第11話 調宮悠里の場合


 シオン学園の芸術祭は文化の日近くに行われることになっている。

 肌寒い風が吹くようになり、日差しがなくなれば一気に冬を感じさせる。

 毎年、何も思わず、ただ役割をこなしていた日。

 それが今年から変わったのは、間違いなく、彼のおかげだった。

 その彼ーー柚木ツバサを探して、悠里は劇が行われた講堂を歩き回っていた。


「はぁ、面白かったなぁ」


 まだ熱気が残る舞台裏では、クラスメイトたちが口々に感想を言い合っている。

 大道具を担当した人たちは片付けをしながら、悠里のような演者は手早く着替えて衣装を分けている。

 照明や音響を担当した子たちは散り散りに片付けを手伝っていた。

 悠里はその間を縫うように進みながら、線の細いツバサの姿を探す。


「シンデレラがやり返すって、どんな話だよ」

「まぁ、小野寺と調宮のバトルは見ものだったしな」


 そこ、ツバサが唸りながら考えてたわよ。

 耳に入る言葉に、悠里は心の中でだけ言い返す。

 変形シンデレラはさくらを主役であるシンデレラのまま、義姉役の悠里を目立たせた形だ。

 基本的に女の子が目立つ構成になった。というのも、ツバサが希望をとった結果そういう風になってしまったのだけれど。


「見た目、逆のほうがしっくり来そうだけど」

「小野寺に怒られるぞ」


 シンデレラといえば健気な女の子が魔法使いの力を借りて王子さまに見初められる話だ。

 儚げな見た目の方が映える、と思われているが、悠里には不思議だった。

 だって、家の中でいじめられながら、しっかりと魔法使いの助力を得て、王子さまと踊るなんて、よほど準備していなければ難しい。

 大舞台で目立つには、それなりの練習が必要だと悠里はよく知っていた。

 だから、きっとシンデレラはさくらのように自分の意思をはっきり言える女の子だろうと、悠里は思っていた。


「ねぇ、ツバサ、見なかったかしら?」


 講堂を三周した。いい加減、疲れてしまった。

 早く会いたいのにと苛つく気持ちを抑える。

 悠里は片付けをしているクラスメイトに声をかけた。


「調宮、ツバサなら学校のトイレの方に行ったぞ」

「そう、ありがとう」


 ワイワイしていた集団から、王子さま役だった俊介が顔を出す。

 王子なのに出番を少なくしてくれとツバサに頼んだ結果、彼の出番は義姉と争ってガラスの靴を落としたシンデレラを追いかける所だけになった。

 ワルツのシーンも堅苦しい名乗りもなくなって、俊介は嬉しそうにツバサの肩を叩いていたのが記憶に新しい。


「なぁ、調宮も芸術祭、楽しかったか?」


 ツバサを追いかけようと踵を返した悠里の背中に俊介が声をかけた。

 色々なものを含んだ言葉に、悠里は足を止めた。

 足を引き、わずかに振り返る。

 こちらを見る視線に悠里は微笑みを返す。


「そうね。楽しかったわ」

「……良かったな!」


 悠里の顔を見て狐につままれたような顔をした俊介は、ツバサがよく言っているようにスポーツ少年のような爽やかな笑顔を浮かべた。

 確かに、こっちの方が俊介らしいと悠里も感じた。


「ええ」


 どうやら喜んでくれている俊介に悠里は一つ頷くと、今度こそツバサを探すために身体を翻した。


 学校のトイレ。

 講堂から一番近いトイレは、渡り廊下を通ってすぐの場所だ。

 だけどツバサが姿を消しているならば、トイレじゃないだろうなと悠里は思った。

 俊介の言ったトイレを左手に見ながら、悠里は階段を上がる。


「ツバサ」


 一気に三階まで上がる。

 ここは特殊教室が並ぶ場所で、芸術祭の今は人気が少ない。

 悠里が階段を上がる音さえ響く気がした。

 少し息が切れた。不思議と浮かんできたのは、ツバサが転入してきた日のことだった。


『柚木ツバサくんです』


 シンプルに紹介された、珍しい編入生。

 小柄な男の子だった。鞄が背中からはみ出てるくらいで、女の子と比べても細かった。

