第10話

 ルークに避けられて、もう一ヶ月も経ちました。

「……はぁ、死にたい……」

 今日は五月の後半。

 涼しかった日も終わり、暖かい日が多くなってきた。

『貴様、いつまでもへなへなしおって。あんな奴放っておいて、他の男でも探せばよいじゃろう?」

 ……確かに。いつまでもへこんでいてはキリがない。前を向いて生きていこうという最初の目標は、一体何のために決めたのだろう。例え嫌な事があろうと、私は戦うと心の底から誓ったはず。三度目の私は、もっと強くなれるはず。

「……ファーフ! 私はどうして早く気が付かなかったのでしょう! あなたの言葉は慰めではなく、立ち上がれと言っていたのですね!」

 なんだか急に勇気が湧いてきた。弱虫だった自分とはおさらば! 公爵家の夫人として、もっと強くあらねば!

『うむ! そうかそうか! ワシはとても嬉しいぞ!』

 執務室に、私の声が響く。久しぶりに大きな声を出したので、それも少しスッキリした。


♦♦♦


 私が放置していた三日分の仕事の山を、最速で終わらせてやる。僅か四時間、丁度十三時に終了した。お昼ご飯はメイドのアナベルにサンドウィッチを作ってもらい、軽く胃に入れ、屋敷の裏にある何も無い草原に移動する。この国で魔法を使うのは合法だが、魔塔の人間以外はあまり良しとされていないため、なるべく人の目につかないところで。

