第13話

 朝倉海斗。

 あの日、許婚である悠里のエスコートを投げ出して、石川里奈と入場した男。

 ツバサは気づかれないように周りを慎重に見回した。


「あれ、海斗。調宮と仲良かったっけ?」


 まず話しかけたのは俊介だった。

 さすが人脈が広い。誰にでも積極的に話しかけていく姿は海斗にも適用されたらしい。

 海斗は俊介の言葉に照れることもなく、こう言い切った。


「春休みに許婚だって知らされてね」


 爆弾発言。そうなるのは知っていても、はっきりと告げられると実感が違う。

 朝倉海斗はスラリとした身長に適度に鍛えられた身体が制服の上からでも分かる。

 うぐぐと変な声が漏れそうになった。

 プロムパーティーでの仕打ちがなかったら、ツバサもうっとりと王子さまに憧れていられただろう。

 だけど、今はもう駄目。


「ええっ?」

「そりゃ、また」


 ツバサと悠里以外のメンバーが驚きに声を上げる。

 特にオーバーリアクションなのは、俊介とさくらの二人。

 紗雪に至っては言葉を失っているようだ。


「朝倉くんから呼び捨てなんて、羨ましいわね!」


 さくらが悠里の肩に肩をぶつける。

 ぶつかられた悠里はまるでそれに気づいていないようにぼんやりと首を傾げた。


「……そうかしら」

「調宮?」


 怪訝そうにさくらが悠里の名前を呼ぶ。

 それを視界の端に収めながら、ツバサはやっと驚きから戻ってきた紗雪に耳打ちするように尋ねる。


「紗雪ちゃんは知ってる?」

「う、うん。朝倉くんは調宮さんと同じくらい有名だから」


 こくこくと何度も顔を動かし、紗雪は真剣な顔で頷いた。

 朝倉海斗はシオン学園の創始者のひ孫であり、私立において、そのネームバリューは絶大だ。

 その上、海斗自身、絵に描いたような優等生であり、成績優秀、眉目秀麗ときている。

 と、その本物の御曹司がちらりとこちらに視線を飛ばす。


「それで、紹介してくれるかな?」

「わかったわ」


 わずかな違和感。

 ツバサ自身は海斗に覚えられるような目立つ生徒ではない。

 前回のときは、高等部で同じ生徒会になるまで面識はなかった。

 悠里がツバサより一歩前に出て、海斗と会話を交わす。


「田中くんと小野寺さん、星野さんは知り合いよね?」

「まぁ、そうだね」


 海斗の視線がくるりと俊介、さくら、紗雪、ツバサと辿る。

 イヤな視線。

 わずかに細められた視線に値踏みするようなものを感じてしまうのは、ツバサの考えすぎたろうか。

 二人のやり取りに首を突っ込めたのは、さくらだけだった。


「シオン学園に通ってて朝倉くんのことを丸きり知らない人はいないんじゃない?」

「流石に買いかぶりだよ」


 苦笑した海斗は小さく肩を竦めた。

 悠里がさくらたちのやり取りの隅で視線がかち合う。

 ツバサは小さく頷いてみせた。


「海斗くん、彼は柚木ツバサ、くん」


 変な間ができた。

 呼び捨てにしていいか、躊躇したのだろう。

 悠里の言葉に海斗はアルカイックスマイルを浮かべた。


「うん、珍しい転入生くんだよね?」

「同級生だったから、色々お世話になってるわ」


 シオン学園の転入生の珍しさは群を抜いている。

 なぜなら、初等部の間で転入してきたのはツバサだけ。

 そのため今でも転入してきた扱いを受けるのだ。

 悠里の説明を受け、ツバサは小さく深呼吸すると笑顔を作った。


「はじめまして、柚木ツバサです」


 話すことはない。大人の挨拶のように握手をすることになった。

 もっとも向こうはツバサのことを知っているみたいだった。

 悠里が話しくれていたとしたら、嬉しい。


「同じクラスみたいだから、たくさん話したいな」

「そうなんだ。こちらこそ、よろしくね」


 軽く手を振って離す。

