第40話 チョコレート



「ボクはお母さんを殺す為に、あそこにいたんです。だってボクのお母さんが……エルシーザの教祖だから」


 憎悪と諦めが混じった、氷のような冷たい視線。母親を殺すという言葉は浅間さんと同じだが、殺意の種類がまるで違う。浅間さんの言葉には強い憎悪を感じたが、茜坂さんの言葉にはどこか……自分が殺さなければならないという、使命感のようなものを感じた。


「……お母さんを殺すって、穏やかじゃないですね」


 とりあえず俺は、そんな無難な言葉を返す。茜坂さんは痛みを耐えるような表情で、遠くに視線を向けた。


「……余計なことを言いました。忘れてください」


「忘れろって言うなら忘れますけど、どんな理由であれ今から戻っても、茜坂さんにできることはないと思いますよ? ……多分、無駄死にするだけだ」


「…………」


 茜坂さんは泣きそうな顔で、近くの壁を叩いた。詳しい事情はまだ分からないが、放っておく訳にもいかない。


「とりあえず、落ち着いてくださいよ。……ほら、あそこコンビニあるんで、あそこで少し頭を冷やしましょう」


「いや、ボクはそんな気分じゃ──」


「いいからちょっと、付き合ってください」


 強引に茜坂さんの手を掴んで、歩き出す。言葉とは裏腹に、茜坂さんは全く抵抗しない。もしかしたら押しに弱い子なのかもしれないな、なんてどうでもいいことを俺は思った。


「……ほんと、なにやってんだか」


 思わず、苦笑してしまう。もしかしたら俺は、自分がして欲しかったことをこの子にして、過去の自分を慰めているだけなのかもしれない。あの日、屋上から飛び降りる前に、誰かに手を引いて欲しかった。……なんて、今からすればくだらない感傷。そんな弱さが、まだ自分の中に残っていたのか。


 俺は息を吐いて、コンビニの自動ドアを通る。


「なんでも好きなの選んでいいですよ。俺が奢りますから」


「別に、奢ってもらう必要はないですけど……」


 茜坂さんは少し悩んで、タケノコのチョコを持ってきた。なんとなく俺は、対抗するようにキノコのチョコを選ぶ。


「それだけでいいんですか? 他に欲しいものがあるなら遠慮なく──」


「大丈夫です。大丈夫ですから……その顔でボクを見ないでください」


「……? まあ、いいなら別にいいんですけどね」


 その顔で見ないでくださいって、そんなことを言われるほど、変な顔をしていただろうか? なんて、どうでもいいことを考えながら会計を終えて外に出る。先に外で待っていた茜坂さんは、レジ袋の中を見てポツリと小さく呟いた。


「蒼井くんとは、友達にはなれないかもですね」


「え、どうしたんです? 急に……」


「キノコ派は敵ですから」


「別に俺は……いや、確かにそうですね」


 なんだか、肩から力が抜ける。ようやく現実に戻ってきたような安堵感。今日はいろいろあり過ぎた。吸血鬼とか、浅間さんのお母さんとか、エルシーザとか、他にもいろいろ。


 少し前からすれば考えられないほど、常識の外の話。ここ最近、なんだかそれが当たり前のようになってしまっていたけど、こうしてコンビニでお菓子を買ってつまらない話をするのも、俺の日常の一部だったはずだ。


 ……いや、そんなことができる友達はいなかったし、本当はまだ何も終わってはいないのだろうけど。それでも、張り詰めていた緊張が緩む。


 茜坂さんはチョコレートを口に運び、ゆっくりと歩き出す。


「ボクのお父さん、病気だったんです。重い病気で、ずっと入院してて……話をするだけでも、辛そうだった」


 茜坂さんは過去を思い返すように目を瞑り、言葉を続ける。


「お母さんとボクは週末になると必ずお父さんのお見舞いに行って、ボクの描いた絵を見せてたんです。お父さんはいつも……ボクの絵を褒めてくれた。一緒に出かけたりとかはできなかったけど、ボクはその時間が大好きだった」


 風が吹いて、少し離れた場所から犬の鳴き声が聴こえてくる。茜坂さんは一瞬そちらに視線を向けるが、すぐに諦めたように空を見上げた。


「でも少し前に、お父さん……死んじゃったんです。ずっと前からもう長くはないって言われてたけど、やっぱり凄くショックで……。お母さんはその現実を認められなくて、変な宗教にのめり込むようになった」


「それが、エルシーザ」


「そうです。お父さんが死んで、お母さんも家に帰ってこなくなって、ボクも……学校に行けなくなって。ずっと1人で、過ごすようになった」


「……辛かったんですね」


 両親を亡くしている俺は、茜坂さんの孤独を理解できた。だから俺は、そのまま慰めるような言葉を口にしようとするが、どうしてか茜坂さんは寂しそうな顔で首を横に振った。


「ある時、急にお母さんが家に帰って来て、言ったんです。貴女も一緒に来なさいって」


「……それで、ついて行ったんですか?」


「あそこ……エルシーザが、関わってはいけない場所だというのは、分かってたつもりです。でも……ボクはお母さんの手を振り払えなかった。ボクにはまだ、1人で生きられるだけの力がなかったから」


「…………」


 俺が茜坂さんの立場なら、どうしたのか。今の俺ならその手を振り払うことができるが、弱っていた時の俺なら縋ってしまったかもしれない。


「ボクはお母さんに手を引かれて、さっきのあの病院みたいな建物に連れて行かれた。でも、やっぱりあそこは何かが変で、お母さんの様子もおかしくて……。結局ボクは、怖くなって逃げ出した」


