第18話 何の為に



 深夜。1人広い部屋でスケッチブックと睨み合っていたが、やはり手は動かない。……もう乗り越えたと思っていたのに、聴こえないはずの雨音が聴こえてくる。手に汗が滲む。呼吸が乱れる。


「やっぱ、駄目か……」


 俺は諦めたように、鉛筆とスケッチブックをテーブルに置く。


「まだ時間はあるけど、何が駄目なんだろうな……」


 部内コンペの締切まで、まだあと一月以上もある。まだ慌てるような時間ではないが、蓮吾に大見得切った手前、情けない真似はできない。


「その前に、まずは期末テストなんだけど」


 期末テストまで、あと1週間。いろいろあって勉強なんてしてないから、あんまりのんびりはしていられない。……と、そう思っていたのだが……。


「不死者って、こういうところでも便利だよな」


 昨日の金曜日の夜から、ついさっき……土曜の夜まで、24時間ぶっ通しで勉強をしていたが、少しも疲れを感じないどころか集中力も途切れない。週末だし、どこまでできるか試してみるかと思いやってみたが、先にテスト範囲が終わってしまった。


「それでも、全く眠くならないんだもんな。なんかちょっとだけ、暴れる奴の気持ちも分かるな……」


 何だかずっと、長い1日が続いているような閉塞感。身体は少しも疲れていないのに、精神が摩耗する。……こんな気分じゃ、いい絵は描けない。


 明日は日曜だし、気晴らしに浅間さんでも誘って、どこか出かけてみようか。なんてことを思った直後、部屋の扉が開いた。


「蒼井くん、ちょっといいかな?」


 お風呂上がりなのだろうか? 何だがいい香りを漂わせながら、薄着の浅間さんが近くのソファに座る。


「って、ごめん。もしかして取り込み中だった?」


 テーブルの上のスケッチブックを見て、浅間さんは申し訳なさそうな顔をする。俺は首を横に振った。


「いや、大丈夫。ただ、浅間さんに絵を見せられるのは、もう少し先になりそうかな」


「そっか。でも別に急がなくてもいいよ? 私はいつまでも待つから」


 浅間さんはポンポンと、ソファの空いてるスペースを叩く。俺は小さく息を吐いて、浅間さんの隣に座る。浅間さんは当然のように、俺の肩に頭を乗せた。


「……なんか浅間さん、最近ちょっとスキンシップ多くない?」


「私って実は甘えん坊だからね。……これでも、我慢してるんだよ? 本当は蒼井くんのこと、抱き枕にして寝たいなって思ってるから」


「……それはちょっと、ハードル高いな」


 俺は意味もなく、天井を見上げる。浅間さんはまた、小さく笑った。


「それより蒼井くん、明日って暇? もし暇ならさ、莉緒……妹の相手をしてもらいたいんだけど」


「妹って、この前の子だよね。それは別に構わないけど、なんで俺?」


「いや、前にあの子言ってたでしょ? ラーメン屋に連れてって欲しいって。それで明日、約束してたんだけど、急な用事が入っちゃってさ。それで代わりに、蒼井くんにお願いできないかなって」


「別にいいけど、急用ってまた危ないことだったりするの?」


 この前の廃ビルの件から、深夜の外出は控えている。……別に死ぬ必要も戦う必要もないのだから、特別な世界が見たい程度の理由で、街をうろつかないようにはしていた。


 でも浅間さんは、偶にどこかに出かけているようだったので、今回もその辺りのことかと思ったが、浅間さんは笑って首を横に振った。


「今回はそういうのとは、また別。蒼井くんが、心配するようなことじゃないよ」


 浅間さんが俺の頭を、優しく撫でる。何だか子ども扱いされてるようで、照れ臭い。俺は逃げるように、視線を逸らす。


「ま、分かったよ。妹さん……莉緒さんを、ラーメン屋に連れてってあげればいいんだよね? ちょうど、どっか出かけたいと思ってたし、問題ないよ」


「ありがとね。支払いは、前に渡したカード使っていいから。なんか蒼井くん、変なところで遠慮するけど、気にしなくていいからね? 1億、2億使った程度で誰も文句なんて言ってこないから」


