第39話 母と娘



「本当に私を追って来てたんだ。びっくりだよ、衣遠。貴女って、私が思ってたよりずっと可愛い子どもだったんだね」


 志賀と黒須が戦闘を始める少し前。衣遠の母親である浅間 奏多は、、衣遠の方に視線を向ける。


「久しぶりに娘に会えたっていうのに、言うことはそれなんだね、お母さん」


 衣遠は胸の中に沈殿した殺意を抑え込むように、小さく笑う。


「え……? あ……」


 そして未だに事態を飲み込めていない夜奈は、奏多の姿を見た瞬間、力を吸い取られたようにその場に倒れ込み、そのまま意識を失ってしまう。


「……嫌なタイミングだな」


 そんな夜奈の姿を目の端で捉え、衣遠は吐き捨てるようにそう呟く。


 いくら探しても見つけられなかった母親が、何の前触れもなく気安く声をかけてくる。そんな事態を、流石の衣遠も想定していなかった。


 好機ではあるが、今はまだ戦う準備ができていない。衣遠にとって奏多は何より優先して殺したい相手ではあるが、彼女はこの世で最も死から遠い生き物。殺すには入念な準備がいる。……それに何より、今は状況が悪い。ここで衣遠と奏多が戦いを始めてしまえば、まず間違いなく夜奈は死んでしまうだろう。


「…………」


 進と出会う前の衣遠なら、そんなことは気にも留めなかったのかもしれない。でも今は、そんな小さなことで……手が止まる。


「ふふっ」


 そんな衣遠の心境を無視して、奏多は楽しげに言葉を続ける。


「時間が経つのって本当にあっという間だね。あんなに小さかった衣遠が、もうこんなに大きく綺麗になってるだもん。……どう? 学校は楽しい? 貴女のことだから、どうせ友達はできてないんだろうけど」


「楽しいよ。貴女さえいなければ、もっと何も考えずに楽しめると思う」


「あはっ、可愛いこと言うね。貴女、まだあの男を殺したこと怒ってるんだ。家族愛とかそんな機能、つけた覚えはないんだけどな」


「…………」


 衣遠が奏多を睨みつける。何もしていないのに、近くの壁にヒビが入る。衣遠はすぐにでも、目の前の女を殺してしまいたかった。けれど今の状況で、それが無理だというのも理解していた。


「私を殺したいなら、別にいいけどね。いくつかやりたいことはあるけど、別に執着はないから。ここで終わるなら終わるで、それで構わない。でも、無理でしょ? 貴女じゃ私を殺せない」


「試してあげよっか?」


 その瞬間、血でできた無数の槍が奏多の身体を串刺しにする。志賀と対峙した時よりも容赦のない、本気の殺意を込めた一撃。並の不死者なら、再生することもできずに死んでいただろう。


「ま、こんなところか」


 しかし奏多は、瞬きする暇もないほど一瞬で、再生してしまう。確かに死んだはずなのに、破れた服まで一瞬にして治ってしまった。まるで事象そのものを否定したかのような、超常の力。


 奏多は吠えてきた犬をあやすような優しい笑みを浮かべ、黒い髪をなびかせる。


「最強の不死殺し。永遠を否定する死神。何年経っても、劣化も成長もしない完璧な個。作ってる時は心が踊ったんだけど、所詮はこんなところか。やっぱり貴女は失敗作だ、衣遠。貴女じゃ私を殺せない」


「……お母さんも相変わらず、怪物だね。今ので死ぬとは思ってなかったけど、そんなすぐに治るなんてね」


「治るとか治らないとか、そういうことじゃないんだよ。貴女と私じゃ、深度に差があり過ぎる。いくら絶死の槍でも、心臓に届かないなら意味はない。だからこの結果は、当然と言えば当然なんだけど……少しガッカリだ。……ま、なんにせよ、元気そうでよかったよ」


 適当に言って、そのまま衣遠に背を向ける奏多。本当に、心底からどうでもいいと言うかのようなその態度。衣遠は忌々しげに、歯を噛み締める。


「待ちなさい! ……貴女、この街で何をするつもりなの? 吸血鬼とか占い師とか、どうせ貴女が裏で糸を引いてるんでしょ?」


「吸血鬼? ……あー、エルシーザのことね」


 奏多は足を止め、病院の方に視線を向ける。


「あの子たちのやろうとしてることは、凄く単純だよ。3年前の私の模倣の、そのまた模倣。神による世界の救済。私のやりたいこととは正反対の、子どものごっこ遊び。可愛いけど、馬鹿馬鹿しい。関わりたいとは思わない」


「……本当に?」


「疑うなー。こんなことで、嘘なんてつかないよ。……そもそも興味ないからね。神様とか、結局は人間の為のものだから。私には関係ない。……って、そうだ、衣遠。貴女は神様って信じてる?」


「いきなりなに? そんなの……私は信じてない」


「だろうね。人間行動原理は基本的に2つだけ。必要だからやるのか、気持ちいいからやるのか。完璧な貴女は神様を信じる必要はないし、何かを信じるという気持ちよさを理解することもできない」


「それは貴女も同じでしょ?」


「さて、どうかな。……神様なんていもしないものを、本当にいるかのように扱う。意味のないところに、意味を創り出す。それが貴女たち人間の知性の源。神様が実在しているかはともかく、神という存在が貴女たちに影響を与えているのは確かだ」


「……貴女が何を言ってるか、私にはよく分からない」


 衣遠は不愉快さを隠しもせず、眉をひそめる。……本当は、こんな風に会話なんてしたくはなかった。父親のことを抜きにしても、この女を嫌悪するに足る理由は腐るほど存在する。


