第9話 本当のこと
神谷さんと話をしたあと。俺は夜空を観察するように空を見上げながら、浅間さんの住むマンションまで戻ってきた。
「神谷さん、なんかちょっと普段と雰囲気、違ったな」
もしかしたら俺が学校を休んでいる間に、何かあったのかもしれない。
「ま、興味ないけど」
でも今はもう、そんなことを考えているだけの余裕がない。もっともっと、楽しいことを見つけてしまった。正直、神谷さんのことも、宇佐さんと蓮吾のことも、全部どうでもいい。
「……それにしても、汚い部屋だな」
戻った部屋は、まるで強盗に入られた後のように荒れていて、足の踏み場もない。せっかく掃除をしたのに、またやり直しだ。これだと本当に、引っ越しをした方が手っ取り早いかもしれない。
「まあでも、あれだけ暴れたら当然か」
また掃除し直さないといけないな。なんてことを思いながら、自分の部屋に戻る。
俺の部屋は物がないから比較的、綺麗だ。俺には元々、絵を描くことくらいしか趣味がないから、引っ越ししたばかりだということを加味しても、広い部屋は不自然なまでに殺風景だった。
「……疲れた」
倒れるように、ベッドに寝転がる。浅間さんが用意してくれた、ふかふかのベッド。風呂に入らず眠るのは嫌いだが、今はこれ以上、動く気力がない。
「浅間さん、まだあの廃ビルにいるのかな?」
眠る必要がないと言っていた彼女は、今もまだあの赤い目で欠けた月を見つめながら、1人笑っているのだろうか?
「吸血鬼退治、か。こんなことになるなんて、想像もしてなかったな……」
目を瞑り、俺は数日前の来訪者のことを思い出す。
◇
絵を描こうとして、思わず鉛筆を折ってしまう。……なんて馬鹿な真似をしてしまった俺は、気分転換に料理でも作ろうかと思い、立ち上がった。
しかし、それを遮るようにチャイムが鳴って、1人の少女がやって来た。
「姉さん、私です。開けてください」
カメラ越しに見えたのは、中学生くらいの長い黒髪の女の子。……見覚えはない。きっと多分、浅間さんを訪ねてきた子なのだろう。
どう答えるか少し迷って、俺は言った。
「浅間さんは、まだ帰ってないですよ」
俺の声を聞いて、カメラの向こうで少女が驚いた顔をする。
「……貴方、誰ですか?」
「いや、俺はしばらくこの家でお世話になることになった──」
「ああ、貴方が姉さんの言っていた『可愛い男の子』ですか」
少女は、色のない目でカメラを見つめる。……向こうからはこちらの姿が見えないはずなのに、どうしてか見透かされているような気分になる。
「とにかく、開けてください。私は貴方にも話したいことがあるんです。というか、開けないなら勝手に入りますよ?」
「……って、言われてもな。俺1人で住んでるわけじゃないし、あんまり不用心な真似は──」
「いいから早く、開けてください。じゃないとここで、泣き喚きますよ?」
「どういう脅しだよ……」
何だか変な子だなと思ったが、でもまあセールスとかじゃなさそうだし、何より『姉さん』という言葉も気になる。そもそも浅間さんの知り合いなら、無碍に扱うこともできない。
俺は諦めて、その子を部屋に上げた。その子は遠慮した様子もなく足を組んでリビングのソファに座り、俺が用意したコーヒーに口をつける。
「私は、
「浅間さんの、妹さんか。……俺は蒼井 進。わけあってしばらくこの家でお世話になることになった、浅間さんの同級生だよ」
言って、俺もコーヒーに口をつける。浅間さんに妹がいるだなんて話は、聞いたこともない。……でも確かに言われてみると、雰囲気なんかがちょっと似てる。
「一応、確認なんですけど、貴方は知ってるんですよね? 姉さんの秘密を」
「秘密? いや、俺は何も知らないけど」
「……惚けてるんですか? 私は知ってる側ですから、隠す必要はないですよ?」
「いや、言葉の意味が分からないんだけど……」
「なんですか、その顔。まさか本当に……知らないんですか?」
少女……莉緒さんは、信じられないと言うように、俺の顔を覗き込む。
