第12話 中等部


 シオン学園において、春というのは通過点のひとつに過ぎない。

 一旦入ったら基本的にそのまま持ち上がる仕組みや、代わり映えのない人間関係が新鮮さを失われるのだ。

 初等部から中等部に上がるツバサにとっても、それは変わらなかった。


「おめでとう! 無事、中学生になって嬉しいよ」

「朝からテンション高いので、黙ってくれますか?」


 すっかり葉桜になってしまった通学路を歩いて、クラス発表を見に行く。

 校門で待ち合わせしていた悠里とは無事合流した。

 彼女の制服姿にやっと中等部に上がった実感が湧いてきた中で、久しぶりの彼は現れた。


(何もしなかったくせに)


 背恰好は変わらない……と思ったら、同じような成長具合だった。つまりは中学生男子くらいの姿だ。

 中性的な容姿には磨きがかかり、まさしく神がかった美しさと言える。

 その存在に思わず言い放ってしまった言葉に、彼はひくりと頬を引きつらせた。


「君、ここ数年で口が悪くなったんじゃない?」


 やれやれと両手を上に向けると首を横に振る。

 彼の背景では固まった生徒たちがいた。

 いつかの保健室と同じ展開。悠里も同じくツバサの隣で固まっていた。

 口が悪くなった原因を作った存在が何を言っているのかと、ツバサは軽く目を細めた。


「男として見られるので、自然とこんな口調ですよ」


 ツバサが淡々と答えれば、彼は片眉を上げて、面白そうに聞き返してくる。


「わたし、なのに?」

「シオン学園はわたしが一人称でも違和感がないんで大丈夫です」


 わたしという一人称は、落ち着いた男の子だともう使っていた。

 聞き慣れているのか一人称で突っ込まれたことはない。

 冷静に返したツバサに彼はつまらなそうにため息を吐いた。


「あー、もう。調宮悠里といる時はあんなに感情を動かすのに、僕といる時はこれだからなぁ」


 その発言にツバサは肩をはねさせた。

 感情を集めていると彼は言った。そのためにツバサに男に見える代償を負わせ、わざわざ時間を戻したのだから。

 もし再び会えるならば彼に聞かなければならない事があった。


「男ってだけで、こんな違うんですね?」


 男に見える代償のせいか、悠里にあんな顔をさせないために頑張ったせいか。

 初等部での三年間はツバサの記憶と大分違うものになった。

 何より悠里と名前で呼びあえるのは、ツバサにとっても嬉しい誤算だったのだけれど。


「んー……男ってことが問題じゃないと思うけど」


 神様が苦笑した。

 神様でも分からないことがあるらしい。

 頬を指でかいて困ったように首を傾げていたのに、またからかうような笑顔が浮かぶ。


「ツバサくんは、悠里ちゃんのために頑張ったんだもんね」

「そうですよ。それで」


 否定するだけ無駄。というより、彼が悠里が死ぬなんて言うから、頑張らないわけにはいかなかったのだ。

 何より初等部での日々は思ったより刺激的で、悠里とクラスメイトの仲は前より大分良くなったと思っている。

 ツバサは彼をじっと見つめた。


「ほんとに悠里は……」


 死ぬんですか、とは声に出せなかった。

 言うのも忌々しい。

 プロムパーティーでの横顔から悠里のショックは想像できる。

 だが、そこから最悪の展開になるとしたらーー頭によぎる最悪を振り払う。


「信じなくてもいいけど?」

「最悪」


 ツバサの問いかけに神様はにっと笑って、そう言うだけ。

 ああ、まったく、底意地が悪い。

 ツバサの暴言にも彼はケタケタと笑うだけだった。


「じゃ、中等部でも僕を楽しませてね」

「悠里のためです」


「それで十分」と、それだけ言って彼は消えた。

 ふっと遠のいていた音が戻って来る。春らしからぬ強い日差しと気温に、ツバサは顔をしかめた。

 落差が激しすぎるのだ。

 連れ込まれるのも突然なら、戻るのも突然。


「ツバサ?」

「……悠里、近いよ」


 そう、悠里と並びながら、それぞれのクラスに向かっていたところだった。

 顔を覗き込まれるような体勢になり、ツバサは思わず身体を引いた。

 悠里はツバサの反応にわずかに唇に力が入った。

 気に入らなかったんだなぁと、ツバサは苦笑した。

 悠里のちょっとした仕草からそれくらいは分かるようになっていた。


「どうしたの、ぼうっとして」


 中等部になった悠里は記憶の中の姿と同じように美しさに磨きをかけている。

 背も伸び、すっかり抜かされてしまった。

 元から悠里より小さかったのだが、同じくらいまでは伸びるはず。いつそうなるかは、まったく覚えてなかったのだけれと。

 体つきも女性らしくなり、彼女の落ち着きと合わせると淑女という言葉が似合う。

 まぁ、前より表情が柔らかいのは良い変化だろう。


「いや、クラス離れちゃったなって」


