第3話 本当の気持ち
「神谷さん、少し話いいかな?」
進と付き合っていた幼馴染の少女──
「少しだけなら構いませんよ、宇佐先輩」
「……相変わらず愛想がないね、神谷さんは」
莉里華は呆れたように息を吐き、辺りに人影がないのを確認してから言う。
「進くんが屋上から飛び降りたって噂、神谷さんも知ってるよね?」
「そりゃ、嫌でも耳に入りますよ。美術室は、その噂で持ちきりですから」
「あはは、みんな勝手だよね? 進くんの気持ちも知らないで、好き勝手言ってるんだからさ」
「…………」
夜奈は言葉を返さない。莉里華は小さく口元を歪め、言葉を続ける。
「……神谷さんさ、何か知らない? 進くん、お世話になってた親戚の家……追い出されたらしくて、今は行方不明なんだよね。いくらメッセージ送っても、既読もつかないし……」
「追い出されたって、それ本当ですか⁈」
驚きに目を見開く夜奈に、莉里華はあくまで淡々と告げる。
「こんなことで、嘘なんてつかないよ。元々、親戚とは折り合いが悪かったらしいしね」
「そう、ですか……」
夜奈は痛みを堪えるように、手をぎゅっと強く握り締める。莉里華は小さく、息を吐く。
「それで進くん、もしかしたら神谷さんのところで、お世話になってるんじゃないかなって思ったんだけど……」
莉里華は一歩、夜奈の方に近づく。夜奈は無意識に一歩、後ずさる。
「……先輩はあたしのところになんて、来てませんよ。というか、宇佐先輩と蒼井先輩は幼馴染なんでしょ? 付き合ってるなんて噂もありましたし……。行くならあたしのところじゃなくて、宇佐先輩のところなんじゃないですか?」
「あははは。私のところに来てたら、わざわざ神谷さんにこんなこと訊かないよ。面白いこと言うんだね、神谷さんは」
「…………」
「…………」
2人はしばらく、無言で見つめ合う。梅雨の蒸し暑い風が、ガタガタと窓を震わせる。
「ま、でもそうですよね。今は宇佐先輩、東山先輩に夢中でしたもんね? 今さら蒼井先輩になんて、興味ないですよね」
不自然なくらい明るい笑みを浮かべた夜奈が、沈黙を破る。莉里華は苛立ちを隠すように視線を逸らし、前髪を指に絡める。
「……確かに私は東山くんとも仲がいいけど、そういう言われ方をされると、ちょっとムカっときちゃうな。……もしかして神谷さん、機嫌悪かったりする?」
「別に、あたしは普段通りですよ?」
「そうだよね。神谷さん、普段から進くんに酷いことばっかり言ってたもんね。今さら『実は構って欲しかっただけ』なんて、そんな子供みたいなこと言わないよね?」
「……っ」
夜奈は親の仇でも見るような目で、莉里華を睨む。莉里華はそんな夜奈を、冷めた目で見つめ返す。
「怖い顔。……ほんと、不器用な子って損だよね? あんなアプローチの仕方じゃ、鈍感な進くんが気づいてくれるわけないのに」
「あたしは別に、アプローチなんてしてません」
「なにそれ。自分の好意に無自覚なんて、馬鹿よりタチの悪い子供だよ? 好きな子に意地悪しちゃう……なんて、小学生で卒業しなきゃ」
莉里華は楽しげに口元を歪め、夜奈を見る。
明るくて美人で、誰にでも親しげに話しかけるみんなの人気者な少女──宇佐 莉里華。そんな彼女の本性を知っている夜奈は、忌々しげに舌打ちをする。
「そうです。あたしは不器用なんですよ。蒼井先輩が賞を取ったと聞いたら擦り寄って、落ちぶれたら他の男に乗り換える。そんな器用な真似、あたしにはできませんから」
「……っ!」
莉里華の笑顔が崩れる。2人は黙って睨み合う。
こんなところで言い合いをしても、意味はない。2人ともそれくらい、理解していた。夜奈はいつも進のことを馬鹿にしていたし、莉里華も落ちぶれていく進を助けようとはしなかった。……彼がどれだけ追い詰められていたのか、考えもせず……。
──少女たちは、ただ純粋に後悔していた。
そして同時に、自分たちに後悔する資格なんてないと分かっていた。だから2人はこうして、八つ当たりするように言い合いをすることしかできない。
「……分かった。もういいよ」
莉里華は根負けしたと言うように大きく息を吐き、夜奈から視線を逸らす。
「どうやら神谷さんも、何も知らないみたいだしね。……東山くんも神谷さんも知らないとなれば、進くん、今頃1人でネカフェにでもいるのかな。……まさか本当に飛び降りたなんてこと……ないはずだし」
「なんにせよ、あたしには関係のないことです。あたしはただ……」
「ただ、何なのかな?」
「…………」
夜奈は続く言葉を口にすることができず、逃げるように窓の外に視線を逃す。厚い雲に覆われた空。梅雨のじめっとした、肌に張りつくような空気。
何もかもが気に入らず、夜奈は黙って歯を噛み締める。莉里華はそんな夜奈に背を向け、小さく口元を歪めて言う。
「神谷さんはさ、自覚がないのかもしれないけど……神谷さんって結構、敵を作る性格してるよね?」
「……それくらい、自覚してますよ。あたしはちゃんと、自分の性格を理解した上で立ち回ってますから」
「あははは、無自覚な子は可愛いね? 神谷さんは先輩でも先生でも、気に入らなければ相手を選ばず噛みつく。神谷さんは勉強もできるし、絵も上手いし、顔もいい。神谷さんには、相手を黙らせるだけの力がある。だから相手は、鬱憤が溜まる一方」
「……何が言いたいんですか?」
不愉快さを隠しもせず眉をひそめる夜奈に、莉里華は不自然なまでに明るい声で言う。
「『流石に神谷さんの態度は目に余る。だから一度、説教をしてやろう』とか。『神谷さんって、ちょっと可愛いからって調子に乗っててムカつくよねー』とか。神谷さんの態度に腹を立てた人たちが、度を超えた悪意を向けることが何度かあった」
「そんなの、あたしは──」
「神谷さんが知らないのは当然だよ。だって神谷さんの為に、そういうのを事前に止めてくれてた人がいるんだから。……ほんと、不器用なのって損だよね?」
「それってまさか……!」
夜奈が莉里華の肩を掴む。けれど莉里華は気にした風もなく、笑う。
「ふふっ。今度会ったら、『いつもありがとう』くらい言ってあげた方がいいと思うよ? じゃないと進くんが……あまりに報われないから」
それだけ言って、莉里華は美術室の方に向かって歩き出す。その背を引き止める言葉を持たない夜奈は、ただ唖然と立ちすくむことしかできない。
「先輩があたしの為にそんなこと……あるわけ、ない……」
ただそれでも、胸に生じた痛みは消えてくれない。最後に見た、進の悲しげな表情。彼は今も雨の中、一人孤独に震えているのかもしれない。そう思うと、胸が張り裂けるように痛んだ。
「……あ」
そこでちょうど、下校時間を知らせるチャイムが鳴り響く。けれど夜奈は、しばらくその場から動くことができなかった。
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