第10話

 静かに、そっとツバサは悠里に近づいていった。

 悠里と向かい合っているさくらが先にツバサに気づく。

 眉尻は釣り上がり、唇はへの字に曲げられている。

 絶対に負けない。そういう意志が感じられた。


(女のときはなかったよね?)


 一年目の記憶はないに等しいが、こんな面倒な展開はなかった。

 主役はすんなり悠里だったし、芸術祭までの間に揉めることもなかった、はず。

 ましてやツバサ自身が揉め事の中心に近寄るなどあり得ない。

 あり得ないはずだったのだ、悠里の横顔を見なければ。


「調宮さん」


 静かに読んだ声は、教室という雑多な空間の中でも嫌に響いた。

 誰もがさくらと悠里に注目していた中で、一気に視線がツバサに突き刺さる。

 さくらは「ふん」と鼻息荒く視線を上に向けたし、悠里はまるで伺うように眉を下げた。


「柚木くん、ごめんなさい。こんな事になって」


 丁寧な謝罪の言葉。悠里は脚本ができなくなったことを謝っている。

 そこに悠里の希望はない。家の意向があるだけ。

 だから、ただツバサは尋ね返した。


「調宮さんはどれがしたいの?」


 まるで突風が吹き荒れたあとの凪の時間。ツバサと悠里を中心にして、教室に沈黙が広がっていく。

 誰も彼もが視線を彷徨わせ事の顛末を見極めようとしている。

 まるで大人。

 シオン学園の特殊性はこういうところから作られるのかもしれない。


「それは」


 悠里が口ごもる。

 さっきよりも戸惑っている様子が見えた。

 ツバサは責められていると悠里が感じないように、できるだけ優しく言葉を紡いだ。


「調宮さんと劇つくるの、すごく楽しみにしてたんだ」

「……ごめんなさい」


 悠里は謝るばかり。

 ツバサは首を横に振った。

 謝らせることしかできない自分自身にイライラしてくる。


「謝らないで。調宮さんのせいじゃないし」


 調宮さんと同じことができると喜んだのはわたし。

 前と違う展開になったことに、ホッとしていたのもわたし。

 ツバサは何をすれば悠里のためになるか分からず、ただ我武者羅に悠里と仲良くなろうとした。

 だとすれば、この展開を作ったのはツバサにも責任があるかもしれない。


「でも、ちょっと怒ってる。芸術祭はみんな好き事をするんだよ?」

「え、ええ」


 悠里がツバサの言葉に目を白黒させる。

 当然だろう。

 謝るなと言ったり、怒ってると言ったり。

 ツバサ自身が消化できない感情に振り回されている。


(まるで子どもに戻ったみたい)


