第12話 討伐者



「少年、君は酒を飲んだことがあるか?」


 穴が空いたような目でこちらを見つめながら、そんなどうしようもないことを尋ねてくる黒服の大男。俺は警戒するように距離を取り、目の前の男を観察する。


「…………」


 ガタイがいい。蓮吾よりも背が高いかもしれない。それになんていうか、威圧感がある。浅間さんとはまた違う、押し潰されるような威圧感。


 浅間さんが人間の姿をした怪物なら、この男は武道を極めた超人。……どちらにせよ、運動音痴な俺が敵う相手ではない。


 俺は首を横に振って、言った。


「……俺はまだ、未成年だ。酒なんて、飲んだことないよ」


「なら、煙草は?」


 間髪入れず、男はまたそんなことを尋ねる。俺は再度、首を横に振る。


「ないって」


「では、女は?」


 俺は一瞬迷って、息を吐く。


「……ないよ」


「そうか。……なるほど。君の世界にはまだ、未知が溢れているのだな。羨ましい。実に羨ましいよ、少年」


 男は大仰に頷く。……この男が何を言いたいのかよく分からないが、男が何をしてきても対応できるよう、俺は更にもう一歩距離を取る。


 男はよく通る声で、言った。


「私は志賀しが 楼天ろうてん。不死者殺しを専門にしている討伐者の1人。先ほど君のところに人形を送ったのは、他ならぬ私だ」


「……不死者殺し、ね。そんなのもいるんだな」


 吸血鬼と、それを狩る吸血鬼ハンターと言ったところだろうか? 少し前なら笑ってしまうような言葉を、俺よりもずっと歳上のおっさんが口にしている。


 けれどもう、それを笑い飛ばすことはできない。男……志賀と名乗った大男は、色のない目でこちらを見据える。


「希望とは未知なのだよ、少年。私も君くらいの歳の頃は、酒を飲めば世界が変わると信じていた。煙草を吸えば、女を抱けば、家族を持てば、この世界が一変するのだと信じていた」


 男はゆっくりと、こちらに近づいてくる。人気のない夜の路地裏に、重々しい男の声が響く。


「だが、そんなものでは私の世界は何も変わらなかった。私は何度も、こんなものかと思った。勘違いしないで欲しいのだが、それらは決して……決して、つまらないものではなかった。だが、夢を見ていた頃の方がずっと、この世界は美しかった」


「……つまり、何が言いたいの?」


「死とは、未知でなければならない。それは我々人類に残された、最後の希望なのだよ。不死者……貴様たちの存在は、死を冒涜している。貴様たちは生きているだけで、未知でならなければならない終わりを踏みにじっている。故に、排除しなければならない」


 男が、俺の方に手を伸ばす。とてもゆっくりとした、緩慢な動作。……殺気なんてものは俺には分からないが、敵意がないのはなんとなく伝わってくる。


 それでも俺は、逃げるように距離を取った。……俺は、少しも油断しているつもりはなかった。この男がさっきの人形みたいに急にナイフを取り出しても、対応できるつもりでいた。


「あ、やばっ」


 ……でもやはり、経験の差がある。この男は明らかに、人を殺すことに慣れていた。そんな人間が同じ世界を生きているなんて想像したことすらなかった俺は、どこかで軽く見ていたのかもしれない。


 つまりそれは、完璧な不意打ちだった。


「……っ!」


 背後から、大きな犬が現れた。……それはよく見たら、出来の悪いオモチャでしかない。でも、数が多い。10や20じゃきかない。


「くそっ……!」


 オモチャである犬は、吠えるようなことはしない。ただ粛々と、決められた動作を行うだけ。だから数が1体や2体なら、俺1人でもどうにかできた。


でも残念ながら、オモチャの犬は路地裏を埋め尽くす勢いで数を増していく。いくらオモチャとはいえ、こんな数の犬をどうにかできるほど、俺は化け物ではなかった。


「はなっ……離せ!」


 俺は必死に抵抗する。……が、駄目だ。足を喰われた。地面に倒れる。俺はすぐに足に噛みついた犬を振り払おうとするが、今度はその腕を喰われる。


「……っ!」


 そして最後に声も出せないようにと、首を噛まれる。……痛みはない。あったらとっくに、発狂していただろう。


 男は淡々と、告げる。


「不死者を殺す方法はいくつかあるが、1番簡単なのは再生するスピードより速く、傷を与え続けることだ。は特に、自分の能力を過信している。故に簡単に食い殺せる。……どうだ? 少年。犬の餌になる気分は。そこにはどんな、未知がある?」


 男の声が聴こえる。でも、それは本当に聴こえるだけで、少しも胸の内には響かない。俺は犬に喰われながら、どうしてか全く別のことを考えていた。


 俺はさっき、心臓を刺されて死んだ。そして多分、屋上から飛び降りた時も死んだのだろう。俺は既に、2度も死んでいる。でも、屋上から飛び降りた時のことは、まだはっきりと思い出せていないし、心臓を刺されたのは一瞬だったから、自分が死んだことすら認識できなかった。


