第11話 正体



「大丈夫? 怪我はないかな? 蒼井くん」


 浅間さんが、倒れた俺に向かって手を差し出す。……怪我がないなんてことは、ないはずだ。俺は確かに今、ナイフで心臓を刺された。赤い血が床を濡らしているのを、今もこの目で確認できる。



 ──なのに俺には、怪我がない。



 あり得ないことだけど、それが目の前の現実だった。


「……ありがとう」


 とりあえず、浅間さんの手を取って立ち上がる。なんだかこの子にはいつも、手を差し伸べられている気がする。


「……っ」


 リビングの方から、何かを壊したような音が聴こえた。浅間さんがさっき、頭を握り潰したはずの男が、立ち上がってこちらを睨む。


「無駄に頑丈だな、今回のは」


 浅間さんはどうでもよさそうに言って、ナイフを構えた男を蹴り飛ばす。およそ人間とは思えないほどの膂力。……勝負にも、ならない。


 何度も何度も床に叩きつけられた男は、そのまま動かなくなってしまった。


「うっ……!」


 遅れてやってくる、忌避感。胃の中身が逆流するような感覚。俺は自分が刺されたことよりも、浅間さんが当然のように人を……殺したことが、怖かった。


「大丈夫だよ。これ、人間じゃないから」


 こちらの胸中を察したのか。浅間さんは倒れた男を持ち上げ、男がつけていたマフラーとコートを剥ぐ。


「……え?」


 よく見るとそれは、出来の悪い人形だった。


「こういうのを、自由に操れる奴が居るんだよ。まあ、様子見の尖兵ってところかな。……君がどの程度なのか、確認したかったんだろうね」


「……ナイフで刺すのが、確認なのか」


「でも、相変わらず作るのは下手だな。コートとマフラーで隠さないと、人間には見えないんだからさ」


 浅間さんは笑う。俺は何も言えない。


「姉さん、お帰りなさい」


 と、そこで浅間さんの妹である莉緒さんが、特に動揺した様子もなく、口を開く。


「なんだ莉緒、来てたのか。危ないから来ちゃ駄目だって、何度も言ってるのに」


「私は問題ないです。弁えてますから。……ただ、姉さん。蒼井さんに、何の説明もしてないですよね? 可哀想なくらい、動揺してますよ?」


「ふふっ、蒼井くんなら大丈夫だよ。蒼井くんは、特別だから。吸血鬼ごっこくらいじゃ、動揺しないよ。……ね?」


「いや、してるけど」


 俺はノータイムでそう言葉を返す。浅間さんは笑った。


「なら少し、話でもしようか。悪いけど莉緒は、帰ってくれ。どうせまだ、はないんだろ?」


「……分かりました。その代わり今度、ラーメン食べに連れてってくださいね? 私、1人じゃラーメン屋、入れないので」


 年頃の中学生みたいな言葉を残して、そのまま莉緒さんは立ち去る。部屋が荒れてしまっていることなんて気にもせず、浅間さんはリビングのソファに座った。


 俺は諦めたように息を吐き、浅間さんの正面に座る。


「浅間さん……君は一体、何者なの?」


 さっきの光景を、まだ脳が現実だと認識してくれない。でも同時にどこかで、納得してしまっている自分がいた。……浅間さんは、人間じゃない。彼女の姿を初めて見た時から、俺は薄らとそれに気がついていたのかもしれない。


 ……自分の身体に起こっている、異変も含めて。


「蒼井くんには私が、何に見える?」


 浅間さんは、試すような顔でこちらを見る。……俺は少し頭を悩ますが、思い浮かんだ答えは1つだけ。


「……もしかして、吸血鬼とか?」


 それを聞いて、浅間さんは笑った。


「ふふっ、半分正解かな。確かに私たちのことをそんな風に呼ぶ人もいるけど、私は別に血を吸わないし、陽の光も気にならない。十字架だって怖くない」


 浅間さんは床に落ちていた十字架のネックレスを、首にかける。確かに俺も、それが怖いとは思わなかった。


「でも、浅間さんは普通の人間じゃないんでしょ? 少なくとも俺は……もう、人間じゃなくなった」


「それはどうかな。ちょっと力が強くて、傷の治りが早いくらいで、人間じゃないなんて私は思わない。人間と怪物の違いは、もっと致命的なものだよ。私より力が弱くて、再生力もない。けれど私より、ずっとずーっと怖い化け物。そういうのも、この世界には存在する」


「……じゃあ俺や浅間さんは、どういう存在なの?」


 吸血鬼でも、人間でも、怪物でもない。なら俺は、何になってしまったんだ?


