第38話 神と教祖
志賀 桜天は、理解できなかった。
「……数は多いが、質は悪い。3年前の吸血鬼とは、似ても似つかない劣悪なコピー。この程度の紛い物をいくら増やしたところで、高が知れている。……これであの『死神』を模倣したと言うのなら、随分とお粗末な出来だ」
討伐者の男──志賀はそう吐き捨て、大量の人形に組み伏せられた白髪の人間たちを、冷めた目で見下ろす。
志賀は、討伐者の中でも屈指の戦闘力を誇る。特に多数の人形を使った制圧力は、精鋭が集まるこの国でも屈指のものだ。彼が自由に操れるのは自分で作った人形だけだが、それでも動くイメージさえできれば、大きさや動きまで自由自在に操ることができる。
動物、人間、怪物。人形の種類によって動かす為の手順があり、無尽蔵に操れるわけではない。しかしそれでも、吸血鬼モドキの不死者と一般人の信者が相手なら、100人いようが200人いようが変わらない。
……ただ、そんな志賀も無敵という訳ではない。
志賀は、不死者を抹殺する為に討伐者となった。その理由は、未知であるべき死を守る為。この世界の全てに諦観を覚えた彼は、死だけは未知でなければならないと願った。未知であるべき死を否定する不死者を、心の底から憎悪した。それはある意味で……信仰だった。
──そして信仰は、この場では彼女の為の餌でしかない。
「……しかし、解せないな」
小さく呟き、志賀は不審そうに眉をひそめる。
「今まで慎重に立ち回ってきた連中が、こうも容易く尻尾を掴ませる。……これ見よがしに、あの少年に接触していたのも気がかりだ」
才能を開花させる占い師。街を徘徊する吸血鬼とその眷属。ここ最近、この街を騒がせている2つの事件。どちらも大元は、エルシーザという組織なのは間違いない。そしておそらく、その中核を担っていたのが、先ほど消えた黒須という青年なのだろう。
彼らは今まで狡猾に討伐者の目を欺き、水面下で活動を進めてきた。なのに今になって、討伐者と接触したばかりの進を本拠地まで連れて行き、こうして志賀に暴れるに足る理由を与えてしまった。この場所が管轄の面倒な研究施設であったとしても、浅間 衣遠と繋がりの深いあの少年が関わっているとなれば、踏み入るには十分な理由。
つまり……
「準備はもう整ったと考えるのが自然だろう? 討伐者」
そこで、姿を消していた黒須 斗真がまた姿を現す。
「瞬間移動……ではないな。貴様のそれは……認識阻害に類する能力か。随分と、他人の視線が気になるようだな。……人と話をする練習がしたいと言うなら喜んで付き合うが、どうする? 青年」
「君は外見に反して優しいんだな、討伐者。だが、その必要はない。私たちには、信じるに足る神がいる。君の力は必要ない」
「救いを他者に求める行為を、否定するつもりはない。だが、祈ることに夢中で足が止まった人間は、救われる前に喰われるのだ。……貴様のような、悪辣な人間に」
「ふっ、やはり君は傲慢だな討伐者。この世界には、歩きたくても歩けないような人間がごまんといる。君は無意識に、弱い彼らを見下している。……もっとも、君の世界にはそんな人間は居ないのかもしれないが」
「…………」
志賀は何も答えない。黒須は人形に組み伏せられた信者たちを、我が子を見つめる親のような優しい目で見下ろす。
「ベッドの上で死を待つしかない人間は、何を頼りに生きればいい? 怪我や病気、老い。この世界には、抗うことのできない不幸が腐るほど存在する。誰しもが、君のように強く生きられる訳じゃない。自分が何一つ不自由なく動けるからといって、他者もそうであると決めつけるのは傲慢だ。君が何と言おうと、彼らは神に救われた。何千、何万年と、人は神に救われ続けている」
「そして、神を嘯く人間に利用され続けている。……善人のようなことを語るな、ゲスが。ここでどんな研究をしていたのか、私が知らないとでも思っているのか?」
「ふはっ」
黒須は笑った。それはやはり、とても落ち着いた余裕のある笑み。信者がどれだけ踏み潰されようと、彼の笑みは崩れない。
「随分と面白いことを言うじゃないか、討伐者。ここの研究は、元はと言えば君たち討伐者が始めたことだろ? 私が私の世界を自覚したのは、他ならぬ君たち討伐者のせいだ」
「だから、自分の行いは許されるべきだと? ……つまらんことを言うな。何を言い訳にしようと、貴様の罪は貴様の罪だ」
「なら、君の罪だって君の罪だ。私は君を裁こうなどとは思わないが、哀れな信徒を踏み躙った罪を、きっと神は……許さない」
2人は静かに睨み合う。縄張り争いをする獣と獣が向かい合ったような緊張感。場の空気が張り詰める。
「…………」
志賀は考える。諸々の情報を鑑みて、占いによって他人の才能を開花させていたのは、まず間違いなくこの黒須という男なのだろう。しかし、この男が先ほど見せたのは、それとは全く別の力。通常、どれだけ異界深度を深めようと、2つの能力を扱うことなどできない。
……例外があるとするなら、それはあの少年くらいだろう。
「……っ」
