呪いで男扱いされる女の子が同級生の震える横顔を救うまで

藤之恵多

第1話 震える横顔

 シオン学園にはダンスホールと庭園がある。

 幼稚舎から大学まである私立一貫校らしい豪華な作りだ。

 柚木ツバサは赤いレンガの外装と、どこぞの王宮のようなバルコニーを目を皿のようにして眺めていた。理由はない。ただの仕事だ。


「異常なし、と」


 今日はダンスホールと庭園が一番人であふれる日。三年生の卒業を祝うプロムパーティーの日だった。

 大方の人間はそのままシオン学園の大学部に進む。受験なんて形だけか、学部を選ぶ際に関係するくらいだった。

 他の学校だったら受験の一喜一憂でそれどころではないのに、この敷地にその影はまったく見えなかった。


(まぁ、ほとんど持ち上がりだからなぁ)


 ツバサ自身は珍しく転入してきた人間だ。

 両親がシオン学園に憧れていて、通学できる位置に住めるようになったから編入試験を受け転入した。

 あれほど勉強した日々はない。

 とはいえ、シオン学園に一度入ってしまうと、努力の意味を考えさせられる世界が広がっていたのだけれど。


「ツバサさん」


 名前を呼ばれ振り返る。プロムパーティーには相応しくない暗い顔をした実行委員の後輩が数人立っていた。

 パーティードレスやら燕尾服やら、いつの時代と思われる服装ばかりの中で、制服にコートを着ているだけの実行委員は目立つ。

 指定のコートも制服もデザインから凝られた一級品だが、パーティードレスと比べられては分が悪い。

 距離を近づけ耳元に口を寄せる後輩からもたらされた情報にツバサは目を見開いた。


「え、悠里さんが来てない?」

「姿が見えないんです」


 ツバサの言葉に眉間にしわを寄せながら後輩は頷く。

 悠里さん――調宮悠里つきのみやゆうりは生徒会副会長で、この学園で知らない人はいない。

 目を引く美貌に元華族の家柄、ツバサが転入初日に格の違いを思い知った人。

 ツバサは念のため後輩にもう一度確認する。


「朝倉くんと一緒じゃないの?」

「受付は二人とも済んでいるのですが」


  プロムパーティーは出席をきちんと取っている。昔ながらの記帳形式なのは、様式美というやつだ。それを調べれば、来ているかは一目瞭然。

 朝倉ーー朝倉海斗は悠里の許婚であり、シオン学園の生徒会長でもある。その上、シオン学園創設者の子孫と、この学園では最強のプロフィールの持ち主だ。

 二人は連れ立って、プロムパーティであいさつをする予定になっている。


「悠里さんは約束を違えるタイプじゃないけど」


 ツバサ自身、同級生とはいえ親しいというには微妙な距離があった。

 それはこの学園に来るまでの間、公立の学校に通っていたツバサには馴染めない壁を感じていたからだ。

 もっと言えば、社会階級の違い。貴族と庶民。歴然たる差がそこにはあった。


「ですよねー!」

「氷の女帝ですもん」

「しっ」


 実行委員には、どちらかといえば一般人に近い家柄の子が多い。

 悠里は生真面目なだけなのだが、美貌も相まって、氷の女帝などと呼ばれている。

 女の子たちが互いの肩をつつきあう。

 それを眺めつつ、ツバサは小さなため息を吐いた。


「……私が探してくるから、あなたたちはスケジュールのまま進めておいて」

「よろしくお願いします」


 声を揃えて会場内に散っていく。

 ダンスホールは大きい。ましてや、外の庭まで会場扱いなのだ。

 後輩たちの背中を見送ってから、ツバサは悠里を探しに人混みに紛れた。


「いつも、あんなに目立つのに」


 調宮悠里という存在は、いるだけで目立つ。

 すらりとした体型に腰まであるキレイな黒髪。猫毛らしく、ふわふわとしたそれは風によく流れていた。

 同じ制服を着ていても、ピンと伸びた背中と真っ直ぐ前を見る瞳の美しさは印象的で、会う人に焼き付く。悠里も初対面で焼き付けられた一人だからよくわかる。


(真面目なだけで、損してるように見えるけど)


 ツバサ以外で、そう思っている人間は少ないようだ。

 そうあるべき。そういうフィルターを通して見られる大変さは想像できたが、代われる気は微塵もしない。

 キョロキョロと周りを見回していたら、予想外の方向から声をかけられる。


「そんなに急いでどうした?」


 荒木先生だった。シオン学園で一番若い男性教師で、女生徒からは憧れの視線を集めている。

 実行委員の顧問を任されているので、ツバサは話す回数が多い。

 

