第25話 不死者殺し
沢山のカラスの羽が、床一面を埋めている。なんだか幕が降りた舞台を1人眺めているような、寂しさを感じさせる光景。浅間さんはそんなカラスの羽の上をゆっくりと歩きながら、口を開いた。
「私はね、実の父親を……殺したんだよ」
俺は肩に乗った小さな羽を摘み、浅間さんを見つめる。
「……理由を聞いてもいい?」
「別に、大した理由なんてないよ。私はあの人が可哀想だと思った。だから、殺した。あの人はもう……限界だったから」
浅間さんは小さく笑って、言葉を続ける。
「私のお父さん…… リーアス・オブ・グリムカラムは、とても強い人だった。けどそれは、天性のものじゃなくて積み重ねた経験が作ったもの。本当のあの人は、とても臆病で繊細な人だった」
「お父さんって、さっきの鳥使いがやたらと信望してた人でしょ? 臆病だったなんて、あいつの話からは想像もできないな……」
「100年も修行すれば、どれだけ不器用な人でも美味しい紅茶を淹れられるようになる。それと同じだよ。どれだけ臆病な人でも、1000年も王様を演じ続ければ、本物よりも本物らしくなる。あの人は皆んなの生きる理由になり続ける為に、1000年以上、王という役割を演じ続けた。……でも、それももう限界だった」
浅間さんは、どこか憐れむような表情で視線を下げる。俺は倒れたソファに浅く腰かけ、言う。
「だから浅間さんが……殺したの?」
「うん。私はその為だけに、産まれてきた存在だから」
「その為だけに……?」
「そ。不死者を殺す不死者。私が死神と言われる所以。殺せない不死者を殺す為に、私は産まれた」
浅間さんは、とても静かな笑みを浮かべる。不死者のことは俺にはよく分からないが、浅間さんがあの鳥使いに『気に入らなかったから殺した』なんて言ったのは、父親の名誉と皆んなの信仰を守る為だったのだろう。
……なんだかとても、悲しいすれ違いだ。少し言葉が足りないだけで、人は簡単に狂ってしまう。
浅間さんは壁際まで歩き、閉まっていた窓を開ける。夏とは思えない冷たい風が、部屋に吹き込む。
「私はお父さんのことが、嫌いじゃなかった。だからあれ以上、一緒にいると殺せなくなると思った。あの人は優しい人だったから、きっとそんな弱さも許してくれたんだろうけど、そしたらまたあの人は苦しみ続けることになる。だから、殺すしかなかった」
「…………」
俺は何も言えない。その時の浅間さんが何を思ったのかなんて、想像することもできない。でも、たとえ俺が浅間さんと同じ状況だったとしても、父さんと母さんを殺すことなんてできなかったはずだ。
……さっきの鳥使い男を刺した感触が、まだ手に残っている。きっと永遠に、消えてはくれないのだろう。そして多分、浅間さんの手にも同じ感触が……。
俺は、目の前で揺れていたカラスの羽が床に落ちるのを待ってから、言う。
「それじゃ、お母さんはどうしてるの? その人も浅間さんに自分を殺して欲しいと思ってるの? だから浅間さんは、この街に──」
「違う。あの人は私に、殺して欲しいなんて言わないよ。あの人に、そんな人間みたいな弱さはない。……あの人は、怪物だ。本物の怪物。誰かが、殺さなきゃならない」
浅間さんは冷めた目で、息を吐く。それは、今まで見たことがないくらい凍えるような瞳で、俺は思わず息を呑む。
「over thousand。1000年を越え、なお生き続ける不死の怪物たち。お父さんは正気を保とうとしたから苦しんでたけど、他の連中は違う。必ずどこかが、壊れてしまってる。私の母親、
「浅間さんのお母さんは……悪い人なの?」
「悪人なのは間違いないよ。でも多分……蒼井くんが想像してるような感じじゃない。あの人の人格は破綻してるから……上手く言葉にできないな。ただ討伐者たちは、あの人のことを『災厄』と呼ぶ。人類最悪の厄災。もしその名前を聞くことがあったら、すぐに逃げた方がいい」
吐き捨てるような言葉。浅間さんの母親がどういう人なのか分からないが、浅間さんがその人のことを嫌っているのは、よく分かった。
「お母さんはね、とある目的の為にお父さんに近づいた。あの人は本気で、この世界を終わらせようとしてる。その為の実験として、私を創った。でもあの人は、私に失敗作という烙印を押して、どこかに消えてしまった。……別に恨んではいないけど、生かしておくにはあの人は害悪すぎる」
「だったら、俺が殺そうか?」
自然とそんな言葉が溢れた。……それは多分きっと、お母さんのことを話す浅間さんが、辛そうに見えたから。浅間さんは俺の言葉を聞いて、ようやくいつもと同じような顔で笑ってくれた。
「ふふっ。蒼井くんがそう言ってくれるのは嬉しいけど、これは私の役目だから。蒼井くんには、譲れない。でも……ありがとう」
浅間さんは優しく俺の頭を撫でてから、鳥使い……ルカが消えた場所に視線を向ける。
「ルカ・カヴァリ。彼、呆気なく消えたでしょ? 通常、不死者を殺すには再生するスピードより速く、損傷を与え続けなければならない。でも……私の血は違う。あれは、不死者を殺す為の力だから」
浅間さんは、残ったカラスの羽を拾い優しく撫でる。
「蒼井くんは、そんな私の世界を再現してみせた。……異界概念。自分の世界で、この世界のルールを上書きする異能。普通はどれだけ他人の世界を真似ても、それが形になることはない」
「……そうなの?」
「うん。どれだけ強い人でも1つの世界しか生きられないからね。能力の性質上、いろんな力を使ってるように見える奴はいるけど、蒼井くんのあれは不死殺しという私の特性まで再現してた」
