第40話 悠里の横顔


 劇場の膜が降り、観客たちがバラバラと返り始める。

 ツバサたち四人は大体の人が出てから、のんびりと外に出ることにした。

 劇場を出れば、夏の日差しの眩しさに目を細める。

 劇場内は舞台が一番映えるために照明を絞っている。

 それを実感できる眩しさだった。


「あー、面白かったわね」


 場内はまだ人が多かった。

 ゆっくり進む人ごみから逃げるように近くのカフェに入る。

 外のテーブルで飲み物片手に感想を言い始めた。


「ロミオとジュリエット、古典だけど外さない面白さだね」


 シェイクスピアの古典の割に、上演されることが多い物語だ。

 話も分かりやすいし、恋に翻弄される人間をよく表している。

 口々に感想を言う中で悠里だけは手に持った飲み物から視線を外さない。


「悠里は気に入らなかったの?」


 悠里は考え込むとこうなる。

 そして、それはどちらかと言えば、気に入らない時。

 ツバサは悠里に話を振った。


「お話は知ってるし、時代背景から考えても仕方ないと思ったのだけれど」


 悠里がゆるりと顔を上げる。その唇は尖っていた。

 悠里の言葉を待っていたら、待ちきれなかったさくらが取り次いだ。


「思ったのだけれど?」

「お互いに好きならば、もっとすべきことがあるんじゃないかしら」


 それを言っちゃおしまいだ。

 そんな感想が各々の顔に浮かぶ。

 熱狂的な恋だからこそ、あの悲劇的な終わりになるのだから。


「ふぅん……柚木みたいな?」


 面白がったさくらが、チェシャ猫のような笑みを浮かべ、ツバサをちらりと見た。

 止めて欲しい。ロミオたちと比べられるのは一般人には荷が重い。


「それもそうだし、障害を分析して突破するとか」


 だというのに、悠里は気にした様子もなく肯定して、さらに言葉を付け加える。

 さくらの瞳がさらに楽しそうに弧を描く。

 ツバサは慌てて悠里の言葉を止めた。


「ちょ、悠里。わたしは大したことしてないから」

「いいえ、してくれたし、私もした。違う?」


 ツバサは大したことをしてないと思う。

 けれど、悠里はツバサが女の子だとわかっていながら、許婚の解消をしてくれた。

 うまく纏めたのも彼女で、それを持ち出されるとツバサが言えることはなくなってしまう。


「……違わないです」


 すぐに目を伏せたツバサにさくらがくすくすと楽しそうに笑った。


「ふふっ、尻に敷かれてる」


 放っといてくれ。悠里に勝てたことなど、戻される前からないのだから。

 さくらはツバサを楽しそうに見つめていたかと思うと、顎を手で支えながら悠里を見た。


「調宮にかかると、悲恋の物語も、戦略ものにジャンル替えしそうね」

「そうかしら。必要なことをするだけだと思うわ」


 淡々と続いていく会話に耐えきれず、ツバサは話題を変えた。


「舞台の話もいいけど、海外の学校はどんな感じなの?」

「フランスだったわよね?」


 ツバサの急な話題転換にさくらはニヤニヤしていたが、突っ込むことはなく。

 悠里はわずかに首を傾げるとさくらに視線を向けた。

 紗雪が楽しそうに話を始める。


「さくらちゃんの送ってくる写真、すごく、綺麗だよ」


 へぇ、とツバサは思った。

 紗雪には写真を送っているらしいが、自分たちに届いたことはほぼない。

 ジト目を向けてもさくらは涼しい顔のままだった。


「まぁ、小野寺は海外の風景が映えそうな見た目だもんね」


 元々はっちりとした二重とスラリとした身長だ。

 舞台ではさらにダイナミックに動く。

 フランスの町並みとさくらが目に浮かぶようだった。


「ふふん。ありがとう……ツバサに褒められると、調宮が悔しそうだから面白いのよね」

「別に、悔しがってないけれど」

「あら、そう」


 悠里とさくらのやり取りも変わらない。

 頭を突き合わせるようにして、視線をぶつけ合う。

 いつもの戯れ。

 そんなことをしていたら、目立っていたらしい。


「君たちは、どこでも目立つね」


