第8話
男として体力をつけようと、走り込みと紗雪の家での鍛錬を始めたツバサは今日も机に身を投げだしていた。
身じろぎするだけで全身がピキピキと引きつる。
さすがの俊介もこの状態を見てサッカーに誘っては来なかった。
「つぅー」
外からは楽しそうな遊び声が聞こえてくる。
だがツハサは窓ではなく、悠里の方を向いて呻いていた。
悠里は相変わらず綺麗な姿勢で本を読み進めている。
綺麗な横顔は、あの日見た震えるものと違い、ずっと眺めていたくなる。
だけれど同級生からそんな視線を向けられている本人は居心地が悪そうにため息をつくと本を閉じ、鞄にしまった。
「デジャヴね」
「デジャヴなんて、よく知ってるねー……」
呆れたように声をかけられる。
ツバサはなるべく体を動かさずに悠里に返す。少し動くだけで思いもよらぬ場所に響くのだ。
ちょっと動いただけで「う」とか「お」とか声を出すツバサを悠里は珍獣を見るように見てくる。
こっちだって好きでこんな声を出しているわけではない。
「今度はどうしたの?」
「筋肉痛」
合気道なら動きが柔らかいから筋肉痛はならないだろう、なんて呑気な考えは通い始めてすぐに払拭された。
やすやすと2倍量をこなす紗雪が超人に見えたくらいだ。
「星野さんのところで?」
「うん……紗雪ちゃん、すごいんだ」
「そう」
あっさりとした返事。
悠里はツバサのことは聞いたり、気にかけてくれるのだが、不思議とそれ以外のクラスメイトとは一定の距離を置いているように見えた。
たまに手を伸ばした悠里がツバサの体をつつく。それにオーバーにリアクションをしていると悠里が小さく笑ってくれた。
と、ツバサと悠里の机の間に誰か近寄ってきた。
「柚木はほんと体力がないね」
「さ、さくらちゃん、ツバサくんは始めたばかりだから」
ツバサはどうにか机に肘をつき、上体を起こす。
小野寺さくら。
肩につくくらいのボブカットをヘアバンドで止めている、活発なイメージのある女の子だ。
紗雪と馬が合うらしく、よく一緒にいるし、今のように紗雪がさくらの後ろにいるのもクラスでよく見かけた。
「紗雪はこんな元気なのに?」
「わ、わたしは、毎日、やってるし」
さくらが小さく首を傾げ、紗雪を見る。自然とツバサ、悠里の視線もそちらを向き、紗雪は顔の前で慌てて手を横に降った。
紗雪のフォローも虚しく響くほど、ツバサは錆びついた戸棚のようにぎこちない動きでさくらに顔を向けた。
「小野寺もやればいいのに」
「あたしは踊りで忙しいの」
すっぱりと断られた。
確かに、とツバサは内心頷く。
さくらは小さい頃から踊るのが好きで、初等部の頃は日舞からバレエ、ダンススクールまで幅広く習っていた。
中等部からバレエに絞り始め、高等部では留学の話も出ていたほどだ。
「小野寺さんに星野さん。柚木くんがお世話になってるみたいね」
悠里がツバサの飼い主のようにそう言った。
悪い気はしない。むしろ悠里がそう言う範囲に入れたことが嬉しかった。
悠里からお礼を言われることが予想外だったのか、紗雪は前髪で隠れている瞳を大きくして、口を何度か開閉させる。
「ううん」
「お世話になってます……」
消え入りそうな声にツバサ自身もお礼を言った。
紗雪がいなければ途中で無理と投げ出していたかもしれない。
紗雪と対照的に、さくらは破顔一笑すると面白そうに目を細め、悠里を見た。
「いいの、いいの、調宮が紹介してくれたんでしょ?」
「紹介ってほどじゃないわ」
悠里はわずかに首を傾げた。
ツバサは俊介から聞いたと言ったが、その前に悠里がいることをこのクラスの子は把握しているらしい。
悠里の言葉にさくらは立て続けに言葉を続ける。
新しい玩具を見つけたような表情は、彼女の性分を感じさせる。
つまりは色んな人にちょっかいをかけたいタイプの人間だ。
「わざわざ俊介まで通したのに? 調宮って柚木には過保護だよね」
「……そうかしら?」
それはツバサも感じていた。
出会った瞬間に泣いてしまったからか、悠里はツバサに対してまるで弟のように接している。
これは前の世界では感じなかったことだ。
よくも悪くも、悠里は友人たちと一定の距離を取っていたから。
悠里にその自覚はなかったのか、さくらからの指摘に首を傾げるだけ。さくらは呆れたように肩を竦めると、話を変えた。
「もう少しで芸術祭だけど、調宮はしたいことある?」
「特には。今年は劇かしら?」
「奇数年は劇で、偶数年は合唱だからね」