 肩くらいの長さの髪の毛と相まって女の子だと思ったほどだ。

 その後、自己紹介だけで泣かれるとは悠里も思っていなかったのだけれど。


「悠里、こんなとこまで来たの?」

「あなたこそ、こんなとこで泣いてるの?」


 登り終わった先で、非常階段の扉が開いていた。

 そっと押せば音もなく開き、その先に目を赤くしたツバサがいた。

 悠里は半ば予想していた状態にハンカチを差し出す。

 ツバサはそれを受け取ると自分の頬に押し当てた。

 悠里はそっと隣に並び、その横顔を眺める。


「成功して良かったよぉ」


 涙が赤くなった頬を伝っていく。人の泣き顔を横から眺めることは経験がなく、どうすればいいのか分からない。

 変形シンデレラの脚本を書くのは大変だったろう。

 悠里が手伝ったのは、資料を集めたり脚本の形式を整えたり、創造の部分はツバサが担っていたから。


「……うちの親も褒めてたわよ」

「そっか」


 褒める、べきだろう。少なくとも自分は。何があっても。

 彼の涙は喜びから湧くもののはずで、プレッシャーから開放されたのも大きいだろうけど。

 ここまで泣いてしまうほど、ツバサが頑張ってくれたのは、きっと悠里のためだと感じていた。


「やっぱり、泣き虫ね」

「うう」


 泣きすぎてハンカチを上手に使えていないツバサから貰い、彼の顔を拭く。

 近くで見ても、女の子にしか見えなかった。

 もっと大きくなったら、どんな子になるんだろう。

 きっとカッコいい男の子になる。悠里はそれを確信していた。


「全部、あなたのおかげなんだから、笑えばいいのに」


 非常階段の手すりに肘をつきながら、隣で泣いている男の子の顔を眺める。

 不思議な体験なのに、妙に心が落ち着いた。

 たまに吹く風に髪の毛が流れていく。


「あのね、悠里が舞台に立つの好きじゃないって知ってたんだけど」


 ゴシゴシと瞳を拭い、ツバサは悠里を真っ直ぐに見つめた。

 泣いていたくせにその下にある瞳は存外に強い色をしていて、悠里は胸の内がポカポカしてくる。

 ツバサは悠里の返事を待つように口をぎゅっと結んでいた。


「うん」

「それでも、わたしは、舞台に立つ悠里は綺麗だなって思った」

「ありがとう」


 ツバサがそう言ってくれたならば、気の進まない舞台に立った意味がある。

 だけど、そんなことを素直に言えるような性格ではない。

 悠里は少しだけ唇を綻ばせると礼を言った。


「やっぱり、悠里は真ん中が似合うね」

「……どうかしら」


 この視線を知っている。

 羨望と憧憬、それと他に交じる何か。

 一欠片の妬みもないのは逆に珍しくて、こそばゆい感覚になる。

 やっと涙が止まったツバサが、両手を組むと大きく伸びをした。


「はぁ、悠里も迎えに来てくれたし、戻ろっか」

「みんな、ツバサを探してたから、きっと大変よ?」


 柔らかく笑う。なぜかその笑顔に悠里はひどく安心するのだ。

 最初から泣いていたら胸が痛くて、笑うと嬉しい。

 理由はわからない。

 涙の残渣を消すために顔を叩いているツバサに、悠里はわざとからかうように言った。


「えぇ、揉みくちゃは嫌だなぁ」

「いいじゃない、揉みくちゃ」

「悠里はされないから言えるんだよ」


 どうかしら、とツバサに答える。

 隣に並びながら、悠里はポケットに入れてあるもう一枚のハンカチを握りしめた。

 お守りのように持ち歩くそれは、ツバサに最初に貸したハンカチだった。


(きっと真ん中が似合うのは、あなたの方よ)


 ツバサは目立つ方ではない。

 授業中も静かだし、何かが飛ば抜けてできるわけでもない。

 俊介が言うように体力はないし、勉強は好きみたいだけど、トップではなかった。

 それでも、今のクラスで一番中心にいるのはきっと彼だろう。


 ツバサと臨んだ初めての芸術祭は悠里の中に色々なものを残していった。

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