第16話 コンペ



 翌日、俺は久しぶりに高校に登校した。クラスメイトたちは、まるでお化けでも見るような目でこちらを見てきたが、特に何かを言ってくることはなかった。


 担任の先生には、少しだけ小言を言われたが、本当にそれだけ。呼び出されて説教されたり、休んだ分の課題を押し付けられたりするようなことにはならなかった。


 ……もしかしたら浅間さんが、何か手を回してくれたのか。それとも俺の親戚はここの理事長と知り合いだから、最後に何か根回してくれたのか。なんにせよ、大事にはならなかった。


「有難いけど、そんなことばっかりされてるから、俺はクラスでも浮いてるんだろうな……」


 ……正直、今さら学校に行く意味なんてあるのか? とも思うけど、夜もろくに眠れず、昼もやることがないとなると、本当に手持ち無沙汰になってしまう。


 いくら浅間さんがお金持ちとは言え、昼間から人の金で遊び回る訳にもいかないし、そもそも俺に遊び回るような趣味はない。


「だからまあ、学校に行くのはいいんだけど……」


 問題があるとするなら、美術部のことだろうか。居心地の悪い美術部に、いつまでも在籍している理由はない。奨学金が結局どうなったのか詳しくは分からないが、今さらそれも関係ない。



 他にもっと、楽しいことを見つけてしまった。



 浅間さんと知り合うまでは、どんなに居心地が悪くても、あそこが俺の唯一の居場所だった。……でも今は、そうじゃない。


 宇佐さんとも別れられたし、神谷さんと蓮吾にも言いたいことは言えた。他に話すべき相手もいないし、もうあの場所にこだわる理由はない。今日の放課後にでも、あんな部活、辞めてしまおう。


 俺はそう、心に決めていた。


「……珍しいな」


 しかし、放課後の部室に顔を出すと、顧問の八坂先生が偉そうに足を組んで座っていて、部員のほとんどが勢揃いしていた。基本的に自由参加の部活なので、全員が揃うことは滅多にない。


 見たところ、不登校の部長を除くみんなが顔を出しているようだった。……宇佐さんや、蓮吾。それに神谷さんの姿もある。


「…………」


 そこまでの人数が集まっているのに、部室は不自然なまでに静かだ。


 ……もしかしたら、これから何かイベントでもあるのか? なんにせよ、退部を切り出せるような空気ではない。面倒くさいが、また後日出直そう。そう決めてドアに手を伸ばすが、それを遮るように八坂先生は言った。


「なに逃げようとしてんだよ、蒼井。そこ空いてんだろ? さっさと座れ」


「いや、俺は……」


「いいから座れ。じゃないと始められねぇだろうが」


 相変わらず、強引な人だ。この人には何を言っても無駄なので、俺は諦めて近くの椅子に座る。八坂先生は、禁煙用のガムを噛みながら、言う。


「よしっ、これで全員揃ったな? じゃあ、あたしからお前らに1つ、報告がある」


 八坂先生が、自分から何か提案するのは珍しい。部室内に軽く動揺が走るが、八坂先生は気にした風もなく続ける。


「もうすぐ期末テストで、それが終われば夏休みだ。3年生には通例として、毎年夏のコンクールに応募してもらってるが、今年はそれとは別に、1、2年を対象に部内でコンペを開こうと思う」


「……流石に急じゃないですか?」


 と、宇佐さんが言うが、八坂先生は首を横に振る。


「いいんだよ、急で。時間をかければ、いいもの描けんのか? 余裕から名作は生まれない。スパルタなんて意味はねぇが、甘えてるだけだとどんな才能も腐る」


「…………」


 宇佐さんは反論できず、口を閉じる。八坂先生は面倒くさそうな仕草で、ポケットから禁煙用のガムを取り出す。


「と言っても、別に強制じゃない。いつも通り、参加は自由だ。期限は夏休み明け。忙しい奴は、無理して参加する必要はない。……ただ、このコンペで優勝した奴を、次の部長に任命しようと思う」


「────」


 部内に緊張が走る。八坂先生は、笑った。


「審査員はあたしだ。あたしを満足させるものが描ければ、その時点でそいつが部長で、そいつがこの部のナンバーワンだ。……何か質問ある奴はいるか?」


 誰も何も言えず、部内にざわざわと動揺が広がる。……次期部長は、現副部長で今も実質的に部内を取りまとめている蓮吾なのだと、みんなそう思っていたから。


 ……他ならぬ、俺も。


「テーマはないし、作品の形式も問わない。お前たちの今までの集大成を見せてくれ。以上、期待してるぞ」


 それだけ言って、八坂先生は美術室から立ち去る。相変わらず、言いたいことだけ言う人だ。……それでもあの人には、実績とそれに準ずる実力がある。だから誰も、反論はできない。


