第14話
思いのほか勇気のある赤毛の皇女様は、怪しげな男を上手く躱して宮殿内に入る。その勇姿は、まさしく王女の名に相応しいものであった。
「クロエ、あの方とお知り合いでしたか?」
あの方とは、先刻話しかけてきたアイネック・ミネラドアと名乗った怪しげな男の事だ。舞踏会に参加したのは初めてだし、社交界のことも全然分からないから当然なのかもしれないが、彼だけは名前すら聞いたことない謎の人物だった。
「い、いえ、全く。リア皇女殿下はお知り合いですか?」
三つ編みを両肩に下げ、髪色と似たような色のドレスを着飾る彼女に、そう同じような問いを投げ掛けた。
「皇女殿下はやめて欲しいです……あなたとは良いお友達になりたいもの。さっきのように話してくださらない?」
さっきのように、と言われても、ファーフの話し方や態度なんて真似できない。失礼に当たってしまうのだから。
でも、リアもこう言っているのだし、ご厚意に甘えたらどうだろう。
「……リアは、彼の事を知っていますか?」
改めて、質問をしてみる。
「いいえ、全くと言っていいほど。私、今日の舞踏会に参加する方は全員知っていると思っていました……」
煌びやかなダンスホールの雰囲気とは打って変わって、私達は深刻そうな状況で推理を進める。楽団員の素敵なメロディが後ろで聞こえる中、私はリアの言葉だけに耳をすました。
「アイネック様、一体何者なのでしょうね……」
「一度、お兄様に聞いてみます。物知りなお兄様なら、わかるかもしれません」
リアの兄、モーリス皇太子殿下といえば、魔塔関係者だったはず。もしもアイネックが魔塔の人だとしたら、知り合いどころか同僚にあたるのでは。
『……あの気配、以前どこかで会ったことがあるような気がするんじゃがなあ。むぅ』
ファーフはうなり声をあげながら、彼について熟考する。なにやら知っているようで知らないという、もどかしい存在なのだとか。
「リア」
友達の名を呼ぶ、低い声の持ち主を見る。その人は、リアの後ろから近付いてきた。
「あ、お兄様!」
お兄様ことモーリス皇太子殿下は、リアの横に立ち私を見下ろす。
身長はルークと同じくらいか、少し下の百七十センチ後半くらいだろう。リアと同じ赤毛で、顔立ちは当然ながら整っている。二人の橙色の瞳は、一斉に私に向けられた。
「おや、リア、お友達ですか?」
「はい! 紹介しますね。お兄様、こちらの方はクロエ夫人です」
私は控えめにカーテシーをし、お見知り置きをと一言。
「それでクロエ、こちらが私のお兄様のモーリスです!」
モーリスも、胸に手を当てて軽くお辞儀をする。
挨拶も済んだことだし、本題に突入する。
「リア、少し話したい事がある。明日の事についてなんだが……」
近付いた目的のリアに、モーリスは話を振る。
ということはつまり、私は用済みだということだろう。場を退くのが正解か。
「もう、お兄様ったら! ごめんなさい、クロエ。また後で話しましょうね!」
苺のような髪色をした二人は、私が退くまでもなく、何処かに行ってしまった。これでまたひとりぼっちだ。
コルセット、こんなに苦しかっただろうか。
池というのは、美しいものでもあり、怖いものでもある。引き込まれてしまいそうで、暗い闇が底を覆っている。
赤子の肌色のような淡い桃色のハスは、これでもかというくらい綺麗に水面を彩る。それらを眺める木々や花々も、また立派に咲き誇っていた。
「……はぁ、思ったより、疲れるものなんですね、舞踏会って」
私はこの景色に不相応な感想を漏らし、月光の下で人間以外の生き物と、一方通行の会話を交わす。けれども一人だけ、私のつまらない不満を受け止めてくれる者が居た。
『ほうれ、じゃから言ったじゃろう! こんな場所、行かんでも良かったのじゃ!』
受け止めるよりも、批判するの方が正しい表現だったらしい。
「でも、リアとお友達になれました。それに夢でしたし、文句を言うつもりはないのですけれどね」
とりあえずコルセットを早く取ってしまいたいのを我慢しながら、私は美しい池を一望できるように設置された長椅子に腰をかけた。一瞬で体が軽くなった気がする。
『それにしても、うるさい夜じゃのう』
「ええ、本当に」
二人で池に映された月を眺めながら、他愛ない会話を共にする。この静けさが、私にとっては何よりも落ち着くものとなっていた。
「……それで、クロエ夫人。僕とはいつお話してくれるのですか?」
またしても、心臓を抉られるような不快感が私を襲う。
アイネックは静寂を声により打ち壊し、私の背後に佇んでいる。彼に何をされたという訳では無いのに、恐怖によって指先が震えていた。
「……アイネック様、どうして私なんかと、お話したいのですか? それも、二人きりでだなんて」
怖いけれど、私にはファーフがついている。そう自分に言い聞かせながら、池に向かって言葉を吐いた。
「そんなに警戒なさらずに。実を言うと僕は、魔塔の人間なんです。ですから、そこいらの男爵や伯爵達とは違います」
魔塔という存在は、確かに全世界に認められた機関だ。だけど、そこに居る人達が全員まともな人だとは限らない。
それに魔塔は、ファーフの宿敵が居るはずだから。
『やっぱりじゃ! ワシの勘は外れてはおらんかったようじゃな! よし殺す、ワシが殺すから体を貸せ!』
舞踏会という場で、殺人なんか起こしたら私はどうなってしまうのだろうか。申し訳ないが、ここは私の立場を優先させてもらうとしよう。
「……それで、用件はなんでしょうか?」
私は早く会話を終わらせたいので、回り道をせず、真っ直ぐ会話を進ませた。
「こんな美しい夜なのです。もう少しゆっくりお話しましょう。例えば……そうですね、貴方の旦那様のお話とかどうですか?」
「あなたは彼の何ですか? 知人でもないのに、偏見を押し付けるつもりですか?」
私はつい怒り口調で言ってしまった。彼の事になると、つい感情的になってしまう。しっかり抑えなければ。
「ははっ。確かに、僕はあの暴君と何の関係もありませんが、一つだけ言える事があります。何だと思いますか?」
「……何ですか?」
私は彼の口から放たれる言葉を待っていると、突然背後から抱き締められた。
「ちょ、ちょっと! 何するんですかっ!」
「まあまあ。私に身を委ねてください。きっと気持ち良くなりますから、ね」
耳元でそう囁かれるが、正直言うと不愉快極まりなかった。ので、ファーフに身を任せようとしたその時だった。
「おい、何をしている」
ドスの効いた声が、私の後ろからひとつ聞こえた。聞き馴染みのあるどころか、その声で私の心を躍らせる事の出来るものであった。
私の首に巻きついていたアイネックの腕が離れると、即座に長椅子から立ち上がる。そして池に背を向ける。
そこで私は、クリーム色の髪をひとつに結んだ悪役と、黒髪の紳士なヒーローが視界に入った。
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