生意気な後輩に人生を全否定されたので、腹いせに屋上から飛び降りたらどうなるか検証してみた。

式崎識也

第1話 始まり



 不幸なことは、重なるものだ。



 朝寝坊して。登校中に石に躓いて転んで。ちょうど分からないところで先生に当てられて。目の前で購買のパンが売り切れて。絵のコンテストに落選して。このままだと奨学金を打ち切ると言われて。


 お世話になっていた親戚の家を追い出されることになって。付き合っていたはずの幼馴染が、親友だと思ってた男と手を繋いで歩いているのを見て。



 何もかもが、上手くいかない。



 そんな嫌な現実から逃げるように、屋上で薄暗い空を見上げることしかできない俺に、彼女は楽しげな笑みを浮かべて言った。


「先輩って、ほんと残念な人ですよね?」


 いつの間にか背後に立っていたのは、同じ美術部の後輩──神谷かみや 夜奈やな。彼女は肩口で切り揃えられた薄く紫がかった黒髪を風に揺らし、小馬鹿にするような顔で笑う。


「先輩、美術の特待生枠で入学したのに、もう1年以上ずーっとスランプでろくに絵も描かない」


 その通りで、反論もできない。


「先輩の友達の東山とうやま先輩は、この前コンテストで入賞してたのに」


 ……そうだ。あいつはいつも、俺の先を行く。


「しかもその東山先輩、先輩がずっと片想いしてる宇佐うささんと付き合ってるらしいですよ?」


 確かに今日、2人が仲良さそうに手を繋いで歩いているのを見た。……というか片想いじゃなくて、付き合っていたはずなんだが。


「…………」


 大してショックを受けないことが、1番ショックだったかもしれない。俺にはもう……生きる気力がない。


「? どうしたんですか、先輩。黙り込んじゃって。もしかして、ショックでなにも言えないんですか?」


 神谷さんが、ゆっくりとこちらに近づいてくる。無意識に後ずさっていた俺は、そのまま屋上のフェンスにぶつかる。もう逃げ場はない。


 俺は自分でもびっくりするくらい乾いた声で、言った。


「別に、ショックなんて受けないよ。ただ、もう言うべきことはないかなって思っただけで」


「……なんですか、それ。またいつもの負け惜しみですか?」


 俺の冷めた言葉を聞いた神谷さんは、不機嫌そうに眉をひそめる。彼女はいつも俺のことを小馬鹿にしてくるが、ここまで無愛想に対応したことはなかった。きっとそれが、気に入らないのだろう。


 俺は小さく、息を吐く。


「とにかく、俺はもう疲れたんだよ。負け惜しみを言う気力もない」


「ならもういい加減、絵を描くの辞めたらどうですか?」


「……そうしたいんだけどね。奨学金のこともあるから、そう簡単にはいかないんだよ」


「でも先輩、才能ないじゃないですか。中学の頃、まぐれで一回凄い賞を取っただけで、それ以外は全然なんですから」


「ははっ、酷いこと言うなよ」


「でも、事実でしょ? 美術部の子たちもみんな、同じこと言ってますよ?」


「……かもな」


 美術部での俺の評判は最悪だ。ろくに絵も描かない癖に奨学金をもらって、しかも親戚が理事長の知り合いだから、いろいろと便宜をはかってもらっている。


 そんな俺はいつも、コネしか取り柄のない男だと陰口を叩かれていた。付き合っていたはずの宇佐さんと、親友の蓮吾れんごだけは違うと思っていたが、きっとあいつらも陰で俺のことを悪く言っているのだろう。……もういい。もう疲れた。



 全部、どうでもいい。



「うわっ、雨降ってきた。……最悪。先輩みたいな人と関わってるとろくなことがないので、あたしはもう行きますね。実はこれから、美術部のみんなで打ち上げがあるんです」


「……打ち上げ?」


「そうです! この前のコンテストの打ち上げと、東山先輩が賞をとったお祝いをするんです! ……あ、すみません。先輩は呼ばれてなかったですね」


「呼ばれても行かないよ。ライバルの祝勝会なんて」


「……え? ライバルって、先輩……なに言ってるんですか? 何度も賞を取ってみんなから慕われてる東山先輩と、コネしか取り柄のない先輩がライバルだなんて……あはははははは! 身の程知らずもいいとこですよ!」


 神谷さんは笑う。本当に楽しそうに、彼女は笑う。……それを悔しいとすら思わない俺は、厚い雲に覆われた空を見上げることしかできない。


「じゃ、あたしはもう行きますね? 先輩もいい加減しっかりしないと、みんなから見放されちゃいますよ?」


 それだけ言って、神谷さんは屋上から立ち去る。1人取り残された俺は苛立ちをぶつけるように、フェンスを叩いた。


「うるせーよ、クソがッ! どいつもこいつも、好き勝手言いやがって!」


 雨が激しさを増す。怒りの声すら、雨音に飲み込まれる。とことんまで世界に嫌われてしまったような感覚に、俺は再度、フェンスを叩く。


「いいさ、俺だって嫌いだよ、こんな世界」


 飛び降り防止用の高いフェンスを登る。雨で滑って落ちそうになるが、構わない。今さら、怖いものなんて何もない。


「ははっ。こんなことだけ、上手くいくなよ……」


 どうせ上手くいかないと思っていたのに、気づけば俺はフェンスの向こう側に立っていた。……ならもう、迷う必要はない。


「……ごめん、父さん、母さん。俺はもう無理だ」


 最後にそんな情けない言葉を残して、俺はそのまま屋上から飛び降りた。そうしてここから、俺──蒼井あおい すすむの逆転劇が……始まった。


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