第33話 怪物



「はじめまして、蒼井 進くん。私は浅間あさま 奏多かなた。娘がお世話になってるみたいだね?」



 女が笑う。あどけない少女のような表情で、女は笑う。


 予感があった。とても嫌な予感が。あそこで蓮吾を見送れば、もう二度とあいつと会うことはできない。そんなつまらない予感。そしてそれは、単なる予感ではなかった。こうして彼女と相対してみて、それを強く実感する。



 ──この女は、異常だ。



 立っているだけで空気が軋む。笑うだけで世界が震える。これが1000年を超え、なおも生き続ける不死者の存在感なのか。それともあの浅間さんの母親だからこそ、ここまでの威圧感を感じるのか。なんにせよ、軽々しく声をかけていいような存在ではないのは確かだ。


「……まあでも、仕方ないよな」


 それでも、逃げる訳にはいかない。この女性は、あの浅間さんが殺したいと思うほど恨むような人間だ。勝てないと分かっていても、放置はできない。


 女性──浅間 奏多さんは黙り込んだ俺を見て、楽しげに口元を歪めた。


「ふふっ。そんなに警戒しなくても大丈夫。別に、取って食ったりはしないからさ。私、君には期待してるんだから」


「……期待って、なんのことです?」


「私のことだよ」


 奏多さんは、無邪気な顔で笑う。その瞳からは、悪意なんてカケラも感じない。なのにどうしてか、背筋が震える。


「衣遠は失敗だったからね。あの子は個として完成しているけど、それ故に集団に交わることができない。特別だけど、世界に影響を与える力を持たない。綺麗なだけで、何の使い道もない芸術品と同じだね。あれはだ」


「……自分の娘に随分と酷いことを言うんですね? 浅間さんは貴女のこと……恨んでましたよ?」


「そうなの? ひどいなー。あの子が『浅間』を名乗れるのは私のお陰なのに……。ま、別にどうでもいいけどね。恨まれようが憎まれようが、私にはもう関係のないことだから」


 空虚に響く言葉。色のない瞳。言葉だけでなくこの女は本当にもう、浅間さんに何の興味もないのだろう。感情をあまり表に出さない浅間さんが、殺さなければならないと言うほど恨む人物。なのに当の本人は、娘のことをなんとも思っていない。


「……気に入らないな」


 その事実に、どうしてか脳みその奥が熱くなる。奏多さんは小さく笑って、言葉を続ける。


「個としての完成は、思ったよりも大したものじゃなかった。あの子じゃどう頑張っても、にはなれない。討伐者たちはあの子に『死神』なんて大層な名前をつけたようだけど、あれはいいとこ『殺人鬼』。……あの子じゃ私を殺せない。それが分かった時点で、あの子の存在価値はなくなった」


「浅間さんの存在価値は、貴女が決めることではないでしょ?」


「だったら誰が決めるの? 君? それとも社会? 或いは神様かな? 君たち人間の価値観って簡単に移り変わるから、よく分からないんだよね。気に障ったなら、謝るよ」


「…………」


 思わず、言葉に詰まる。目の前のこの女性は、外見だけなら20代中頃から後半といったところだろう。とても、高校生の娘がいるようには見えない。


 しかし浅間さんや討伐者たちの話が本当なら、彼女の年齢は優に1000歳を超えている。そんな化け物が、何を正しいと思い何に価値を見出すのかなんて、俺に分かるはずもない。


「怖い目だね、蒼井くん。さっきのあの男の子と話していた時とは、まるで別人だ」


「蓮吾のことは嫌いですけど、敵意を向けるほど恨んじゃいない」


「私も別に、君に恨まれるようなことをした覚えはないんだけどね」


「俺にじゃなくて、浅間さんにです。……貴女がもし浅間さんにも同じようなことを言うのなら、俺は本当に貴女を許さない」


「ふふっ。許さない、か。可愛いこと言うんだね、蒼井くんは。……でも、それは侮りだね。私のことはいいとして、友達を侮るのはよくない。あの子……蓮吾くんは、明らかに君に敵意を向けていた。なのに君は、彼を蔑むだけで相手にしない。君のその態度は高潔なのかもしれないけど、酷く傲慢だ」


「……それは、貴女には関係のないことでしょう?」


「だったら、衣遠と私のことも君には関係のないことだ」


「それは……」


 それは確かにそうなのかもしれない。浅間さんだって、俺に助けて欲しいなんて言わないだろう。でも、それでも俺は……


「なんてね、私はそんな酷いことは言わないよ。……ただ、君はもう少し気をつけた方がいい。いつだって世界を変えてきたのは、善意ではなく悪意だ。天才が創る美しい世界なんて、弾丸1つで崩れ落ちる。悪意に対抗できるものがあるとするなら、それは……悪意だけだよ」


 風が吹く。奏多さんの黒い綺麗な髪が揺れる。そしてその切間から、真っ赤な双眸がこちらを射抜く。


「……っ」


 思わず俺は、後ずさる。怖いと思った。何が怖いのか、自分でもよく分からない。ただ胸が痛くて、魂が震える。とても理不尽な力で恐怖を強制されているような、そんな不快感。