「ま、辞める俺には関係ないけど」


 今のうちに、退部のことを先生に伝えよう。そう思い、俺は部室から出て行く先生の後を追おうとするが、それを遮るように強引に肩を掴まれる。


「ようやく来たか、進。どうせ暇だろ? ちょっとツラかせよ」


「……蓮吾。悪いけど、俺はお前と違って暇じゃな──」


「いいから、ついて来い!」


 蓮吾が強引に俺の腕を引く。……逆らおうと思えば、簡単だ。昨日のあの人形使いに比べたら、蓮吾なんて子どもみたいなものだ。この手を振り払い、軽く小突けば、それでこいつは無様に尻もちをつくだろう。


 ……でも、どうせここで振り払っても、次は教室にやってくるだけ。それも無視すれば、浅間さんのところに行くかもしれない。なら手っ取り早く、ここで終わらせておいた方がいいだろう。


「……仕方ないから一応、伝えておいてやるか」


 どうせ宇佐さんから聞いているのだろうけど、俺と宇佐さんが別れたことを伝えてやれば、こいつももう俺に構うことはなくなるだろう。


「で? 何の用?」


 やってきたのは、部室から少し離れた空き教室。蓮吾は俺の腕を離し、この前より感情的な目でこちらを睨む。


「……お前、莉里華に何した? 俺、言ったよな? あいつを傷つけるような真似をしたら、許さないって」


「いきなりだな。別に何もしてないよ」


「嘘つくんじゃねーよ! ここ最近、莉里華の様子がおかしいんだ! あいつ、俺が話しかけてもろくに返事もしねぇし、メッセージだって……無視しやがる」


「それって俺に、関係ある? 彼女の機嫌くらい、自分でとれよ」


「……そういうことじゃねぇんだよ」


 蓮吾は今にも殴りかかりそうな目つきで、こちらを睨む。


「お前が莉里華に何かやったんだろ? あいつにあんな顔させるのは、お前しか──」


「だから、知らねーよ。……お前があんまり情けないから、他の男に乗り換えただけなんじゃねーの?」


「お前……っ!」


 蓮吾が俺の胸ぐらを掴む。……相変わらず、短気な奴だ。


「なに怒ってんだよ。別におかしくないだろ? 落ちぶれた俺を見捨てて、お前に乗り換えた女だぜ? お前が落ちぶれたら、別の男に乗り換えてもおかしくはないだろ?」


「俺は、落ちぶれてなんかいねぇ!」


「そこは、『莉里華はそんな奴じゃない!』……って、言うところなんじゃねーの? ……お前も結局、自分のことしか考えてないんだな」


「……っ」


 蓮吾が気まずげに、視線を逸らす。俺は大きく、息を吐いた。


「なんにせよ、宇佐さんと俺はもう関係ないよ。俺と宇佐さんは、もう別れたから」


「────」


 蓮吾が驚きに、目を見開く。


「なんでお前が驚いてんだよ。宇佐さんから、聞いてるんだろ? よかったじゃねーか。これで憂いなく、宇佐さんと付き合えるんだからさ」


「……お前はそれで、いいのかよ? ……いや、お前の方こそ、乗り換えただけだろ。……浅間 衣遠。そんなにあの女が、いいかよ?」


「そっちこそ、そんなに宇佐さんがいいのか?」


「…………」


「…………」


 しばらく無言で、睨み合う。……が、蓮吾は意外と早く折れたのか、近くの机の上に座り、言う。


「進、お前……さっきの八坂先生の話、聞いてたよな?」


「部内コンペがどうとかって、やつだろ?」


「なら、話は早い。……俺と勝負しろ、進。俺とお前、どっちが上か。いい加減はっきりさせようじゃねーか」


 蓮吾の言葉に、俺は眉をひそめる。


「勝手に話を進めるな。今さら、そんなことする気はねーよ。そもそも俺は、美術部を辞めようと思って──」


「また、逃げんのか?」


 蓮吾は射抜くような目で、こちらを睨む。俺は舌打ちしてから、言葉を返す。


「別に、逃げるとかじゃねーよ。ただ今さら、お前と勝負してそれで何になるって言うんだよ? 俺はもう──」


「ぐちゃぐちゃ、うるせーよ! 結局お前は、逃げてるだけだ! 学校から逃げて、莉里華から逃げて、今度は美術部から逃げるってか? そんなんで絵なんて、描けるはずがねぇだろ!」


「……だから、勝手に決めつけんなよ。宇佐さんにも美術部にも、未練がないから離れるんだよ。関係ない他人のお前が、横から口を挟むんじゃねーよ」


「……また、その顔か。その悟ったような顔は辞めろって、何度も何度も言っただろうが!」


 蓮吾がまた、俺の胸ぐらを掴む。……何をそんなに、苛立っているのか。


「ああ、そうか。結局お前は、宇佐さんの気を引きたいだけか。……お前は、不安なんだな。昔から図体はデカい癖に、ビビリだったもんな、蓮吾くんは。自分の方が凄いよーってアピールしないと、捨てられそうで怖いんだろ?」


