第20話 異界概念



「浅間さん、また出かけてるのか」


 家のソファでダラダラしていると、浅間さんから『今日は遅くなるから、先に好きなもの食べてていいよ』というメッセージが届いた。


 ……でも正直、食欲はなかった。別に、あんなくだらない絵を見せられた程度で、傷ついたりはしない。それを美術部のグループで共有して笑い者にされたとしても、どうでもいい。


 少し前までの俺なら或いは、もっと落ち込んでいたのかもしれない。でも、浅間さんと出会ってからは、些細なことでは傷つかなくなっていた。


「…………」


 ただそれでも、不愉快なものは不愉快で、苛々するものは苛々する。こういう時、眠れないというのはやはり、辛いものがある。同じことをぐるぐると、考え続けてしまうから。


「なんか外に食べに出るか」


 料理を作るような気分じゃないし、かといってこのまま食事を抜くと、余計に心が病みそうだ。俺は近くにあったキャスケット帽を被り、部屋を出る。


「さて、なに食べようかな」


 牛丼はこの前行ったし、ラーメンも嫌になるほど食べた。となると後は、ファミレスかハーンバーガー。


「いや、気晴らしに何かいいもの食べてもいいな」


 もう少し歩くといろいろあるし、金のことを気にする必要もない。なら、一度くらい回らない寿司を食べてみたいな、なんてことを思うがしかし、そういう店に1人で入るのはハードルが高い。


「俺も、莉緒さんのこと言えないな」


 そんなことを考えながら歩いていると、背後から視線。……ゾクリ、と背筋が震える。これは不味い奴だ、と頭の中でスイッチが切り変わる。なんだが日に日に、感覚が鋭くなっていく気がする。


「また、あの人形使いか?」


 しかし今はまだ、そんなに遅い時間じゃない。それに前の路地裏と違ってここは大通りで、人も大勢いる。こんなところで、襲いかかってきたりするだろうか? 


 帽子を目深に被って、とりあえず人通りの多い道を歩く。……ふと、服屋のガラスに反射した自分自身と目が合う。俺は、どうしてか……。


「……って、カラス?」


 音もなく、カラスが肩に止まる。近くで見ると、意外と大きい。それにカラスって、こんな綺麗な琥珀色の瞳してたっけ?


「可哀想に、辛いことがあったんだね」


「……え?」


 一瞬、カラスが喋った気がするが、きっと……


「気のせいじゃないよな。……もしかして、またあいつの人形か?」


 と思うがしかし、あの人形使いの人形はどれも完成度が低かった。こんな、本物と見紛うようなカラスを、あの男に作れるのだろうか?



「──こんなところで、何をしている?」



 背後からそんな声が響いた瞬間、カラスは逃げるように俺の肩から飛び去る。振り返るとそこには、金色の髪をした品のある女の子の姿があった。


 どこかで、見た覚えがある少女だ。確か……。


「あ、そうだ。この前あの人形使いと一緒にいた──」


 この子は確か、俺に襲いかかる人形使いを止めた、志賀とかいうおっさんの上官みたいな女だ。やばい。逃げないとまた殺される! ……と思うがしかし、駄目だ。相手の方が速い。腕を掴まれる。


「……っ」


 振りほどこうと力を入れるが、びくともしない。凄い力だ。


「……こんなところで、殺し合いでもするつもり?」


 俺は少女を睨む。少女は呆れたように息を吐いた。


「私を志賀と一緒にするな。私は仕事以外で、殺しはしない」


「でも、不死者を殺すのが、君たち討伐者の仕事なんじゃないの?」


「……お前は何か、勘違いしているようだな」


 少女が俺から手を離す。……改めて見ると、やはりとても綺麗な女の子だ。眩い金色の髪に、翡翠色の瞳。身長は俺や浅間さんよりずっと小さいが、何というか……品がある。どこかの国のお姫様と言われても納得してしまうような、品が。


 少女は優雅な仕草で髪をなびかせ、言う。


「ついて来い。ここでは鴉に見られている。……夕飯は、まだ済ませていないのだろう?」


 言って歩き出す少女。……どうしてこう、俺の周りには人の話を聞かない奴しかいないのか。


「まあでも、ついて行くしかないよな……」


 今から全力で走っても、逃げられるとは思えない。俺は諦めて、少女の背中を追う。そしてやって来たのは、街外れにあるファミレス。夕飯時を外していることを踏まえても、ガラガラだ。人が全くいない。