 かけられた呆れ混じりの声に振り向く。


「朝倉!」

「なに、朝倉も見に来てたの?」

「チケットを貰ったからね」


 海斗と里奈が連れ立ってこちらを見ていた。

 彼らも同じ大学にいるので、久しぶりという感覚はない。

 海斗が肩を竦めて答えれば、里奈がツバサに顔を寄せた。


「ツバサくん、相変わらず仲良さそうで羨ましい」

「石川さんも」


 この会話の途中で悠里から手を引かれ、距離を離された。

 それも里奈は変わらない笑顔で見守るだけ。

 ツバサは素知らぬ顔で前を向く悠里の顔を見上げて苦笑した。


「ところで、柚木。そろそろ就職の件、考えてくれたかな」

「うーん、迷ってる」


 切り出された話に頬をかく。

 就職とは、朝倉家からもらっている話だった。

 シオン学園を見ればわこるように、朝倉家は教育や人材開発を仕事にしている。

 許嫁でなくなっても、悠里は朝倉の家で働くらしく、一緒にどうかと誘われていた。

 嬉しいような、歯がゆいような複雑な心境だ。


「ツバサは何も気にしなくていいから、ゆっくり選んで」

「俺としては調宮を操縦できる人として、柚木を雇いたいくらいなんだけど?」

「あら、未来の社長がそんな気持ちでいいの?」


 そして、この話になると悠里と海斗の間で、話が紛糾する。

 どうやら悠里ひとりで雇うより、ツバサと一緒の方がよいと考えられているらしい。

 海斗も悠里と話すよりはツバサとの方が話しやすい。里奈とのことも気を使わなくて済む。

 悠里はそんな理由でツバサを取り込もうとしているのが許せない。

 どっちの言い分もわかる。

 苦笑していると、さくらが顎の下に手を置きながら手をひらひらと動かした。


「うーん、柚木の取り合いみたいで面白いわ」

「あながち、間違いじゃない、かも」


 ボルテージが上がっていく悠里と海斗を放って置く。自然と治まるのだ。

 紗雪から向けられた言葉にツバサは両肩を上げて答える。


「柚木、真面目でコミュニケーション能力高くて、調宮と周りを取りなせるくらいだからねぇ」


 そういう評価をもらうことも増えた。

 自分には過分な気がしているが、悠里に言わせればその通りらしい。

 彼女の助けになっていればツバサとしては何でも良い。


「貴重な人材……うちの道場も手伝ってくれてるんだ」

「え、そうなの?」

「いつもお世話になってるからね」


 さくらの言葉にツバサは頷いた。

 とはいえ、大したことはしていない。

 精々新しく入ってきた人に話しかけるくらい。

 それでも、昔と比べれば確かに変わったのだろうなと思う。


「ツバサは義理堅いのよ」


 ツバサを褒める言葉が続く中、悠里だけは堂々と胸を張っていた。

 さくらは呆れたように悠里を見て苦笑する。


「調宮、重すぎると駄目よ?」

「……重い?」

「そんなことないよ」


 雪崩のように連鎖した。悠里の視線がツバサに届く。

 悠里がここまでべったりになるとは、前のツバサには予想できなかった。

 それでも、重いと感じたことは微塵もない。

 ツバサの言葉に悠里は呆れたように首をすくめた。


「柚木は、また甘やかしてー」

「まぁ、ツバサくんだから」


 わいわい、がやがや。

 高等部のときのように話が広がっていく。


「こうなったら、俊介と龍之介も呼びましょ」


 さくらがそう言って、結局、皆で集まることになった。

 夏の日差しの中で穏やかに微笑む悠里の横顔にツバサは目を細める。

 何が良かったかなんて分からない。けれど、やってきたことは無駄にはならなかった。

 そう思えただけで良かった。

 どこかで青髪が笑っている気がした。

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呪いで男扱いされる女の子が同級生の震える横顔を救うまで 藤之恵多 @teiritu

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