 奏多さんは、やはり……笑う。


「私はね、一度この世界を終わらせたいんだよ。今はその為のトリガーを探してる」


「……世界を終わらせる? 本気ですか、それ……」


「もちろん、私は本気だよ。私は一度、この世界を終わらせたい。だって明らかに、今の世界は停滞している。君たち人類は、進化の方向性を間違えた。変化し続ける社会に、君たち自身が置いていかれてしまっている。このままだと1000年は保っても、2000年は保たない」


「……だから貴女が滅ぼすと?」


「そ。間違っているものは、誰かが正さなければならない。でも今の君たちにはそんな力も余裕もないようだから、私が代わりにやってあげる。人類きみたちが少しでも、長生きできるようにね。……それに、私の退屈凌ぎにもならない世界なんて、存在している意味がないでしょ?」


 女は笑う。とても無邪気な表情で、女は笑う。


 この女は一体、何を言っているんだ。世界を終わらせるなんて、今どきアニメの悪役でも口にしないような戯言だ。……でも多分、この女にはその戯言を現実にするだけの力がある。浅間さんが言っていた『人類最悪』という言葉。確かにこの女は、最悪だ。



 ──誰かが殺さなければ、ならないほどに。



「簡単なことだと思うんだけどね。死なない生物が不自然なことくらい、誰でも分かる。死にたくないなんて願いは歪なことだと、誰でも理解している。なのに君たちはどこかで、自分だけは特別なのだと信じている。……この世界だけは、特別なのだと信じている」


「それは一部の人間だけですよ」


「でも君は、自分が老いて死ぬ姿を想像できない」


「それは……」


 それは誰でもそうだろう。高校生で、そんなことを考えながら生きてる奴なんていない。そんな言葉が思い浮かぶが、それでは反論にはならない。


「別に恥じることはないよ。それは普通のことだから。ただ、私は君たちよりちょっとだけ長く生きているから、見えてるものが違うんだよ」


 奏多さんがゆっくりとこちらに近づいてくる。逃げなければと思うが、どうしてか身体が動かない。


「人はいつか死ぬ。地球だって、あとちょっとすれば消えてなくなる。宇宙にだって限界はある。なのに君たちは、南極の氷がどうとか、自然環境の保護がどうとか。意味のないことばっかり。世界に正しい姿なんてないのに、君たちは今の環境を守ることこそが正しいことなのだと信じている。守りに入った生き物は弱い。そんなことをしているから、君たちは自身の進化に置いていかれることになる。……まあ、価値観の維持を善と定義してしまった以上、こうなるのは必然だったんだけどね」


「……貴女の主張は分かりました。でも、俺たちは……少なくとも俺は、そんな尺度で生きてはいない。今、大切だと思うものを守って、楽しいと思ったものを大事にして、美しいと感じたものを創る。そういう風にしか、俺は生きられない」



「──だから私が、滅ぼすんだよ」



 それはまるで、神の宣告のようだった。……浅間さんがこの女と相対する前に、俺がどうにかできればと思っていた。今の俺ならそれだけの力があるのだと、驕っていた。……何より、母親のことを話していた時の浅間さんの悲しそうな顔を、もう見たくはなかった。


 でも、これは……無理だ。


「私はね、死ねないんだよ。私は君たち紛い物の不死者と違って、本当に何があっても死ねない。剣で刺されても、銃で撃たれても、毒を飲んでも、マグマに落とされても、この星が爆発したとしても……私は死ねない。たとえ私のこの細胞を1つ残らず消滅させたとしても、次の瞬間には私はここにいる。だからせめて、この世界には楽しくあって欲しいんだよ」


「……貴女の事情なんて、知ったことじゃない」


「そ。だから私も、この世界のことなんて知ったことじゃない。世界に絶望して死ぬ君たちの気持ちなんて、私には分からない。私からすればそれは、読んでる本がつまらないから死ぬって言ってるようなものだ。今読んでる本がつまらないなら、別の本を読めばいい。この世界が退屈なら、別の世界を作ればいい。それだけだよ」


 女の冷たい手が頬に触れる。俺は再度、確信する。この女を、殺さなければならないと。……そして同時に、思ってしまった。この女はなんて、美しいのだろうか、と。


 周りの栄養を吸収して、一際、綺麗に咲く花。他を顧みない個は、それだけで圧倒的な美を内包している。浅間さんが美しいのと同じ理由で、この女は美しい。……ただそれでも、浅間さんには弱さがある。その弱さがあるから、俺は今も彼女の隣を歩くことができる。でもこの女には、それがない。


「……美しいだけの歪」


 俺も不死者として生き続ければ、こんな怪物になってしまうのだろうか? ……分からない。でも放置はできない。やるなら一息に、この女がこちらを警戒する前に、この女を殺せるだけの世界を創造する。


 大丈夫。俺ならできる。俺なら、この女を殺せるだけの世界を──



「残念。私と敵対するなんて、1000年早い」



「…………え?」


 何をされたのかも、理解できない。ただ気づけば俺は地面に倒れていて、起き上がることすらできない。意識が……霞む。


「それじゃ、私はもう行くよ。蒼井くんも、気をつけて帰りなよ? この辺りは最近、怖い吸血鬼が出るらしいから」


 そんな言葉が最後に響いて、プツリと俺の意識は途絶えた。


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