第12話

 とうとう舞踏会の日がやってきた。

 夏の暑さをかき消すような夜の涼しさは、人々の熱気でこれもまたかき消されていた。

 私は宝石をふんだんに使った、藤色のドレスを身に纏う。舞踏会のための、特注品だ。

「……綺麗だ。クロエ」

 ルークは私にそう声をかける。ただその一言で、私は踊ってしまいそうなほど浮かれていた。

「ありがとうございます。アナベル達が頑張ってくれたおかげですよ」

 彼の服装もとても素敵で、白を中心とした紳士服に豪華な装飾がいくつかされていた。そして胸元には、サンドゥ家を象徴する獅子の家紋が飾られている。

「あなたこそ。私の旦那様は、世界で一番素敵です」

 彼の腕に、私の腕を絡ませる。彼の腕はガッシリとしていて、軽々と私の体を片腕だけで持ち上げてしまいそうだ。

 今から私は、人生初の舞踏会を経験することになる。



「メルステナ王国より、サンドゥ公爵夫妻がご到着なされました!」

 衛兵は、会場入りする私達の名を大声で伝達すると、それを待っていたかのようにトストイラ帝国の皇帝が祝辞を述べ始めた。丁度良いタイミングだったらしい。

「この度は、舞踏会によく来てくれた。今宵は無礼講。簡単にはなるが、精一杯楽しんでいってくれたまえ!」

 舞踏会が開催される喜びを表す拍手が、皇帝に向けて一斉に贈られた。

 そうして始まろうとしている、第一曲目。ファーストダンスだ。まだ婚約者がいない若者達は、この一曲目に全てを賭けると言っても過言ではないほど大事なもの。デビュタントだったりと、一生に一度の晴れ舞台である。

「クロエ。もし良ければだが、俺と踊ってくれないか?」

 ダンスのお誘いはとても上手とは言えないけれど、そこも彼の可愛いところ。差し出された彼の手に私の手を置き、ひとつ返事を返してあげる。

「ええ、喜んで」

 ダンスホールには、様々な貴族達がペアを組んで、緊張の中、音楽が流れるのを待っていた。私達も彼女達と同じように、ワルツを踊る体勢を整える。

 そして響く生演奏。

 楽団員達の奏でるワルツは、誰もが聞き馴染みのあるもので、ファーストダンスのお決まりの曲である。

「あの冷血大君がダンスしてるわよ……」

「メルステナの暴君が……あのクロエ夫人と……?」

 ざわめく会場、向けられる視線、どれもこれもが私を動揺させる罠のようだ。

「……わぁっ!」

 不安に駆られた私のステップは、いとも簡単に崩れてしまう。足を滑らせて転びそうになったところを、ルークは私の腰を持ち、両手で優しく上げ、くるりと半回転。私のミスをカバーしてくれたのだ。

「す、すみません……」

「気にするな」

 ファーストダンスでミスをするなど、不覚すぎるものであった。恥ずかしいし、悔しい気もした。おそらく今、私の頬は赤く染まってしまっているだろう。それもなんだか恥ずかしい気がする。

 ワン、ツー、ステップ。

 くるりと回り、丁寧にカーテシー。

 今夜のファーストダンスは、終了した。

「……楽しんで」

「ええ、あなたこそ」

 特に何も話さずに相手の顔に見蕩れていたら、あっという間に曲が終わっていた。三分はあるはずなのに、十秒くらいに思えた。

 そして挨拶を交わし、お互いがそれぞれの方向に掃けた。ここからは、恒例の一人の時間だ。良く言えば、友達を作る時間。

「……ファーフ、もうそろそろ機嫌を治してくださらない?」

 返答は無い。

 今日の朝からずっとこの調子だ。変に拗ねて、私と話してくれないのだ。

 初めての舞踏会。こんなにきらきらしているんだ。とても感動するし、興奮がおさまらない。ファーフはこの良さが分からないとは、残念だ。

『……ここから離れた方が良さそうじゃ。いざとなれば、貴様の体を乗っ取ってでも離れてやる』

 急に何を言うかと思えば、またそんな事を言っている。舞踏会に何の恨みがあるのか分からないが、とりあえず落ち着かせなければ。

「ファーフ、どうしたのですか? 何か、って、一体何が起こるんで……お、お姉様だ……」

 目の前には、あの見覚えしかない女性が歩いてくるのが見えた。ドレスは黄金のようにぴかぴかで、けばけばしい化粧で自分を美しくみせようとしていた。

「あら? クロエさんじゃない。久しぶりね。蛇の呪いさんとは、仲良くやれているかしら?」

 後ろにいる女性達も覚えている。紅茶をかけられたあの時、後ろでくすくすと笑っていた二人だ。

 今も後ろで笑う事しかできないのに、よくも強気で出れるなあ、とか、言ってみたいものだ。

「……お姉様、いえ、アネル公爵令嬢。あなたとのコミュニケーションは退屈なものですので、今の気分を害したくありません。お話はまた今度でよろしいでしょうか?」

 あれ、口が勝手に。

『ワシは何もしておらんぞ』

 アネルお姉様は続けてこう言った。

「よくもまあ……。アンタのような品もない人間に、あの呪われた冷血大君。はっ! お似合いね、とっても!」

 皮肉を飛ばすお姉様の後ろで、またしてもクスクス笑う令嬢達。

 なんだか今日は負ける気がしないので、私も言い返してやるとする。

「お姉様こそ、素敵なドレスですわね。なんというか、ぴかぴかして、目も向けられませんわ、それこそ品の無いドレス、でしょう?」

 お姉様は驚いた顔で、私を見下ろした。

 私の方がいろいろと小さいけれど、経験だけは負けないもの。

「……ふん、まあいいですわ。近づいてると、呪いが移りそうですし。ほら、行きますわよ!」

 悔しげな顔で、後ろの令嬢達を引き連れて去っていくお姉様。

 反論し、それに加え場を制せたことがものすごく嬉しかったので、小さくガッツポーズを。けれど、彼女の意地悪への対応に疲れ、一つ嘆息をこぼした。

「……あ、あの! クロエ夫人、ですか?」

 今度は誰だろう。どうせまた、誰かがからかいに来たのだろうが。

 すぐに笑顔を取り繕い、私に声を掛けた令嬢の質問に答える。

「はい。クロエ・サンドゥと申します。ええと、あなたは?」

「わ、私はリア・モリナーラと申します! いいい、以後、お見知り置きを!」

 モリナーラといえば、メルステナの友好国だ。ということは、もしかしなくとも王族の方だろう。

 リアと名乗った赤髪の女性は、綺麗なカーテシーをしてみせた。

 彼女の挙動を見てみると、私と共通点があるように思える。例えば、人見知りなところとか。

「く、クロエ夫人! わ、私と、お友達になって頂けませんか……?」

 私は即座に彼女の手を取り、勢いよくこう返答した。

「はい、是非!!」

 星が瞬く夜。私はこの日、初めてのお友達ができた。

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