第9話 芸術祭

 転入してきたときは日差しがジリジリと地面を焼くような時だった。

 泣いたり、新しい友達ができたり、何より悠里と一緒に過ごす内に、少しだけ日差しが柔らかくなって。

 芸術の秋に相応しい爽やかな風が吹き込む季節になっていた。


 大分、教室にも馴染んだ。

 以前は女の子たちと仲良くなっている最中で、芸術祭も余った役をした気がする。

 とにかくシオン学園のギャップが凄くて、ついていくだけで必死だった。

 流石にニ回目になると、余裕が出る。ツバサは賑やかな教室を見回した。


「では、劇はシンデレラ。シンデレラ役は小野寺さん、王子役は田中くんに決まりました」

「はーい」


 芸術祭で発表する演目はシンデレラ。学芸会のド定番。

 シオン学園でも毎年ひとつのクラスはこの演目になるくらいだ。

 シンデレラ役に決まったさくらが立ち上がり頭を下げる。

 喜色満面をそのまま絵に描いたような笑顔だった。

 対する俊介は同じように立ち上がったものの頭を下げるだけ。


「俊介、王子さま、おめでとう」


 配役が決まった次の休み時間に、ツバサは俊介の机に行き、そう笑いかけた。

 ツバサの言葉に俊介はさっきよりぶーたれた顔を隠さず、椅子に座ったまま足を浮かせた。

 かなり行儀の悪い姿勢だ。


「俺、ああいう服装苦手なんだけど」

「小野寺さんとの身長を考えるとしょうがないんじゃない?」


 芸術祭の衣装は、ちょっとどうかと思うほど力が入っている。

 以前に演じられたものであれば、古い衣装のストックがあるほどだ。定番となれば新しいものをつくる必要がないほどの数になる。

 恥ずかしいとかではなく、苦手。

 着たことがあるからこその感想にツバサは苦笑した。

 小学校三年生という時期は、女の子の方が背が高いことが多い。

 シンデレラ役のさくらと同じか少し大きいので、俊介が指名された形だ。


「龍ちゃんの方が大きいのに」

「僕は、絶対、ヤダ」


 俊介からの視線を龍之介はバッサリ切り捨てた。

 今までで聞いた中で一番大きく、はっきりした言葉だった。

 龍之介に断られ俊介がブツブツと文句を言っていたが放って置く。


「宮本はわたしと一緒に裏方だから。頑張ろうね!」

「僕は大道具。柚木は脚本だろ? しかも調宮と一緒」


 テンション高く龍之介の肩を叩いたツバサにも龍之介は冷静なものだった。

 龍之介の言葉にツバサは嬉しそうに微笑んだ。

 悠里と一緒に脚本を書けると思うだけで顔の筋肉が緩んでいく。


「お前ら仲良いよなー」


 落ち込みから復活した俊介は机に頬杖をつきながら悠里とツバサに視線を投げかけた。

 龍之介も同意するように頷いている。

 机が隣ということもあり、ツバサが学校で一番話すのは悠里だ。

 離れてても話しかけには行っただろうけど、ありがたいことには変わりない。


「調宮が舞台に立たないなんて初めてじゃないか?」

「調宮さん、舞台映えしそうだもんね」


 やっぱり、今までは毎年ステージに立っていたのだなと察した。

 ツバサの記憶の中にいる悠里も芸術祭では常に舞台の上にいた。

 毎年、卒なくこなす姿から、やっぱり天才は違うと思っていた。だが、今回、裏方も好きだと知って、悠里の努力を知る。

 素直に悠里を褒めたツバサに、俊介がからかいを含んだ顔で距離を詰めてくる。


「なぁなぁ、柚木はやっぱり、調宮が好きなのか?」

「好きだよ。綺麗で、優しいし、すっごく頑張ってるし」


 何を今さら。

 ツバサは間髪なく答えた。

 それは俊介の望むものとは違ったようで、からかうような笑顔がつまらなそうに変化する。


「はぁ、外から来た人間にはそう見えるんだなぁ」

「どういこと?」


 ツバサは顔をしかめた。

 俊介の言葉に、ないと思っていた垣根を見た気がしたからだ。

 悠里の優等生ぶりは周知の事実だったし、目を引く容姿なのは見ればわかる。


「俊介、そんなことより小野寺と練習しなくていいのか?」

「え、いいよ。台本ができてからだろうし」


