第15話 魔法



「一応、訊きたいだけどさ、志賀さん。どうして貴方が、ここにいるのかな?」


 俺を守るように一歩、前に出る浅間さん。人形使いの男は、やはり色のない目で、こちらを見る。


「久しぶりだな、死神。こうして相見えるのは、2年ぶりか」


「質問に答えてよ。討伐者は今、鴉を追うのに必死なんじゃないの? なのにどうして貴方が、ここにいるの?」


 その浅間さんの言葉を聞き、男は軍人のように毅然とした仕草で服についた埃を払い、答える。


「……鴉は厄介ではあるが、殺せない訳ではない。いくらか被害者は出るだろうが、あちらはいずれ時間が解決してくれる。今、殺すべきはあれではない」


「その被害者を出さないようにするのが、貴方たちの仕事なんじゃないの?」


「違うな、死神。我々の仕事は、不死者……死なない化け物どもをこの世から抹殺することだ。故に、その少年が貴様のように前に、処分しなくてはならない」


「私がいるのに、そんなことできるつもりでいるの?」


「そちらの方こそ、私がなんの対策もせずにここに来たと、本気でそう思っているのか?」


 男は昨夜見せた、小さな人形をポケットから取り出す。……それはよく見ればただの人ではなく、まるでゾンビのようにおどろおどろしい見た目をしている。


「──我が魂を、贄に」


 そんなことを呟き、男はその人形にナイフを突き刺した。


「……またか」


 昨日の犬の不意打ちで懲りている俺は、すぐに異常に気がついた。浅間さんもすぐに異変に気がついたはずなのに、それでも彼女は余裕そうに笑う。


「志賀さんは相変わらず、趣味が悪いね。何この人形。……これで私を、殺せるつもりでいるの?」


 どこから現れたのか。暗い夜の廃ビルを埋め尽くすように蠢く、ゾンビの群れ。相変わらずそれらは、言葉も声も発さない。それがより、不気味さを際立たせている。


 男は、冷めた目で息を吐く。


「この程度で、貴様を殺せるなどとは思っていない。……ただ、時間稼ぎはできるだろう。その間に、私が手ずからその少年を殺す」


「無理だよ。貴方に蒼井くんは殺せない。……というか、伊美奈いみなちゃんもまだ生きてるじゃん。その子、気持ちよさそうに眠ってるよ?」


 浅間さんの視線の先にいるのは、黒い翼の生えた髪の長い女の子。確かに彼女は、気持ちよさそうに寝息を立てている。


「問題ない。この少女にはまだ、役目が残っている。……私の手足として働く、役目がな」


 そう言って男は、眠っている少女の心臓にナイフで突き立てた。


「かはっ……!」


 少女が血を吐き、目を開ける。……その目は真っ赤に染まっていて、俺は思わず息を呑む。


「あ、ああああああああああああああああああ!!!!」


 翼が生えた少女が、地面を蹴る。それを合図にするかのように、ゾンビの群れが浅間さんに向かって襲いかかる。


「……まあ、浅間さんなら、大丈夫か。それより問題は……」


 俺と浅間さんが分断されてしまった。男はとてもゆっくりとした動きで、俺の方に近づいてくる。


「私が怖いか? 少年」


 と、男は言った。俺は首を横に振る。


「俺にはそっちが、ビビってるように見えるよ」


「そうとも。私は怖い。死ぬことも、死なないことも、怖くて怖くて仕方がない。……私にとって死は、未知だ。未知のままでいてもらわなくては、困るのだよ!」


「……っ!」


 男の拳が、俺の腹に直撃する。さっき食べたマグロユッケ丼が、胃の中で暴れ回る。……動きが何も見えなかった。身体能力に、差がありすぎる。不死者になっていなかったら、一撃で気を失っていただろう。


 男は、粛々とした声で告げる。


「浅間 衣遠は怪物だ。貴様はあれを、救世主か何かだと思っているようだが、あれは最悪の死神だ。人の世を生きていい存在ではない」


「……俺から見れば、あんただって十分、怪物だよ」


「そうだ。そして貴様も十分、怪物だ。……それ以上、道を踏み外せば、真っ当な死に方はできなくなるぞ?」


「はっ、元からそんなのできると思ってねーよ」


 口に溜まった血を吐き出し、地面を蹴る。父さんと母さんが死んだあの時から、俺はいつか罰せられるのだと思っていた。……あるいはこれが、その罰だと言うのなら──。


「なんでこんなに、楽しいんだろうな……!」


 男を殴り返す。……人を殴るのなんて、初めてだ。部屋に出た虫を殺すのだって躊躇する俺が、人を殴った。……なのに何の良心の呵責も感じない。


「……ふむ」


 ただ、俺が殴った程度では大したダメージはないのか。男は気にした風もなく、息を吐く。


「楽しそうだな、少年。少し前まで普通の世界しか知らなかった貴様には、この世界が楽しくて楽しくて仕方がないのだろう。……だが、その未知が既知に置き換わった時、貴様は必ず絶望する。……少年、私は貴様が哀れで仕方がないよ」