「厳密な定義はないけど、『不死者ふししゃ』って呼ぶ人が多いかな。何をしても死なないから不死者。分かりやすいでしょ?」


「いや、分かりやすいけど……」


「要するに、死なないだけのただの人間なんだよ、私たちは」


「…………」


 俺は何を言えばいいのか分からず、窓の外に視線を逃す。辺りはすっかり暗くなっていて、窓ガラスに反射した自分自身と目が合う。


 ……どうしてか俺は、笑っていた。


「ま、蒼井くんはそんなこと気にする必要はないよ。今みたいに、面倒なのが殺しに来たりすることもあるけど、大抵は私がどうにかする。仮に私がいなくても、蒼井くんが死ぬことはないから」


「それは俺も……その、不死者だから?」


「そ。今の蒼井くんは、心臓をナイフで刺されたくらいじゃ死なない。トラックに轢かれても、海の底に沈められても、銃で頭を撃ち抜かれても、決して死なない。……私と、同じでね」


「…………」


 それが喜ぶべきことなのかどうか、自分でもよく分からない。なんだか、面倒なことに巻き込まれてしまったような気もするが、不思議と嫌だとは思わなかった。


「ま、口でいくら説明しても分からないだろうから、また今度この人形の持ち主にでも会いに行こうか。死なないってことがどういうことなのか、私が直で見せてあげる」


「……それが浅間さんの言う、特別な世界?」


「ふふっ、どうかな。それは私じゃなくて、蒼井くんが決めることだよ」


 浅間さんは立ち上がる。俺は少し悩んで、浅間さんの背中に声をかける。


「待って。最後に1つ聞きたいだけど、どうして俺を……その、不死者にしたの?」


 未だにはっきりとしたことは、思い出せていない。でも俺は確かに屋上から飛び降りて、死んだはずだ。そんな俺を、浅間さんが助けてくれた。助けて、死なない身体に作り替えた。


 俺は、その理由が聞きたかった。


「ふふっ」


 浅間さんは笑った。笑って彼女は、首を横に振った。


「私は別に、蒼井くんを助けたりなんかしてないよ」


「いや、でも確かに俺はこうして生きてる。それは浅間さんが、飛び降りた俺を助けてくれたからじゃ──」



「──私も昔、自殺したことがあるんだよ」



「……え?」


 いきなりの言葉に、思わず目を見開く。


「でも私は、死ねなかった。蒼井くんも死ななかった。私たちはこの世界に絶望して、それでも死ねなかった死の残骸。だから私たちは、同じ弱虫なんだよ。……それが、私が君の面倒を見ている理由の1つ。理解してくれたかな?」


 浅間さんがこちらを見る。俺は、黙って頷くことしかできない。


 まだ、自分に何が起きているのか。自分がどういう世界に身を置くことになったのか。何も理解できていない。……でも、そんなことより気になったのは、超常的に見える浅間さんにも、自ら死を選ぶような弱さがあったということ。


 ……俺と同じ、弱さが。


「ま、心配しなくても、私と一緒に戦って欲しいとか。守って欲しいとか。そんなことは言わないから。私が蒼井くんにして欲しいのは、もっと別のこと」


「昔から運動は得意じゃないから、それは有難いけどさ……」


「不死者のことは、また今度、詳しく説明するよ。……それより今は、ご飯にしようか? 美味しいラーメン屋、見つけたんだ」


 そうして俺たちは、そのままラーメンを食べに行った。……一応、ニンニクをマシマシにして食べてみたが、やはり身体には何の異常も起こらなかった。……いやまあ、口臭は気をつけないといけないが。


 とにかく俺たちは、美味しいラーメンを食べて、家に帰って、風呂に入って、そのまま部屋に戻った。まだ聞きたいことはいくらでもあったが、これ以上いろいろ言われても、脳の処理が追いつかない。別に急ぐ理由もないし、もう少し詳しい話は明日にでも聞けばいいだろう。


 というか明日は、学校に行かなければならない。死なないからと言って、生きなくていい理由にはならないのだから。


「……眠れない」


 しかし中々、寝つくことができなかった。昨日もろくに眠れなかったのに、今日も全く眠気がやって来ない。不自然なまでに、身体の調子がいい。


「これも、死なない身体の影響か?」


 言って俺は、立ち上がる。……死なない身体。不死者。それを聞いて真っ先に思い浮かんだのは、とてもつまらない感傷。


「……馬鹿馬鹿しいな」


 それでも俺は、どうしても試してみたいことがあった。だから俺は浅間さんを起こさないよう気をつけながら、部屋を出て夜の街を歩く。



「──心臓を突き刺されておいて、随分と不用心なのだな」



 そして現れたのは、まるで聖職者のように厳粛な目をした、壮年の男。俺はまだ死ねないというのがどういうことなのか、何も分かってはいなかった。


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