 わずかにピリついた空気を察したのか、龍之介がさっと話題をすり替える。

 ツバサの中の違和感はさらに大きくなった。

 俊介は龍之介の言葉にふるふると首を横に振り、彼の性格には似合わない皮肉げな笑みを浮かべた。


「調宮が舞台に立たないなんて、ありえないだろうから」


 その言葉の意味を確かめる前にチャイムが鳴る。

 ツバサはどこか引っかかるものを感じながら次の授業の準備を始めた。


「え、調宮さん、脚本できないの?」


 ツバサは悠里から告げられた言葉をオウムのように返してしまった。

 悠里の表情は暗い。

 昨日まで楽しそうに シンデレラの脚本について話していたのに、ツバサは信じられない想いで悠里を見つめた。


「調宮の人間が舞台に立たないなんて、あり得ない、ですって」


 そう口にする悠里の表情が一番苛立っているようにツバサには見えた。

 俊介の皮肉な表情がフラッシュバックする。

 まさか、彼はこれを見越していたのか。

 ツバサは乾いた口を潤すようにつばを飲み込んだ。

 ニ人のやり取りが聞こえたのか。クラスメイトたちが近寄ってくる。

 先頭にいるのはさくらだ。


「ちょっと、どういうことよ」

「小野寺さん……ごめんなさい、興味はなかったのだけれど」


 両手を組んださくらは眉間にしわを寄せていた。

 対する悠里も頭は下げているが、表情は変わらない。


(この時から、氷の女帝なんだ)


 悠里のあだ名は彼女の表情が変わらないことから付けられている。

 生徒会副会長ともなると、言いづらいことやしにくい仕事も増えてくる。

 悠里はその全てを無表情でこなした。

 それは何も感じていないわけではなく、ただ緊張のしすぎで表情がなくなるのだと、ツバサは知っていたのだけれど。


「興味はないのに、主役をしようとするわけ?」

「……ごめんなさい」


 悠里の態度にさくらはさらに燃え上がる。

 謝り続ける悠里はいつもぴんと伸ばした背筋を小さくしていて、ツバサは何かできないかとヤキモキする。

 下手に入れば更に燃え上がるのが目に見えていた。と、さくらの側に紗雪を見つけて、ツバサはこっそり近づいた。


「これ、先生はいいのかな?」

「つ、調宮家は昔からこの学園に関係してるの」


 紗雪も声を潜めたまま返事をしてくれる。

 ツバサはその答えに顔をしかめた。


「先生も強く言えない?」

「たぶん、そういうことだと思う」


 なんてことだ。

 子どものしたいことを親が潰すなんて。

 紗雪は悲しそうに眉毛を八の字にしていた。

 俊介の言動やさくらや紗雪の様子から、今までもあったことなのだろう。

 だからこそ、悠里が舞台に立たなかったときはないのだ。


「でも、これ、調宮さんのためにならないよね」

「さ、さくらちゃんも、一度決まったから譲らないと思う」


 悠里も家のこととなれば譲れない。というより、家からの圧力なのだ。彼女の意思は関係ない。

 さくらは元からやりたかったし、一度シンデレラに決まったからにら引けないだろう。

 前もって釘を打ってきたくらいなのだから。

 どうしようと首をひねっていると、俊介が女子の集団とは反対方向から顔を出す。


「ほらな、やっぱり」

「俊介はこうなるの、わかってたの?」

「わかるぞー。だって、調宮の家は悠里を目立たせたいからな」


 ツバサの言葉に俊介は当然というように大きく頷いてみせた。

 調宮の家が、悠里を目立たせたい。

 子供にもわかるほどなのかとツバサは苦いものを無理やり飲まされたような気分になる。


「幼稚舎のときから、ずっと調宮は自分の希望の役を貰えたことはないんだ」

「なにそれ」


 ぽそりと龍之介が落とした言葉が決定打だった。

 悠里はずっと努力していた。勉強も習い事も泣き言ひとつ言わずに。

 それなのに、自分の希望は通らないなんて悲しすぎる。

 またツバサの前に震える横顔が浮かんできた。

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