「……っ!」


 喉をナイフで裂かれる。……息ができない。身体の動きが止まる。


「……やはり、痛みを感じていないな? 普通の不死者は、痛みに慣れることはあっても、感じなくなることなどないい。……貴様もやはり、特別か」


 男が、ナイフの先端を俺の目玉に向ける。ナイフが、鈍く光る。……まずい、殺される。そう悟った俺は、男から距離を取ろうと必死に手を伸ばすが……駄目だ。届かない。


「眠れ、少年」


 男のナイフが、俺の目玉を通り抜け、脳を犯す。……痛みはない。ただ、どうしようもない不快感が、身体中を駆けずり回る。



 ──俺は死んだ。



 けれど俺は生きている。死んでも、死なない身体。俺は……思った。


「……やっぱり、分かるわけねーか」


 場違いな言葉。ドクンと心臓が跳ねる。男は追撃を行おうと、ナイフを引き抜く。……その直後に、彼女は言った。



「──蒼井くん。今から君に、私の魔法を見せてあげるよ」



「……っ!」


 男が大きく距離を取る。……それでようやく、身体が動く。


「あぶね」


 俺は塞がった目元の傷口に手を当ててから、浅間さんの方に視線を向ける。多くの人形に囲まれた浅間さん。それでもどこか余裕そうに笑う彼女の指先から、血が滴り落ちる。まるで時が止まったようにゆっくりと、赤い血が地面を濡らす。


 俺は一瞬、瞬きをした。1秒にも満たない刹那。俺の視界から、浅間さんの姿が消える。


「……え?」



 ──次の瞬間、世界が赤く、染まっていた。



 天井から滴り落ちる赤い血。気づけば辺りは、血で真っ赤に染まっている。どう考えても、人一人で賄える血の量じゃない。


「さあ、そろそろ終わりにしようか」


 まるで地獄のような景色の中。白髪の少女は、笑う。厳かで、でもとても楽しげな笑み。……背筋が震える。


「──貫け」


 瞬間、辺りの血が槍に変わる。血に濡れていた黒い翼の少女と数多の人形たちは、何の抵抗もすることができず、その槍に串刺しにされる。


「あ、あああ、ああああああ……!」


 人形は霧散し、翼の生えた少女が苦悶の声を上げる。その姿を見て、俺は昨日の夜の言葉を思い出す。不死者を殺すには、再生するよりも速く傷を与え続ければいいと、男は言っていた。


 なら、このままだと、翼の少女が死んでしまう。止めなくていいのか、と思うけど、どうしてか声が出ない。


「大丈夫だよ。本当に殺すつもりはないから」


 浅間さんは笑った。背中にナイフを突き立てられたような、身も凍るような笑み。……格が、違う。俺は、自分が特別な人間になったのだと、どこかで自惚れていた。事実、俺は普通とは違う、怪物のような力を手にした。


 でも、浅間さんはそんな俺から見ても、比べようがないくらい特異な怪物だった。この人形使いの男とも、目の前の黒い翼の女の子とも違う。いくら美味しそうに牛丼を食べていようと、浅間さんは俺とは違うイキモノだ。