「貴様の魔力は底知れぬからな。魔力を増やす訓練はしなくて良いじゃろう。まったく、先祖に恵まれたな」

『はい。お母様やおばあ様はもういないですが、きっと凄い人だったに違いありません!』

 魔法の練習の時は、私とファーフは入れ替わって練習している。その方が感覚が分かりやすいので。

 照りつける太陽を浴び、会話を交わす私達。はたから見たら独り言がうるさい人だと思われるだろうが、ここに人は私以外に居ないのでやりやすい。

「んで、今日は何をしようか。基礎魔法は大体完璧じゃろう? 貴様は何をしたい?」

 基礎魔法は、本を読んで熱心に勉強したおかげでほぼ完璧とも言えるらしい。なので応用編に突入している。

『ずっと昔から思っていたのですが、空を飛んでみたいです!』

 飛行魔法。それは中級魔法であり、魔法使いなら使うのが常識ともされる魔法。

「飛行魔法か! よいじゃろうよいじゃろう! このワシが直々に教えてやるわ!」

 わっはっは、と笑うファーフ。教えられるのがそんなに嬉しかったのかな。

『飛行魔法の説明、読んでもあまり分からなかったのですよね』

「飛行魔法は説明する方が難しいとされておる。ワシも弟子に教える時、今のように体を乗っ取って教えてやりたかったのう。貴様は運が良いな」

『へえ、そんなになんですね。私も感覚で覚えるタイプなので、是非お願いします!』

「よろしい!」

 そんなこんなで、魔法の練習が開始した。久しぶりなので、腕が訛ってないといいのだけど。

「まずは、全身に魔力を行き渡らせるんじゃ。これは物体浮遊魔法の応用じゃから、自分を物だと思い込むのが大切じゃぞ」

 物を浮かせる事は出来るが、対象が自分だというのは新鮮で難しい。

 ファーフは全身に魔力を送り込み、空を飛ぶ情景を思い浮かべる。そして呪文を唱えると、私は空に浮いた。

「飛べ」

 魔力が少しづつ減っていくのに気が付きながらも、本当に自分が空を飛んでいるという事実が、景色が目に飛び込んでくる。なんだか身長が高くなったようだ。

『わ、わ、わぁあ! 凄い、凄いですファーフ! 空を飛んでるんですね!』

 風は吹いていないのに、ふわふわと宙に佇む私の体。これ以上ないくらいに魔法が面白いと思った瞬間でもあった。

「これ、クロエ! しっかり集中せい! 感覚は覚えたな?」

『あ、はい! なんとなくですが、いける気がします!』

 集中集中。

 今感じる私の体の中の感覚に意識を向けていると、ファーフは続けてこう言った。

「では、バトンタッチしてみるか? 大丈夫じゃ。それほど高くは浮いておらんからな」

 怖いけれど、返事はひとつしかない。

『はい! やってみたいです!』

 そうしてファーフと体の主導権を交代すると、私は集中を切らしてしまい、地面に落ちる。

「わぁっ!」

 尻もちをついて、芝生の上に座った。

「いたたた……」

『集中をするんじゃ! 魔法は特に、意識を少しでも他にやればすぐ解けてしまうからな』

 私は立ち上がり、すぐさま飛行魔法を実践する。

 魔力を全身に、自分を物だと思い込む、そしてイメージは大事。

「……飛べ!」

 すると突然、私は空高く飛び上がる。雲をも突き抜けるくらい、勢いよく。

「わぁぁぁあああ! ファ、ファーフ! これどうなってるんですかああああ!」

『わははははは! き、貴様! 笑わかすな! わははははっ!』

 止まりそうもないこのスピードで、もうそろそろ宇宙まで行ってしまいそうなのだけれど!

「ファーフ! たすけてくださああい!」

『わっはっは! うむ、任せよ!』

 再び体の主導権をファーフに渡せば、すぐに安定した飛行ができるようになった。

 下の景色が全く見えない。辺りや下は雲ばかりだが、私はそれが感動的な景色としか思えなかった。

「すごいです……って、ファーフ?」

『ほれ、やってみよ。魔力量は調節しておいた』

 先程の激しい上昇は、魔力量が多すぎたのが原因らしい。それを上手くコントロールすれば、きっと鳥のように自由に飛べるという。

「ファーフ、私、出来ていますか? 上手に空を飛べていますか?」

『ああ、上手じゃ。ほれ、行きたい場所をイメージしてみよ』

 雲以外に何も無いので、行きたい場所というのはないけれど、強いて言うならば、あの大きな積乱雲の中に入ってみたい。なので私は、そこまで行く為に自分を動かしてみる。私は物であるから、動かすのは容易なわけで。

「きゃぁぁぁあ!!」

『はぁ……。貴様を教えるのは手が掛かるな……』

 猛スピードで積乱雲に突進すると、中に入る直前にファーフと入れ替わり、急ブレーキをかけてくれた。

「魔力の調節をせい。空に浮く、くらいは出来ておるから、あとは移動じゃな」

『うぅ、やっぱり才能ないのでしょうか……』

「心配するな。ワシの弟子も手こずっておったわい。空を飛ぶだけに、丸一日かけたからのう。それに比べたらだいぶんマシじゃよ」

 ファーフの引っ張ってくる魔力量は極小量で済んでいるが、私の使用する魔力量は大きな火の玉を出す程度らしい。確かにそう言われてみれば、使いすぎなのかも。

『ほれ、まず一回転してみよ』

 宙で一回転、縦にくるりと回ってみせる。

「……あ、で、できました! できましたよファーフ!」

『うむ、ではもう一度、あの奥の雲に向かってゆっくり飛んでみよ』

 ファーフは積乱雲の奥にある綿のような雲を指す。私は指示に従い、魔力量を調節しながら、ゆっくりと進んでいく。歩く速さと同じくらいで。

『おぉ! 出来たではないか!』

 体はコツを掴んできたらしく、足を動かさなくとも勝手に進んでいった。

「私、この空を自分の物にした気分です」

 今だけは、私だけの物。私は両手を広げて空を泳ぐ。雲を突き抜け、宇宙をも目指せる。誰にも縛られないこの空が、私にとっては天国だった。

『……はぁ。これじゃあしばらくは、空にばっかり来そうじゃな』

 ファーフは呆れながらそう呟く。そろそろ甘い物が食べたい、とも言っている気がする。

「ファーフ魔法を教えてくれて、ありがとうございます。もうそろそろ、屋敷に戻りましょう」

 私はゆっくりと降下する。

 地上が見えた時、やっぱり帰りたくないと思ったけれど、私の本当の居場所はサンドゥ邸であって、帰らなければならないのだけど。

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