 自分よりがっしりとした大きな手の感触を打ち消すように、ツバサは握手した手を握りしめた。


 そんなことがあったが、中等部の滑り出しはまずまずだった。

 海斗と同じクラスだからと言って、積極的に関わるわけでもない。

 悠里のことを考えると、仲良くなった方がいいのだろうけれど、悠里本人から何も言われることもなく。

 ツバサは足踏みしているような状態だった。


「海斗? 良いやつだよ。運動もできるしな」


 ツバサにできることと言えば、前回はあまり聞けなかった男の子側の話を聞くことくらいだ。

 廊下で騒いでいた俊介を捕まえて話を聞く。

 中等部になると女子と男子は自然と別行動になり、ツバサは前より気を付けて行動しなければならなくなっていた。


「俊介の基準はそこだから」

「えー、だって勉強についてなんて聞かなくてもわかるだろう?」


 ツバサの質問に俊介はあっさり答えた。

 隣にいた龍之介が呆れたようにため息を吐く。

 ツバサとしても気持ちは龍之介と同じだが、俊介の言葉も理解できた。


「朝倉海斗は常に上位3名に入ってるぞ」

「確かに、調宮さんの名前の近くでよく見たかも」


 シオン学園では成績上位30人が張り出される。

 総合順位は出ないが、まぁ、上位陣を見ればわかる。

 悠里は常に上から片手には入っていたし、海斗もその近くに大体いる。

 俊介は上に伸ばした腕を折り曲げ、頭の後ろに置いた。


「調宮もできるからなぁ」


 そう悠里はできるのだ。

 努力して勉強している中身が高等部の人間より。

 ツバサ自身の成績は以前よりよくなったが、それでも十位以内に入れば良い方だった。


「ツバサはよく一緒にいるだろう? どうすれば、あんなに涼しい顔で成績キープできるんだ?」

「うーん、悠里も忙しそうだから、合間によくやってるよ」


 どうって言われても、ツバサに言えることはそれくらいだ。

 大体、中等部になってから本当に一緒の時間が減った。

 会えるのは朝の登校とお昼の時間くらい。

 放課後は元々予定がびっしり。それが調宮悠里の日常なのだ。


「常にやってるってこと? うわぁ、俺には無理だわ」

「宮本だって成績いいじゃん」


 俊介が「うげ」と苦々しい声を出す。

 ツバサは隣で涼しい顔をしている龍之介を見た。

 彼の名前もよく紙に載っている気がしたからだり


「龍ちゃんは、好きなやつだけいいんだよ。万遍なくいいのは、調宮と朝倉の特権」

「なにそれ」


 別にその二人が勝手にそうなっているわけじゃないだろう。少なくとも悠里は努力している。

 ツバサは片方の眉を上げた。

 俊介はジト目になるとツバサにぶーたれた表情を見せる。


「……ツバサも良い方だもんなぁ」

「わたしは上位の紙に載るかどうかだから」


 あの二人と比べられると恥ずかしい。

 と、それまで黙っていた龍之介が口を開く。


「朝倉は何でもできるんだよ。天才っていうのは、ああいう奴なんだろうなぁ」

「天才、ね」


 嫌いな言葉だ。自分には届かないものを見せつけられる気がするから。

 悠里の隣に相応しくないと突きつけられている気分になってしまう。

 沈黙した悠里に俊介が顔を覗き込むようにしてからかってくる。


「ツバサが調宮以外を気にするの珍しいじゃん」

「……同じクラスだから、さ」


 悠里に関係するから、気にしてる。

 俊介の言葉からはそういう響きが感じ取れた。

 とはいえ、これ以上廊下で話を聞くわけにもいかない。

 ツバサは二人に礼を言って教室に戻ろうとする。


「すぐに分かるよ」


 最後に龍之介に言われたことが耳に張り付いて離れなかった。

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