 ……だから、俺が浅間さんから不死者のことを聞いて一番最初に思ったのは、死んだらどうなるのだろうという、当たり前の疑問。



 俺はずっと、死んでみたかった。……でも別に、



 俺はただ、助けて欲しかった。許して欲しかった。甘えさせて欲しかった。大丈夫だよって、言って欲しかった。俺ただ、目の前の嫌な現実から逃げ出したかった。


 でも俺は言葉を知らないから、それを死にたいのだと思い込み、屋上から飛び降りた。嫌なことが重なって、神谷さんの言葉が引き金になって、俺はあの日、屋上から飛び降りた。



 ……死ねば、父さんと母さんの気持ちが分かると思った。



 だから俺は、死にたくはなかったけれど、死んでみたいとはずっと思っていた。


 俺のせいで死んだ父さんと母さんが、俺のことを恨んでいるのかどうか。許してくれているのかどうか。……それともただ、あの人たちは昔と同じように今も空の上で、俺のことを心配しているだけなのか。


 死んでみればそれが分かって、それで俺はまた昔みたいにまた絵が描けるんじゃないかって、そんなことを思っていた。死ねば、この言い訳と後悔だけの世界を抜け出して、新しい世界が見れるんじゃないかって、俺はそう信じていた。



 ……信じて、いたのに。



「──お前じゃ駄目だ」



 瞬間、出来損ないの犬が霧散する。ドクンドクンと、心臓の鼓動が聴こえる。……自分でも、何をしたのか分からない。ただ、鬱陶しいと思った。どうしても、耐えられなかった。気づけば俺の身体は元に戻っていて、俺を食い殺そうとした犬がどこかへと消えてしまっていた。


「……なるほど」


 男はそれでも動揺した様子はなく、あくまで淡々と言葉を告げる。


「あの死神が気にかけるだけは、あるということか。その再生力は、既に成り立てものではない。ならばこちらも、相応の手札を切らせてもらおうか」


 男がポケットから小さな人形を取り出す。俺は、笑った。


「やってみろよ、枯れ枝が。自分が枯れてるだけの癖に、未知だのなんだのほざいてる負け犬が、偉ぶってんじゃねーよ!」


 俺は、高揚していた。……なんだこの感じは。絵を描いていた頃とも違う、頭の芯が焼けるような感覚。もっともっと、この男と殺し合いたい。そうすれば、全く別の世界が見れるかもしれない。そんな、予感。



「──辞めろ」



 けれどそこで、水を差すように冷めた声が響いた。視線を向けると、男の背後に金髪の女の子が立っていた。染めている宇佐さんとは違う、ナチュラルな金髪。一瞬、目が奪われる。


 少女は、言った。


「志賀。私は、勝手な真似はするなと言ったはずだが? 日本人は勤勉なのだと聞いていたが、命令を無視してまで仕事をするのは、上官への侮りだ。……弁えろ」


「これはこれは、ルスティーチェ様。自らご足労くださるとは、恐悦至極にございます」


 男はわざとらしく、頭を下げる。少女は小さく息を吐いた。


「……別に、狩りの帰りに寄っただけだ。それより私は、言ったよな? 死神は後回しだと。あれは自ら動くことはない。今はからすが暴れ回っている。先にやるのは、そっちだ」


「了解しました、マイマスター。……では、少年。いずれ、また」


 それだけ言って、男は立ち去る。残った少女は、なんだかよく分からない……告白前の女の子みたいな顔でこちらを見るが、特に何も言わず立ち去ってしまった。


「あー、疲れた」


 そのまま俺は、その場に垂れ込む。……ボロボロだ。身体は既に傷ひとつないが、服がボロボロで大量の血が付いてしまっている。この服は気に入っていたのに、もう着れないだろう。もったいないことをしてしまった。


「こんなところで倒れてたら、通報されるな」


 でも、身体が動かない。傷はないが、ただただ眠かった。……駄目だ、抗えない。心地いい眠気が襲ってくる。久しぶりに、ゆっくり眠れそうだ。


「……まあいいか。誰かに見つかったら、そのとき考えればいい」


 俺は眠気に耐えきれず、そのままそこで眠ってしまった。



 ◇



 宇佐 莉里華は、不機嫌だった。


「あーもう、苛々するな」


 浅間 衣遠に言い負かされたあと。莉里華は家に帰って八つ当たりするようにゲームをしたが、全く気分は晴れないまま。結局彼女は、今日も蒼井 進を探して、夜の街を徘徊していた。



 ──君は蒼井くんを見つけて、何を言うつもりでいるの?



 思い出すのは、そんな衣遠の言葉。……確かにそれは、分からない。自分が進を裏切るような真似をしてしまったことは、莉里華も理解していた。でも、それでも彼女は……。


「あんな女に、私の気持ちは分からない」


 そして莉里華は、まるで何かに引き寄せられるように普段は絶対に通らない路地裏に踏み入る。


「……え?」


 そこで彼女は、血だらけになって倒れた進の姿を見つけてしまった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る