「……そんな額の金の使い方を知らないだけなんだけどね、俺」


「ふふっ、蒼井くん。そういうところは子どもっぽくて、可愛いね」


 浅間さんは俺の髪をくしゃくしゃと撫でて、そのまま部屋から出て行く。部屋に残ったいい香りに、俺はまた息を吐く。


「やっぱまだ、同居って慣れないよな」


 浅間さんは無防備なので、普通に下着が見えてる時もあるし、さっきみたいに軽々しくスキンシップをして、いろんなところが当たってしまうことも多い。


「まあでも、いずれ慣れるか」


 そのまま俺はベッドに入る。……が、やはり眠ることはできず、どうしてか昔のことを思い出す。


 近所に絵画教室ができて、蓮吾と宇佐さんと一緒にそこに通うようになった。それが、俺が絵を描くことになったきっかけ。……でも、当時の俺は下手くそで、2人によく笑われた。そんな俺が絵にハマったきっかけが何かあったはずなのだが、どうしてもそれを思い出すことができなかった。



 ◇



 そして、翌日。浅間さんに言われた通りの場所で待っていると、可愛らしい黒髪の女の子……莉緒さんがやって来た。


「おはようございます。蒼井さん……ですよね? なんで貴方が、ここにいるんですか?」


 莉緒さんは驚いた顔で、俺を見る。俺は少し考えてから、口を開く。


「浅間さんから、聞いてないみたいだね。なんか浅間さん、用事あるみたいだから、代わりに俺がって言われて来たんだけど……」


「…………」


 莉緒さんは、何だか複雑そうな表情で黙り込む。年頃だし、男の俺と出かけるのは嫌だっただろうか? なんてことを考えていると、彼女は言った。


「15分……いえ、30分だけ時間をください。すぐに……すぐに戻って来ますので!」


 それだけ言って、莉緒さんは凄い勢いでどこかへと走り去ってしまう。


「……どういうこと? まあ別に、30分くらい待つのはいいんだけどさ」


 なんて呟いて、頭の中で1人チェスをしていると、あっという間に30分。


「お待たせしました」


 さっきよりずっと可愛らしい服に着替えた莉緒さんが、戻ってきた。


「……それ、わざわざ着替えて来たの?」


「はい。男の人と出かけるには装備が不十分だったので、近くの武器屋で装備を整えて来ました」


「いや、武器屋って」


「女の子にとって、服と化粧は武器ですから。……どうですか? 可愛いですか?」


「……うん、可愛いと思うよ」


「ふふっ。そうでしょうそうでしょう」


 その場でクルンと回る莉緒さん。可愛らしいフリルのスカートが揺れる。……まあ、嫌がられてないのはよかった。この子もちょっと、変な子だなとは思うが。


「で、ラーメン食べたいんだっけ? 何系が食べたいとか、そういうのあったりする?」


「全部ですよ、全部」


「……全部?」


 首を傾げる俺に、莉緒さんは当然ですと、頷きを返す。


「家系も二郎系も全部、食べます! その為に今日は、朝から何も食べてないんですから!」


「……家系と二郎系って、その辺はしごするのは男の俺でも厳しいんだけど……」


「大丈夫大丈夫。ほら、行きますよ?」


 莉緒さんに手を引かれて、歩き出す。そういう強引なところは、浅間さんによく似てる。


 そうして2人で、いろんなラーメン屋を食べて回った。……正直、不死者になってから食欲は減る一方で、ラーメン一杯でお腹いっぱいだったのだが、莉緒さんはびっくりするくらいよく食べるので、俺も付き合いで食べまくった。


 まあ不死者なので、いくら食べても胃もたれすることはない。そう考えると、やはり不死者は便利だ。


「いやー、美味しかったですね、ラーメン。これでまた、明日も頑張れます」


 近くの公園のベンチで休んでる俺に、莉緒さんは烏龍茶を渡してくれる。


「……ありがと」


 烏龍茶を受け取って、蓋を開ける。……うん、冷たくて美味しい。莉緒さんは俺の隣に座って、コンビニで買ったであろうソフトクリームを食べ出す。……この子、まだ食べるのか。浅間さんも大食いだったし、もしかしたら血筋なのかもしれない。


 ……いや、血は繋がってないと、言ってたんだっけ。


 莉緒さんは、こちらを真っ直ぐに見つめ、言った。


「今日はありがとうございました。お陰でたくさん、美味しいラーメン食べられました」


「別にいいよ。隣で一緒にラーメン食べてただけだし、お礼を言われるようなことはしてない」


「その隣に居てくれたのが、大事なんです! ラーメン屋は私にはハードルが高いので、1人じゃ入れないんです」


「そんなに気にしなくても、いいとは思うけどね」


「気にしますよ。お年頃ですから」


「それ、自分で言うんだね……」


 俺は小さく笑う。莉緒さんは楽しそうに足をぷらぷらとさせながら、言う。


「蒼井さんは、どうして姉さんと一緒に住んでるんですか?」


「え、あー、どうだろう……」


 改めて訊かれると、答えに詰まる。この子は不死者のこととかも知ってるから隠す必要はないのだが、改めて『どうして?』と問われると、成り行き以外の言葉が思い浮かばない。