「ははっ……」


 彼女を見て、俺は気がついた。特別な世界なんて、どこにもない。彼女が生きるこの世界こそが、特別なのだと。


 そしてまた、瞬きをする。その瞬間、辺りを覆っていた血が、綺麗さっぱり消えてなくなる。それこそまるで、魔法みたいに。


「それで、志賀さん。貴方はまだ、私と遊ぶつもりでいるのかな?」


 翼の少女は倒れ、人形は全て消えてしまった。それでも、あの地獄のような光景を見てもなお、男に動揺した様子はない。男はやはり淡々と、言葉を告げる。


「……随分と軽々しく、門を開くのだな。……よかろう、今は引いてやる。貴様がそこまでその少年に固執するなら、やはりその少年も特別なのだろう」


 そこで男は俺を見る。


「だが少年、死にたくなったらいつでも私のところに来い。……いつでも私が、殺してやる」


 それだけ言って、男の姿が闇に溶け込んで消える。深夜の廃ビルは、耳が痛いくらいの静寂に包まれる。


「……今回は大して、服が汚れなくてよかった」


 なんてどうでもいいことを思いながら、俺は疲れたように息を吐く。浅間さんは、そんな俺を見て笑った。


「お疲れ様。予定とはちょっと違ったけど、面白いものは見れたでしょ?」


「面白いって言うか……まあ、凄いものは見せてもらったよ。あれも浅間さんの言う、魔法なの?」


「そ。蒼井くんにいいところ見せたくて、ちょっと張り切っちゃった」


 浅間さんは、また笑う。その笑みは、オモチャを自慢する小さな子どもみたいな笑みで、俺はまた小さく息を吐く。浅間さんは、窓の外の夜空を見上げながら言葉を続ける。


「私が初めて蒼井くんと会った時、君は……血だらけで、死んでいた」


 浅間さんはゆっくりと、こちらに近づいてくる。


「不死者はね、みんな一度、死んでるんだよ。死んで、それでも死ねなかった人間が、不死者になる。……だからあの時、蒼井くんは確かに死んでいた」


「……あの時のことは、まだはっきりとは思い出せないんだよね」


 でも、思い出したこともある。昨日、人形使いに殺されて、さっきナイフで貫かれて、分かってしまった。


「さっきの……このビルに入る前の話の続きなんだけどさ、俺は死ねば……俺のせいで死んだ父さんと母さんの気持ちが分かると思った。……でも、そんなわけないよな。だって俺は、俺と同じように生きてる宇佐さんの気持ちも、蓮吾の気持ちも、神谷さんの気持ちも、全く分からないんだから」


 死んだくらいで、死人の気持ちなんて分かるはずもない。そんなのはただの……幻想だ。


「……そうか。だから君はあの時、泣いていたのか。自分が死んだことを悲しんでるんじゃなくて、君はこの世界の不条理を嘆いていた。……だから、あんなに綺麗だったんだね」


「情けないだけだよ」


「だとしても、私は君のそういうところが好きだよ。……うん、やっぱり私も一度、蒼井くんが描いた絵を見てみたいな」


「俺の描いた絵って、賞を取った奴? あれなら確か、どっかの財団が管理してくれてると──」


「違う違う。私は君の過去には興味がない。そうじゃなくて私は、これから君が描く絵を見てみたいんだよ」


 浅間さんの手が、俺の頬に触れる。相変わらず、冷たい手だ。


「……いつになるか、分からないよ? もしかしたらもう、描けないかもしれない」


「100年でも200年でも待つよ。私も君も、時間は無限にあるからね」


 浅間さんが俺の頬から手を離す。そして、いたずら前の子どもみたいな表情で、何もない壁を指で指す。


「ん……?」


 俺は、そんな浅間さんに釣られるように、彼女が指差した壁に視線を向ける。そこにあったのは……。


「これ、もしかして……俺?」


 そこにあったのは、血で描かれた俺の似顔絵だった。あまりに洒落が効き過ぎていて、思わず吹き出してしまう。


「ちょっと、遊び心を出してみたんだ。どう、上手く描けてるかな?」


「……浅間さん、絵は下手なんだね」


「酷いなー、力作なのに。……そんなこと言うなら今度ちゃんと、蒼井くんが描いた絵を見せてよ。……約束だからね?」


「……分かった。約束するよ」


 浅間さんは笑う。俺も笑った。この子の隣にいると、なんだか自分が変われたような気になる。それはきっと気のせいで、気の迷いなのだろうけど、今はそう思えたことがただ嬉しかった。


「…………」


 そして目を瞑ると、あの真っ赤な血の世界を思い出す。……綺麗だと思った。圧倒された。父さんと母さんが死んでから、雨が降り続けていた世界。もうこのまま、そんな世界で生き続けていくのだと、俺はずっと諦めていた。



 ──でも、彼女は確かに美しかった。



 あの景色を見た瞬間、雨が上がった。もし俺に、あの時の彼女を描くことができたなら、なんてことを考えると……心が躍る。俺は久しぶりに、絵を描きたいと思った。


「頑張ってみるか」


 そして、俺はこれから知ることになる。不死者と呼ばれる存在がどんな世界を生きていて、浅間さんがどれだけ特別で……彼女が俺に何を望んでいるのか。


「……でも流石に明日は、学校行かないとな」


 そう言って俺は、大きく息を吐いた。


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