第30話

「なあ、クロエ」

 それは快晴の昼下がり。

「はい、ルーク。どうかされたの?」

 平和な日々の一コマ。

「俺の呪いが、突然消えた」

 困った顔で、彼は報告をした。

「ええ、そうでしょうね。ふふ、おめでとうございます!」

 私は笑顔を向けながら、紅茶を嗜む。

「だが、クロエ。俺は……」

「そんな事頼んでない、とでも?」

「違う! ただ──」

 ルークは口篭る。

 私を傷つけないように、違う言い方を考えているのでしょう。私にだけ優しいところは、お見通しなのですよ。

「ふふっ。ただ、なんですか?」

 私は屈託のない笑顔を咲かせる。

「ただ俺は、お前を守りたいだけ……だ」

「……そう、ですか。ありがとう、ございます」

 拍子抜けしたように返事をする私。

 まさかそんな事を言われるだなんて思っていなかったから。

 世間では、フォンドゥ家の女性が無惨に殺害されたという話題で持ち切りだ。その話はルークの耳にも届いているはず。それどころか、トストイラ帝国の女性も連続して行方不明になっているのも有名な話だ。

 このふたつの事件の共通点は、被害者は全員貴族やメイドの女性ということと、私と関係が少しでもあるということ。

 私を可哀想な夫人だと、恵まれないレディだとみんなはいうけれど、この私のどこが不幸だというの。

 今、こんなに幸せなのに。

「でもルーク、私はとても強くなったんです。ですからご安心を。自分の体は自分で守れますし、あなたも守ってあげます」

 この有り余る力の使い道に困っていた。

 なにかいい案はないだろうか。

「……ダメだな、俺は。君にそんな事をさせてまで、生きているつもりはなかったんだ」

 目を伏せ、悲しそうに話すルーク。

 なんで、どうして。あなたが悲しむ必要なんてない。

「ああ、やめて、ルーク。自ら望んでやった事なのです。それに、幸せに犠牲は付き物でしょう?」

 ティーカップを受け皿にそっと置く。

 明るい鳥のさえずりは、私の耳を楽しませた。

「私達は幸せであるべきです、幸福であるべきなのです。……もしかして私の事、嫌いになりましたか?」

「そんなまさか、違う。勿論愛している」

 その言葉が出た時、私の心の中にあるもやもやした何かが、スっと消えたように感じた。

 もう満足だ、変な話はやめよう。

「……それよりもルーク。私、明日は魔塔に行くんです。魔法に関する本が、この家よりも魔塔の方が多いですから。ふふっ、ルークを越せるような、強い魔法使いになっちゃいますね!」

「そ、そうか。行ってくるといい。だが、変な真似はするなよ」

 全く、ルークから見た私は、どれほどの変人なのでしょうか。

 大人しく、気弱な私が変な事なんかするはずありませんのに。

「ええ、分かってますよ。というか、変な真似ってなんですか!」

 それは快晴の昼下がり。

 夫婦仲良く紅茶を嗜むというだけの、ただの日常。

 そう、ただの──。



☆☆☆


「あれ、クロエ様じゃん! お久しぶりですね!」

 ネフィアが元気よく夫人に挨拶した声で、俺の考え事が全て飛んだ。

 そういえば今日だったか、と俺は急いで声のする方に向かう。

「こんにちは、ネフィア。今日も相変わらず明るいですね」

 雑談が聞こえてくる。やはりこの声は、クロエ夫人だ。

 ということは、師匠と再び会えるのか。

「こんにちは、師匠と夫人。ようこそ魔塔へ。一先ずお茶を──」

 軽く歓迎しようとした時、無視できない違和感を感じ取った。

 これは完全に、何かが変だ。

『カレオス、久しいのう』

 師匠の声は変わらず、夫人の見た目も変わっていない。

 艶やかな金色の髪は腰まで真っ直ぐ降りていて、服装は至って簡単な装飾がつけられただけのドレス。海のような青い瞳。華奢な体。

 ネフィアも同様、桃色の髪と瞳に、魔塔のローブ。

 可視化できるものに違和感は感じない。

 だとしたら、中身だろう。

 そうか、分かった。魔力だ。

「……こんにちは、師匠。声を聞けて嬉しいです」

 師匠の声を聞いて、安心感を得る。

 これはなんともない、ただの冗談だ。

 それか夫人の努力の賜物だろう。そうだと信じたい。

「夫人、お噂は耳にしています。お辛いでしょう」

 俺はあの有名で残虐な話を持ち出した。

 夫人の家族であるフォンドゥ一族の女性達と、故郷であるトストイラ帝国の貴族達が殺されたという、あの事件。

 誰が何のために行ったのか、どうやったのかが一切分かっていないらしい。

 天罰が下ったと言う者もいれば、反逆者がいると騒ぎ立てる者もいる。兎も角、トストイラ帝国内だけではなく、世界中で大騒ぎになっている。

「……ああ、その事ですか。カレオス。あなたも私を、哀れむのですか?」

「……どういう事ですか?」

 残念ながら、薄々察することはできてしまっていた。

 元の魔力量もそこそこ多かったが、今では比にならないくらいに増えている。

 それに、使い魔の気配もする。それも小さな魔獣ではなく、とてつもなく強力な獣だ。

 だが何故、師匠は何も口を出さないのだろう。

「カレオスには、ファーフに免じて教えてあげましょう。全ては私がやった事です。ルークの呪いを解く為に、ね」

 青く深い瞳には、覚悟という二文字が似合うだろう。

 思わずゾッとした。この感覚はいつぶりだろう。

「ははっ……まさか」

 俺は乾いた笑いを浮かべ、未だ冗談だと信じている自分を前面に出した。

「……クロエ、様? それ、ほんとう?」

 ネフィアは絶望を隠せていない。

 無垢な少女には、まだ早い事実だ。

「ええ、本当ですよ、ネフィア。さ、この話は終わりです! そうそう、魔法に関する本を借りてもいいですか?」

 普段通り、花のような笑顔を浮かべる夫人。

 それはまさに、狂気とも受け取れる。

「……ごめん師匠、私ちょっとギブ……」

 ネフィアは転移魔法で消える。

 幸いにも、この会話を聞いたのが俺とネフィアだけで良かった。おそらくマグナスには言うだろうが、二人の口は固い。口外や告げ口はしないだろうが、後で念押ししておこう。

「それで、カレオスさん。そこを退いていただけますか? ただ本を借りに来た、のですけど」

 こんな人を、野放しにしていいはずがない。

 世に出してはいけないし、旦那である公爵様もいずれ危険な状況になるだろう。

 必要であれば殺しだって厭わなかった俺だが、少なくとも今だけは、彼女の敵でありたい。

 不合理だとか、そんなのはどうだっていい。

「……今の私に、勝てるとでも?」

「ええ。以前のように、あなたに圧勝してあげます」

 俺の達者な口は、いつものように、底に眠る死にたがりを隠して動いた。

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