第35話 祈り
誰かの嘆きが、聴こえた気がした。
「……っ」
鈍い痛みで目を覚ます。どうやら、眠ってしまっていたようだ。痛む頭を抑えながら、ゆっくりと身体を起こす。
「どこだ? ここ……」
清潔なベッドと、遊びのない簡素な椅子。それにあとは小さな棚があるくらい。狭いけれど清潔な部屋は、どこか病室を思わせる。
「何があったんだっけ」
前後の記憶が曖昧で、どうして自分がこんなところで寝ていたのか、思い出すことができない。確か今日は、朝から茜坂さんの家に行って──
「やあ、目が覚めたみたいだね?」
1日の記憶を遡ろうとしたところで、すぐそばから声が響いた。
「……っ!」
思わず、ベッドから飛び退く。……気配が全くなかった。まるで死体がいきなり喋りかけてきたような不気味さに、寝惚けた頭が一瞬で目を覚ます。
「ははっ、元気そうでよかった」
そんな俺の姿を見て、その不気味な男──20代後半くらいの白髪の青年は笑う。10年来の友人に向けるような気やすい笑みを浮かべ、男は言った。
「私は
「それはどうも。……って、そうだ」
倒れていたという言葉で思い出す。確か俺は、浅間さんの母親──浅間 奏多と話をして、彼女を殺すと決めたんだ。それで俺は、彼女をどうにかできるだけの世界を構築しようとして……どうなったのか。そこから先は、どうしても思い出すことができない。
ただ現状から考えるに、目的が達せられたとは思えない。寧ろ、返り討ちにあったと考えるのが、自然だろう。……振り返ってみると、不用心だった。浅間さんからもルスティーチェさんからも彼女の恐ろしさは聞いていたはずなのに、頭に血が上ってしまっていた。
舌打ちする俺を見て、男……黒須さんは楽しげに目を細める。
「にしても驚いたよ。まさか、あの人と戦おうとする人間がいるなんてね。あの人は『厄災』……人の形をした災害だ。個人の力がいくら強かろうと、勝てるような存在じゃない。素手で地震を止めようとするようなものだね。そんなことは、人間には不可能なことだよ」
「……あの人のことを知ってるってことは、貴方も……不死者なんですか? それとも、討伐者?」
「残念ながらどちらでもない。私はエルシーザという宗教団体の構成員の1人だ。最近はこの辺りで、趣味の占いをやっている無害な普通の男の子だよ」
「……男の子って歳でもないでしょ」
「1000年以上生きる不死者と比べたら、私なんてまだまだ子供さ」
男は笑う。俺はなんだかその笑みを見ていられなくて、男から更に距離を取る。
ここがどこで、この男の目的がなんなのか。それはまだ、分からない。ただ、エルシーザに占い。どちらも最近、聞いた覚えのある言葉だ。この男は、道端で倒れていた俺を助けてくれたのかもしれない。でもだからって、考えなしに信用していい人間ではないようだ。
「怖い目だね。そう怒らないでくれよ。さっきも言ったけど、私は君と敵対するつもりはない。ただ一度、話をしてみたかったんだ。本物の天才とね」
「天才に本物も偽物もないでしょ?」
「それは才能がある人間の言葉だね。私は占いという形で、才能がないと嘆く子に力を与えてきた。けれど大抵の子たちは、才能に飲まれて潰れてしまう。偽物の天才は、すぐに才能に潰される。天才肌と天才の間には、決して越えることのできない壁がある」
「…………」
男の言葉で思い出すのは、干からびて死んだ壊れたように暴れ回る白髪の少女たち。あれが偽物の天才? ……そんな風には、どうしても思えない。あれはもっと、別の何かだ。
「まあ、当然といえば当然なのだけどね。大した努力もせず、才能さえあれば報われるなんて思ってる人間に、力など与えてもしれている。才能とは呪いだ。この世で最も美しい呪い。焦がれるだけでは、焼かれてしまう」
「それが分かっていて他人に才能を押しつけている貴方が、1番残酷なんだと思いますよ。……どうやってるのかは、知りませんけど」
「方法は企業秘密だから明かせない。ただ、願っていない人間に無理やり力を押し付けるような真似を、私はしない」
男の瞳は穏やかだ。その瞳に見つめられると、こちらの毒気も抜かれてしまう。
「私は君を知っている。天才画家の蒼井 進。紛い物ではない本物の才能。比べることのできない唯一の美」
「別に俺は、そんな大した奴じゃないですよ」
「ははっ、皆言うことは同じだね。私の友人にも1人、天才と呼ばれるような才能を持った奴がいた。そいつも、君と同じようなことを言っていたよ。どれだけ好打者でも、ホームランより三振する数の方が多い。お前らはホームベースを踏むところしか見ないから、毎打席、ホームランを打ってるように感じるだけだと」
「…………」
俺は言葉を返さない。男はそれでも気にした風もなく、自身の真っ白な髪に指を絡める。
「蒼井 進くん。君は紛うことなき天才だ。どんなことにも代わりのきくこの時代で、唯一、代わりのきかない存在」
「才能にも、代わりはききますよ」
「ははっ、残酷だな君は。必死に努力してそれでも報われなかった人間に、君は同じことが言えるのか?」
「…………」
報われるとか、報われないとか。それは才能とは関係のない話だと思ったが、反論するのは辞めておく。
男は立ち上がり、色彩の薄い瞳でこちらを見る。死人のような顔で、男は言った。
「君の友達、蓮吾くんの才能を目覚めさせたのは私だ。彼はここ最近の中では、飛び抜けてセンスがいい。いや、覚悟が決まっていると言うべきか。彼なら或いは、第二の浅間 衣遠になれるかもしれない」