 1000年を超え、なおも生き続ける不死の怪物。この女は1000年間、人間をオモチャにして生きてきた。今のこの人間の社会なんて、彼女からすれば積み木で作った街と変わらない。飽きたら蹴飛ばして、それで終わりだ。


「…………」


 けれど、殺さなければと分かっていても、衣遠は動けない。目の前の女は、10年前より明らかに力が増している。



 ──殺せるイメージが湧かない。



 奏多は鼻歌でも歌い出しそうな弾んだ声で、言葉を続ける。


「人が1番嫌がることは、殺されることでも犯されることでもない。自分の信仰を否定されることだ。エルシーザの子が、そんなことを言ってたんだよ。面白いと思わない?」


「……興味ないよ、そんなこと」


「でも、関係はあるでしょ? 貴女も他ならぬ人間なんだから」


「…………」


 討伐者をして『死神』と言わしめる衣遠を、奏多はただの人間だと言った。意識的なのか無意識なのかは分からない。それでも、奏多からすれば衣遠はもう、そこらの人間と何も変わらないのだろう。


「でも、考えてみれば当然だよね。犯すのも殺すのも、そこいらの動物どころか虫ケラだってやってることだ。交尾して死ぬ生き物はこの星に腐るほどいるけど、信仰心を持っているのは人間だけだ」


「……この国には、神を信仰してる人は少ないと思うけど」


「信仰は何も、神様にだけ向けるものじゃない。友達への想いも、恋人への想いも、家族への想いも、仕事への想いも、推しへの想いも、結局は全部、信仰なんだよ。人はみんな、他人の信仰を小馬鹿にしながら、自分だけは違うと思って生きている。……エルシーザはね、そういう世界を壊したいんだよ」


「……貴女が壊させるんじゃないの?」


「私ならもっと、上手くやるよ。あの子たちは、ちょっと派手に動き過ぎたね。……討伐者の精鋭、error code。そろそろ、あいつらが動く頃だ」


「貴女なら、誰が来ようと関係ないでしょ?」


「いやいや、私でもアレの相手はしたくないよ。あいつら頭おかしいからね。強いとか弱いとか関係なく、おかしい奴らが1番怖い」


 そこで奏多は、衣遠の方を流し見る。ゴミを見るような冷めた視線で、彼女は言った。


「だからね、衣遠。今の貴女は、全く怖くない。昔の方が、まだ怖かったかな。人間になった今の貴女は、ただの可愛い子どもと変わらない」


 奏多は楽しげに笑い、そのまま歩き出す。衣遠はそんな奏多を止めようと地面を蹴るが、それを遮るように奏多は言った。


「一個だけ言い忘れてた。……衣遠、貴女……男を見る目はあるんだね」


「……は?」


 瞬間、衣遠の顔から色が消える。


「蒼井 進くん、可愛い子じゃん。私に殺意を向けてくる人間なんて、中々いないよ? それにあの子の世界、あれは特別だ。なかなか利用しがいがありそうで、私は──」


 言葉の途中で、奏多はまた串刺しにされる。真っ赤に染まった世界から、血の雨が降り注ぐ。それら全ては剣となり、奏多の身体を串刺しにする。


「言葉の途中で酷いなー」


 けれどやはり、瞬きする一瞬で、奏多はそこに立っている。


「……化け物め」


「そうだよ、私は化け物なんだよ。今さらそんなこと言うなんて、衣遠は本当に馬鹿だよね。それとも、そんなに蒼井くんのことが気になるの?」


「貴女には、関係ない」


「でもそれって、本当に愛情? 貴女のそれも、結局は自分の好いた形を守りたいっていう、信仰に過ぎないんじゃないの? 貴女がその程度の価値観に縋ってるようなら、エルシーザの連中の方がずっと先を行ってるかもしれないよ? あの子たちは神を信じてはいるけど、縋ってはいないから」


「うるさい。そんなことよりお前……蒼井くんに何をした?」


 月ですら目を背けるような、衣遠の真っ赤な眼光。世界の全てが平伏する王の眼光に睥睨されてなお、奏多の笑みは崩れない。


「……なんだ。遊んでるだけかと思ってたけど、案外、本気なんだね。人を好きになる必要も、嫌いになる必要もない。不幸も幸福も必要ない。そういう完璧な個として作ったつもりでいたけど、やっぱり失敗だったか」


「だから、そんなことはどうでもいい。そんなことより蒼井くんは、どこにいるの?」


「さあ、どこかな。その辺探せば、死体が見つかるかもね?」


「────」


 衣遠の瞳から感情が消える。彼女はそのまま、目の前の外敵を排除しようと空に向かって手を伸ばす。……が、まるでそれを遮るように乱入してきた白髪の女が、衣遠の身体を突き飛ばす。


「……っ! 邪魔をするな!」


「あっ、あああああああああ……!!」


 乱入してきた女が、血の槍で串刺しにされる。不死者を殺す死の槍。それを受けた白髪の女は、そのまま地面に倒れ伏す。……が、どうしてか彼女はすぐに立ち上がり、また衣遠に向かって襲いかかる。


「その子はね、最近この街を荒らしてる吸血鬼。を見ると、見境なく襲いかかるんだってさ。私と違って死なないわけじゃないけど、なかなか面白い世界を持ってるみたいだから、少し遊んでみるといいよ」


「待て! 逃げるな!」


 衣遠は必死に手を伸ばすが、そこにはもう奏多の姿はない。まるで初めから存在しなかったように、気配そのものが消えてなくなってしまった。


「……くそっ」


 衣遠は珍しく吐き捨てるように息を吐き、乱入してきた白髪の女……吸血鬼に視線を向ける。


「……悪いけど今は機嫌が悪いから、手加減はできないよ?」


 吸血鬼は返事の代わりに思い切り地面を蹴り、拳を振り上げた。


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