第15話

「……ルーク様!」

「おやおや、これはこれはルーク公爵様。お久しぶりですね」

 長椅子は、私と彼らを隔てる境界線化のように、佇んでいる。

 ルークは私に一瞬目をやるが、すぐさま目の前のアイネックという敵を睨んだ。

『おい貴様。この状況で呑気な事を考えておるなよ』

 ば、ばれちゃったか。

 やっぱりルークはかっこいいから、妄想が止まらないのよね。

「……それで、俺の妻に手を出したって事は、死ぬ覚悟があるという事だよな? アイネック」

「さあ、それはどうでしょう。それよりも、綺麗な奥様ですね。冷血大君の名には相応しくないくらいだ」

 二人の口論が目の前で繰り広げられる中、アイネックから舐められるような視線を向けられる私。アイネックの言動は、全てぞっとするものだった。これが生理的に無理、と言うやつなのだろう。

「アイネック。お前はどうも死にたいらしいな。いいだろう。その首をどこに捨てられたいか、朝までに考えておけ」

「そちらこそ。あちらの可愛らしい夫人が、突然消えても知りませんからね」

 火花散らす二人の会話は、なんというか、私の取り合いをしている感じだった。かといってアイネックに口説かれたくないけれど。

「うぅ、怖い怖い。冷血な貴方様に目をつけられるなんて、良い事ありませんからね。それに、夫人にボロが出るのも時間の問題でしょうし」

 ルークに知られたくない何かがあったのか、アイネックのその一言で、空気が一瞬にして変わった。元々重たかった空気は、先の見えないどん底のような空気になった。

 ルークは、この私でも分かるくらいの殺気をアイネックに向ける。

 なんだか、ルークがアイネックを殺す幻覚が見えてしまいそう。

「おぉっと。では、僕はこれにて失礼します。本当に僕の首が飛びそうなので、ね」

 と、彼は転移魔法を発動させる。

 足元に魔法陣が現れたかと思えば、彼の姿は光と共にその場から去っていた。

 沈黙を残して消えたアイネックを、私は心の底から喜んだのは内緒である。

「……クロエ、大丈夫か?」

「はい、ルーク様。少し怖かったですが、なんとか」

 長椅子を避けて彼の元へ歩いてゆく。早く辿り着きたいので、早足で。

「ありがとうございます。私を守ってくださって」

 彼を見上げ、目を合わせてそう言った。

「いいんだ。夫が妻を守るのは当然だからな。だがもし、またアイツに絡まれたりしたら、すぐに俺を呼べ。分かったな?」

 説教をするかのように、私に語るルーク。

「は、はぃぃい……」

 弱々しい返事で返す私。

 あの時、何故ルークの元へ行かなかったのだろうかという後悔が、だんだんと私の心に押し寄せて来た。

「……ルーク様」

「ルーク。ルークと呼べ。俺だけが呼び捨てなのは公平じゃないからな」

 呼び捨て許可は、私の想像を絶するタイミングで突然降りた。

 ついにこの時が来た、というか、ようやく認められたという感じがして、嬉しさというか、この感情を言葉にするのが難しい。

『ほほぉん。なるほど。これが喜びじゃな。興奮とも言うべきか。ふむふむ……』

 場違いなファーフの言葉は無視するとしよう。

「で、では……こほん。ルーク、一緒にお話しませんか? この庭園を見ながら、ゆっくりと」

「ああ。お前が望むなら」

 私は彼の腕に、自分の腕を絡ませる。彼の大きくて太い腕は、どうも安心する。

 そして私が先程まで一人で座っていた長椅子に、もう一度腰をかける。今度は二人で、目の前の暗くも美しい池を堪能しよう。

「ルーク、一つ……いえ、何個か聞いても良いですか?」

「ああ。勿論」

 ルークは池ではなく、私の方をじっと見てくる恥ずかしいので前を向いて欲しいのだけど。

「……どうして、フォンドゥ家を選んでくださったのですか?」

 私がずっと聞きたかったことのひとつ。

 トストイラ帝国にも公爵家はいくつかある。それに、彼の母国であるメルステナ王国にも、妻候補となる人が何人も居ただろう。その中でフォンドゥ家を選んだのは、どういう理由があるのか、と。前世でも、今世でも、私は彼の妻になる事が出来たのは、運命以外の何物でもないと思うけれど。

「何となく、だ。俺の国の女どもはろくな奴が居なかったからな。敵国とは分かっていたが、先々代は俺が結婚することを望んでいた。まあつまり、仕方なく消去法でフォンドゥ公爵家を選んだということだ」

 良くも悪くも、彼らしい答え方だ。求めていたものとは大きくかけ離れていたけれど、そんなルークも好きだから良しとしよう。

「……そしたら、可愛らしい女神がやって来たものだから、驚いたな」

 女神。今彼はそう言った。私の事を、可愛らしい女神って。前世でも、私に関する褒め言葉は聞いた事なかったのに。

 頭が混乱してきた。それに体も熱い。内蔵が飛び出そう。

「るるる、ルークはいつからそんな人になったのですか……!」

 嬉しいのはそうだけど、それよりもなんだか変に緊張しているせいで、上手く話せない。

「でも、嬉しいです。ありがとうございます。格好良い騎士様からそう言われると、とっても照れてしまいます……」

 彼の肩にもたれかかる、私の頭。より密着した感じがあって、とても幸せだった。それに腕を組んだ時よりも、安心感や幸福感が段違いだ。

「私は我儘なので、ずっとこの時間が続けばいいのに、なんて願ってしまいます。ずっとずっと、この光景や、この瞬間、あなたのような人、舞踏会、お友達、全ての時を夢見ていました。それが今、綺麗な月や星屑達に見守られながら、叶っています」

 牢獄に囚われていた私。炎に包まれながら、夫に殺された私。大粒の涙に、たくさんの絶望に苛まれていた私。今ではない、全ての過去の私に、この景色を見せてあげたい。どうせ恨むだけでしょうけれど、一度でもこの瞬間が目に見えていたならば、もっと頑張れていたのかな。

 ファーフや、リア、ルーク。みんなと出会うには、少し遅すぎたのかも。

「……全部の世界を巻き込んで、私は死にたかった。でも今は違います。あなたのおかげで、私は死にたくないと思うようになりました。暗い話ばかりでごめんなさい。でも、これだけは知っておいてください」

 黙って私の話を聞くルーク。

 星の瞬きが消えぬうちに、私は口を開いた。

「私は、あなたの事を愛していますよ」

 今までも、これからも。

 ルークという人間が存在する限り、私もその存在を愛し続ける。 それが一方的であっても、何であっても。

「俺も、愛している」

 ……なんだ。私、愛されてるじゃん。

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