「ま、運命かな」


 と、俺はかっこよく言い換えた。


「あー、成り行きですか」


 と、お年頃の女の子は、冷めた言葉を口にする。


「まあでも、姉さんが選んだってことは、きっと貴方は特別なのでしょう。……けど貴方も、姉さんの隣にいることの意味は、分かってますよね?」


「まあ、ね……」


 浅間さんの隣にいると、これからもまた変なのに襲われたりするのだろう。……別に、離れたからって狙われなくなることはないのだろうけど、それでも浅間さんは……特別だ。


 彼女は俺を守ってくれる。けれど彼女は、異常を引き寄せる。離れるつもりはないが、俺にはまだ覚悟が足りないのかもしれない。


 莉緒さんは立ち上がり、言う。


「実は私、姉さんに頼まれて、姉さんのお母さんを探してるんです」


「お母さん……?」


「そうです。私のお母さんとは、別の人。……その人も、不死者なんですよ」


 風が吹く。莉緒さんの綺麗な黒髪が、風に揺れる。


「ま、あんまり言うと怒られるかもしれないから言わないですけど、姉さんがこの街にいるのは……お母さんを探す為なんです」


「……探すって、どうして?」


「殺す為ですよ」


 莉緒さんはそう断言する。俺は何も言葉を返せない。


 俺はやっぱり、浅間さんのことを何も知らない。……きっと訊いたら何でも答えてくれるのだろうけど、なんていうか……迂闊に踏み込めないような何かが、浅間さんにはある。


「うーん、やっぱりそうだ。前から思ってたんですけど、蒼井さんの顔、どっかで見たことある気がするんですよね」


 莉緒さんが俺の顔を覗き込む。俺は思考を現実に戻し、口を開く。


「多分、ニュースとかじゃない? 俺昔、絵の賞とってテレビとか出たことあるから」


「あー! そうだ! 天才画家の蒼井 進! 蒼井さんって、あの蒼井 進だったんですね!」


 莉緒さんが、街で芸能人を見かけた時みたいに、パーっと可愛らしい笑顔を浮かべる。……なんだか少し、恥ずかしい。こういうのは、久しぶりだ。最近はずっと、馬鹿にされてばかりだったから。


 俺は照れ臭さを誤魔化すように視線を逸らし、言う。


「でもそれはもう、過去の話だよ。しばらくずっと、描いてないからね」


「あれ、そうなんですか? じゃあもう、辞めちゃったんですか? 絵」


「いや、辞めたって訳じゃないけど、スランプっていうか、嫌になったっていうか……」


「よく分かりませんけど、嫌なら辞めればいいんじゃないですか? 絵の話してる時の蒼井さん、なんかちょっと辛そうですよ?」


「────」


 当然の疑問に、とっさに反応できなかった。


 浅間さんに絵を見せてあげたいと思った。蓮吾に勝負を挑まれた。でも別に……嫌なら辞めても、いいんだ。前は奨学金のことがあったから辞めるに辞められなかったが、今はもう無理して絵を描く必要はない。


 どれだけ立派なエンジンを積んでいたところで、ガソリンがなければ車は走らない。……当然のことなのに、全くそんなこと考えなかった。



 ──そもそも俺は、絵を描きたいと思っているのか?



 黙ってしまった俺を見て、莉緒さんは申し訳なさそうに頭を下げた。


「なんて、すみません。出過ぎたことを言ってしまいました。私別に、人に何か言えるほど、何も頑張ってませんから。寧ろ、勉強とか嫌いなんで逃げまくってます」


「……勉強は、しておいた方がいいとは思うけどね」


「うちはお金持ちなんて、大丈夫ですよ。大学とか、お金を積めば入れますから」


「うーん、そこまで断言されると、何も言えない」


 そのあとも2人で、どうでもいいことを話した。けれど俺の頭の中では、何度も何度も同じ問いが繰り返されていた。


「では、蒼井さん。私はもう帰りますね。今日はありがとうございました」


 そして、夕暮れ。莉緒さんはこちらに向かって、頭を下げる。


「うん。気をつけてね」


 俺はそんな彼女に、軽く手を振る。


「はい、また一緒に出かけましょうね。それと……できればずっと、姉さんの側にいてあげてください。姉さんは何があっても傷つかない強い人ですけど、傷つかないってことは……とても、悲しいことですから」


 そんな言葉を残して、莉緒さんは立ち去った。なんだかこのまま夜の散歩でもしたい気分だったが、変なのに絡まれても面倒なので、大人しく家に帰ることにする。



 そして翌日。美術部に顔を出すと、また問題が起こった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る