第19話

 今日は、夢を見なかった。

 いや、もしかして、これが夢なのかもしれない。

『……エ、クロエ!』

 私はファーフの声で目を覚ます。夢だと信じながら、見知らぬ天井を視界に入れた。

「……私、生きてる?」

 私は起き上がり、ベッドから離れ、周りを見渡す。

 部屋は円形。少し狭いのが印象的だ。

 ベッドは中央に置かれていたらしいが、それ以外の物は見当たらない。本や机くらい置いていても良いと思うのだが、この部屋の持ち主は質素なのが好きなのだろう。

 私は窓に近寄り、外の景色を見る。だがそこから見えるのは、太陽に照らされるだけの木々ばかりだった。

「ファーフ、ここ、どこなんですか?」

『……魔塔じゃ』

「ま、魔塔?」

 私は驚き、思いのほか大きな声を出してファーフの言葉を復唱した。

 そしてその声に気付いたのか、はたまた偶然なのか。私の元へと誰かが足音を鳴らすのが聞こえた。

「ファーフ、ど、どうしましょう!」

『普段通りの貴様を見せるのじゃ。ワシの事は言うでないぞ!』

 足音は大きくなり、最終的にドアの前で止まった。

「おはようございます、夫人。よく眠れましたか?」

 ノックと同時に、そう質問される。

 この声は、私が攫われる前に聞いた声だ。

 そしてその男は、まだ何も言っていないのにドアを開け、私の前に姿を見せた。

 そこには、夢で見た覚えのある少年がいた。

「おはようございます。いえ、今はこんにちは、ですね。体調はいかがですか?」

 天使の翼のような白髪に、色の違う左右の目。左目は血のような赤色で、右目は宝石のような黄金色だ。背丈は高く、ルークよりも高いのではないかと思うほど。服装はフリルのシャツに、黒のズボンを穿いている。至ってシンプルな服の下には、誰でもわかるようなしっかりとした筋肉を有しているが、ルークには及ばないだろう。

「……あなたは誰なんですか?」

 私は落ち着いて、ひとつ質問をする。

 男はきっと、私に危害を加えるつもりは無いだろう。もしもそのつもりならば、もうとっくに私は死んでいただろうから。ならば私は、この対話の中で優位な立場なはず。強気でいかねば。

「おっと、申し遅れました。僕の名前はカレオス。苗字はありません」

 カレオスと名乗った青年は優しく微笑み、私に歩み寄る。

 すると何故か、とてつもない怒りを感じた。それは他人からではなく、自分が発しているのだとすぐに気付いた。

『……カレオスだと? 今、奴はカレオスと言ったか?』

「ええ、カレオスです。ようやくお気付きですか、師匠」

 今、カレオスは誰に返事を?

『ファーフ、これっ……って、ファーフ?』

 私はいつの間にやらファーフと体を交代していたらしい。いや、今はそんな場合じゃない。

 込み上げる怒りはファーフのものであるが、この怒り狂ったファーフはどうやって抑え込めば良いのだろうか。

「貴様、貴様ぁっ!」

 ファーフは近くまできたカレオスの首を、魔法で絞め上げる。ファーフとカレオスは距離が離れているにも関わらず、カレオスは宙に浮き、さらに首は強く絞まってゆく。

「ワシらの命を狙う挙句、弟子の名前まで騙るな!!」

 部屋中に怒号が響く。

 だがカレオスは怯むどころか、首を絞められても無抵抗のままだった。まるで効果が無いような、死ぬのが怖くないような感じがした。

「落ち着いてください。僕は本物のカレオスです。師匠に拾われた、あの哀れな少年ですよ」

 ファーフは彼の言葉に少しの期待を抱き、発動していた魔法を解いた。

「……カレオスは、もうとっくに死んでおるはずじゃ。貴様の話なんぞ、信じられぬ」

「いいえ、師匠。僕はここにいます。子供の頃の面影が、今の僕に残っているでしょう? 例えば、この白い髪とかね」

 身体的特徴で自分を証明しようとするカレオス。ファーフはそれでも信じられないらしい。それはそうだ。見た目なんか魔法でいくらでも加工できるのだから、これで納得する方がおかしいのだ。

『……彼がファーフの言っていた、弟子ですか?』

 私はファーフに質問してみる。

「さあ、それは分からん。ワシは偽物だと思うがな」

「心外ですね、師匠。どうしたら信用してもらえますか?」

「何をしようと信じぬ。屍を被った魔物かもしれぬからな」

 ファーフはカレオスを鋭く睨む。

「もし魔物なら、師匠達が起きる前に食べちゃってますよ」

「……いいじゃろう。なら勝負じゃ。ワシに勝てたら信じてやろう。もし貴様が本物のカレオスなら、ワシと互角かそれ以上なはずじゃからな」

 なんて難しい条件なのだろうか。

 その時、私の体から空腹だと泣き叫ぶ虫の声がした。恥ずかしいので、私は意地でも変わらないが。

「もちろん。ですが、ご飯を食べてからの話、でしょう?」

「……チッ」

 ファーフは軽く舌打ちをした。


♦♦♦

 

 部屋に食事が運ばれて来たのは、存外すぐの事だった。

 焼きたてのパン、湯気が立つクリームシチュー、チーズにブドウ。ファーフの好みが詰まったお昼ご飯だ。

「師匠。お昼ご飯です。ああでも、僕の事を信じてくれないなら、これらは僕が食べてしまいますよ?」

 カレオスは部下らしき人に木製のテーブルと椅子を用意させ、食事ができる環境を整えた。まだこれだけだが、献身的な姿勢は見て取れた。

 ファーフはそんな事は気にせず、目の前の食べ物に目をくらました。

「ふん。まあ、信じてやっても良いぞ。じゃから食うな!」

「はい、ありがとうございます。師匠」

 カレオスは顔に喜びを浮かべた。

 そうしてファーフは礼儀作法を忘れ、パンを鷲掴みする。歯で噛みちぎり、早く咀嚼する。

「僕はお腹が空いていないので、思う存分食べてください」

 横取りするという意思はない、というのを遠回しに伝えると、ファーフはようやくゆっくりパンを味わいはじめた。

『ファーフ……』

 私は呆れながら、ファーフの食事が終わるのを待った。

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