 そう思うも止めることはできない。

 悠里が悲しむのを、ツバサはもう見たくなかった。

 あの時は横顔しか見れなかった。今は隣に立って支えるのだって、正面から瞳を合わせることもできる。


「だから、調宮さんがやりたい方もやればいいと思う」

「え?」

「両方なんて無理でしょ」


 悠里の瞳が大きく見開かれる。まるで零れそうな大きさだ。

 深い黒の虹彩の上で水の膜がはり、きらきらと光を反射する。

 まるで宇宙みたいだとツバサは思った。


「小野寺を主役のまま、調宮さんも目立つ。そういう話、作ろう?」


 自分が何を言っているか、わかっていた。

 初等部三年生にしては大胆な発言。

 オリジナルの劇をするのは早くても中学生からだ。アレンジを加えるのも初等部では珍しい。

 ツバサの発言に湧き上がったのは、悠里より周りのクラスメイトたちだった。


「変型シンデレラか!」

「それは面白そうだな」


 皮肉げな顔をしていた俊介も、沈黙していた龍之介も、他の男子たちもワクワクした顔でツバサの肩や身体を叩いていく。

 あまりの盛り上がりに顔をしかめていたら、紗雪がこっそり庇ってくれた。


「つ、ツバサくんは、大丈夫なの?」

「調宮さんと二人ならできると思う」


 まだ固まっている悠里に視線を向ける。

 シンデレラはよく知られた劇だ。だからこそ、バリエーションも多いし、ある程度の無茶な変形にも耐えられる。

 初等部のツバサには無理だったろうが、今、ここにいるのは中身は高等部を卒業する人間なのだ。


「小野寺、それで許してくれない?」


 悠里はきっと押し切れる。

 あとはさくらが納得してくれれば、問題は丸く収まるだろう。


「うー」

「さくらちゃん」


 紗雪の言葉にさくらは根負けしたように、はぁと息を吐いた。

 それから組んでいた腕を解き、腰に当てる。

 ツバサを指さして、唇を尖らせながらこう言った。


「……あたしの方が目立たないと駄目だからね!」

「了解」


 頷きながら苦笑する。

 シンデレラで、シンデレラより目立つことは普通難しい。

 心配しなくてもさくらがシンデレラのままなら、さくらが一番目立つだろう。


「俺の出番は少なくて良いぞ」

「わかったよ。他の人の希望もなるべく聞くから」


 俊介も便乗するようにそう言ってくる。

 王子さまの出番を減らすのも難しいと思うんだけど。

 こうなればどうとでもなれとツバサは周りを見回した。


「ほんと?」

「柚木くん、太っ腹」

「あはは、ほどほどにね」


 男子だけじゃなく、女の子まで乗ってきた。

 一人ひとりの要望を聞きながら、やっと再起動した様子の悠里を見る。


「ね、一緒に頑張ろう?」

「……やってみるわ」

「うん、わたしも頑張る!」


 悠里からその一言を引き出せただけで十分。

 ツバサは小さく両手を握って気合を入れた、わけだったのだけれど。


「大丈夫?」

「思ったより、来てるかな」


 シンデレラの改変は思ったより難作業だった。

 さくらと悠里を目立たせて、他の演者の希望を聞く。

 そのバランスをとることにツバサは四苦八苦していた。

 資料を探しに来た図書館で悠里に弱音を吐く。


「ごめんなさい、私のせいで」

「謝らないで。調宮さんのせいじゃないから」


 芸術祭の話になってから、悠里は謝ってばかりだ。

 ツバサが返すのも毎回同じ台詞。

 冷静になって考えてみると、ツバサは自分が口にしたことが信じられなかった。


「わたしは調宮さんが舞台に立つところを見たかったし、一緒に本も書けるから役得だよ」


 集めた資料の一つを開く。

 そう、結局、この決定で一番得したのはツバサなのだ。

 悠里の晴れ姿も見れるし、一緒に過ごす時間も長くなる。

 納得いかないというように悠里が眉間にシワを寄せた。


「でも」


 悠里がまだ謝ろうとしてきたので、最後まで言わせず言葉を遮った。

 ツバサは首を横に振った。


「むしろ、演技もして本も書く調宮さんが大変だと思うけど」


 ツバサの態度に悠里はわずかに眉間にシワを残しながら答えた。

 彼女の前にはツバサの倍は資料が開かれている。

 パッと見、把握するのも難しい量だ。


「暗記は得意だし、演技はまぁ……小野寺さんが頑張るでしょ」

「立ってるだけで花がある人は違うねぇ」


 暗記が得意で済む話ではない。

 ツバサは初等部にして高等部の自分より処理能力が早い悠里に呆れを通り越して感心してしまう。

 人間違いすぎる才能を見ると何もできないものだ。

 これも悠里が周りと距離を置く理由の一つかもしれない。


「家には、見たことないシンデレラを作るって言ったわ」

「そっか。さすが、調宮さん」


 どうにか家は突破したらしい。

 その言葉に応えられるものを作らないと。

 ツバサが資料に没頭し始めようとした時、スッと悠里の手がその紙を覆う。

 顔を上げれば真剣な顔をした悠里が冷え冷えとした視線をこちらに向けていた。


「名前」

「え?」


 何を言われてるかわからなくて首を傾げる。

 すると悠里はすっと目を細めた。知ってる。これは少しイラッと来た時の仕草だ。


「調宮じゃなくて、名前で呼んで?」

「ゆ、うり、さん?」


 ハッキリと言われ、ツバサは悠里の名前を口にした。

 ハズレ。さらに悠里の視線が鋭くなる。


「ツバサ」

「ふぇ」


 突然、呼び捨てられた名前に椅子の上で飛び上がる。

 名前を呼び捨てにされた。

 それは前の世界では婚約者にしかしていなかったこと。

 驚きに動けないツバサに悠里はさらに追い打ちをかけてくる。


「私はツバサって呼ぶわ」


 その圧力に気付かないほど鈍くはない。

 ツバサは恐る恐る口を開いた。


「えっと……悠里?」


 瞬間、何が起きたか。

 言葉で説明するのは難しいと、ツバサは諦めそうになった。ただ目に焼き付けたかった。

 端的に言えば、悠里が笑った。


「そうね、そちらのほうがいいわね」


 素直に、とても嬉しそうに、悠里が笑ったのだ。

 初等部とはいえ、こんなに朗らかに笑う悠里は初めてで。

 どっくん、どっくん、と衝撃を受けた心臓の音が大きくなる。


「どうかした?」

「うん、ちょっと、自分の耐久性のなさに驚いてたところ……」


 まさか笑顔ひとつで、ここまで嬉しくなるとは。

 ツバサは熱くなる顔を隠すように机に額をくっつけた。

 おかしそうに悠里が小さく笑う声が馴染んでいく。

 頑張ろうとツバサはそっと顔の熱が引くまで目を閉じていた。

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