そこで、地震でも起きたのかのように建物全体が大きく揺れる。そしてそれを合図にするかのように、暴れていた白髪の吸血鬼モドキとエルシーザの信者たちが、電池が切れたように一斉にその場に倒れ伏す。
それを見て、黒須は祝福するように両手を広げ、言った。
「ようやく準備が整った。……長かった。長かったよ、討伐者。ようやく神が、目を覚ます」
「それが神を信じる者の顔かね? 私から見れば貴様は、ただの詐欺師に過ぎん」
「……君は相当、捻くれているようだな。……討伐者、君はニーチェのツァラトゥストラを読んだことがあるか?」
「どうした? 神は死んだなどという言葉は、貴様のような人間が1番嫌う言葉だろうに」
「その言葉は表層だ。ツァラトゥストラ……ニーチェは、人が猿を嫌悪するように、超人からすれば人は嫌悪の対象だと書いた。なら、超人とはなんだ? 人間を嫌悪するそれは、神と何が違う? どれだけ理屈をこねようと、人は神を見出さずにはいられない!」
「……詭弁だな」
と、志賀は呟くが、黒須はそんな声は聞こえていないのか、声高らかに叫びを上げる。
「本当を言うとね、討伐者。私も神なんて、信じてはいなかった。私は一度、それに見放されているから。……でも、私は思った。この世に神がいないのなら、自らの手で創ればいいと! そして彼女は今、神となった!!」
「……これ以上、狂人の戯言に付き合うつもりはない」
「それはこちらの台詞だ、討伐者!!!」
黒須は壊れたような笑みを浮かべ、志賀に向かって走り出す。志賀は懐から顔がない人形を取り出し、それに向かって短剣を突き刺す。
──決着は、一瞬だった。
◇
「なんでこんなところにいるんですか、茜坂さん」
変な廃病院みたいな建物から逃げ出した俺たちは、追手がないのを確認してから、近くの路地裏で足を止める。
「はぁ……はぁ……」
少し、無理をさせてしまったようだ。不死者になった俺は少し走った程度で疲れはしないが、茜坂さんは辛そうに肩で息をしている。
「…………」
それだけで、彼女が不死者ではないのが分かる。……いや、大した知識のない俺では、断定することはできない。ただそれでも、志賀やさっきの黒須とかいう男と戦えるレベルではないだろう。
「ど、どうして余計なことをしたんですか。ボクはまだ、あそこに用があったのに……」
呼吸が整ったあと、茜坂さんは不服そうにこちらを睨みつけ、そう言った。
「強引だったのは、謝ります。でも、あのままあそこに居続けたら、最悪……死んでましたよ」
「死ぬことなんて……ボクは別に、怖くはない。ボクにはどうしても……やらなきゃならないことがあるから……」
「やらなきゃならないこと……?」
「…………」
俺の問いに茜坂さんは何の言葉も返さず、廃病院の方に視線を向ける。黒須とかいう男と、志賀の戦闘。どちらが勝つかなんて俺には分からないが、一般人である茜坂さんが戻ったところで、できることなど何もない。
ただ、今の茜坂さんの様子からして、不死者関連のことについて、ある程度の知識はあるのだろう。でなければ今頃、もっとパニックになっているはずだ。なんせ、犬の人形が動いて人に襲いかかっていたのだから。
「貴方は、あの人たちについて何か知ってるんですか?」
「……知ってるっていうか、ちょっとだけ関係者なんですよ、俺。朝、会った時に言いましたよね? そういう病気に心当たりがあるって」
「じゃあ、貴方も吸血鬼なんですか?」
その問いに、少し頭を悩ませる。……でも、今の状況で隠し事をしても意味はない。茜坂さんもある程度、察しがついているようだし、嘘をついてもすぐにバレるだろう。
俺は小さく息を吐いて、口を開く。
「吸血鬼じゃなくて、不死者って言うらしいですよ。死んでも死なない異常者。実は俺もそうなんです」
「……じゃあ貴方も、ボクのお母さんに噛まれたんですか?」
「は? 茜坂さんのお母さん? いや、別に俺は噛まれてなんかいませんけど……」
茜坂さんの言葉の意味が分からず、思わず首を傾げる。茜坂さんは、震えた声で言葉を続ける。
「ボクのお母さんは……吸血鬼なんです。あのエルシーザとかいう組織の為に、人を襲って回ってる」
「……吸血鬼って、それ本当ですか?」
「こんなことで、嘘なんてつきません。きっとお母さんは……あいつらの言うことを聞いていれば、お父さんにまた会えると信じてる」
「…………」
だから、吸血鬼として暴れ回っているということなのか? 詳しい事情は分からないが、それは……許されることではない。
「つまり、茜坂さんのお母さんは、エルシーザの教祖たちに騙されてるってことですよね? だから茜坂さんは、お母さんを止める為にあの場所に──」
「違います」
茜坂さんは俺の言葉を遮り、真っ直ぐにこちらを見つめる。……とても、嫌な目だ。屋上から飛び降りる覚悟を決めたような、そんな辛い想いに染まった瞳。
茜坂さんは、そんな痛い瞳のまま、震える声で言った。
「ボクはお母さんを殺す為に、あそこにいたんです。だってボクのお母さんが……エルシーザの教祖だから」
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