第24話 鴉と血



 ルカ・カヴァリ……『鴉』と呼ばれる不死者の青年は、落胆していた。



「……結局、君も僕の理解者足りえないのか」


 カラスに喰われる少年を見下ろしながら、ルカは大きく息を吐いた。


 ルカは、産まれた時から1人だった。娼婦の子として生まれ、父親の顔も知らない。唯一の肉親である母親も、ルカを愛していた訳ではなく、彼が5歳になる頃にはルカを捨て、知らない男とどこかに消えてしまった。


 誰からも愛されず、誰も必要としてくれない。ゴミ捨て場のカラスだけが話し相手で、帰る家も食べるものも何もない。このままだと飢えて死ぬ。生きる為には、戦わなければならない。


 この世界は不条理だ。それでもルカは、生きたいと願った。


 それからルカは、生きる為なら何でもした。余計なものが何も残らないよう、ただ必死に生きた。……でも、ちっぽけは少年の力では、世の不条理に抗うことなどできない。


 盗みに入った家で捕まり、ルカは見せしめのように殺された。とても、呆気ない人生だった。路傍に咲いた花が子どもに引き抜かれたような、そんな呆気なく意味のない人生。



 首を斬られ、致死量の血が流れた。それでもルカは……死ななかった。



 不死者は死んで初めて、自らの異常を知る。ルカの傷がひとりでに塞がっていくのを見て、周りは恐れ慄いた。神を見るような……或いは、悪魔でも見るかのような表情。ルカはそんな周りの様子を見て、自分が特別なのだと知った。


 それからルカは、自分を殺そうとした者を全て殺し、小さな世界の王となった。誰からも見捨てられて育った少年は、ついに全てを手に入れるに至った。


「…………」


 そして、その全てに飽きるのに10年とかからなかった。飢えていた頃に望んだものは、全て手に入れた。もう決して、飢えることなどない。……なのにどうしてか、胸に空いた穴は塞がらない。


 ルカは、眠れない夜を恐れるようになった。何もかもを手に入れたはずなのに、飢えていた少年の頃より、ずっと強い孤独を感じる。いつしかルカは自暴自棄になり、夜な夜な暴れ回るようになった。



 そんなある日、彼は王と出会った。



 真っ白な髪をした、壮年の男。ひと目見ただけで、生き物としてのスケールが違うと悟った。勝てない。殺される。……やっと、終われる。ルカは男に、頭を垂れた。紛い物の神を殺しに、本物の神がやって来たと。


 ……しかし、その壮年の男は威厳なんてカケラも感じさせない軽い笑みを浮かべ、ルカが想像もしていなかった言葉を口にした。



「お前、俺の臣下にならんか? ちょうど、美味い紅茶を淹れる奴を探していたところだ。なに、下手でも構わん。どれだけ下手でも、100年もすれば上手くなる」



 そこから200年と少し、ルカはその男の為だけに生きた。男が自分の淹れた紅茶を美味いと言ってくれるその瞬間だけが、彼に生きているという実感を与えた。


 何をしても満たされることのなかったルカの心は、王への忠義に安らぎと充実を感じていた。



 そして、ある日。その王が、1人の女性を連れて来た。



 その女性もまた、とても美しかった。遥か極東からやって来たという、どこか人を飲み込むような雰囲気を持った女性。その女性も不死者であり、王と同じくらい長い時を生きてきたと語った。


 ルカは100年ぶりに、女性に見惚れた。特にあの漆黒の髪は、夜空がそのまま落ちてきたような美しさだった。皆、その女性を歓迎し、気づけば王とその女性の間に、これまた美しい1人の少女が産まれていた。


 その少女はとても聡明で美しく、何より……異質だった。不死者のルカから見ても恐ろしいと思うような何かが、その少女にはあった。……嫌な予感がした。ずっと目を逸らしてきた事実を突きつけられたような、そんな……不快感。



 そして少女は、王を殺した。



 偶然ルカは、その現場を目撃してしまった。赤い血に染まった世界。そこに倒れ伏す、最愛の王。王の死に顔は……どうしても、思い出すことができない。ただどんな理由があれ、あの女はルカから生きる理由を奪った。それだけで、殺すには充分な理由だ。


 ルカは、少女を追った。気が狂いそうになりながら、遠い異国の地で少女を殺すことだけを考えた。長い夜に狂いそうになりながら、復讐だけを寄る辺に生き続けた。そんな中、ルカは1人の少年を見つけた。


 一見、気弱そうなただの高校生にしか見えない。だがその瞳の奥には、底の見えない美しい闇があった。彼はとても、不安定だった。どこか自分と似ているような気もするが、本質的には全く別ものなのだろう。あの女ともまた違う、魂の異質さ。