 少女は慣れた仕草で席に座り、ハンバーグのセットを頼んだ。俺も、同じものを頼む。少女は試すような視線でこちらを見て、言った。


「まずは自己紹介をしておこう。私はルスティーチェ。ルスティーチェ・コンティ。この辺りの討伐者を統括している者だ」


「……どうも。俺は蒼井 進。ただの高校生です」


 適当な自己紹介をして、軽く頭を下げる。少女……ルスティーチェさんは、気にした風もなく言葉を続ける。


「私たち討伐者は、基本的に治安を乱す不死者の討伐を生業としている。いろいろな呼ばれ方をしているが、『教会』と呼ぶ者が1番多いな。別に、宗教組織ではないのだがな」


「……貴女はその組織のお偉いさんって認識で、間違いはないですか?」


「偉くはないが、本部直属の精鋭ではあるな」


 この人、自分で自分のこと精鋭とか言うんだ。とか思ったが、流石にそれを指摘することはできない。外国の人ぽいし、ただ単に言葉選びのセンスの違いかもしれない。


「……来たな」


「ん? ああ、ハンバーグか」


 そこでちょうど、ハンバーグが運ばれてくる。……こんなにガラガラなんだから、どうせ味も大したことないのだろうと思っていたが、ハンバーグは普通に美味しかった。


「ふふっ」


「……ん?」


 一瞬、少女が子供みたいな顔で笑った気がしたが、きっと気のせいだろう。少女は美味しそうにハンバーグを食べ進めながら、言葉を続ける。


「私たちの基本的な仕事は、この街で暴れる不死者を殺すことと、浅間 衣遠の監視だ。だからお前が暴れない限り、私がお前に手出しすることはない」


「いやでもこの前、貴女の部下らしき人に、普通に殺されかけたんですけど……」


「あ、あいつらは特例だ! 志賀も桐山きりやま阿藤あとうも! みんな、あたしを馬鹿にしている! あたしだって知らない国で頑張ってるのに、だーれもあたしの言うこと聞かないんだもん!」


「だもん……?」


 想定していなかった言葉に、思わずハンバーグを落としそうになる。少女はこほんと咳払いをして、言う。


「お前が聞きたいのは、どうして私が浅間 衣遠を監視しているのか、ということだろう?」


「え? いやまあ、そうですね……」


 だもんの方が訊きたかったが、触れて欲しくなさそうなので、訊くのは辞めておこう。少女はもう一度先払いをしてから、真面目な表情でこちらを見る。


「浅間 衣遠。あれは、特別だ。……over thousand。1000年を超えてなお生き続ける、超級の不死者。その力は想像を絶する。奴は──」


「ちょっ、ちょっと待って! 浅間さんって、1000歳超えてるの⁈」


 思わず、ハンバーグを落としてしまう。少女は悪戯に成功した子どものような顔で、楽しげに笑った。


「違う。浅間 衣遠は、まだ20歳にも満たない小娘だ。なのにあの女は、1000年を超えてなお生き続ける不死者を殺してみせた」


「それって、凄いことなんですか?」


「凄いなんてものではない。1000年越えの不死者は、我々が把握しているだけでも19人いるが、その全員が単独で一国を滅ぼせるほどの力を持つ。並の討伐者が大隊を組んでも、太刀打ちできないほどの怪物たちだ」


「そんな奴を、浅間さんが殺した……」


「だから本部からは、浅間 衣遠にはできる限り手出しをするなと厳命を受けている。なのに、みんなしてあたしの命令を無視して……!」


 少女はテーブルの下で、足をバタバタとさせる。……なんか思ったより、ずっと子どもぽい子だなと思ったが、それも言うのは辞めておこう。


「とにかく、浅間 衣遠の異界深度いかいしんどは異常だ。奴の概念は、この世界そのものを冒す」


「……深度? 概念……?」


「お前、浅間 衣遠から『異界概念いかいがいねん』について、何も聞いていないのか?」


「俺たち、そういう話はあんまりしないので……」


 異界概念? それは浅間さんの言ってた、魔法か何かだろうか? と首を傾げる俺に、少女は呆れたように息を吐く。


「『異界概念』は私たちの力の源だ。己がルールで、この世界のルールを書き換える。自身の世界が強固であればあるほど、力が増大する。端的に言うと、できると思ったことが、なんでもできるようになる力だ」