「先生、悠里さんがいないみたいで」

「なんだって? 朝倉と一緒に来てるんじゃないのか?」

「私もそう思っていたのですが」


 荒木の言葉にツバサは頷いた。

 朝倉は悠里の許婚だ。この時代に許婚ってと聞いた当初は思ったものだが、シオン学園では憧れの目で見られる。

 今回のプロムパーティーで主役になるはずの二人だ。


「今年のプロムキングとプロムクイーンはあの二人で決まりだったからな」

「悠里さん、忙しいのに練習もしていました」


 ツバサは悠里の忙しさを見ている。生徒会の活動に加えて朝倉との練習だ。

 自分だったら、とっくに嫌になっている。

 プロムパーティーでは一番輝いていたペアにキングとクイーンの称号が与えられる。

 ダンス、衣装、息の合い具合、家柄すべてを総合的に見られるのだが、今年はそのどれにおいても朝倉と悠里のペアが圧倒していた。

 出れば勝つ。そういう状況だ。


「柚木は出なくて良かったのか?」

「悠里さんが出る時点で、私が裏方に回るしかないですよね?」


 荒木の問いかけに、ツバサはキョトンと瞬きを返す。

 出たかった気持ちもなくはないが、実行委員も大切な仕事だ。

 その上、悠里が主役として出るならツバサが回さないと適任がいない。


「いや、まぁ、生徒会としてはそうだろうが……プロムパーティーは憧れる生徒が多いからな」


 今年の生徒会のメンバーは、会長が朝倉、副会長が悠里、書記がツバサだ。

 会計をする人間もいるが、彼女は家柄で選ばれたようなもので、こういう行事を回すことに興味はない。

 あとは下の学年。となれば、実行委員を兼ねることができるのはツバサだけ。

 何より。


「面倒なので、裏方で良かったです」

「まったく、柚木がそう言うならいいか」


 呆れたように荒木が笑う。ツバサは気にしないことにした。

 パーティードレスを選ぶのも、ダンスの練習も面倒だった。

 ツバサはせっかく入った私立の特権を活かして、このまま大学へ進学、そこそこの就職ができれば良い。

 身の丈にあった人生が送れれば良かった。


「そろそろ入場が始まる時間だ」


 荒木が腕時計へ目を落とす。

 ただの教師が着るにしてはお洒落なスーツ。ツバサさえ知っているブランドの名前が刺繍されていた。

  周りの人も減ってきている。入場を見ようと人が移動しているのだ。


「もう少し探してみます!」

「気をつけてな」


 荒木に小さく頭を下げてからその場を去る。

 嫌な予感がした。

 ツバサが去ったあと、荒木は顎に手を当てると首を傾げた。


「朝倉は見た気がしたんだが……」


 その呟きはツバサの耳に届かない。

 荒木と別れたツバサは室内へと移動してきた。ダンスホールの入口に人はまばらだ。

 受付にもう一度確認すれば、やはり来てはいるようだ。


「無駄に広いんだから」


 一周するだけで、一苦労。

 パーティードレスを着ていたら、さらに大変だろう。庭は諦めて室内に絞って探すことにする。


「始まる前から、これか」


 テーブルの中央には邪魔にならない程度のブーケ。その周りに食器や軽食。

 とてもキレイに飾れて満足していたのだけれど、それが幾重にも重なると視線が遮られてしまう。

 ツバサはふぅと天井を見上げた。すると、見慣れない青い何かが視線を過り、そのまま進もうとした。


「ツバサさん! いました」

「え、ほんと?」


 ピタと足を止める。

 これだけ探したのに見つけられなかったのは少し悔しかった。

 振り返ればツバサと同じコートを来た後輩が眉を下げている。


「はい、でも……」

「でも?」


 早く、行かなければ。

 なぜか分からないのに、その思いだけが強くなっていく。

 焦る。焦れる。悠里を思い出すと、脳裏に浮かぶのはいつも横顔だった。

 不思議とあれだけ整った正面の顔ではない。

 何を言われても、褒められても、なじられても、まっすぐ前だけを見つめている横顔だ。

 と、少し意識を飛ばしていたツバサに恐る恐る口を開く。


「調宮さん、一人なんです」

「ええ? もう、入場口にいないと間に合わないよね?」


 齎された情報にツバサは目を見開いた。

 プロムパーティーはプロムキングとクイーンを目指すペアたちの入場から始まる。

 そこに目玉の悠里と朝倉がいないなんてありえないし、一人ということがさらにあり得ない。


「朝倉くんは?」

「近くにはいなくて」


 プロムパーティーでは、基本的に男性が女性を家からエスコートする。

 その二人が離れているのは異常事態だ、とツバサの頭の中に最悪の考えが浮かぶ。

 プロムパーティーの前に、朝倉と悠里について噂が流れたのだ。根も葉もない噂と思っていたのだけれど。

 ツバサは後輩と目を合わせた。


「とりあえず、連れてって」

「はい」


 果たして調宮悠里はそこにいた。

 キラキラと月の光を浴びて輝くドレス。布もそうだが、刺繍に使われた糸が光を反射している。

 だが、ツバサの目を奪ったのは、美麗としかいいようがない立ち姿ではなかった。


「悠里さん」


 悠里はまっすぐ前を見て、立ち尽くしていた。

 その視線の先には許婚である朝倉がいて、隣には二年生のときに転入してきた石川里奈と笑い合っていた。

 それを見つめる悠里の横顔が、噛み締められた唇が小刻みに震えていて、ツバサは人生で初めて見惚れると可哀想の2つの感情を抱いた。

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