「蓮吾が浅間さんに……?」
「そうさ。紛い物でも磨けば真に迫れる。越えられない壁を、彼なら壊せるかもしれない。偽物の価値を、きっと彼は証明してくれる」
カチリと、脳の奥でスイッチが切り替わる。この男は、やはり敵だ。蓮吾のことはともかく、言葉から浅間さんへの敵意が伝わってくる。
……しかしそれでも、さっきと同じ轍を踏む訳にはいかない。この男がさっきの浅間 奏多と同じだとは思わないが、考えなしに動いて勝てるほど簡単な相手とも思えない。
「ふふっ」
男はこちら心境を知ってか知らずか。笑いを堪えるように手で口元を覆い、言葉を続ける。
「『異界概念』。己の世界で、現実のルールを上書きする異能。不死者は一度、死ぬことで己の世界を自覚する。それゆえ、不死者の多くはその力に目覚める。対して討伐者は能力を体系化し、知識として世界を学ぶ。その構図は、才能と努力の対立ともとれる。そして今のところ、その力は拮抗している」
「なんの話だよ?」
「世界の話さ。……これからこの世界で、大きな争いが起こる。千年を越え生き続けるover thousandと、最強の討伐者集団……狂人たちの墓場error code。不死者と討伐者の力は、例外を除いて拮抗している。でも君か蓮吾くんなら、その拮抗を壊せるかもしれない」
「その手の話に興味はないよ」
「興味がなくても、関わらざるを得なくなる。大人になるというのは、そういうことだ」
「悪いけど、大人って言葉を言い訳に使う人間は信用しないことにしてるんだ。大人だろうと子供だろうと、自分のやるべきことは自分で決める。不死者とか討伐者とか、知ったことじゃない。関係ない人間の為に血を流すほど暇じゃないよ、俺は」
「ふふっ、それは実に天才らしい言葉だ。君はその他大勢と交わらず、自分の世界を生きている。……実に美しい。私も君が、君の望む通りに生きられることを祈っているよ」
それだけ言って、男は部屋から出て行く。着いて来いということだろうか? それとも、もう俺には興味がなくなったということなのか?
……どちらにせよ、拍子抜けだ。
「って言っても、ここに残っても仕方ないしな」
少し考えて、男に続いて俺も部屋を出る。
「……ほんと、どこだよここ」
地下なのだろうか? 広い廊下には窓がなく、外の景色は見えない。やはり少し病院のような雰囲気があるが、こんな大きな病院が近くにあるなんて話は聞いた覚えがない。
辺りを確認するが、先に部屋を出て行った男の姿は見えない。
「ん? 声……?」
遠くから、何か声が聴こえた気がした。出口が分からない俺は、とりあえずその声の方に向かって歩き出す。
「ここか……」
声が響いているであろう部屋を見つける。大広間にでも繋がっているのだろうか? どこか物々しい扉の隙間から、お経のような声が聴こえてくる。
「ちょっと気になるな」
そっと扉を開き、中を覗いてみる。
「……っ」
それは、異様な光景だった。
扉の中は、無機質な廊下とは違い何かの礼拝堂……いや、違う。その部屋はまるで、ゲームやアニメで見た生贄の祭壇のようだった。古めかしい石造りの階段と、その頂上にある人の骨で造ったような寝台。今から大きな怪物がやってきて、その寝台に寝かされた誰かを喰らう。
そんなことを想像してしまうくらい、気味が悪い部屋。そしてその下で、何十人もの人間が頭を垂れながらぶつぶつと何かを呟いている。
「可愛い子たちだろう?」
さっきの男がまた気配もなく現れ、気やすげに俺の肩を叩く。まるで、俺がここにくることが分かっていたかのような態度。男はやはり……笑った。
「彼らはああすることで、自分が特別な存在になれるのだと信じている。……私が才能を目覚めさせる価値もなかった、負け犬の成れの果て。彼らを救うのは、私ではなく教祖様の役目だ」
「……その教祖ってもしかして、浅間 奏多のことか?」
「ははっ、面白いことを言うね、君は。あれが人を救うものか。あれと比べれば、怪獣映画の怪獣の方がまだ人の心を理解する。教祖様はちゃんとした人間だよ。あんな怪物と一緒にされては困る」
「…………」
俺は言葉を返さず、祈るように頭を垂れる集団に視線を向ける。その中に蓮吾の姿はない。……が、蓮吾とは別に、見覚えのある姿が……。
「教祖様はね、彼らを皆殺しにするつもりなんだよ」
「……は?」
男の唐突な言葉に、思わず目を見開く。
「それが救いだなんて、私は死んでも思わない。けど、そうすることで教祖様は救われる。あの方が救われることは、私の救いでもある。だから私たちは、哀れな子羊を探している。そして子羊たちも、教祖様のために死ぬことを望んでいるんだ」
男が笑う。声を上げて、男は笑う。ドクンと、心臓が跳ねた。きっとこれも、人間が持って生まれた醜悪の1つ。弱さという醜さは、誰であろうと手放すことができないものだ。
でも、これは……
「まあでもそんなこと、君には何の関係もないことだ。蒼井 進くんは天才で、彼らのような弱さとは無縁だ。しかも君は、不死者と討伐者の争いにも興味がないし、関係のない他人の為に血を流すつもりもない」
「それは……」
「だから君はもう、帰るといい。今日は話せてよかった。出口は向こうだ。……では、いい夢を。もう道端で寝るなんて危ない真似は、しないようにね?」
男が笑う。俺とは何の関係もない男が笑って、俺は次に自分が取るべき行動を決めた。
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