「それがあの、人形使い……志賀って人が人形を動かせた理由?」


「そうだ。奴の世界では人形が動くんだよ。そう思うと、意外と可愛い奴だろ?」


「そうは思えないですけどね……」


 詳しい話は今度、浅間 衣遠にでも訊くんだなと言って、少女は窓の外に視線を向ける。……空はいつの間にか、厚い雲に覆われている。早く帰らないと、雨に降られてしまうかもしれない。


「それで、私たちの今のターゲット……『鴉』と呼称される不死者は、浅間 衣遠を追ってこの街に来た」


「……どうして、浅間さんを?」


「浅間 衣遠が殺したover thousand。『天帝』と呼称されていたその男には、同じ不死者の配下が何人もいた。……何百年と忠義を尽くした相手を殺された奴らの心中は、察するに余りあるだろう?」


「その1人が、浅間さんに復讐する為にこの街に来たと……」


「そうだ。……ただ、鴉はだいぶガタが来ている。もう自分が何をしているのかも、理解できていないのだろう。あいつは配下のカラスを使って、目的なく人を襲っている。しかも厄介なことに、当の本人はどこかに身を潜め決して姿を現さない」


 少女は忌々しそうに眉をひそめ、パクパクとハンバーグを食べ進める。……でも、口が小さいから、中々量が減らない。


「というかそもそも、この国の連中がおかしいんだ! あたしは、本国から派遣されたエリートなんだぞ! それなのにどいつもこいつも命令無視して、自分勝手なことばかり……! みんながあたしの言うこと聞いてれば、とっくにあんなの倒せてるのに……!」


「えーっと、その……大丈夫?」


「大丈夫なわけないでしょ! あたしは……すまない。少し、取り乱した」


 少女は一気に水を飲み干して、息を吐く。


「とにかく私は、むやみやたらに不死者を殺してまわるつもりはない。私の部下たちは私の言うことを聞かないが、組織としてはそういう方針で行動している」


「……それはまあ、助かりますけど……それをわざわざ俺に伝えた理由が、何かあるんですよね?」


 俺はハンバーグの最後の一口を飲み込み、紙ナプキンで口を拭く。少女はフォークをテーブルに置いて、真っ直ぐにこちらを見つめる。



「──単純な話だ。私は君に、私たちの仲間になって欲しいんだ」



「……それは俺に、浅間さんを裏切れと言ってるんですか?」


 俺はいつ何が起きてもいいよう、身体に力を入れる。……けれどそんな俺を無視して、少女は最後に残ったつけ合わせのポテトを口に運んだ。


「言っただろ? 私は仕事以外で殺しはしないと。お前にその気がないならないで、別に構わない。……ただ、討伐者になれば他の討伐者から狙われることはなくなる。不死者の討伐者というのも、少なからずいるからな」


「そもそも俺は、戦いたいとか思ってませんよ?」


「そうなのか? さっきのお前は、まるで獲物を探している狩人のように見えたがな」


「…………」


 少女の言葉に、俺は何の言葉も返さない。少女は優雅な仕草で口元を拭き、伝票を持って立ち上がる。


「ま、考えておくといい。いつでも私たちは、お前を歓迎する。討伐者は人手不足だからな。……それに、浅間 衣遠がいつまでもお前を守ってくれるとは、限らないぞ?」


 少女はそのまま、会計を済ませて立ち去る。と、思ったが……


「え、うそ? 足りない? やばっ、お金下ろすの忘れてた! あ、カードある! カード! あ、違う! これスーパーのポイントカードだ!」


 なんて風に、レジでわちゃわちゃとしてから、少女はファミレスから出て行った。


「なんか、変な子だったな」


 少女の姿が見えなくなってから、俺も立ち上がり店を出る。雨も降ってきそうだし、とりあえず今日は帰るか。そう思い早足で夜道を歩いていたのだが……


「……どうも、面倒ごとが重なるな」


 帰り道を塞ぐように、大量のカラスが鎮座していた。そしてそんなカラスに紛れるように、1人の青年の姿があった。


「やあ。浅間 衣遠の番犬くん。これから僕と、お茶でもしないか? ちょうど、いい茶葉が手に入ったんだ」


 青年は琥珀色の綺麗な瞳でこちらを見つめながら、獰猛な捕食者のような顔で笑った。


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