第29話

 夜とは、いいものです。

 真っ暗で、何も見えないくせに、確実にそこにある世界。

 見えてないだけ、目を瞑っているだけ。

 目を凝らしてみれば、そこには全てのものが、昼間のように見えてくる。

 舞台でいえば、休憩の時間。

 続きを演じるために、心と体を休める時間だ。

 だがそれは、演者だけの話。

 舞台裏の人達は、今からが本番なのです。

 特に私のような、主役に座を奪われているような、哀れな小娘には、とっておきの時間なのである。

「今日はなんだか涼しいですね、ファーフ!」

『……貴様、今から何をするか自覚しておるのか? 自覚した上でその調子なら、ワシは恐怖を感じてしまうぞ……』

 新月の今日、私は懐かしい屋敷の近くに居た。

「ファーフは私を反対しなかった。それだけで、嬉しいんです」

 私の見慣れた建物の裏側にまわる。

 ここに隠し扉があることを知っているから。

『……じゃが、全て召喚獣に喰わせるんじゃぞ。でないと魂が逃げ出してしまうからな』

「は、はい! わかりました!」

 様々な思い出が蘇る。

 あの嫌な顔を見るのもこれで最後かと思うと、感動してしまう。

「……と、いけませんね。よし、ふぅ……」

 私は手に魔力を込め、よく練る。

 呼吸を整え、心拍を響かせる。

 腕を突き出し、手のひらと床を水平にさせる。

 準備完了だ。召喚用の魔法陣はないけれど、これでも一応召喚できるらしい。

「出でよ。顕現せよ! 我が呼び声に応じ、従え!」

 私の目の前に、光の柱が現れる。

『な、これはっ! 神獣レベルじゃ!』

 光は収まり、再び暗い夜がやってきた。

 そして目の前に召喚されたのは、大きな獣だった。

「わっ、成功、しました……!」

 獅子は、私をぎらりと睨む。

 鮮血のように赤い瞳に、漆黒の毛皮に包まれている大きな体。

『ふむ、シャルベーシャか。これはまた、とんでもないな』

 この子はシャルベーシャという幻想種で、魔王によって生み出された獅子だと、本で読んだことがある。

「……でも、かっこいい」

 私はゆっくりシャルベーシャに近付き、手を伸ばす。

「────」

 シャルベーシャは、私を受け入れた。

 私なんか一口で飲み込まれてしまいそうだが、目の前の獅子はそんな事しなかった。

 私を信じて、尻を地面について座るシャルベーシャ。

 撫でやすいように、頭も差し出してくれた。

『シャルベーシャに懐かれるのは滅多にない。貴様、どんな魔法を使った?』

 ふわふわな毛に、ゴロゴロと鳴る喉。

 この子、とても可愛い。

「魔法だなんて。たまたま相性が良いだけですよ。ねー」

 相槌を打つように、尻尾を横に振る。

 幻想種って、こんなに可愛いのね。

『さ、もう時間じゃ、行くなら行け』

「それもそうですね。行きましょうか」

 シャルベーシャは影に紛れ、姿を消した。

 私は裏口から屋敷に入り、等間隔に灯された松明を見る。懐かしくも憎い思い出を殺しながら、目的の人物の部屋まで歩く。

 心臓の鼓動がうるさい。

 顔も火照ってきた。

 ああ、はやく、はやく。

「……失礼します、お姉様」

 私はゆっくり扉を開ける。

 視界に広がるのは、ベッドでスヤスヤと眠る姉の姿。

 寝たまま殺してしまうのは些か気に食わない。

 起こしてみようかな。

「……お姉様、起きてください。最後にお話でもしましょうよ」

 私は姉の体を揺すり、起きるよう言ってみる。

「んー……だれよ……っは! く、クロエ?」

「おはようございます、お姉様。えへへ、生まれて初めてお姉様を起こしましたっ」

 姉に触れることを一切許されず、部屋にも入れてもらえたことがなかった。

 今日は新鮮な夜になりそうだ。

「な、なんで、あんたが……」

「転移魔法ですよ。隣国からでも、ひょいっとやって来ちゃいました」

 姉は目を見開く。眠気はさめたかしら。

「で、お姉様。最後に教えてください。どうして私を嫌ってたんですか?」

「最後に……? な、何言ってんのよ!」

「どうして私の事、そんなに嫌いだったの?」

 私は純粋な疑問を投げかけた。

 だけど姉は、問いかけても違う事を言うだけ。

 つまらない。

「誰か! お父様! 衛兵! 侵入者が──」

 シャルベーシャは、豪快に姉の頭を食らう。

 脱力し、またしてもベッドに横になる姉の体。

「もう、お姉様ったら。最後までその調子じゃ、逆に尊敬しますわよ」

 残念な姉を持ったものだと、私は嘆息を漏らす。

『さ、逃げよクロエ。誰かに見つかる前に……って、何してるんじゃ?』

「……ふふっ。ああ、おっかしい! どうして我慢していたの、どうして仕返ししなかったの? ほんっと、どっちも馬鹿ね!」

 私は姉だったものを見て、笑いが込み上げてきた。

 そして指先に魔力を込め、姉の体に狙いを定める。

 一発、また一発と魔弾を打ち込む。

 これだけで、なんだか心がスッキリした。

「あはは! ねえ、お姉様、マリアはどうやって死んだの? アリアンに何をして殺したの? 教えてよ、教えてよお姉様!!」

 私をずっと守ってくれていた二人に対する、恩返し。

 こんな形ですけれど、天国で受け取ってほしいです。

『クロエ、これ以上は止めよ。日が昇ってしまう』

「……それもそうですね。さようなら、お姉様。またお茶会、呼んでくださいね」

 返り血を浴びた服なんか気にせず、私は部屋をあとにする。

 あとひとつ、なにか忘れている気がする。

 私はゆっくり歩きながら考えていると、ようやく思いついた。

「……あ、そうだ。メイドも食べてしまいましょうか」

 私は方向転換をする。

 屋敷の端の方に、メイドの寝室があったはず。

『それをやると、本当に外道になってしまうぞ?』

「一人殺してしまった時点で、私は人ではないでしょう。でも、私が人でなくなったとしても、ルークが生きてさえいればいいのです」

 全てはルークのため。

 彼の呪いを解くために、私は何者にでもなってやる。

「……でも、やっぱり少し面倒です。シャルベーシャにお任せしちゃいましょう」

 急に熱が冷めた。

 何故だろう。メイドには興味が無いからなのかな。

「おいで、私の可愛い子。女の子だけを食べて、私の元に戻ってきてくださいね」

 シャルベーシャの影は、理解したのか、メイドの部屋へと向かって行った。

 姿は見えないけど、嗅覚は効いているのかしら。

「さ、ファーフ、帰りましょう!」

『あ、ああ。そうじゃな。一刻も早く、そうするべきじゃ』

 悲鳴が聞こえる中、私とファーフは転移魔法でその場を去った。

 これを境に、私の中にある全ての常識が崩れていった。

 

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