 彼の中には、得体の知れない化け物が眠っている。それに気づかず生きるのか。それともその化け物に喰われ、この世界を飲み込むか。



 彼は、どちらにも転びうる。



 彼が日常を愛せば、きっと穏やかな生を送ることができるだろう。だが彼が一度、戦いを愛してしまえば、この世界は火の海に変わる。


「……美しい少年だ」


 あの女の、歪な異質さとは違う。その少年の魂は、ある種の芸術作品のように洗練されていた。ルカは、その少年に惹かれた。……だが彼は、あの忌々しい女に目をつけられてしまった。


 彼は浅間 衣遠に仕えている。気に入らないが、それはそれで構わない。寧ろその忠誠がどれほどのものか、試してみたくなった。それで壊れてしまうようなら、結局は見込み違いだったということだ。


「期待外れだよ、蒼井 進」


 結果として進は、ルカの言葉に惑わされ、生きることを諦めた。ルカはなに1つして、間違ったことを言ったつもりはない。……ただこの少年には、それを覆すような想いがなかった。


 たとえどれだけ間違っていようとも、どれほど非道であったとしても、忠誠を誓った相手がそれを望むなら、最後まで付き従うのが臣下の務め。


「君は美しいが、芯がない。それでは駄目だ」


 きっとこの少年は、正しさを愛していたのだろう。それ故、美しく見えた。……ただこの少年はその正しさを、これからあと何百年も信仰することができたのだろうか?


 この少年はきっと、善も悪も時とともに移り変わる曖昧な価値観だということを、知らない。揺るがない想いだけが時を越えるということを、まだ未熟な少年には理解できなかったのだろう。


「……っ!」


 頭が痛い。……浅間 衣遠が、こちらに近づいてきている。やはりあの程度では、時間稼ぎにしかならない。


「急がなければ……」


 この少年を喰えば、或いは浅間 衣遠に匹敵するだけの力を、手に入れられるかも知れない。……猶予はない。今の状況であの女に見つかれば、瞬きする間もなく殺されてしまうだろう。


 ルカはカラスを使い、衣遠をこの場所とは違うダミーの館に誘導していた。……が、やはりそれくらいでは大した時間稼ぎにはならないようだ。


 というかそもそも、あの女は──。


「……君も、中々しつこいな」


 そこで、ルカは不愉快げに顔をしかめる。カラスに喰われたはずの少年が、立ち上がった。彼の忠義……彼の想いは、どうやら本物だったようだ。薄っぺらい正しさよりも、重みのない後悔よりも、過去の大切な人たちよりも……この少年は、今の想いを選んだ。


「……はっ」


 忌々しいと思いながら、ルカはどうしてか……少しだけ、笑っていた。



 俺の世界こたえを見せてやると、少年は言った。



 ルカは素直に彼の生きる世界を見てみたいとも思ったが、もうこれ以上、遊んでいる時間はない。


「悪いな、蒼井 進。そろそろ主役が登壇する時間だ。端役の君は、ステージから降りてもらう!」


 カラスが、舞う。


 異界概念。自分が信じる世界のルールを、この世界に強制する異能。ルカがカラスを生み出し操れるのは、彼が孤独を嫌いながらも、最後まで人を信じることができなかったから。遠い昔、彼の話し相手は、一緒にゴミを漁るカラスだけだった。彼は裏切るだけの人間より、カラスに友愛を感じていた、


 黒い翼で、どこまでも自由に飛べるカラス。そんなカラスを、ずっと手元に置いておきたいと思った。ずっと側にいて欲しいと願った。そんな弱い心が、彼の原初の欲求。


「さあ、見せてみろ! 蒼井 進! 君の世界を! 君の生きる世界で、僕の地獄を打ち破ってみろ!」


 数多のカラスが、進に向かって襲いかかる。長い月日の果て極められたルカのカラスは、並のカラスなどとは比較にならない力を持つ。このカラス1羽1羽が、簡単に人を喰い殺せるだけの力を有している。ルカはその力で、王に近寄る討伐者を幾度も撃退してきた。


 いくら不死者とは言え、成り立てでまだ自分の世界も自覚していない進に打ち倒せるほど、甘い能力ではない。無限に増え続けるカラスを前に、進はなす術なく──


「……そうか。それが君の世界こたえか……」


 その瞬間、ルカは敗北を悟った。



 ──世界が赤く染まる。



 異界の血が、この世界に滴り落ちる。瞬きをした一瞬で、世界が赤く染まっていた。


 王を殺した、浅間 衣遠の異界。……ではない。これは彼女と同じ血の世界だが、浅間 衣遠の異界ではない。彼女と同じ、赤い血の地獄。それが、蒼井 進が彼が示した答えだった。



