がんりきやっこ)から聞き及んでおりましたのでな……」
「確執?」
なんだろう、ハッキリ教えてもらっていいですか?
私は掌を中空に混ぜるように泳がせて、疑問と混乱の意思を示す。
馬蝋さんの代わりに、どういう訳か、獏さんがああと気付いて、答えた。
「まさか、西苑(さいえん)の兆(ちょう)佳人ですか? 呪いの人形だかなんだかの件で、央那ちゃんの知識と翠蝶貴妃の見事な裁きにやり込められたって噂の?」
懐かしー話だなおい!
以前、嫌っている宮妃を貶めようとして呪いの人形自作自演事件を演出した、兆(ちょう)博柚(はくゆう)というお妃が、翠さまと同じ西苑にいるのだ。
って、ちょっと待てィ。
「おいなんでテメーがその話を知ってるんだよ。女の園の隠された秘密だぞコラ」
くわっと目を剥いてガルガルと問い詰めると、獏さんは目を泳がせて言い訳した。
「い、いやあその、女官の人たちの間でも噂になってたし、僕以外でも結構な数の野次馬が知ってることだよ? 信じて?」
「生憎と獏さんへの信頼は私の中では無です。って、それこそ本当にまさかのまさかなんですけど」
私が馬蝋さんの顔を見ると、からかっている気配は微塵もない、真面目な顔だった。
「いかにも。常日頃から麗女史を養子に迎え、中書堂で思う存分学ばせてあげたいとおっしゃっているのは、博柚佳人のご生家、兆家です」
「嘘だあ」
私、あの人たちに好印象を持たれる材料、ないんですけど?
あ、あれか、シンデレラみたいに、自分の家の使用人的な立場において、昼も夜もいびり倒してこき使いたいとか思ってるのかな。
「嘘なものでありましょうか。そうですな、昨年に戌(じゅつ)の暴徒が朱蜂宮(しゅほうきゅう)を畏れ多くも荒らし侵そうとした事件、おおよそあの時期を境に、頻繁に博柚佳人と兆家の方々は、我々宦官に『あの麗という子は今どうしているのか』とお伺いを立てるようになられました」
「あ、ああ、あー」
鮮明に、脳裡に記憶がよみがえる。
後宮が覇聖鳳(はせお)の襲撃を受けたとき。
私も、宦官さんも、みんな力を合わせて一生懸命に頑張ったけれど。
そうだ、あのとき博柚佳人も、傷付いた人の手当てに自ら腕を振るい、怯える人たちを元気付け、一緒に、必死で戦っていた。
ひょっとすると、あのとき。
博柚佳人は私が翠さまに化けていることを、気付いていたのに黙ってくれた?
あの場では、私がああするしかなかったということを、言わずとも理解してくれていた?
だとすれば、ともに死地を潜り抜けて戦った絆が、私たちの間にそびえ立っていた氷の壁を溶かしたのかもしれないな。
その機微を知らない馬蝋さんは、あくまで時系列に沿った事実のみを語る。
「もっともその時期、麗女史に関してお話しできる範囲には限りがありました。しかし春に麗女史が漣美人、今は貴人でありますが、そのお部屋にお勤めされるようになって、また再び『あの子が我が家の養子になってくれるにはどうしたらいいか』という相談を兆家から受けるようになったのです」
なるほどねえ。
だから漣さまの部屋のお勤めが終わりそうな頃に、馬蝋さんが養子云々、中書堂への推薦云々という話を持ち出して来たのだな。
あらかたの話を理解して、私は決断した。
「博柚佳人に会ってみます。馬蝋さんもご一緒していただけますか?」
「それはもちろん。まずじっくり話し合われるが良いでしょう。どうなるにせよ、翠蝶貴妃にはしっかりご理解をいただく必要があると思いますが」
「そうですね、都合が合えば翠さまも話し合いの場に来てもらいましょうか」
慌ただしく後宮へと踵を返す私。
「央那ちゃん、僕は?」
アホ面を晒す獏さんに、ぴしゃりと私は告げる。
こいつは後宮に入れないからね、今日はお役御免だ。
強いて言うなら。
「司午別邸に行って、翔霏に『また近いうちに行くから』って言っといて。あとヒマなら想雲(そううん)くんの勉強でも見てやって」
「はいはい、わかりましたよーっと」
のんびりとした覇気に欠ける足取りの獏さんを横目に、私と馬蝋さんは朱蜂宮、暮らし慣れた西苑に。
「人の縁ってのは、どこでどうつながるかわからんなあ」
久しぶりに兆博柚佳人に会って、さてどんな顔で最初の挨拶をしようか。
草原を旅して、屈強な連中と命の瀬戸際を泳いだ私なのに。
無害な一人の女に会うだけのことで、気持ちも足取りも、重く鈍い。
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