「……仕方ないですよ。あそこは、普通の人間がいていい場所じゃない」


「それは違います。仕方がないなんてことは、ないんです。本当はどこにも……あるわけないんです」


 茜坂さんは震える声でそう言って、そのままゆっくりと足を進める。俺は黙って、その背に続く。


「逃げ出したボクを、お母さんは追って来てくれた。ボクはそれが、凄く嬉しかった。やっぱりお母さんは、ボクのお母さんなんだって思った。……でも、違ったんです」


「違った?」


「……そう、違ったんです。お母さんはボクに抱きついて、そのままボクの首に……噛みついた」


 茜坂さんが長い髪を退けて、首元を見せてくる。そこにはやはり、吸血鬼に噛まれたような痕があった。


「ボクはお母さんを突き飛ばして、そのまま逃げた。お母さんは、ボクの知ってるお母さんじゃなくなってた。ボクは家に帰って布団にくるまって、1人で……泣いた。泣いて、泣いて、でも、いくら泣いても……お母さんは帰ってきてくれない」


「…………」


 ルスティーチェさんから聞いた吸血鬼事件の話を思い出す。吸血鬼は街で、人を襲って回っているらしい。もし、茜坂さんのお母さんがその吸血鬼なら、彼女はまず間違いなく討伐者に殺されるだろう。


「そのあとはボクは、どうするべきかを考えた。このまま、お母さんまでいなくなるのは嫌だった。でも、立ち向かうのも怖かった。ボクはずっと、何日も何日もそのことだけを考えて、それで……決めたんです」


 茜坂さんは足を止め、振り返る。彼女の瞳には、強い覚悟が見えた。


「ボクはエルシーザに戻った。表向きは信者のフリをして、お母さんを助ける方法を探した。……でも結局、全部無駄だった」


「それは、どうして……?」


「見たんです。お母さんが……人を殺しているのを」


 もうあの頃には戻れない。一線を超えてしまった。だから茜坂さんは、思ったのだろう。


「ボクが、あの人を止めなきゃならない。何があっても、あの人はボクのお母さんだから。ボクが……止めなきゃならない。たとえ、殺すことに……なったとしても」


 ドクンと心臓が跳ねる。関係のない俺ですら、ショックを受けるような内容。当事者である茜坂さんが感じた衝撃なんて、想像することもできない。


「……すみません。仕方がないなんて、軽々しく言って」


「別にいいんです。ボクも本当は、誰かに話したかったんだと思います。ボクと同じで両親を亡くした貴方なら、ボクの気持ちを分かってくれるんじゃないかって、そんな風に思ったんです」


「……キノコ派でも?」


「キノコ派でも、です」


 茜坂さんは、小さく笑う。茜坂さんが俺を家まで呼んでくれた理由が、ようやく分かった気がした。……今更そんなことに気がついても、どうすることもできないが。


「でも、それでも俺は辞めたほうがいいと思いますよ。茜坂さんがお母さんを殺しても、なんの解決にもならない」


「別に、何かを解決したいわけじゃないんです。……奇跡が起きて、お母さんがボクのことを思い出してくれても、お母さんの罪が赦される訳じゃない」


「それが分かってて、それでも行くんですか?」


「行くしかないんです。だってボクにはもう……お母さんしか、いないから……」


「…………」


 その言葉を聞いて、俺は思った。……きっと、上手くいかないだろう、と。


 殺せる殺せないの話ではなく、もっと根っこの問題。母親にこれ以上、罪を背負わせたくないから殺すという茜坂さんの気持ちが、分からない訳ではない。でも、悲劇の上に悲劇を塗り重ねても、何も変わらない。黒の上にどれだけ黒を塗り重ねても、色が変わらないのと同じように。


 しばらく沈黙したあと、茜坂さんはどこか無理矢理な笑顔で言った。


「分かったらもう、ボクのことは放っておいてください。誰に助けてもらわなくても、ボクは1人で生きていける。それを証明する為に、戦うって決めたんです。だから、誰にもボクの邪魔は──」


「……茜坂さん? どうかしたんですか?」


 言葉の途中で、唖然とした表情で立ち止まってしまった茜坂さん。俺の言葉が聞こえていないのか、彼女は虚な瞳でただ一点を見つめ続ける。


「そんな……そんなわけない……」


「ちょっ、大丈夫ですか?」


「そんなこと、あるわけない!」


 俺の言葉を無視して、茜坂さんは血相を変えて走り出す。


「ちょっ、待っ……っ!」


 すぐに追わなければと思うが、どうしてか酷く頭が痛んで足が止まる。視界が、ぼやける。


「なんなんだよ、いきなり……!」


 不死者になってから、感じることのなくなった痛み。でも、浅間さんの為に絵を描いたあの時から、また少しずつ身体が痛みを感じるようになってきた。不死者としてもそれが正常なのだと、浅間さんも言っていた。


 でも、今はどうしてか、それを偽物のように感じてしまう。この痛みが本当に自分の痛みなのかどうか、実感が持てない。



 ──それが、酷く煩わしい。



 茜坂さんが、足を止める。俺の目は、ようやくその姿を捉えた。


「どうして……」


 茜坂さんの小さな呟きが、夜空へと消える。見えたのは、吸血鬼とおもしき白髪の女性に血の剣を突き立てた、浅間さんの姿だった。


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生意気な後輩に人生を全否定されたので、腹いせに屋上から飛び降りたらどうなるか検証してみた。 式崎識也 @shiki3

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