 無難な話題をチョイスする。

 初等部ではずっと同じクラスだったから、寂しさはある。

 前と同じなら、中等部の間は同じクラスになることはない。

 ツバサの言葉に悠里は少し頬を緩ませた。


「そうね。まぁ、図書館では会えるだろうし、もうスマホも使えるじゃない」

「そうだね」


 ツバサは悠里の言葉に頷いた。

 シオン学園では中等部からスマホの持ち込みが許可される。

 セキュリティの問題や家の私用が増えるためだ。

 大抵の生徒は中等部に入る時に新しく買ってもらう。

 例に漏れず、ツバサも新しい端末を持ち込んでいた。

 すでに悠里の連絡先は登録されている。


「お昼は一緒に食べるでしょ?」

「悠里がいいなら、そうしたいな」


 本当ならクラスで食べるように勧めたほうがいいのだろうけど。

 全部離れるのは流石に悲しくて、ツバサは悠里の提案を受け入れてしまう。

 と、後ろから誰かに体当りされた。


「つぅ〜……俊介、力加減考えて」

「あは、悪い悪い」


 首に回された手に顔だけ振り返る。

 去年あたりからニョキニョキと大きくなった俊介がいた。

 快活な笑顔はスポーツ少年のまま、男のカッコよさを纏いだしている。


「相変わらず、仲良いなぁ。お前ら」

「悠里には初等部のときからお世話になりっぱなしだからね」


 どうにかこうにか身体を引き剥がす。

 紗雪の家で合気道を続けているおかげか、ある程度体格差のある人間でも、どうすればいいのか分かる。

 男に見られるようになって一番困るのは、やはり身体能力の面だった。

 と、俊介を悠里がじっと見つめていた。


(この頃、こういうことが増えた気がする)


 ツバサが誰かと話していると悠里がその相手をじっと見つめているのだ。

 気になるのかと思って相手を観察してみたが、これが特徴に取り留めがない。

 男女も関係なければ、顔のタイプも性格も違う。

 しいて言うなら、女の子の時のほうが視線が厳しいくらいか。


「田中くんとは一緒のクラスね」


 悠里の一言は当たり障りのないものだった。

 俊介のクラスを把握していなかったツバサは羨ましさに襲われる。

 悠里にとっても初等部で仲良くなった人間と一緒のほうが嬉しいだろう。

 そう自分に言い聞かせてる間に、俊介は話の矛先を悠里に変えた。


「ツバサの代わりにお世話してやろうか?」

「結構よ」


 バッサリ言い切った悠里に俊介は「だよなー」と大声で笑い、なぜかツバサの背中を叩いてくる。

 思ったより力が入ったそれに顔をしかめると、俊介に目配せされた。

 よくわからないが、おそらく、悠里のことを見守ってくれるということのはず。

 と、俊介とは反対側から声が響いた。


「つ、ツバサくん、一緒のクラスだね」


 紗雪とさくらが連れ立って、話に入る。

 初等部でよく一緒になったメンバーだ。

 龍之介は登校が早いので、もう教室に入っているのだろう。

 中等部に上がったからか人見知りを発揮している紗雪にツバサは笑いかけた。


「紗雪ちゃん、知らない人が多かったから、一緒で嬉しいよ」

「わ、わたしも」


 笑顔でこくこく頷く姿に癒やされる。

 紗雪はこのメンバーの中で唯一ツバサより背が低かった。

 と、その紗雪の肩を抱くようにして、さくらが間に割って入る。


「あたしも一緒のクラスだから!」

「小野寺も心強いよ」


 こちらも変わらず圧が強い。

 芸術祭で悠里と張り合ったさくらはライバルという存在に目覚めたのか、あの後も何かと悠里を意識していた。

 だが張り合い方が武将のように正々堂々しているので、陰湿なことにはならず、芸術祭の名物のように扱われている。


「中等部ではオリジナルも認められるから、良い本書きなさいよね!」

「えー、どうしようかな」


 まだ春だというのにさくらはグイグイと詰め寄ってくる。

 のらりくらりと交わしていたら、なぜか悠里の視線が鋭くなった。

 あ、さくらとぶつかりそう。

 そう思ったツバサの目の前で悠里の肩に手が置かれる。


「悠里」


 悠里、だと。

 彼女の名前を呼び捨てにする人間は生徒にはいなかった。

 誰だと顔を確認して、思わず声を上げそうになるのを我慢する。

 そうか。そうだ。

 中等部に上がったならば、もうその時期なのだ。

 ツバサは苦いものを飲み込んだ気分になった。


「海斗くん」


 一瞬で目元の鋭さを霧散させた悠里が、その男の名前を読んだ。

 朝倉海斗。

 悠里を幸せにするならば、一番気をつけないと行けない相手。それなのに。


「俺にも紹介して欲しいかな」


 爽やかな王子さまスマイルを浮かべる朝倉に、ツバサはイラつきがこみ上げるのを止めることができなかった。

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