でも本当に俺は、浅間さんのことを何も知らない。同じ学校に通う、同級生の女の子。目を見張る程の美人で、運動も勉強も優秀。なのにどうしてか、いつも1人でいる変わった少女。
普通、あれだけ美人なら、馬鹿な男が声をかけたりするものだ。そういう無鉄砲な奴は、クラスに1人はいる。なのにそういった男ですら、あの真っ赤な目で見つめられると、何も言えなくなってしまう。
高嶺の花……というより彼女は、花畑に混じった造花。不自然なまでに綺麗で、綺麗すぎるが故に孤立している。浅間さんは明らかに異質で、異物だった。
そんな彼女が、飛び降りようとして失敗し、気を失った俺を助けてくれた。そしてどういう訳か、行くところがない俺を家に置いてくれると言った。……何か、お願いしたいことがあるみたいなことを言っていたが、その内容はまだ教えてもらっていない。
振り返ると、俺は本当に浅間さんのことを何も知らない。莉緒さんは考え込んでしまった俺を見て、呆れたように息を吐く。
「姉さんは、特別なんですよ。浅間グループの御令嬢なんて、姉さんの前では何の意味も持たない肩書き」
「……浅間グループって、日本一の大企業だろ? それが意味ないなら、何に意味があるのさ?」
「はぁ、貴方は本当に何も聞かされてないんですね」
「……もったいぶるようなことばっかり言うね、君。でも本当に俺は、何も聞かされてないよ」
「どうやら、そうみたいですね……」
莉緒さんは考え込むように視線を下げ、少しの間、黙り込む。そういう仕草は、浅間さんとは似ても似つかない。彼女は迷わないし、悩まない。どんな言葉でも、無理やり信じさせるような力が彼女にはある。
莉緒さんは諦めたように息を吐いて、口を開く。
「姉さんは、特別なんですよ。私と姉さんは姉妹ですけど、血は繋がっていない。姉さんは人間じゃなくて、もっと特別な──」
そこで莉緒さんの言葉を遮るように、またチャイムが鳴る。
「また誰か来たのか。……ごめん、ちょっと出てくる」
「……ごゆっくり」
立ち上がり、カメラを確認しようとしたのだが……その前に、どうしてか玄関の扉が開いた。あれ? このマンション、オートロックだよな? なんてことを思うが、とりあえず俺は玄関の方に向かう。
立っていたのは、もう夏なのにマフラーを巻きコートを羽織った長髪の男。……無論、この男にも見覚えはない。
「あの……すみません。どちら様ですか? 勝手に入ってこられると、困るんですけど……」
「…………」
男は言葉を返さず、流れるような仕草でナイフを取り出し、それを俺の心臓に……突き刺した。
「…………え?」
痛みを感じる間もなく、俺は地べたに倒れ伏す。……赤い血が流れる。それでもなお、痛みは感じない。
「あ」
そうだ。それで俺は、思い出した。どうして、忘れてしまっていたのだろう? 俺はあの日、確かに屋上から飛び降りた。身体中に走った痛みと、今と同じように血で真っ赤に染まった地面。
即死ではなかった。でも、数秒後には意識を失い、数分後には命を落とす。そんな大怪我だったはずだ。……そうだ。あの時俺は、確かに死んだんだ。ならどうして俺は、まだ生きてる? 今だって心臓を刺されたのに、どうして俺は……死なない?
──ここにいるのは、本当に……蒼井 進なのか?
「……っ!」
思考が霞む。どうしてか、浅間さんの言葉を思い出す。
『君に何があって、どうしてあんな顔で……泣いていたのか。私に君の痛みを教えて欲しい』
彼女は確かに、そう言った。……でも、泣いていたって、なんだ? あの日は雨が降っていた。そんな状況で屋上から飛び降りて血だらけの俺が、泣いているだなんて分かるものなのか? ……あの日、本当は何があったんだ?
疑問の答えが出る前に、身体に異変が起こる。胸に空いたはずの穴が、ひとりでに塞がっていく。
「……っ。確かにこれは……特別、だな」
どこか他人事のような言葉が、口から溢れる。目の前の理解できない現実に、頭が割れるように痛む。なのに、どうしてか俺は……笑っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます