第22話 親殺し



「どうぞ、番犬くん。ダージリンのファーストフラッシュだ。故郷から取り寄せた、僕のお気に入りなんだ。きっと君も気にいると思う」


 カラスとともに現れた灰色の髪をした青年は、親しげな笑みを浮かべ、テーブルにティーカップを置く。俺は少し迷って、そのカップに口をつける。


「……確かに、いい香りだな」


 そんな言葉が自然と溢れてしまうほど、この男の淹れた紅茶は美味しかった。


「気に入ってもらえたなら、よかったよ。……スコーンとクロテッドクリームも用意したんだ。どちらも僕の手製だ。よくできているから、食べてみてくれ」


 言われて、テーブルに置かれたスコーンを口に運ぶ。その味に、俺は思わず目を見開く。


「……! 美味い。俺も料理はそこそこできるつもりでいたけど、これはちょっとレベルが違うな。そこらのカフェなんて目じゃないぞ……」


「当然さ。君らと僕では年季が違う。なんせ僕はもう200年以上、リーアス様の為にお菓子を作り続けているんだ。美味しいのは、寧ろ当然のことだよ」


 男は友人にでも向けるような気軽さで笑い、俺の正面に座る。


 この男が俺を連れてきたのは、浅間さんが連れて行ってくれた廃ビルより更に街外れにある、深い森に囲まれた洋館だった。


 今俺がいるのは、その洋館の一室。何の為の部屋なのか、不自然なまでに広くて豪奢な部屋。その部屋の中央に置かれた装飾過多な椅子に座った俺と灰色の髪の青年は、2人仲良く紅茶を飲んでいた。


「……いや、仲良くはないか」


 本心を言うと、この男は信用できなさそうだから、できれば早く帰りたかった。……ただ、こちらを監視するように見つめるカラスの群れを振り切って逃げるような力は、今の俺にはない。


 この前の人形使いの時のように考えなしに動けば、今度こそ殺されてしまうかもしれない。行動を起こすには、情報が必要だ。なので俺は仕方なく、美味しい紅茶とお菓子を食べながら、男の出方を窺う。


 男はそんな俺の内心を知ってか知らずか、優雅な仕草でティーカップに口をつける。


「僕は、ルカ。ルカ・カヴァリ。討伐者どもが『鴉』と呼ぶのは、他ならぬ僕のことだよ。よろしくね? 番犬くん」


「……どうも、蒼井 進です」


 適当に頭を下げる。男は楽しげに笑い、言葉を続ける。


「番犬くん。僕は君に訊きたい。どうして君は、浅間 衣遠に仕えているんだい?」


「いや、仕えてるとか、そういうのじゃないよ。俺と浅間さんは、そういう関係じゃない」


「……そうか。それは……残念だ」


 男はどうしてか一瞬、落胆したような顔をするが、すぐにまた気安げな笑みを浮かべる。


「でも、君が彼女の側にいるのは、何か理由があるからなのだろう? それを僕に、聞かせてくれないか?」


「別に、大した理由はないよ。ただの……成り行きだから」


「そうか。運命か! 僕と同じだ……素晴らしい!」


 男は演劇中の演者のように、大袈裟な身振りで感情を表す。……苦手なタイプかもしれないなと思いながら、俺はまたティーカップを傾ける。


「君をひと目見た時から、僕はずっと思っていたんだ。君は僕に似ている。いつか話をしてみたいと」


「……にしては随分と、警戒してるように見えるけど」


 俺は辺りのカラスを指差す。


「軽んじている相手を、警戒などしないさ。これは僕から君への敬意だよ」


 バサバサと、カラスが飛ぶ。屋敷の外だけではなく、屋敷の中でも当たり前のようにカラスが飛んでいる。その動きは統率されていて、優雅だ。カラスの羽が紅茶に入るなんてことは、絶対にない。


 男は肩に止まったカラスの頭を撫で、言う。


「僕も最初は、君とも敵対するつもりで計画を練っていた。……でも君を観察しているうちに、僕は思った。君なら、話せば分かってくれるんじゃないかと。だからこうして、お菓子を作って待っていたんだ」


「それは有難いが、お茶をするには随分と遅い時間じゃないか? もう深夜の12時過ぎてるぜ?」


「……それは申し訳なく思うよ。ただ、僕が正気でいられる時間は限られている。君も不死者なら分かるだろう? 眠れない夜の孤独は、精神を狂わす。こうしてお茶でも飲んでいないと、夜の闇に……飲み込まれてしまう」


 男は天を仰ぐ。俺は大きく息を吐いた。


「悪いけど、そっちの都合は知らない。分かって欲しいと思うなら、まずは自分から相手を分かろうと努力するべきだ。こんな時間に強引に街外れの屋敷に連れ込んで、話をしたいなんて言われても困るだけだ」


「……ふはっ。確かにそれは、そうかもしれないね。でもそういう君は、分かろうと努力したのかな?」


「なんで俺が、知りもしないあんたのことを──」


「僕じゃなくて、浅間 衣遠のことさ。君は、あの女のことを分かろうと努力したことがあるのかい?」


「…………」


 俺は何も答えない。男は立ち上がり、楽しげに言葉を続ける。


「君にとって浅間 衣遠は、本当は忌むべき存在なのだよ。君は本能で、それに気がついている。だから君は、無理に彼女に踏み込もうとはしなかった。焚き火に引き寄せられた羽虫が、火に近づき過ぎると燃えるのは必然だ」


「……随分な言い草だな」


「しかし、事実だ。君はあの女のことを何も知らない。あれは、僕が敬愛した王を……リーアス様を殺したんだ」


「……それは知ってるよ。なんか、1000年以上生きた凄い不死者を、浅間さんが……殺したんだろ?」


 まあ、それは浅間さん本人から聞いた話ではないのだが、今は言うのは辞めておく。男は歯を噛み締め、何もない壁を睨みつける。


「……そうだ。『天帝』リーアス・オブ・グリムカラム。世界を統べるに相応しい御方。力と知性、そしてあの圧倒的なカリスマ! この星に、あのお方と並ぶ者など1人として存在しない! あのお方に、紅茶を淹れて差し上げるのが、僕の役目だった! 200年以上続く、僕の唯一の生き甲斐だった! それを、あの女は……奪ったんだ!」


「だからあんたは、浅間さんを恨んでいると?」


「……生き甲斐を失う苦しみは、君もよく分かっているはずだろ?」


 男が血走った目が俺を見る。カラスが嘆くように、カーカーと悲しげな声を上げる。……そうだ。確かに俺は、生き甲斐である絵を失った。


 それは他ならぬ自分のせいで、誰も責めることなんてできない。でも、仮にもし誰かに絵を奪われていたなら……俺はその相手を、一生を恨んでいたかもしれない。


「だとしても……関係ない」


 頭に浮かんだつまらない考えを打ち消すように、髪をかき上げる。男はまた大袈裟な仕草で椅子に座り、紅茶に口をつける。


「番犬くん。……いや、蒼井 進。君は少し前に、両親を亡くしているのだろう?」


「……よく知ってるな、そんなことまで」


「当然さ。僕のカラスは、この街の全てを監視している。……あの忌々しい人形使いに邪魔をされることも多いが、この街で起こることの大半は把握しているつもりだよ。特に、浅間 衣遠の周辺はね」


「そうかよ。……確かに俺は、両親を亡くしてる。で? それがなんだって言うんだよ」


 その問いに、男は吐き捨てるような声で言った。



「──リーアス様は、浅間 衣遠の実の父親だ」



「……っ」


 思わず、ティーカップを落としてしまいそうになる。男は楽しげに笑い、言葉を続ける。


「蒼井 進。君は自分のせいで両親を亡くしたことを、ずっと悔いている。そうだね? だがあの女……浅間 衣遠は、他ならぬ自分の意思で、実の父親を殺した」


「それは……本当なのか?」


「嘘だと思うなら、直接本人に訊いてみればいいさ! あの女は、自分を偽ることなどしない! ……あれは、嘘をつく必要などない生き物だ!」


「…………」


 俺は何も言えない。カラスの鳴き声に混じって、男の声がただ響く。


「そして、あろうことかあの女は……父親だけでは飽き足らず、生き残った母親まで殺そうと考えている! ……分かるだろ? 蒼井 進! 君にあの女を軽蔑する理由こそあれど、信望する理由などどこにもありはしないんだ!」


 そこで俺は、この前の莉緒さんの言葉を思い出す。確かに彼女も、浅間さんは母親を殺す為に、この街に来たと言っていた。あの時の俺は、何か事情があるんだろうなと思うだけで特に気にしはしなかったが……。


「……何か事情があるんだろ? 俺は、確かに両親のことを悔いている。でもだからって、他人の家の事情まで口を出すつもりはない」


「リーアス様も、奏多かなた様もあの女のことを愛していた。……通常、不死者同士では子どもはできない。時間が経つごとに、不死者の生殖機能は低下していく。無限を生きる我々にとって、子孫を残す理由などないからだ」


 カラスが辺りを舞う。……その動きに、先程までの優雅さは感じられない。紅茶に羽が入るのなんて気にもせず、カラスが辺りを飛び回る。


「そんな中、奇跡のようにあの女は産まれた。我々は祝福した。リーアス様も何十年ぶりかに、笑ってくださった。浅間 衣遠は間違いなく、愛されていた。我々は彼女に、できる限りの愛を注いだ。……なのに、なのにあの女は! リーアス様を殺した……!」


「……だから、人の話を聞けよ。何か事情があったんだろ? 浅間さんが理由なく、そんなことをするとは思えない」


「理由? ああ、僕もあの女に問うたさ! どうして……どうして、リーアス様を殺したのかと! 彼女は僕が誰より敬愛したお方の娘だ。何か事情があるなら、受け入れるつもりでいた。……でも、あの女は言ったんだ!」


 男がテーブルを叩く。ティーカップが倒れ紅茶が溢れるが、男は気にした風もなく、叫ぶ。



「──ただ、気に入らなかったから殺しただけだ、と」



 カラスが数を増していく。男の言葉は止まらない。


「君も見ただろ? あの女の生きる世界を! 異界概念。門の先にあるあの女の世界は、真っ赤な血で染まっている! あの女にとってこの世界は、ただの血溜まりに過ぎない! あの女は、普通じゃない! あんなものは、この世界を生きていい存在ではない……!」


「……だから、殺すと?」


「そうだ! あの女は親殺しの魔女だ! 僕にはあの女を殺す権利がある!」


 男が、テーブルを蹴り飛ばす。紅茶とスコーンが、床に落ちる。俺はただ、目の前の男を見つめることしかできない。


「だいたいあの女は君が両親のことを悔いている横で、自分が父親を殺したことをずっと隠していたんだぞ! あの女の両手は……いや、あの女の世界は血で染まっている! あの女はリーアス様を殺して、笑った! 両親を殺したことを悔いている君とあの女は、決して分かり合えない!」


「そ、れは……」


 ……思考が、霞む。この男が、嘘を言っているようには見えない。浅間さんは親を殺した。俺も……父さんと母さんを、殺したようなものだ。俺はずっとそれを悔いていて、でも浅間さんはいつも……笑っていた。



 ──俺はそんな少女を、許すことができるのか?



 俺は神谷さんを傷つけようとした比治山さんたちを、何度も止めた。神谷さんのことは嫌いだったが、それ以上に比治山さんたちの行いが間違っていると思ったから。


 浅間さんは実の父を殺し、今度は母親を殺そうとしている。俺は浅間さんのことが、好きだ。……でも、俺の本心がどうであれ、彼女のその行いは嫌悪して然るべきではないのか?


「蒼井 進。僕と一緒に浅間 衣遠を殺さないか? 君の力があれば、きっと僕はあれを殺せる。君も親殺しの悪人を殺すことができれば、自分の過去と決別できるかもしれない。また絵を、描けるようになるかもしれない。……君とあの女が出会ったのは、運命なんだよ。君はあの女を殺す運命なんだ」


 男が俺に手を伸ばす。俺はずっと、浅間さんのことを知りたいと思っていた。……実際、話す機会は、いくらでもあった。なのに何も訊かなかったのは、この男の言う通り、どこかで気がついていたからなのかもしれない。



 ──俺と浅間さんは、分かり合えない。



 知ったらそれに気づいてしまうから、俺は彼女のことを避けていた。あの美しい笑みの奥に何があるのか、知ってしまうのが怖かった。


「……でも」


 それでも浅間さんは、俺に優しくしてくれた。何度も俺を助けてくれた。……今の俺にはもう、あの子しかいない。浅間さんを拒絶してしまったら、俺にはもう何も残らない……。


「そうか。君は魔女に魅入られてしまったんだね。……仕方ない。とても残念だけど、君があの女の味方をすると言うなら……害敵になる前に、殺すしかない」


「……っ!」


 カラスの琥珀色の瞳が鈍く光る。……俺は反射的に、近づいてきたカラスを振り払う。


「どうして抵抗するんだい? 君には浅間 衣遠に肩入れする理由も、僕を止める理由もないはずだ。……いや、そもそもとして今の君には、生きるだけの理由がないんじゃないか? 君は別に、生きたいなんて思ってはいないんだろ?」


「それは……」


 咄嗟の言葉に反論が思い浮かばなかった。そんな俺を見て、男は笑う。


「浅間 衣遠は、君の生きる理由にはならないよ? あれは君を、愛してなどいない。仮に愛していたとしても、あれはいずれ君を殺す。あれはそういう女で、そういう化け物だ」


「そんなことは……」


 ないと言い切れるほど、俺は浅間さんのことを知らない。


「君は一度、屋上から飛び降りて死んだのだろう? 君は不死者になってしまったことで、望んでいたはずの死に裏切られた。そして君は、あの最悪の死神に目をつけられてしまった。あれの考えなぞ僕にも分からないが、あれはきっと……君のことを面倒な討伐者どもの視線を逸らす為の番犬としか、思っていない」


「……だとしても、俺は……」


「無理をするな。着飾る必要はない。……君は死にたいんだよ。この世界には、君が生きるだけの価値がない。……僕が君を殺しても、浅間 衣遠は絶対に泣いたりしないぞ? 君だって、あの女が泣いている姿なんて、想像できないだろう?」


 カラスが数を増していく。俺1人では、どうしたって抗うことができない数。……ふと、俺は思った。


「……確かに、お前の言う通りかもな」


 生きるだけの理由が、俺にはもうない。幼馴染に裏切られ、親友に裏切られ、後輩に嫌われ、1番大切だった絵も……もう描けない。家族もいない。友達も恋人もいない。俺の味方なんて、もうどこにもいやしない。



 ──今の俺には、浅間さんしかいなかった。



 浅間さんの生きる世界は、美しかった。命を賭けたやりとりに、胸が高鳴った。彼女と一緒に生きていけたらと、そう願った。


 でも、そんな浅間さんのことすら、俺は何も知らないんだ。彼女があの笑みの裏に何を隠しているのか。……何を隠していようと、側にいるつもりでいた。でも彼女は、自分の意思で親を殺すような人間だ。俺はそんな彼女の側に居たいと、今でもそう思っているのか……?


「ははっ……」


 カラスが俺を襲う。この前の人形使いの犬より、ずっと洗練された動き。数も多いし、逃げ場がない。俺はあっという間に、カラスに食われるだけの餌になる。なのにやっぱり、痛みを感じない。


「……ああ、そうか」


 ふと、気がついた。天啓のように、理解してしまった。もしかしたら、俺はもうとっくに……死んでいたのかもしれない。


「ははっ。は、ははははははははははは! そうだ。そりゃそうだ! 描けないはずだ……。俺はとっくに、死んでいたんだ! 死体が絵を描くはずがない! そんなの……そんなこと、子どもだって分かることなのに、俺は何を……」


 俺が痛みを感じないのは、そもそもとして生きていなかったからなのかもしれない。……死体は痛みを感じない。当然のことだ。俺はあの屋上から飛び降りて、死に損なった気でいたが、本当はただ……死体を引きずって歩いていただけなのかもしれない。



 なら別に今、抗う理由などない。



「…………」


 ふと、窓の外に視線を向ける。夜空が見えた。……雨は降っていない。けれどどうしてか俺の耳には、あの日の雨音が聴こえてくる。……もしかしたら俺はあの雨の日に、父さんと母さんと一緒に、死んでいたのかもしれない。


「なら、ここでも死んでも同じか……」


 俺は目を瞑る。もう何も見えないし、聴こえない。……いや俺の耳には、あの日の耳障りな雨音だけがザーザーと響き続けていた。


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