「……っ!」


 蓮吾が拳を振り上げる。俺は、笑った。


「お前も絵描きなら、もっと手を大事にしろよ? ばかすか殴って骨でも折れたら、コンペどころじゃなくなるぜ?」


「うるせぇよ! 手が動く癖に何も描かねぇお前に、んなこと言われる筋合いはねぇ!」


 蓮吾は叫ぶ。でも俺は、笑うのを止まない。


「別に、殴りたいなら殴ってもいいけどさ。気に入らない相手を殴って、言うこと聞かせる。それでお前は、満足なのかよ? そんなだからお前は、モテねーんだよ」


「……っ!」


 蓮吾は気圧されたように後ずさる。俺は大きく、息を吐いた。


「分かったよ。勝負したいんだろ? 受けてやるよ。……確かに、奨学金まで貰っておいて1枚も描かずに辞めるのは、不義理だもんな。部長になんてなりたくはないけど、最後に1回くらいここの連中にも、俺の実力を見せてやるよ」


「……はっ。描けねぇ奴が、偉ぶるなよ」


「描けない奴に、勝負を挑んだお前が言うなよ。それとも俺が描けたら、勝つ自信はないのか?」


「……っ」


 蓮吾は一歩、後ずさる。相変わらず、小さい奴だ。


「……進。お前が負けたら、美術部を辞めろ。お前の意志じゃなくて、俺に負けた負け犬として、この部を去れ」


「だったら俺が勝ったら、お前も1つ俺の言うことを聞く。……それで、いいな?」


 2人して睨み合う。……昨日のことがあって、今なら絵が描けるんじゃないかと思い、今朝、スケッチブックを手に取った。しかしそれでも、手は動かなかった。


 ……まだ、スランプを乗り越えられてはいない。歴史に名を残した画家の中にも、スランプを解消できず、自ら命を絶った者もいる。凄い少女と出会って、綺麗なものを見せてもらって、それで解決! ……なんて簡単じゃないことは、俺が1番よく分かってる。


 それでも俺は、勝負を引き受けた。いつまでも逃げ続ける訳には、いかないから。


「俺はもう行く。……お前がどんな絵を描くか、楽しみにしてるぜ? 蓮吾」


 俺はそのまま、空き教室から出て行く。蓮吾ももう、そんな俺を引き止めるような真似はしなかった。



 ◇



「くそっ!」


 進が立ち去った後。蓮吾は胸に溜まった鬱憤をぶつけるように、近くの椅子を蹴り飛ばす。……蓮吾は、苛立っていた。だって彼は、莉里華と進が別れたなんて話を、聞いてはいなかったから。


「どうしてなんだよ、莉里華……」


 莉里華と進が、いつどこで会っていたのか。ここ最近、莉里華の様子がおかしかったのは、進と別れたからだったのか。そして莉里華はどうして、進と別れたことを自分に教えてはくれなかったのか。


「違う! 俺は、選ばれたんだ! 昔の俺とはもう違う! 進になんて、負けやしない!」


 蓮吾は、不安だった。さっきの進の目が、昔の彼と重なったから。……中学の頃の進は、化け物だった。天才なんて言葉では収まり切らないほどの、怪物だった。


 画家が1番大切にするべきなのは、手ではなく目だと、八坂はよく語っていた。視覚情報の処理は、脳の多くの領域に影響を与える。何を見るかが、何を考えるかに直結し、その考えが作品を作る。



 ──進の目は、怪物の目だった。



 騒ぎ立てることしか頭にないマスコミも。口先だけの評論家も。皆、あの目で見つめられると、黙るしかなくなる。たかだか中学生に、いい大人が威圧される。中学の頃の進は、あの浅間 衣遠より、ずっとずっと恐ろしい目をしていた。


「そんな進を、俺は……超えたんだ」


 そう吐き捨てる蓮吾の手は、震えていた。……このままだとまた、負けてしまう。そうなれば今度こそ、莉里華に愛想を尽かされる。いくら虚勢を張っても、根っこの弱さまで捨てることはできない。


 蓮吾の本質は、弱い子どものままだった。


「莉里華に振られるなんて、そんなのは……いや、大丈夫。俺は……あんな言い訳ばっかの男になんて、負けはしない……!」


 蓮吾は昔から、莉里華に惚れていた。莉里華の為に、彼はここまで努力してきた。そしてようやく、彼女の手を掴んだはずなのに、当の莉里華は進のことばかり気にかける。


「くそっ……!」


 蓮吾は再度、椅子を蹴り飛ばす。けれどそんなことをしても、彼の気持ちが晴れることはなかった。


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