さくらの本命はこっちの話だったのだろう。
ポンポンと悠里とさくらの間で話が進んでいく。
(もう、そんな季節かぁ)
芸術祭。名前は大げさだが学芸会である。
私立のシオン学園だから、力の入り方は段違いだが。
ツバサは紗雪と大人しく二人のやり取りを見ていたが、転入生らしく尋ねた。
「そういう決まり?」
「シオン学園では芸術性も大切にしてるんだけど、初等部のうちは歌か劇をすると決まっているのよ」
「生徒の得意なものだとバラけるからねぇ」
「なるほど」
もっともらしく頷く。
何せ、ここにいる女の子だけでやっている習い事が違いすぎる。
悠里は日舞をしているし、さくらはさっきも言った通りダンス全般、紗雪は合気道だ。
芸術系の話になれば、茶道、華道、絵画、演劇とキリが無くなってしまう。
その中で、ツバサはちらりとさくらを見た。
「小野寺は劇とか好きそうだね」
「好きよ! だから、調宮が何をしたいか知りたいの」
さくらは明るくて、クラスの子たちとよく話す女子だった。いわゆる中心人物。
性格的にも目立つことは好きな方で、だからかよく悠里と被ることがあるのだ。
初等部からこんなやり取りがあったのは、まったく覚えていなかったのだけれど。
悠里以外眼中にないような視線でさくらは悠里を見つめた。
その視線に晒された悠里は、ただ小さく肩を上げただけだった。
「私は残った役でいいのだけれど」
淡白だ。
悠里は学園生活において自分の意見をあまり主張しない。
基本的に家柄と立場ですべきことが決まってしまう人間だった。
プロムパーティーだって、朝倉の婚約者だから出ないと行けなかったし、出るからには家の体面がある。
「ふーん、主役は?」
「興味ないわね」
「そっか、それを聞いて安心した」
さくらの一段回踏み込んだ言葉に、悠里はふるふると首を横に振った。
その姿は本当に興味がなさそうで、さくらもそれを悟ったのか、微笑むと紗雪と一緒にいなくなる。
再び机の上の本に手を伸ばそうとした悠里にツバサは声をかけた。
「……主役、やらないの?」
悠里の主役。
まぁ、何もしなくても目立つ少女だから、下手に端役になると逆に悪目立ちするだろう。
それでも、舞台に立つ調宮悠里は可愛いくて綺麗だろうし、何よりツバサが見たいと思った。
しかし、悠里はキョトンとした顔をしただけで、首を振る。
「1年生のときしたし、あまり興味がないの」
「ふーん、似合いそうなのに勿体ない」
興味がない人間ほど、その役に見合うものを持っているものだ。
悠里にやる気がないなら、ツバサも無理じいするわけにもいかない。
この舞台で変に波風を立てるより、クラスに馴染んだほうがの良いのでは?という気持ちもあった。
まったく、あの神様はきまぐれで、この行動があってるのかも教えてくれない。
「ありがとうとだけ言っておくわ」
ツバサの言葉に悠里はそれだけ言った。
それから本に伸びていた手を止めて、ツバサを見る。
「柚木くんは何がしたいの?」
「わたしは裏方がいいなぁ。照明とか、脚本とか」
「脚本」
悠里がツバサの言葉を繰り返す。
表舞台は好きじゃない。
それより、裏で運営をする方が好きだった。
初等部の芸術祭は必ず一人にひとつの役割は与えられる。あまり人気はないので、焦る必要もない。
言ったきり黙った悠里に、ツバサはきしむ身体を少し近寄らせ尋ねた。
「調宮さんもしてみたいの?」
「演じるよりは、そっちのほうが楽しそうよね」
ふーん、悠里さんも裏のほうが好きなんだ。
高等部のときは知らなかった情報にツバサは内心驚く。
ツバサの中で出会ってから全ての行事の中心は悠里だった。
その彼女が脚本に興味を示すなんて。
ツバサは嬉しくて、そのまま悠里を見上げる。
「じゃ、一緒にやらない?」
「……それもいいかもね」
ぶっきらぼうではあるが、了承。
ツバサから見れば十分な返事だ。
筋肉痛を忘れてガッツポーズをする。
「そう思うと楽しみ」
「ほどほとにね」
見抜かれたのが悔しいのか、照れているのか。
悠里は強めにツバサの肩を突く。
嬉しさに忘れていた筋肉痛がフィードバックしてきた。
「いててて、調宮さん、痛いって」
「ふふ」
声を出して笑う悠里をツバサはこの時初めて見ることができたのだった。
調宮さんと一緒の芸術祭、楽しみだなぁ。
ツバサの頭は呑気にそれだけで満たされていた。
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