「──貫け」



 進のその言葉を合図に、カラスが血の槍に串刺しにされる。死そのものを宿した血を前に、カラス程度では抗うことなどできない。


「もう終わりか? 鳥使い」


 進が笑う。ルカは進からは見えないように顔を背け、泣きそうな顔で笑った。


 ルカは200年以上、王に仕えた忠臣だった。だが彼は一度として、王と同じ世界を見ることは叶わなかった。どれだけ長く仕えても、王とルカが同じ世界を生きることはなかった。ルカは王に憧れるだけで、彼の痛みを知ろうとはしなかった。



 だがこの少年は、浅間 衣遠のあの地獄を再現してみせた。



 進の能力は、浅間 衣遠と比べたら拙いものだ。多分これはきっと、彼の奥に眠る彼の本質が創る世界ではない。


 だがこの少年は、あの少女と同じ世界を生きると決めた。だから進には、衣遠の同じ世界を創ることができた。それはルカが何百年と憧れ続け、ついぞ叶わなかった願い。彼の示した答えは、想い人と同じ世界を生きるという、真っ直ぐでとても美しいもの。



 ルカの200年は、少年の一瞬に飛び越えられた。



 カラスが見上げた空に、進が生きる世界があった。


「……なんだよ、本当にもう終わりか?」


 進が、血でできた剣を構える。……覚悟が決まった美しい瞳だ。ルカは楽しげに、笑った。


「ふはっ。そんな紛い物の世界で、この僕を終わらせられるものか!」


 最後の虚勢を張り、ルカは地面を蹴る。カラスを使った絡め手が、ルカの1番の長所だ。優秀な討伐者が集まるこの国で、ずっと彼が逃げおおせて来たのは、その能力があったればこそ。


 そんな彼が、自分から敵に近づくような真似をする。それは明らかに悪手で……いや、そもそも自分の住処に進を連れてきてしまった時点で、彼の1番の長所は潰れてしまっていた。


「かはっ……!」


 進の剣が、ルカの心臓を貫く。その程度で、不死者は死なない。痛みはあるが、そんなものはとうの昔に乗り越えた。それでもルカは、地面に倒れる。敗北というのは、そうでなければならない。


「……どうした? 蒼井 進。僕はまだ……生きているぞ……?」


「……知ってるよ」


 倒れたルカを見て、進は痛みを耐えるような顔で、血の剣を作る。ルカはそんな進を見て、また笑う。この少年はまだ、人を殺すことに抵抗を感じるようだ。人1人殺す程度でこんな顔をしているようじゃ、まだまだ──。



「──私の蒼井くんに、何してるのかな?」



 ふと、白い髪が見えた。進は驚いたように、手を止める。ルカは、小さく笑った。


「来たか……浅間、衣遠……」


 白髪の少女がこちらを見る。王と同じ、美しい髪。どれだけあの少女のことを嫌悪しても、その髪だけはどうしても嫌いにはなれなかった。


 少女は相変わらず怪物のよう目で、ルカを見下ろす。


「こうして直接会うのは、久しぶりだね、ルカ・カヴァリ」


「その口で僕の名を呼ぶな、忌々しい女め。……今さらお前と話すことなど、何もない。殺すならひと思いに──」


「私じゃないよ。お父さん…… 貴方の王、リーアス・オブ・グリムカラムからの伝言」


「王……からの……?」


 ルカは救いを求めるかのように、顔を上げる。そんなルカに、少女──浅間 衣遠は、いつもと同じ澄んだ声で言った。


「長い間の忠義、ご苦労だった。お前の淹れた紅茶は、世界1だ。……だってさ」


 その言葉を聞いて、ルカは笑った。


「……知っているさ。お前に言われずとも……王の気持ちは、僕が1番……知っている……」


 ルカは思い出す。あの時……この少女が王を殺したあの瞬間、王は確かに……笑っていた。安堵したような顔で、笑っていたんだ。


 ルカは疲れたような顔で息を吐き、そのまま塵へと変わる。誰より敬愛した御方に紅茶を淹れる為、彼は次の世界へと旅立った。


「…………」


「…………」


 そして、主人のあとを追うかのように、屋敷中のカラスたちがどこかへと飛び立つ。騒がしかった夜の屋敷は、耳が痛いほどの静寂につつまれる。


「浅間さん。君と少し、話したいことがあるんだけど、いい?」


 と、進は言った。


「いいよ。ちょうど私も、蒼井くんと話がしたかったから」


 衣遠は優しい表情で、小さく笑った。


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