「夢中だったから、また同じことができるとは限らないけど……それってそんなに、凄いことなの?」
「凄いなんてものじゃない。この世の理から、外れてる。……やっぱり、私の目に狂いはなかった」
浅間さんはまた俺の方に近づき、優しく俺の頬を撫でる。やっぱりその手は、とても冷たい。
「君ならきっと、私を殺せる。不死者を殺す死神である私を終わらせられるのは、きっと蒼井くんだけ。永遠に生き続ける失敗作である私を、蒼井くんならきっと殺せる。蒼井くんだけが、私の願いを叶えてくれる」
「……やっぱり浅間さんは、死にたいの?」
それが浅間さんの願いなのは、もう知ってる。あの夜の彼女の願いは、思い出すことができたから。でも、どうして彼女がそんなことを願うのか、その理由は俺にはまだ分からない。
浅間さんは俺から手を離し、白い綺麗な髪をなびかせる。
「別に私は、死にたいわけじゃないよ。ただ……死ねないことが、少し怖い。私は強いからね。私はお父さんとは違う。永遠に独りで生き続けても、私は少しも傷つかない。でもきっと、世界の方が耐えられなくなる」
「世界の方が耐えられないって、それどういう意味?」
「世界にも容量……限界があるんだよ。さっき蒼井くんがやった、世界を赤く染め上げた力。異界概念には深度と呼ばれる指標があって、ある一定の深度に到達すると、世界を完全に自分のものに作り替えることができる。異界の門が開く。そして、そこから更に深度を上げると、この世界のルールが捻じ曲がる。一度、捻じ曲がったルールは、二度と元には戻らない」
「…………」
言葉の意味はよく分からないが、それはきっとよくないことなのだろう。永遠を生きる苦しみと、その弊害。まだ20年も生きていない俺には、そんなもの想像することもできない。
「でも俺は、浅間さんに死んで欲しくはないよ」
「……だったら、お互い1000歳になったら、一緒に死のうよ。それまで2人でいっぱい、楽しいことをするの。そこまで生きたら、流石にもう充分でしょ?」
「1000年か。ちょっと想像できないな」
「そう思えるうちは、まだ大丈夫。きっと楽しく生きられるよ」
浅間さんが俺を見る。ドクンと、心臓が跳ねた。やっぱり浅間さんは、とても綺麗だ。
「浅間さんの事情は分かったよ。……いろいろ話してくれて、ありがと」
「いいよ。……隠しててごめんね? 本当はもっと早くに、話すべきだった」
「別に、浅間さんが謝る必要はないよ」
「ううん、私は間違えた。……私は、怖かったんだよ。本当のことを話すと、蒼井くんがいなくなっちゃうんじゃないかと思って、怖かった。だから私は……逃げてたんだ」
「……いいよ、それは俺も同じだから」
あまりこの少女に近づき過ぎると、俺の前からいなくなってしまうんじゃないか。そんなことを、俺もどこかで思っていた。だから今まで、浅間さんの過去を聞くようなことができなかった。
「でも、そういえば浅間さん、嘘ついてたよね? 俺が浅間さんのマンションで目を覚ました時、屋上で倒れてたって」
「ふふっ。あれは蒼井くんが、いろいろと混乱してるみたいだったから、気を遣ったんだよ。あの状況で不死者がどうとかって言っても、訳が分からなかったでしょ?」
「それはまあ、そうだけどさ……」
でもあの言葉があったから、思い出すのに時間がかかったんじゃないかとも思うけど、そんなこと今さら言っても仕方ない。俺は逃げるように、窓の外に視線を逃す。浅間さんは小さく、息を吐いた。
「でもやっぱり、考え直しかな」
「……考え直しって、なんの話?」
「いや、さっき蒼井くんが私の世界を創ったのを見て、思ったんだ。君にあんな血みどろの世界は、似合わない。私は蒼井くんが、自由に世界を創造するところが見たい。蒼井くんにはあんな地獄より、ずっと綺麗な世界を生きて欲しい」
「……俺は君の生きる世界が、美しいと感じた。だからあの世界を創った。それは浅間さんにも、否定させないよ」
「蒼井くんがそう言ってくれるのは、凄く嬉しい。……でも、あの力は呪いだから。蒼井くんには、相応しくないよ。あんなおどろおどろしい地獄を生きるのは、私だけで充分だ」
浅間さんは笑う。とても美しくて……でも、あの夜見た笑顔と同じ、どこか寂しさを感じる笑み。
ふと、思った。もしかしたら浅間さんは、自分のことが嫌いなのかもしれない、と。強くて綺麗で運動も勉強もできる。浅間さんは一見、完璧な女の子に見える。けど、それはやっぱりそう見えるだけで、それが彼女の全てな訳じゃない。
俺は、そんな浅間さんの力になりたいと思った。誰より強くて決して傷つかない少女の弱さに寄り添えるのは、きっと俺だけだ。俺は誰より、彼女の美しさを知っている。
「そろそろ帰ろっか?」
と、浅間さんは言った。けれど俺は、首を横に振る。
「悪いけど、俺はこれからちょっと行くところがあるから、先に帰ってて」
「行くところ……?」
「そ。ちょっと、悪戯しにね」
「……悪戯?」
浅間さんは不思議そうに首を傾げるが、俺はそれ以上、何も言わない。俺はそのまま浅間さんを置いて、1人屋敷から出る。……美しいものが、頭の中から溢れ出す。止まらない。
「さて、やるか」
頭の中の美しい景色を取りこぼさないよう気をつけながら、俺は全力で走り出した。
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